第二十九話 桃太郎
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あらすじ
天界と人界、黄泉の狭間にある神々の国。 《桃》の化身・桃華は、鬼神族の侵攻によって滅びかけた天界から、破邪の聖剣《桃光》を託され地上へ逃れた。 しかし追っ手に深手を負わされ、川へ落ちた桃華は記憶を失ってしまう。 彼女を救ったのは、山里で暮らす老夫婦だった。 桃の香りをまとい、名も思い出せない少女に、二人は「桃太郎」という新たな名を与える。 穏やかな日々の中で、桃太郎は初めて家族の温かさを知る。 だが、鬼神族の襲来によって失われた記憶と使命を取り戻した彼女は、大切な人々を守るため、再び剣を取る。 旅立つ桃華へ、謎の老人は告げた。 「お前には三つの力が必要となる」 犬――すなわち忠義。 猿――すなわち知恵。 鳥――すなわち天を翔ける導き。 桃華は聖剣と、老夫婦から託されたきびだんごを携え、三人の仲間を求めて旅に出る。 その先で待つのは、雷神の血を引く武人、異国より渡った猿妖、そして最古の霊鳥。 これは、鬼を完全な悪とは断じない、新たな桃太郎の物語。 正義と悪が入れ替わる世界で、桃の娘は何を守り、何を討つのか――。
本文
ゴオオオオオオッ――!!
砕けた要石から、黄泉の闇が噴き上がった。
もはや黒い霧などという生易しいものではない。
光さえ呑み込み、地上そのものを黄泉へ引きずり込もうとする、漆黒の奔流。
洞窟が激しく揺れる。
天井から岩片が落ち、地面には次々と亀裂が走った。
その前に。
桃華は立っていた。
手には、キクニが鍛えた聖剣。
刀身から溢れる桃色の光が、押し寄せる闇を僅かに押し返している。
桃華は聖剣を握り締めた。
「参ります。」
「待て、桃華殿!」
背後から声が飛ぶ。
振り返る。
大斧を担いだ金時。
如意棒を手にした蜜秋。
扇を広げた凰。
その隣には、大通連を携えた鈴鹿御前。
「一人で何もかも背負うつもりではあるまいな。」
金時が笑う。
「ですが――」
「言ったはずじゃ。」
金時は大斧を構えた。
「主が前だけを見て戦えるよう、その背は俺が守る。」
桃華は目を見開く。
「金時……。」
「だから桃華殿は前だけ見ておれ。」
「……はい!」
蜜秋も桃華の隣へ立った。
「僕もいるよ。」
「蜜秋。」
如意棒を肩へ担ぎ、いつものように笑う。
「最後まで付き合うって決めたからね。」
凰も扇を仰ぎながら前へ出る。
「妾もおるぞ。」
「凰様。」
「桃華殿の両手に花じゃ。最後まで付き合ってやろう。」
金時が眉をひそめる。
「またわしは後ろか。」
「むさい男は後ろを歩いておれ。」
「こんな時までそれを言うか!」
蜜秋が吹き出した。
「アハハハ! 金時、最後まで扱い変わらないね!」
「笑うでない!」
ほんの一瞬。
世界が黄泉へ呑まれようとしていることさえ忘れるような笑い声が、洞窟に響いた。
鈴鹿御前はその様子を見て、小さく笑う。
「なるほどの。」
大通連を抜いた。
「万が一、要石を封じる術がなければ、この身を楔の礎にするつもりで来たが――」
四人を見渡す。
「どうやら、その必要はなさそうじゃ。」
その時。
黄泉の闇が大きく膨れ上がった。
漆黒の奔流から、無数の影が浮かび上がる。
人のようなもの。
獣のようなもの。
巨大な腕。
幾つもの顔。
いずれも形は定まらず、闇の中で生まれては消えていく。
蜜秋が目を細めた。
「何、あれ。」
背後。
胸の傷を押さえ、岩壁にもたれていた朱天が答える。
「黄泉の穢れだ。」
「穢れ?」
「あれそのものに形などない。」
朱天は苦しそうに息を吐く。
「人の恐れや憎しみ、怨念に触れ、仮初めの姿を得ただけのものよ。」
桃華は聖剣を構えた。
「では――」
金時が前へ出る。
「露払いは任せよ!」
大斧を振り上げる。
「ぬおおおおおっ!」
轟ッ!!
