宇宙の運び屋(二)~惑星ドボルの落とし物
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あらすじ
長編 連作
本文
宇宙の運び屋(二)~惑星ドボルの落とし物
数学の補講から三日後。
帰り道、二人が菩提樹の前を通りかかった瞬間——純が欠伸をした。
それだけで、吸い込まれた。
「またこのパターン……っ」
宙に浮き上がった乃亜が、ぶつぶつと文句をこぼす。
「欠伸がトリガーになるのか?」
純は重力から解放された自分の手を見つめた。
「条件は特に設定されていません」とオービット9号が出迎えた。
「マスターが菩提樹の半径2メートル以内に入った時点で、僕の判断で引き寄せています」
「お前の判断で?」
「仕事が溜まっていますので」
「勝手にするな」
「規則の範囲内です」
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二人が座席に収まり操縦桿を握ると、オービット9号がすかさず切り出した。
「依頼リスト第二件目です。惑星ドボルに、落とし物を届けてほしいとのことで」
端末を確認していた乃亜が、画面から目を上げた。
「落とし物? 誰の?」
「依頼主はトッカという商人です。ドボルに住む恋人に届け忘れたものがある、と」
純は操縦桿を握りながら首を傾げた。「落とし物を届けるだけか。なんか地味じゃないか」
「依頼料は弊社標準の10倍です」
「地味じゃなかった。行くぞ」
「現金ね」と乃亜。
「現実的、と言ってくれ」
「却下」
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【惑星ドボル・軌道上】
ドボルは、見た目だけなら美しい星だった。
エメラルドグリーンの海。金色に輝く大陸。しかし近づくにつれ、オービット9号の警戒レベルが上がっていく。
「なんかセンサーが騒いでる」と乃亜が端末を確認した。
「惑星全域に、異常な重力波が観測されます」とオービット9号。
「原因不明」
「依頼主のトッカに連絡は取れるか?」
「取れません。通信が途絶しています」
純と乃亜は顔を見合わせた。
「……嫌な予感がする」
「同感」
「僕も同感ですが、依頼は依頼ですので」
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着陸してみると、惑星の住人が全員、ぴたりと動きを止めていた。
頭に大きな角が生え、体が半透明で内臓が透けて見える種族。その全員が——微動だにしない。
「……え?」と純。
「なんで全員止まってるの?」と乃亜。
一人に近づいて確認すると、息はしていた。目も開いていた。ただ、完全に固まっていた。まるで時間が止まったかのように。
「これは」とオービット9号のレンズが素早く動いた。
「重力波の影響で、惑星全体の時間流が乱れています。住人の体内時計が止まっている状態です」
「誰がこんなことを——」
「あちらに」
オービット9号が指し示した方向に、一人だけ動いている存在がいた。
小柄だった。体長1メートルほど。全身が真っ黒で、丸い耳が二つ。しっぽが長い。ネコ科に近い見た目だが二足歩行で、小さな手に何かを持っている。
その手に持っているのは——小さな装置だった。ボタンが一つだけついた、シンプルなもの。
「あ、あの」
近づいた純を見て、小さな存在は飛び上がって驚いた。耳が立ち、しっぽが膨らむ。
「ひ、ひとじゃない! 宇宙人!」
「お前も宇宙人だろ」
「そ、そうだけど!」
しっぽを丸めながらも、そいつはじっと純たちを見上げた。
「……あなたたち、動いてる。なんで?」
「それはこっちのセリフだ。なんでこの星の住人が全員止まってんだ?」
途端に、耳がぺたんと垂れた。
「……ごめんなさい。ちょっとだけ、のつもりだったんです……」
声が、急に小さくなった。
「恋人がいて、その恋人にプレゼントを渡したかったんだけど、渡す勇気が出なくて。もしその場の時間をちょっとだけ止めたら、ゆっくり渡せるかなって。そしたらこの装置、思ったより強くて……惑星全体が止まっちゃって」
純は絶句した。
「時間を止める装置を恋愛に使ったのか」
「だって怖かったんです!」
「怖い気持ちはわかるが規模がおかしい!」
乃亜が隣で肩を震わせていた。笑いをこらえているのが純にはわかった。
「純くん、もしかしてこれ——」
「依頼主のトッカだな。落とし物じゃなくてプレゼントで、通信が途絶してたのはこいつが惑星の時間を止めてたからか」
「…………そうです」
トッカは完全に耳を伏せ、消え入りそうな声で白状した。
オービット9号がぷかぷかと浮きながら、「依頼料10倍の理由がわかりました。後ろめたかったんですね」
「余計なこと言うな」と純。
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【解除作戦・前半】
