第2話 日常の終焉 後編
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
<p>第2話 日常の終焉 後編</p><p>丸メガネの奥で、思考が急速に冷え切っていく。</p><p>大樹の顔から血の気が引いていくのを見て、僕は自分の内側に欠落した|何《・》|か《・》を感じてしまった。</p>
本文
第2話 日常の終焉 後編
丸メガネの奥で、思考が急速に冷え切っていく。
大樹の顔から血の気が引いていくのを見て、僕は自分の内側に欠落した何かを感じてしまった。
親友がこれほど怯えているのに、僕の脳内はそれをただの攻略対象としか認識できていない。
この異常な客観性が、いずれ大樹だけでなく自分さえ切り捨ててしまうのではないか——そんな形のない恐怖が背筋を撫でた。
「……ユーリ、笑ってるのかよ? 目くらましなんて、あんな化け物に効くのか?」
大樹の声は掠れていた。僕は意識して自分の表情を引き締め直す。笑っていたのかもしれない。自分でも気づかないうちに。
「……お前、そういうとこだぞ。こんな時まで、なんでそんな冷静でいられるんだよ……」
大樹の怯えた視線が刺さる。掌の冷たさを悟られないよう、僕は彼の手を強く握り返した。
「効くと思うよ。あいつは人間離れしてるけど、僕たちと同じように粘膜がある。調理室に乾燥唐辛子があるはずだ。正面から勝てない敵には生理的な弱点を突く。それしかないんだ」
「唐辛子……お前、エグいこと考えるな。でも、それしかねぇか。行こう、調理室だ」
二人は壁に背を這わせ、影を重ねるようにして廊下を進む。現場の近くを通ると、鼻を突く強烈な血の匂いと床の黒ずんだ水たまりが迫る。視線を逸らさなければ、思考がまた勝手にイベントとして処理を始めてしまいそうだった。
息を殺して調理室へ滑り込み、重いスライドドアを静かに閉めて施錠する。
棚の奥を探り、カサカサと音を立てる乾燥唐辛子の袋を見つけ出した。
安堵した、その瞬間だった――――。
ドンッ――。
腹の底を突き上げる重低音が響く。足音というより、校舎そのものを叩くような暴力的な振動だ。
ギリっ……ギリっ……。
重厚な大鎌の切っ先が床を削り、火花を散らしながら近づいてくる。
「隠れるんだ!」
硬直する大樹の腕を強引に引き、大型の掃除用ロッカーへ滑り込んだ。
狭い鉄の箱の中で二人の体温が混ざり合い、汗と鉄の匂いが鼻を突く。僕は丸メガネを押し上げ、通気口へ目を凝らした。
ギィィ……ッ。調理室の扉がゆっくり開く。
大樹を余裕で超える岩のような巨体。漆黒の軍服。暗闇の中で、二つの深紅の瞳がぎらりと光を放っている。刃にこびりついた肉片から、ポタポタと赤いシミが床に広がっていく。
あれがさっきまで生きていた誰かのものだと分かっているのに、感情が追いつかない。
指先が冷たく、心臓だけが早鐘を打っていた。感情が、肉体に置き去りにされていく。恐怖を感じない自分が、恐ろしかった。
「どこに隠れやがったァ? 小虫ども……出てこいよォッ!」
ガシャァァァンッ!!
男が軽く腕を振るっただけで、頑丈なステンレス台が紙細工のように割れて壁際まで吹き飛んだ。ロッカーの鉄板が衝撃波に震え、大樹がガタガタと歯の根を鳴らす。
僕は唐辛子の袋を握り直し、隣の大樹の手を強く握りしめた。
(まだだ、動くな)音のない言葉で、必死に彼を繋ぎ止める。
男は僕たちのロッカーの目の前でぴたりと足を止めた。
薄い鉄板一枚を隔てた向こう側に奴がいる。通気口から熱を帯息が伝わってきた。
「……クク、青いな。まだだ。絶望がもっと熟すまで、逃がしてやるよ……」
愉悦に歪んだ微笑。男は大鎌の刃を引きずり、闇の奥へ去っていった。
遠ざかる足音が完全に消えるまで、僕たちは呼吸することすら忘れていた。
「……っはぁ、はぁ……死ぬかと思った……」
大樹が扉を押し開き、床に崩れ落ちる。顔はもう生者の色ではない。その姿を見ていると、胸の奥が少しだけ痛んだ。彼を『戦力』として計算していた自分を思い出す。
「クソッ……なんなんだよ、あれ……!」
僕は静かに立ち上がり、ずれた丸メガネを直した。
あの男は、僕たちがここにいると知っていて見逃したのだ。僕たちの絶望が熟すのを待つために。
それでも、足を止める理由にはならない。
「……行こう、大樹。立ち止まったら、次こそ刈り取られる」
柔らかい声で促しながらも、僕の内側ではかつてないほど冷徹な思考が研ぎ澄まされていた。
丸メガネの奥で、思考が静かに、そして急速に冷え切っていく——。
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