雷光が地を走った。
押し寄せる闇の群れが吹き飛ぶ。
「妾もじゃ!」
凰が扇を振るう。
炎の翼。
洞窟を埋め尽くすほどの火炎が黄泉の穢れを焼き払う。
「僕も!」
蜜秋は髪を数本抜き、息を吹きかけた。
「身外身の術!」
白煙。
数十匹の猿が現れる。
「行っといで!」
猿たちが一斉に闇へ飛び掛かった。
鈴鹿御前も大通連を構える。
「鬼姫を前に、化け物の真似事とは笑わせる。」
一閃。
闇が切り裂かれた。
「桃華!」
蜜秋が叫ぶ。
「今だよ!」
「はい!」
桃華が走る。
砕けた要石へ向かって。
一歩。
また一歩。
黄泉の穢れが襲い掛かる。
だが。
「通さん!」
金時の大斧。
「邪魔じゃ!」
凰の炎。
「こっちは任せて!」
蜜秋の如意棒。
「行け、桃の化身!」
鈴鹿御前の大通連。
次々と道が開いていく。
桃華は振り返らない。
前だけを見る。
背中は――仲間たちが守ってくれている。
「キクニ……。」
手にした聖剣を見る。
あの日。
鋼の化身は、自らの命を削りながらこの剣を打った。
桃というものが持つ、破邪の力を宿して。
そして最後に。
この剣を桃華へ託した。
「あなたは……。」
桃華は走る。
「最初から、分かっていたのですね。」
朱天を斬るためではない。
神を斬るためでもない。
鬼を斬るためでもない。
邪を――。
黄泉から溢れ出す穢れを鎮めるために。
聖剣は生まれた。
その時。
巨大な黒い腕が桃華へ伸びた。
「――っ!」
避けられない。
だが。
轟ッ!!
雷が落ちた。
黒い腕が弾け飛ぶ。
桃華が振り返る。
金時ではない。
洞窟の裂け目から覗く空。
そこに雷雲が渦巻いていた。
金時が空を見上げる。
「……親父殿。」
小さく笑った。
「最後まで世話焼きじゃのう。」
桃華は前を向く。
要石は目前。
聖剣を両手で握る。
桃色の光が強くなる。
「桃の化身――桃華!」
剣を高く掲げた。
黄泉の闇がざわめく。
まるで桃の光そのものを恐れているように。
桃華は叫んだ。
「黄泉の穢れよ――!」
聖剣を振り下ろす。
「あるべき場所へ、還りなさい!!」
轟――――ッ!!
聖剣が砕けた要石へ突き立った。
瞬間。
すべての音が消えた。
「…………。」
桃華は目を開く。
聖剣。
その柄元に。
小さな光が生まれていた。
それは――。
一輪の桃の花。
「……花?」
もう一輪。
さらに一輪。
桃色の光で出来た花が、次々と咲いていく。
聖剣から要石へ。
要石から大地へ。
やがて一本の枝が伸びる。
幹が生まれる。
さらに枝が広がり。
あっという間に――。
満開の桃の木が、洞窟の中へ姿を現した。
蜜秋が目を見開く。
「……すごい。」
花びらが舞う。
一枚。
また一枚。
黄泉の瘴気へ触れた。
ジュッ――。
闇が消える。
桃の花びらが次々と舞い上がる。
百。
千。
数え切れないほどの花びらが、黄泉の闇を包み込んだ。
ゴオオオオオッ!!
闇が抵抗する。
桃華は聖剣から手を離さない。
「戻りなさい!」
さらに力を込める。
「ここは、あなたたちの世界ではありません!」
桃の木が眩く輝いた。
洞窟を桃色の光が満たす。
黄泉の闇が――。
押し戻されていく。
少しずつ。
少しずつ。
要石の向こうへ。
そして。
轟ッ!!