問題は、装置の止め方がわからないことだった。
トッカが不用意に起動してしまったため、オフの手順が不明だった。乃亜が装置を受け取り、オービット9号と一緒に分析を始めた。純はその間、トッカの話を聞いた。
「恋人はドボルの人です。出会ったのは三年前、貿易でこの星に来たとき。でも自分はいつも宇宙を旅してるから、なかなか会えなくて。久しぶりに来たのに、遠くから姿を見たら、いざ近づくのが急に怖くなっちゃって、プレゼントも渡せなくて……つい」
「つい惑星の時間を止めた」
「はい」
純はしばらく黙った。
「……恋人はどこだ」
「ここにはいません......怖くて渡す前に逃げてきてしまったので」
「純」と乃亜が呼んだ。
「解析できた。解除できると思う。ただ——」
「ただ?」
「この装置、起動した人間が『渡したかったもの』を実際に渡さないと解除できない設計になってる。たぶん安全装置として」
純はトッカを見た。
トッカは耳をぴんと立てた。
「……渡せばいいんですね」
「渡せばいい」
トッカは深呼吸した。しっぽが緊張でぴんと伸びた。小さな手に持ったプレゼント——小さな貝殻の形をした何か——をぎゅっと握りしめた。
「でも」とトッカがまた耳を伏せた。
「怖いんです」
「さっきも聞いた」
「だって、もし受け取ってもらえなかったら——」
「受け取ってもらえなかったとしても」
純はまっすぐにトッカを見据えた。
「お前が渡したことは本物だろ。渡さなかったら、何も始まらない」
トッカはしばらく俯いていた。しっぽがくるくると不安そうに巻かれた。
「……渡したことがないので、怖いんです。宇宙を旅してると、すれ違うことの方が多くて。会えても、どう話せばいいかわからなくて」
純は少し考えた。
「なあ、トッカ。お前が旅してきた星の中で、一番綺麗だと思ったのはどこだ」
トッカが顔を上げた。「え?」
「どこでもいい。一番綺麗だと思った場所」
「……双子星のあいだを通るとき、二つの星の光が交差する場所があって、そこが——」
「それを話せばいい」
「プレゼントと一緒に。渡すときに何か言わなきゃと思うから怖いんだろ。自分が見てきた景色を話すだけでいい。それがお前の言葉だから」
トッカの耳が、少しだけ持ち上がった。
隣で乃亜が純をちらりと見た。純は気づいていたが、知らないふりをした。
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【解除作戦・後半——トッカの街歩き】
ところが問題が一つあった。
装置の解除には、「渡したかったもの」を渡すだけでは足りなかった。
乃亜が端末の画面をじっと見つめたまま、声を潜める。
「追加条件があります。装置を起動した場所——つまりトッカが最初にボタンを押した場所で渡さないと、解除されないみたい」
純がトッカを振り返った。
「どこで押したんだ」
トッカの耳がぺたんと倒れた。
「……市場の、中央広場です」
「ここから遠いか」
「……少し」
「どのくらい少し」
「……街を三つ分」
純は空を見上げた。
「つまり、時間が止まった街を、止まった住人をかき分けながら三つ分歩くのか」
「そうなります」とオービット9号。
「行くか」
純が軽く首を振って歩き出す。
「行くわよ」
乃亜も楽しげにその隣に並んだ。
「僕は船で待ちます」
背後からオービット9号の無機質な声が響く。
「なんで」
「狭い道は苦手です」
「球体のくせに何が苦手なんだ」
「規則ではありませんが、個人的な事情です」
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時間の止まった街を歩くのは、不思議な体験だった。
住人が全員固まっている。笑いかけた顔のまま。手を振りかけたまま。食べかけの食事のまま。風に揺れかけた布のまま。全部が、静止した絵の中にいるようだった。
「なんか……不思議ね」と乃亜が周りを見回した。
「怖いというより、静かすぎて」
「ああ」と純。
「生きてるのに、音がない」
トッカが前を歩きながら、ぽつりと言った。
「……ごめんなさい。みんなを止めてしまって」
「反省してるなら早く歩け」と純。
「はい」
二つ目の街に入ったとき、乃亜が突然立ち止まった。
「ちょっと待って」
「どうした」
彼女が指差した先に——時間の止まった子供がいた。小さな、角の生えた子供。転んだ瞬間に時間が止まったのか、膝から地面に落ちる途中の姿勢で固まっていた。泣きかけた顔のまま。
「……かわいそう」
「早く解除してやることが一番だ」
「わかってるけど……」
乃亜はしゃがみ込み、固まった子供と目線を合わせた。
「早く解除するね。ちょっとだけ待ってて」
誰にも聞こえないとわかっていても、語りかける声は優しかった。
純はそれを見ていたが、何も言わなかった。
三つ目の街を抜けると、中央広場が見えてきた。広い石畳の広場。その中央に、大きな噴水がある。水が、止まっていた。空中に浮いたまま、止まっていた。
