昔々、ラジオ体操の話
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
それは、彼方から届いた、ちょっと不思議な物語。ショートショート
本文
昔々、あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。
二人は夏になると、毎朝決まった時間に、近所の公園へラジオ体操に出かけていくのを楽しみにしていました。
その日も、まだ涼しい朝の空気の中を歩いていくと、公園の入り口で、一人の旅人が立ち止まり、集まってくる人たちを不思議そうに眺めていました。
「あんた、こんな早うから、どうしたんかね」
おじいさんが声をかけると、旅人は振り返りました。
「……皆さん、同じ方向に、集まっていくので」
おばあさんが微笑みました。
「ラジオ体操じゃよ。毎朝、ここでやるんじゃ」
「せっかくじゃ、あんたも一緒にやらんかね」
三人は公園の広場へ向かいました。すでに何人もの人が、思い思いの場所に立ち、体操が始まるのを待っています。
やがてスピーカーから、聞き慣れた前奏が流れ始めました。
旅人はその音に、少し驚いた顔をしました。
「……この音楽で、始まるんですね」
「そうじゃ。この曲がかかったら、体操の時間じゃ」
おじいさんとおばあさんは、慣れた様子で腕を大きく振り、伸びをし始めました。旅人はその隣で、見よう見まねで腕を伸ばしてみます。
「一つ、二つ、と、数えながらやるんですね」
「そうじゃ。決まった順番があるんじゃよ」
深呼吸の動作になると、旅人は大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出しました。
「……毎朝、これをするんですか」
「そうじゃ。毎朝じゃ」
旅人は腕を回しながら、不思議そうに尋ねました。
「同じ動きを、毎日繰り返すのは、なぜですか。効率で言えば、体に合わせて、日によって違う動きをした方がいいと思います」
おじいさんは笑いました。
「効率だけで言うたら、そうかもしれんのう」
体を横に曲げる動作のところで、おばあさんが静かに言いました。
「これはな、体だけを起こしとるんじゃないんじゃよ」
旅人は動きを止めて、おばあさんを見ました。
「体だけ、ではない?」
「そうじゃ。心も、一緒に起こしとるんじゃ」
旅人は首をかしげました。
「心を、起こす……」
「そうじゃ。朝、体を動かすとな、頭より先に、気持ちの方が目を覚ますんじゃよ」
旅人はその言葉を、じっと繰り返すように呟きました。
「気持ちの方が、先に……」
跳躍の動作になり、周りの人たちが軽くその場で跳び始めました。旅人も遅れて跳びはねましたが、タイミングが合わず、少しよろけてしまいました。
「あっ……」
おじいさんが笑いました。
「最初は、みんなそんなもんじゃ」
旅人は照れたように笑いながら、もう一度跳んでみました。今度は、少しだけ周りと合いました。
「……揃いました」
「そうじゃ。だんだん、体が覚えていくんじゃよ」
最後の深呼吸で体操が終わると、周りの人たちは互いに、
「おはようございます」
と声を掛け合い、それぞれの方向へ散っていきました。
旅人はその様子を見つめながら、静かに言いました。
「わたしのところでは、体調を整えるのに、こうして体を動かす必要は、あまりありません。機械が、必要な分だけ調整してくれます」
おじいさんは頷きました。
「それなら、体は楽じゃろうな」
「はい。ですが……」
旅人は自分の胸に、そっと手を当てました。
「今、なんだか、目が覚めた気がします。体操の前より、はっきりしています」
おばあさんは微笑みました。
「それが、心が起きたっちゅうことじゃよ」
旅人はしばらく、その感覚を確かめるように黙っていました。
「……機械には、これは、できないかもしれません」
「できるかどうかは、わからんが」
おじいさんは伸びをしながら言いました。
「毎朝、体を起こして、心も起こして、それから一日が始まる。わしらは、これがないと、なんや調子が出んのじゃ」
旅人は静かに頷きました。
「わたしも、明日、また来ていいですか」
「もちろんじゃ。同じ時間に、ここに来ればええ」
旅人は少し笑い、それから深く頭を下げました。
「今日は、ありがとうございました」
「なんの。ええ朝になったじゃろう」
そう言うと、旅人は朝の光の中、公園の出口の方へ、静かに歩いていきました。
おじいさんとおばあさんは、旅人の後ろ姿が見えなくなるまで、その場に立って見送っていました。
やがて、おばあさんが軽く肩を回しながら言いました。
「今日も、ええ体操じゃったのう」
おじいさんも頷きました。
「明日も、あの子が来るとええのう」
二人は顔を見合わせて微笑み、朝日の差す道を、ゆっくりと家路についたのでした。