最後の瘴気が、黄泉へと押し戻された。
聖剣を中心に桃色の光が広がる。
砕けた要石を包み。
黄泉への亀裂を塞いでいく。
やがて――。
静寂。
黄泉の気配が消えた。
桃華はゆっくりと聖剣から手を離す。
剣は要石へ突き立ったまま。
満開の桃の木に抱かれるように、淡い光を放っていた。
「……終わった?」
蜜秋が恐る恐る呟く。
朱天は要石を見つめた。
目を閉じる。
そして――。
「ああ。」
静かに答えた。
「地上と黄泉は、再び隔てられた。」
その瞬間。
鬼ヶ島を覆っていた黒雲が割れた。
夕陽が島を照らす。
◇
「見事じゃ。」
誰かの声がした。
桃華が振り返る。
「――!」
満開の桃の木の下。
いつの間に現れたのか。
一人の老人が立っている。
長い白髭。
一本の杖。
旅の途中。
節目となるたびに現れ、桃華たちへ言葉を残してきた老人。
金時が目を見開く。
「爺さん!」
蜜秋も指差す。
「あ! またお爺ちゃん!」
老人は楽しそうに白髭を撫でる。
「ほっほっほ。久しぶりじゃの。」
桃華は老人へ歩み寄った。
「あなたは……いったい。」
老人は答えず、満開の桃を見上げた。
「桃はの。」
静かな声が響く。
「古くより、黄泉の穢れを退けるものとされてきた。」
桃華も桃の木を見上げる。
「遥か昔。
伊邪那岐命が黄泉より逃れし時、追いすがる黄泉の者どもへ桃の実を投げた。
桃はその力によって黄泉の者を退け、伊邪那岐命を救った。」
老人は一輪の桃へ手を伸ばす。
「その功を讃え、伊邪那岐命は桃へ神名を授けられた。」
桃色の花びらが一枚。
老人の掌へ落ちる。
「――意富加牟豆美命。」
桃華が息を呑んだ。
老人の身体から、淡い神気が溢れ始める。
凰が表情を変えた。
「……なるほど。」
深く頭を下げる。
「道理で只者ではないと思うたわ。」
老人は桃華へ向き直る。
「意富加牟豆美命。」
穏やかに笑った。
「それが、わしの名じゃ。」
「あなたが……桃の神……。」
蜜秋が老人と桃華を交互に見る。
「じゃあ、桃華の親戚みたいなもの?」
「さての。」
老人は笑う。
「その辺りは、わしにもよう分からん。」
「適当だなぁ。」
「神とて、何でも知っておるわけではないぞ。」
金時が笑う。
「それは親父殿を見とれば分かる。」
「金時、それ本人の前で言わない方がいいよ。」
桃華は老人を見つめていた。
「では……。」
これまでの旅を思い返す。
「ずっと、私たちを導いてくださっていたのですか。」
老人は首を横へ振る。
「いや、わしは道端で、少し話をしただけじゃ。」
桃華が目を瞬く。
「歩いたのは、お前じゃよ。」
老人は金時を見る。
蜜秋を見る。
凰を見る。
「仲間を得たのも。
鬼ヶ島へ辿り着いたのも。
朱天と向き合ったのも。」
そして桃華を見る。
「この地を黄泉から救ったのも。」
微笑む。
「すべて、お前たち自身が選んだことじゃ。」
桃華は静かに頭を下げた。
「……ありがとうございました。」
「礼を言われるほどのことはしておらんよ。」
その時。
朱天が小さく呟いた。
「……桃も。」
一同が振り返る。
朱天は満開の桃を見つめていた。
「桃も……神へ至ったのか。」
意富加牟豆美命は何も答えない。
朱天の視線が蜜秋へ移る。
「長い年月、天地の精気を蓄えた仙石より生まれた石の化身。その石猿は、自らの道を歩み――仏の位にまで至った。」
蜜秋は黙っている。
再び桃の木を見る。
「そして桃もまた。」
朱天は自らの手へ視線を落とした。
「黄泉を退け、人を救った先で……神名を得た。」
長い沈黙。
「では――。」
朱天は自嘲するように笑った。
「神へ至る道がなかったのではない。」
桃の花びらが、朱天の前へ落ちる。
「私が……。」
その花びらを見つめた。
「己の道を違えたのか。」
意富加牟豆美命は白髭を撫でる。
「桜梅桃李、という言葉があっての。」
「……?」
「桜は桜として咲く。
梅は梅として。
桃は桃として。
李は李として。」
老人は満開の桃を見上げる。
「どの花も、他の花になる必要はない。
それぞれが己の花を咲かせればよい。」
朱天は黙って聞いている。
桃華もまた、朱天を見る。
「朱天。」
「…………。」
「あなたは太陽になる必要などなかった。」