トッカが大きな噴水の前で、ちょこんと立ち止まった。
「ここです。ここでボタンを押しました」
恋人は、噴水のそばにいた。角が一本折れた、笑いかけた表情のまま、固まっている。トッカを見ている方向に顔が向いていた。つまり——トッカが来るのを見て、笑いかけた瞬間に時間が止まった。
トッカがその顔を見て、しっぽが小さく揺れた。
「……笑ってくれてたんだ」
純はその顔をしばらく見た。なんとなく、気持ちはわかった。久しぶりに会って、渡したいものがあって、でも言葉が出なくて。宇宙を飛び回っていても、そういうことは変わらないんだな、と思った。
「早く渡せ」と純は穏やかに言った。
トッカは深呼吸した。貝殻のプレゼントを両手で持った。一歩、二歩、恋人の前に立った。
震える声で、言い始めた。
「あの……久しぶり。渡したいものがあって。これ、双子星のあいだを通るときに拾ったやつで、光が当たると二色に輝くんです。見てほしくて、ずっと持ってて、でも会うたびに言えなくて——」
装置のランプが、緑に変わった。
惑星の時間が、動き出した。
噴水の水が落ちた。布が風に揺れた。鳥が飛んだ。子供が泣いた。
そして——恋人の笑顔が、完成した。
プレゼントを受け取り、貝殻を光に当てた。二色の光が広場に散った。
「綺麗……」
トッカの恋人が、うっとりとその光を見つめる。
トッカのしっぽが、思い切りぶんぶんと揺れた。
---
【帰り道】
広場を後にしながら、乃亜が純の顔を覗き込んでくる。
「さっきのトッカへのアドバイス」
「ん?」
「自分が見てきた景色を話せばいい、って」
「ああ」
「2000年前から、そういうこと言う人だったの?」
「覚えてない」
「嘘つき」
「……さあな」
乃亜は少し笑った。それ以上は何も言わなかった。
船に戻ると、オービット9号が入り口で待っていた。
「解除できましたか」
「できた」
「よかったです。ところで」
「なんだ」
「狭い道が苦手というのは嘘でした。マスターたちだけで行った方がいいと思って」
純は一瞬、オービット9号を見た。
「……お前、たまにいいことするな」
「規則ではありませんが、状況判断です」
「褒めてやる」
「記録します」
---
帰り際、トッカが深々と頭を下げた。
「本当にありがとうございました。依頼料は二倍にします」
「いらない」と純は即答した。
「その代わり、次からは宇宙の時間止めるな。普通に渡せ」
「……はい」
耳がまたぺたんと垂れたが、今度は恥ずかしそうな顔だった。しっぽはまだ嬉しそうに揺れていた。
コクピットへ向かいながら、乃亜が小突くように覗き込んできた。
「やさしいじゃない」
「別に」
「依頼料、断っちゃうんだ?」
「……気分だ」
オービット9号がぷかぷかと後ろをついてきながら、「マスター・ジュンは2000年前から、こういうときだけ現金主義を忘れます。記録済みです」
「記録するな」
---
【帰還・菩提樹の下】
また、行ってから10秒後に戻っていた。
夕焼け。部活の声。何も変わらない。
「今日の夕ご飯どうする?」乃亜が空を見上げた。
「ラーメン大盛」純は即答した。
「いいね」
二人はまた、何事もなかったように歩き出した。エメラルドグリーンの星のことも、時間を止めた小さな恋人のことも、止まったまま泣きかけていた子供のことも、胸の中にしまったまま。
空の向こうでは今頃、双子星のあいだを光が交差している。その場所を、トッカはまたいつか旅するだろう。今度は隣に、誰かを連れて。
---
【オービット9号・独白ログ】
エウロパの海底で見た光、まだレンズの奥に焼き付いている。あの海賊船の船長、ガラン・ドッグとかいう男の「なんだこいつら」という顔。あれは保存版だ。レア記録に分類しておいた。
それにしても2000年。2000年と47日。捜索期間としては宇宙的に見てもなかなかの長さだったと思う。マニュアルにも前例がない。前例がないので、新しい項目として追記しておいた。第31項、追加事項——「マスターは見つかった瞬間から平常運転に戻る」
ムウが涙を流していたとき、僕は何も言わなかった。規則上、感情の発露に割り込まないことになっている——というのは建前で、本当はただ、何を言えばいいのかわからなかっただけ。4500年分の音楽が鳴り響く中で、僕にできることは特になかった。記録すること以外は。
スイングバイのとき、マスター・ジュンの操縦はやっぱり心臓に悪かった。心臓はないが、回路がきしむ感覚というのはどうやら存在するらしい。これも記録しておく。
そういえば、惑星ドボルの一件もそうだった。時間を止めるなんて荒業に出た依頼主は、あれが初めてだ。マニュアルのどこにも載っていない事態だったが、案外——悪くなかった。
2000年待たせた依頼は片付いた。残りは、まだ山ほどある。
——記録終了。
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