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灯りの点いた日

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/8/6 📚 シリーズ: ブリムストーンと、執事の少女。 📝 2,079文字 ✅ 全年齢

あらすじ

ブリムストーンと、執事の少女。 - 灯りの点いた日

本文

翌日、というか、同日の午後一時。

 ゴルモアの空に、雲はなかった。昨夜の廃墟の記憶が嘘のような、間の抜けた青さである。

 救済院の中庭に、子供たちの声が響いていた。

「旦那ぁ! こっち来て!」

「肩車、肩車!」

「わたしが先だって言ったのに!!」

「順番だ、順番。……いてて、髪引っ張るな」

 ヴィンセントは、両肩に子供を二人乗せ、さらに片腕にもう一人ぶら下げられたまま、砂場の真ん中で立ち往生していた。無精髭は相変わらずだが、目の下の隈は、心なしか、昨日より薄い。

「旦那、腕相撲!!」

「今、両手も両肩も塞がってるだろうが」

「じゃあ後で!!」

「後で忘れてくれると助かる」

「忘れないもーん!!」

 院長が、洗濯物を山ほど抱えたまま、その脇を通り過ぎていく。

「相変わらずですね、あの穀潰しは」

「ええ、本当に」

 クロエは、回廊の柱に寄りかかりながら、その光景を見ていた。院長の言葉に、小さく笑って頷く。

「毎回、あれだけ揉みくちゃにされて、よく懲りないものです」

「懲りてないわけじゃないと思いますよ。……ただ、来るのをやめる気は、これっぽっちもなさそうです」

「よくお分かりで」

「半年、お仕えしておりますので」

「あら、氷姫」

 声のした方を見ると、赤毛の少女が、洗濯籠を抱えて立っていた。ネリだった。以前より、少し背が伸びたように見える。

「元気にしてる?」

「おかげさまで。……あんたも、顔色、良くなったね」

「そう見えるか」

「見える。あの化け物の連れにしちゃ、ずいぶん人間くさい顔してる」

 クロエは、少しだけ、意外そうな顔をした。

「化け物、とは、もう思っていないのか」

「思ってねえよ、とっくに」

 ネリは、砂場の惨状を、顎でしゃくった。ヴィンセントは今、三人がかりで押し倒され、砂まみれになっている。

「……だって、また来たじゃないか。子供の遊び相手なんかしにさ。化け物は、そんなことしない」

「そう、だろうか」

「するわけないだろ、普通。……あんたは、知らないのか」

「いや」

 クロエは、少しだけ、目を伏せた。

「知っている。誰よりも」

 昨夜、あの人は、廃墟の闇の中で、子供のように泣いていた。今日は、この陽だまりの中で、子供たちに、また別の意味で泣かされている。

 同じ人だ。全部、同じ、この人だ。

「クロエ、来い!! 助けろ!!」

 砂まみれの主が、こちらへ向けて、情けない声を上げた。

「あなたが撒いた種です。ご自分で刈り取ってください」

「鬼か!! うちの執事は鬼か!!」

「氷でできてるって、前に旦那が言ってたぜ」

 子供たちが、どっと笑う。ヴィンセントは、笑いながら砂だらけの頭を振って、それでも、子供たちを振り払おうとはしなかった。振り払う気があるようには、とても見えなかった。

 ――どれだけ掃除しても、な。

 子供たちの重みを両肩に感じながら、男は、ふと、笑顔の下で、そんなことを思う。ドミニクを片付けても、また誰かが同じ商売を始める。ガルムを片付けても、また別の狂犬が、どこかから湧いて出るのだろう。人の心から悪だけを抜き取る術式なんて、どこにもない。

 俺のやってることに、いったい何の意味がある。

 この街は、明日もまた、腐っているだろうに。

 その答えを探すように、ヴィンセントは、目の前で笑い転げている子供たちの顔を、ひとつずつ見た。……分からない。分からないが、今、この砂まみれの重みだけは、確かに本物だ。それだけは、誰にも奪えない。

「氷姫も混ざれよ!!」

 ネリが、洗濯籠を置いて、砂場へ駆けていった。

 クロエは、その背を見送り、しばらく、そのまま動かなかった。

 白手袋の内側で、指先が、まだ、昨夜の音叉の感触を覚えている。喉には、赤黒い痕が、うっすらと残っている。それでも、痛みより先に、胸の奥が、じんわりと温かかった。

 ――言いつけを破って、良かった。

 そう思ってしまう自分を、少女は、もう咎めなかった。祖父の教えその一を、また少しだけ、都合よく曲げる。執事たる者、感情を面に出してはならない。だが、これくらいは、業務時間外ということにしても、罰は当たらないだろう。

 クロエは、白手袋を、片方ずつ、ゆっくりと外した。丁寧に畳んで、回廊の柱に置く。

「……業務時間外、ということで」

 誰にともなく呟いて、少女は、陽だまりの中へ、素手のまま、足を踏み出した。

「クロエ、こっちだ!! 早くしろ!!」

「――今、参ります」

 砂場に膝をついた瞬間、三人の子供に、いっせいに飛びつかれた。悲鳴とも歓声ともつかない声が、中庭に響く。

 ゴルモアは、今日も、腐っている。法は死に、正義は値札つきで売られ、明日には、また新しい悪党が、どこかの裏路地で生まれるのだろう。この街が丸ごと綺麗になる日は、たぶん、永遠に来ない。

 それでも今、この中庭にだけは、灯りが点いていた。

 誰も見張らず、誰も裁かず、ただ、笑い声だけが満ちる、小さな昼の灯りが。

 あの人は父の友だった。そして父の仇を討ってくれた。泣いている私を、抱きしめてくれた。

 あの人は自分のことを英雄ではないという。きっとそれは真実なのだろう。――でも。

 これは背徳と罪悪の街ゴルモアに生きる、一人の少女と彼女の英雄の物語である。

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作者について

カクナ・ノゾム

カクナ・ノゾム

カクナノゾムと申します。 趣味の小説を細々と書いてます。 面白いことは間違いないので是非是非ご一読くださいませ。

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