第1話
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
※本作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件等とは一切関係ありません。Ⅰ県S町にあるI山の麓である。登山口付近の駐車場に、一台のレンタカーが止まった。
本文
※本作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件等とは一切関係ありません。
Ⅰ県S町にあるI山の麓である。
登山口付近の駐車場に、一台のレンタカーが止まった。
扉を開けて砂利の上に降り立ったのは、ペンキをかぶったような派手な登山ウェアに身を包んだ金髪の男。そして、ツイード風の登山ウェアをまとったロングヘアの女だった。
「いや〜、やっとついたな! 高速長かったけど、ノア疲れてない?」
柔らかな笑みを湛えた男が、女――ノアに声をかける。
「大丈夫。レンがまめに休憩入れてくれたから」
風で乱れた前髪を櫛で整え、リップを乗せ直したノアは、手鏡をパタリと閉じて男――レンに笑顔を返した。
「よかった! 今日の配信は結構歩くから、体力温存と思ってさ!」
彼の派手なリュックに下がったマスコットが揺れる。
レンを模して作られた、カラフルなパーカーを着た白熊のマスコットだ。
「でも、山登り配信なんて初めてだよね? どうして急に?」
マスコットを見ながら問うノアに、レンは得意に胸を張ってみせる。
「って言ってここまで来たんだけどさ、実は違うんだよね」
「え、じゃあ何?」
くふふ……といたずらっぽく笑った彼は、芝居がかった調子で人差し指を立てた。
「今日はぁ、洒落怖スレの伝説『Ⅰ山の地下トンネル』探し!」
地下トンネルという言葉に、ノアは以前読んだネット掲示板の記事を思い出す。
あれは確か、反社会的勢力に追われているという男性がネットカフェから書き込んだものだったはずだ。
投稿者は組合員たちに運び屋として使われ、組長の娘に手を出した男を地下トンネルにある井戸に投げ落とす現場を目撃した、とか――
「地下……トンネルって、え、ちょっと待ってよ! 私、ホラー系はムリって……」
自撮り棒を組み立てるレンに食って掛かったノアだが、彼は気楽に鼻歌を歌いながら言葉を続ける。
「大丈夫大丈夫。本気で探すわけじゃないし。適当にそれっぽいとこ映して編集で……な? はいチーズ!」
肩を抱き寄せられ、自撮り棒に取り付けられたスマートフォンがカシャリとシャッター音を鳴らす。
「で、でも……」
「大丈夫だって。オバケとか出てきても、俺ちゃんとノアのこと守るよ?」
耳元に落ちる低い囁き。
「そういう問題じゃ……」
ノアの声を遮る、唇の感触。
風にざわめく木々と、野鳥の声だけが二人を包む。
「な? 俺のこと信じてよ」
ふわりと遠ざかる、ウルトラマリンと煙草の混ざった匂い。
レンの、匂い。
「もう……知らないから」
わざと頬を膨らませるノアの頬に、レンのマスコットがつんと当てられた。
「ノアちゃん、登録者数一万到達したらの約束、覚えてる?」
ふりふりとマスコットを動かし、裏声で問う彼に視線を返す。
「うん、結婚……するって……」
あれは去年のことであった。
勤めていたアパレルショップを突然辞めたレンが、動画配信者として活動し始めてから三年目。
ようやく固定ファンがついて、微々たる収入を得られるようになった頃だ。
突然ノアを呼び出したレンは、空の指輪ケースを差し出して言った。
『ノア、俺、まだまだダメだけど、ちゃんと頑張るから。指輪、ちゃんと買ってあげれるように。だから、その、俺と結婚してください!』
夕日に輝く噴水のほとり。跪いて自分を見る目があまりにもまっすぐで、キラキラとしていて、思わず頷いてしまったノアだが――
『そのためにとりあえず、ノアも俺と一緒に配信して欲しいんだ。ノア可愛いし、きれいだし、出てくれたら登録者めっちゃ増えると思うんだ。どうかな……?』
そこで断れなくての今である。
動画に顔を晒すことに抵抗がないわけではなかった。
しかし、レンの子犬のような顔を前に、断るという選択肢は選べなかったのだ。
レンが一人でやっていた『おはレンちゃんねる』からカップル配信『レン♡ノアちゃんねる』と名を改め、ノアがレンの相手役として出演するようになって数か月。
4000人に届くかどうかだったチャンネル登録者数は一気に5000人、6000人と数を増やした。
書き込まれるコメントは半数以上がノアの容姿に関するものだった。
「かわいい」「使ってるコスメ教えて欲しい」そんな文字列を見ているうちに、いつしかノア自身も配信にのめり込んでしまっていた。
レンがつんつんと当ててくるマスコットに、ノアはポケットから取り出した別のマスコットを押し付ける。
お嬢様風の清楚なワンピースで着飾った白熊のマスコットは、レンのものと対になるデザインだ。これは、『レン♡ノアちゃんねる』のモチーフとしてわざわざオーダーした特注品だ。
リスナーに見えるよう、リュックのファスナーにつける。
「今の登録者数、まだ7235人じゃん……早く目標達成してノアのウェディングドレス姿見たいんだよ……」
『まだ』という言葉に微かな引っかかりを覚える。
登録者数の半分以上はノアが引き寄せた人々だ。彼一人ではここまで来るのに果たしてどれほど時間がかかったか分からない。なのに、それでも『まだ』と言うのだろうか。
しかし、このしゅんとした表情をされると、ノアは弱い。
「……分かったよ。その代わり、危なそうだったらすぐ引き返すから。それだけ約――」
言葉は、極彩色のウェアに吸い込まれる。
抱きしめられたと理解するまで、数秒要った。
「ありがとう! 早く一万到達して夫婦になろうな! 俺、ノアのこと一生守るから!」
守る――彼はことあるごとにそう言う。
一体何から、どうやって守るというのか。いつもの香水を嗅ぎながら、ノアは幾度目かの醒めた疑問をぐっと飲み込む。
気にしたら負けだ。
「もし結婚するってなったら、リスナー集めてウェディング配信なんかもいいよな! みんなでケーキ入刀~! とかってさ!」
「け、結婚式まで配信するの!?」
面食らって顔を上げた時、レンは既に配信の準備に取りかかっていた。
「さってっと! んじゃそろそろ配信始めるか! 今日もヨロシク!」
襟元に付けたワイヤレスのピンマイク、自撮り棒の先に取り付けられたスマートフォン、ウェストポーチには予備のバッテリー。完全装備だ。
「よろしく。っていうか、GoProまで持ってきてたんだ」
額にGoProを装着したレンは、得意げに笑う。
「せっかくここまで来たし、切り抜きショートとかメンシプ用のオフショとかガンガン作んないと」
「すごい気合い……」
「ほら、始めるから。いつものスマイル頼むよ!」
言葉と共にタップされた配信開始アイコン。
画面に映った自分を見たノアは、瞬時に『映える』顔を整えた。
どうせやるならきちんと。これは彼女が子供のころから心がけてきた信条だ。