夕映えの光が、洞窟へ差し込む。
「あなたは暁。
暁にしかない輝きがあったのです。」
朱天はしばらく何も言わなかった。
やがて。
「……そうか。」
小さく笑った。
「私は、自分の花を咲かせることを忘れていたのだな。」
◇
その時だった。
空が眩く輝いた。
桃華たちが洞窟の外へ出る。
夕暮れの空。
そこに三つの巨大な光が浮かび上がっていた。
一つは太陽のように暖かく。
一つは月のように静かで。
一つは嵐のように力強い。
三つの光は、やがて人の姿を形作る。
桃華は息を呑んだ。
「コア様……。」
天照。
月読。
そして素戔嗚。
世界を支える、偉大なる三つ柱。
桃華は膝をつく。
『すべて、見ていましたよ。桃華。』
天照の優しい声が響く。
『よくぞ、やり遂げました。』
桃華は首を振った。
「いいえ。」
立ち上がり、周囲を見る。
金時。
蜜秋。
凰。
鈴鹿御前。
雉衆。
宝船の七福神。
天龍八部衆。
ここに至るまで力を貸してくれた、多くの者たち。
「私だけの力ではありません。」
桃華は微笑んだ。
「たくさんの方から、力をいただきました。」
天照も微笑む。
『そうですね。』
その視線が一同へ向けられる。
『桃華を支え、共に戦ってくれた者たちよ。
太陽神として、心より感謝いたします。』
金時は頭を下げる。
凰も扇を閉じた。
鈴鹿御前や雉衆達も静かに一礼する。
蜜秋だけが手を振った。
「どういたしまして。」
凰が横を見る。
「少しは畏まれ。」
「昔から知ってるし。」
『相変わらずですね、斉天大聖。』
天照が苦笑した。
蜜秋が頬を膨らませる。
「今は蜜秋です。」
その一言に、小さな笑いが起きる。
だが。
天照の視線が朱天へ移った。
『そして――朱天。』
朱天が顔を上げる。
「……姉上。」
天照の表情に、悲しみが浮かぶ。
『あなたの想いに気付いてやれなかった私にも、落ち度があります。』
朱天は何も言わない。
『あなたは長きにわたり、昼と夜の狭間で天界を守ってくれていました。
それを当然のものと思い――』
天照は目を伏せる。
『あなたが何を思い、何に苦しんでいたのか。私は知ろうともしなかった。』
「…………。」
『許されるなら。』
天照は手を差し伸べる。
『もう一度、天界で。』
一度、言葉を止めた。
『以前のように、私を支えて――』
そして。
静かに首を横へ振る。
『……いいえ。』
朱天の目が僅かに見開く。
『違いますね。』
天照は改めて朱天を見る。
『朱天。私たちと――』
微笑んだ。
『共に天界を支えてはくれませんか。』
「…………。」
朱天は天照を見る。
その隣。
月読。
素戔嗚。
素戔嗚は腕を組んだまま笑った。
『姉上からそこまで言わせたんだ。断ったら承知しねぇぞ。』
朱天は思わず笑った。
「……相変わらずだな、素戔嗚。」
『お互い様だ。』
長い沈黙。
やがて朱天は目を閉じる。
「もっと早く――。」
静かに笑った。
「そのように言っていただきたかったものです。」
天照も微笑んだ。
『そうですね。』
朱天は頭を下げた。
深く。
「……承知いたしました。」
◇
天照が桃華を見る。
『桃華。』
「はい。」
『あなたも、天界へ帰りなさい。』
桃華が顔を上げる。
『迎えを出しましょう。』
桃華はしばらく黙っていた。
そして、深く頭を下げた。
「コア様。」
『何でしょう。』
「一つ、お願いがございます。」
『申してみなさい。』
桃華は遠くを見る。
海の向こう。
川。
山。
そして、自分を拾ってくれた老夫婦の家。
「私は今しばらく――。」
胸へ手を当てた。
「人の世に残りとうございます。」
金時が桃華を見る。
蜜秋も黙っている。
「私が地上へ落ち、傷つき、何者なのかさえ分からなかった時、私を拾い、助けてくださった老夫婦がおります。
二人は、私を娘として迎えてくれました。」
桃華は小さく笑う。
「桃太郎という名をくださり、人として生きることを、教えてくださいました。」
天照は静かに聞いている。
「我ら化身にとって――」
桃華は空を見上げた。
「人の生とは、一瞬のこと。
ならば、その僅かな時くらい。」
深く頭を下げる。
「私を家族として愛してくれた二人の元へ戻り。
その余生を見守ることを、お許しください。」
