第三十話 後日談
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あらすじ
天界と人界、黄泉の狭間にある神々の国。 《桃》の化身・桃華は、鬼神族の侵攻によって滅びかけた天界から、破邪の聖剣《桃光》を託され地上へ逃れた。 しかし追っ手に深手を負わされ、川へ落ちた桃華は記憶を失ってしまう。 彼女を救ったのは、山里で暮らす老夫婦だった。 桃の香りをまとい、名も思い出せない少女に、二人は「桃太郎」という新たな名を与える。 穏やかな日々の中で、桃太郎は初めて家族の温かさを知る。 だが、鬼神族の襲来によって失われた記憶と使命を取り戻した彼女は、大切な人々を守るため、再び剣を取る。 旅立つ桃華へ、謎の老人は告げた。 「お前には三つの力が必要となる」 犬――すなわち忠義。 猿――すなわち知恵。 鳥――すなわち天を翔ける導き。 桃華は聖剣と、老夫婦から託されたきびだんごを携え、三人の仲間を求めて旅に出る。 その先で待つのは、雷神の血を引く武人、異国より渡った猿妖、そして最古の霊鳥。 これは、鬼を完全な悪とは断じない、新たな桃太郎の物語。 正義と悪が入れ替わる世界で、桃の娘は何を守り、何を討つのか――。
本文
都。
源頼光は屋敷の縁側に腰を下ろし、遠く西の空を眺めていた。
数日前まで、遥か彼方からでも感じられていた禍々しい鬼気。
それが――消えている。
空はどこまでも穏やかだった。
頼光は目を細める。
「……鬼気が晴れた。」
その口元に、僅かな笑みが浮かんだ。
「金時め。無事に勤めを果たしたようじゃな。」
その傍らには、頼光に仕える四天王の面々がいた。
一人が空を見上げる。
「では、ほどなく帰ってくるでしょう。」
「いや。」
別の一人が笑う。
「金時のことじゃ。しばらくは帰ってこんぞ。」
「ワシもそう思う。」
頼光も笑った。
「鬼退治が終わったとなれば、今頃は新しい土地を見て回っておるか、うまい物でも探しておる頃じゃろう。」
「違いない。」
「酒も飲んでおるでしょうな。」
「それも間違いない。」
皆が笑う。
頼光は再び空を見上げた。
青い空。
もう、鬼気はどこにもない。
「まあ――」
頼光は膝へ手を置いた。
「ワシが死ぬ前に帰ってくれば、それでよいがの。」
一瞬の沈黙。
そして――。
「はっはっはっはっ!」
屋敷に、男たちの笑い声が響いた。
頼光も腹を抱えて笑っていた。
金時が今どこで何をしているのか。
それを心配する者は、そこには一人もいなかった。
無事であることは、晴れ渡った空が何より雄弁に物語っていた。
◇
天界。
雲海の彼方を見下ろす、一人の僧の姿があった。
栴檀功徳仏――。
かつて三蔵法師と呼ばれ、三人の弟子と一頭の白馬を連れ、遥か天竺を目指した者。
その視線の先。
遥か地上には、桃華たちと共に笑う蜜秋の姿があった。
その後ろへ、二人の男が歩み寄る。
浄壇使者。
そして金身羅漢。
かつて猪八戒、沙悟浄と呼ばれた二人だった。
三蔵は振り返ることなく尋ねた。
「ご苦労様でした。」
そして、僅かに微笑む。
「どうでしたか? 久しぶりの地上は。」
猪八戒は腹をさすりながら答えた。
「俺はこっちの方がいいですな。」
三蔵が振り返る。
「なぜです?」
「腹も減らないし。」
一瞬の沈黙。
沙悟浄が吹き出した。
「はははっ。兄貴は相変わらずですね。」
「なんだよ。腹が減らないってのは大事だぞ。」
「天竺への旅でも、そればかり言っていたではありませんか。」
「だからだよ。あの旅で一生分、腹を空かせたんだ。」
二人の笑い声が、静かな天界に響いた。
三蔵も小さく笑う。
そして再び地上へ目を向けた。
