コンシェルジュ(八)~世界樹の聖域と、宣戦布告のシャンパン
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
長編&連作 作品集
本文
コンシェルジュ(八)~世界樹の聖域と、宣戦布告のシャンパン
エルフの森を巻き込んだグランピング騒動がひとまずの落ち着きを見せてから、ひと月が過ぎていた。地下深くに広がる「歪曲庭園」は、今や魔王城の新たな名物として定着し、噂を聞きつけたVIP客が絶えず訪れている。かつて緑川の元へ流れかけていた常連客たちも、今ではすっかり戻ってきていた。
だが、平穏というものは、この城において長くは続かない。純はそのことを、誰よりもよく知っていた。
「本日のご予約状況でございますが」
夕刻の業務報告を終えたフロントスタッフが、静かに書類を差し出す。純はそれに目を通しながら、頷いた。
「順調ですね。エルフの森の一件以来、お客様のお戻りも早かった」
「はい。ですが……」
スタッフは少し言いにくそうに言葉を継いだ。
「先方が、まだ何も仕掛けてこないのが、逆に不気味だという声も、スタッフの間では出ております」
純は静かに微笑んだ。
「礼は、負けたまま黙っている性分ではございません。次の一手は、必ず来ます。……ただ、それがいつになるかだけの話です」
その言葉通り、答えはその夜のうちに訪れた。
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深夜零時。
本館最上階のスカイラウンジで、佐藤純は磨き上げたグラスを片手に静かに夜景を見下ろしていた。眼下には、魔王城の灯りと、遠くエルフの森の灯りが、変わらず静かに瞬いている。この穏やかな眺めを、純は誰よりも愛していた。
その背後から、リズミカルで軽快な革靴の足音が響いてくる。純は振り返らずとも、それが誰の足音か分かった。
「相変わらずいい眺めだね、純。君が地下で『時空回帰』なんて悪趣味な泥遊びをしている間に、世間の風向きはすっかり変わったよ」
振り返ると、そこには完璧な仕立てのミッドナイトブルーのスーツを纏った緑川礼が立っていた。その手には、エルフの秘薬と人間界の最高級ヴィンテージをブレンドした特製のシャンパンボトルが握られている。
「これはこれは、礼。ずいぶんとご無沙汰でございましたね」
純は微動だにせず、ただ優雅に微笑んだ。
「おや、避けていたつもりはなかったのですが。てっきり、あのグランピング施設の運営でお忙しいのかと」
「忙しかったさ。もっとも、君の『泥遊び』のおかげで、客足が思ったほど伸びなかったのも事実だけどね」
礼は肩をすくめ、カウンターの特等席に腰を下ろすと、慣れた手つきでシャンパンをグラスに注いだ。
「言い訳をしに来たわけではないんだ、純。僕が仕掛けたのは、あくまで序章に過ぎないからね。地下の異界も、地上のグランピングも、所詮は僕らの手の内の話だ。……だからこそ、次は誰も足を踏み入れたことのない場所を用意した」
「ほう。聞かせていただけますか」
「もちろん、そのために来たんだ」
礼がタブレットを操作すると、ホログラムスクリーンに、荘厳な巨木を中心とした壮麗な設計図が映し出された。天を衝くほどの幹、幾重にも重なる枝葉、その根元に沈み込むように広がる建築群。
「エルフの森の最奥、女王すら滅多に立ち入らぬ聖域――『世界樹』のふもとに、完全会員制の超高級オーベルジュを建てる。名付けて『エテルナ・シルヴァ』。何百年、何千年と生き続けてきた大樹の生命力そのものを空間に取り込んだ、人類はおろかエルフすらまだ知らない究極の癒やし。……君の城の歴史がどれほど深くとも、世界樹の年輪には敵うまい」
純はしばらく黙って設計図を眺めていた。細部まで作り込まれた建築の意匠、そこに込められた執念にも似た緑川のこだわりが見て取れる。
「見事な着想ですね。世界樹の生命力を宿すオーベルジュ、とは。エルフの女王様は、この計画をご存知で?」
「もちろん。彼女自身が、聖域への立ち入りを許可してくれた。……ここまで話が進めば、もう後戻りはできないよ、純」
「それは重畳。ですが、礼」
純はグラスを置き、完璧な角度でお辞儀をした。
「世界樹の生命力……素晴らしい着想ですね。ですが、お客様が本当に求めているのは、樹の大きさでも歴史の長さでもございません。星の数ほどあるホテルの中から当館を選んでくださる方が求めているのは、過剰な神秘の果てにある『魂の帰る場所』にございます」
礼はフッと鼻で笑った。
「相変わらず口だけは達者だね、純。理屈なら僕にも言える。だが、理屈と実物が並んだとき、客がどちらを選ぶかは、また別の話だ」
「仰る通りでございます。ですから、証明していただきましょう。その『魂の帰る場所』とやらを、世界樹の根元でどう作り上げるのか」
二人の視線が宙で激しくぶつかり合い、火花を散らす。地下、地上、そして今度は森の最奥へと舞台を広げた、佐藤純と緑川礼のホスピタリティ・バトル。
「――喜んでお受けしましょう、礼。世界樹の根がどれほど深くとも、当館の『おもてなしの根』の深さには決して及びません」
礼は静かに笑い、残りのシャンパンを一気に飲み干すと、グラスをカウンターに置いた。
「楽しみにしているよ、純。……次に会う時は、もう少し早く来られるといいんだけどね」
意味深な言葉を残し、礼は身を翻して夜の闇へと消えていった。
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純はしばらくの間、一人でその後ろ姿を見送っていた。それから静かにインカムに手を当て、全スタッフへと次なる迎撃作戦の指示を飛ばし始める。
「全スタッフへ。緑川礼氏より、新たな挑戦の申し出がございました。舞台は、エルフの森の聖域、世界樹のふもと。詳細は追って共有いたしますが、まずは各部門、これまでの知見を今一度整理しておくように」
指示を終え、純はグラスに残ったシャンパンを静かに見つめた。琥珀色の泡が、静かに立ち上っては消えていく。
「……さて、次はどう出るべきか」
森の最奥を舞台に、二人のコンシェルジュが繰り広げる、究極のおもてなしの競演が、今、静かに幕を開けようとしていた。