沈黙。
やがて。
『桃華。』
「はい。」
『顔を上げなさい。』
桃華が顔を上げる。
天照は微笑んでいた。
『許すも何もありません。』
「え……。」
『あなたが、そうしたいのでしょう?』
桃華は目を見開く。
『ならば、それがあなたの選んだ道です。』
桃華の胸に、鈴鹿御前の言葉が蘇る。
生まれが鬼か。
人か。
神か。
化身か。
それが、その者の生き方を決めるのではない。
何を選び。
どう生きるのか。
桃華は笑った。
「はい!」
素戔嗚の豪快な声が響いた。
『はっはっは! それでいい!』
天照が横を見る。
『素戔嗚。』
素戔嗚は桃華を見る。
『人の世は面白いぞ。神や化身が天界に籠もってちゃ、分からねぇことが山ほどある。』
桃華は頷く。
「はい。」
その隣。
月読も静かに口を開いた。
『行くがよい、桃の娘。』
夜のように穏やかな声。
『今回は黄泉のことで貴公には大変な迷惑をかけた。
いつの日か――
人の世で何を見て、何を知ったのか。
我らにも聞かせてほしい。』
桃華は深く頭を下げる。
「必ず。」
◇
「そうじゃ。」
意富加牟豆美命が声を上げた。
全員が老人を見る。
老人は杖をつきながら、封じられた要石を見る。
「天界よ。今度は、こやつを放っておくでないぞ。」
天照が申し訳なさそうに頷く。
『ええ。地上の要石も、今後は天界が責任をもって管理しましょう。』
「ならば――」
老人は洞窟の外を見る。
「この島に、桜の苗木を植えるのじゃ。」
桃華が首を傾げた。
「桜を?」
「うむ。」
老人は白髭を撫でる。
「桜は神や霊の依り代とも言われておってな。
春。満開に花開く頃、天界より神々がこの地へ降りるための道標となろう。」
蜜秋が尋ねる。
「毎年、神様が要石を見に来るってこと?」
「そういうことじゃ。」
「花見ついでに?」
「それは知らん。」
金時が目を輝かせた。
「よいではないか!
桜の下で酒を飲みながら要石を見張れば、一石二鳥じゃ!」
凰が呆れたように扇を仰ぐ。
「ヌシは結局、酒か。」
空から素戔嗚の声。
『金時! 話が分かるじゃねぇか!』
『素戔嗚。』
天照の声。
『……すまん、姉上。』
蜜秋が吹き出した。
桃華も。
凰も。
金時も。
朱天さえも。
いつしか、笑っていた。
◇
夕日が海へ沈もうとしている。
鬼ヶ島を覆っていた暗雲は、もうどこにもない。
桃華は振り返った。
満開の桃の木。
その根元には、地上と黄泉を隔てる新たな楔となった聖剣。
いつか、この島には桜が咲くという。
桃。
桜。
それぞれ違う花。
けれど。
どちらも自分の色で咲けばいい。
桃華は空を見上げた。
「……帰りましょう。」
蜜秋が尋ねる。
「どこへ?」
桃華は微笑む。
「おじいさんと、おばあさんのところへ。」
「ではワシも共に行くとしようかの」
「金時さんもですか?」
金時は大斧を肩へ担ぎながら、にやりと笑った。
「あのうまいきび団子をこしらえた御仁にも、一度お会いしたいしの。」
蜜秋も頷く。
「確かに、あれは美味しかったね。」
すると凰だけが不満そうに眉をひそめた。
「……わらわは馳走になっておらぬぞ。」
桃華が笑う。
「では、帰ったらお願いして作っていただきましょう。」
「うむ。それがよい。」
凰は満足そうに頷いた。
その時、海岸の方から声が響く。
「おーい!」
一同が振り返る。
福禄寿が宝船の甲板から手を振っていた。
「途中まで送るぞい!
さあ、宝船に乗るんじゃ!」
桃華たちは顔を見合わせた。
蜜秋が笑う。
「帰りも空の旅か。」
金時は嬉しそうに船を見上げる。
「今度は岩が飛んでこんとよいがの。」
凰が扇を広げた。
「帰りくらい、のんびりさせてもらいたいものじゃ。」
皆を乗せた宝船はふわっと静かに浮かび上がると、夕焼けも消え、紫立ちたる雲を飛び越え、宵の明星を横目に飛んで行きました。
◇
桃太郎は無事、鬼退治を果たしました。
犬、猿、雉と共に、荷車いっぱいの宝物を持って、
おじいさんとおばあさんの待つ家へ帰りました。
そして、みんなで幸せに暮らしました。
めでたし、めでたし。
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