そこには蜜秋がいる。
仏の位を捨て。
斉天大聖という名さえ隠し。
ただの「蜜秋」として、仲間たちと笑っている。
「悟空。」
小さく、その名を呼んだ。
地上の蜜秋に聞こえるはずはない。
それでも三蔵は語りかける。
「あなたは、自由に生きなさい。」
猪八戒と沙悟浄が三蔵を見る。
「仏の位など――」
三蔵は穏やかに微笑んだ。
「あなたには、足枷でしかないでしょう。」
沙悟浄が尋ねる。
「よろしいのですか?」
「何がです?」
「悟空兄貴が、戻ってこなくても。」
三蔵は少しだけ考えた。
そして首を横に振る。
「悟空は、戻ってこないのではありません。」
再び地上を見る。
「また、旅に出たのです。」
猪八戒が笑った。
「なるほど。」
三蔵の目には、かつての光景が映っていた。
果てしなく続く道。
馬に乗る自分。
前を行く悟空。
腹が減ったと騒ぐ八戒。
その横で呆れる悟浄。
そして白龍。
長く、苦しく――。
それでも楽しかった旅。
「悟空。」
三蔵はもう一度、その名を呼んだ。
「今度は、あなた自身の旅を。」
地上では。
何も知らない蜜秋が、ふと空を見上げた。
「……ん?」
「どうしたんじゃ?」
金時が尋ねる。
蜜秋はしばらく空を見つめ――。
やがて笑った。
「ううん。」
如意棒を肩へ担ぐ。
「なんでもない。」
◇
鬼無の里。
「姉上!」
雉牙の声が屋敷に響いた。
呼び止められた凰が、ぎくりと足を止める。
その肩には小さな旅包み。
「……なんじゃ。」
「なんじゃ、ではありません。」
雉牙は凰の前へ回り込んだ。
「どちらへ行かれるおつもりですか。」
「散歩じゃ。」
「その荷物を持って?」
「少し遠出するだけじゃ。」
「桃華様たちのところへ?」
「…………。」
凰は目を逸らした。
「知らぬ。」
雉牙は深いため息をつく。
「勝手にどこかへ行こうとしないでください!」
「妾は鳳凰じゃぞ。どこへ行こうと妾の勝手であろう!」
「だから困るのです!」
「何がじゃ!」
「凰様は、この鬼無の里の象徴。そして結界の要でもあるのですよ!」
凰が口を尖らせる。
「少しくらい留守にしたところで、どうということもなかろう。」
「鬼ヶ島へ行かれた時も、鑾駕様がどれほど心配なされたと――」
「分かった分かった!」
凰は面倒くさそうに手を振った。
「行かぬ! 行かぬから、その説教をやめよ!」
◇
しばらくして。
凰は窓辺に頬杖をつき、ぼんやりと外を眺めていた。
青い空を、鳥たちが自由に飛んでいる。
「…………。」
ぱたぱた。
手にした扇だけが、所在なさげに動いている。
「暇じゃのう。」
後ろに控えていた雉牙が答える。
「つい先日まで鬼ヶ島で戦っておられたでしょう。」
「それとこれとは別じゃ。」
「少しはお休みください。」
「…………。」
凰はまた空を眺める。
やがて、何かを思い出したように呟いた。
「……きび団子。」
「はい?」
凰は頬を膨らませた。
「妾だけ、きび団子を食べてはおらぬ。」
「そこですか?」
「大事なことじゃ。」
凰は再び大きなため息をつく。
「金時も蜜秋も、うまかったと言っておったのに……。」
そしてまた窓の外を見た。
「暇じゃのう。」
「…………。」
「きび団子、食べたいのう。」
雉牙は何も答えなかった。
◇
あれから、何年経っただろうか。
桃華には、もうよく分からなかった。
春が来て。
夏が過ぎ。
山々が色付き。
雪が積もる。
そんな季節を、幾度繰り返しただろう。
幾度目かの冬を迎えた頃。
おじいさんが、静かに息を引き取った。
眠るような最期だった。
村の皆で弔いを済ませたあと、金時さんは頼光様のもとへ戻っていった。
「桃華殿。」
旅立ちの日。
金時さんは、いつものように大斧を肩へ担いでいた。
「また会おう。」
「はい。」
それだけだった。
きっと、また会える。
だから別れの言葉など必要なかった。
蜜秋さんは、そのまま村に残った。
時々ふらりと山へ入っては、熊や猪を担いで帰ってくる。
最初こそ村の人たちも驚いていたけれど、いつの間にか
すっかり人気者になっていた。
「蜜秋ちゃん、また頼むよ!」
「いいよー。でも今度きび団子作ってね!」
そんな声が聞こえてくることも珍しくなくなった。
凰さんも、時々顔を見せに来た。
けれど――。
「凰様!」
決まって、きび団子を食べる前に雉牙さんがやって来る。
「また勝手に里を抜け出して!」
「待て! 今日はまだ一つも食べておらぬ!」
「帰りますよ!」
「せめて一つ! 一つだけじゃ!」
そう言いながら連れ戻されていく凰さんを、おばあさんはいつも笑って見送っていた。
「また作っておきますからね。」
「本当か!」
「凰様!」
そんな日々が続いた。
そして――。
それから何度目かの春を迎えた頃。
おばあさんも、静かに逝った。
◇
春風が吹いていた。
二つ並んだ墓の前。
桃華は摘んできた桃の花を、そっと供えた。
目を閉じる。
この家へ来た日のことを思い出す。
傷つき、川へと落ちた自分を助けてくれた二人。
何者かも分からない自分を家へ迎えてくれた。
名前を失っていた自分に、新しい名前をくれた。
桃太郎。
そして――。
家族になってくれた。
桃華は静かに手を合わせた。
「おじいさん。」
少しだけ間を置く。
「おばあさん。」
風が桃の花を揺らした。
「いってまいります。」
桃華は立ち上がった。
もう振り返らなかった。
◇
村外れの道。
桃華は一人、歩いていた。
かつて――。
何度も自分たちの前へ現れ、進むべき道を示してくれた白髭の老人。
意富加牟豆美命と出会った、あの場所。
そこに今日は、老人の姿はなかった。
代わりに――。
三人の、見知った姿があった。
一人は、大斧を肩に担いでいる。
一人は、如意棒を肩に乗せている。
そしてもう一人は、扇をぱたぱたと仰いでいた。
桃華は足を止める。
「……皆さん。」
金時が豪快に笑った。
「遅いぞ、桃華殿!」
蜜秋も手を振る。
「待ちくたびれたよ。」
凰は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「まったくじゃ。」
そして、ぼそり。
「妾はまだ、きび団子を食べておらぬというのに。」
桃華は一瞬きょとんとして――。
笑った。
「では、まずはきび団子を食べてからにしましょうか。」
「それでは旅立てぬではないか!」
「凰が言い出したんじゃん。」
「うるさい!」
金時の笑い声が響く。
桃華も笑った。
何年経っても、何も変わっていない。
「それで――」
桃華は三人を見る。
「どちらへ行くのですか?」
金時が答える。
「決めておらん。」
「え?」
蜜秋が笑う。
「だからいいんじゃない。」
凰も扇を閉じる。
「行ったことのない場所へ行けばよかろう。」
桃華は三人を見つめた。
かつて自分は、何も知らなかった。
天界しか知らず。
地上へ降りて初めて、人の暮らしを知った。
旅に出て初めて、世界の広さを知った。
そして――。
たくさんの人に出会った。
桃華は微笑んだ。
「そうですね。」
四人は歩き出した。
行き先など、まだ決まっていない。
どんな出会いが待っているのかも分からない。
けれど、それでいい。
桃太郎としての物語は、もう終わった。
ここから始まるのは――。
桃華の物語なのだから。
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