第18話 アユと、まだ動く塔——NOT ON THE MANIFEST
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あらすじ
その腕、天才につき 〜スクラップ都市の機化傭兵〜 - 第18話 アユと、まだ動く塔——NOT ON THE MANIFEST
本文
丘の上から塔が見える。根元から頂まで、光の線が一本、まっすぐ立っていた。
夜明け前のいまも、豆粒ほどの明かりが一つ見えた。その線を、ゆっくり登っていく。
止まったことのない塔だった。アユが生まれる、ずっと前から。
丘の斜面は、朝霧の中でまだ緑が濃い。虫の声がやまない。
赤道の上に立つ塔は、ここだけではないとアユも聞いたことがある。根元から折れて死んだ塔のほうが、世界では珍しいのだという噂だった。
塔の光と山の緑が、同じ空気の中にあった。遠くには、港の匂いも混じっている街だ。
この街は、技術の地とも荒れ地とも呼ばれない。呼び名を、アユはまだ一つに絞れたことがない。
草を踏む足の裏に、朝露が冷たい。
アユは息を吐いて、両腕をゆっくり開いた。
型の一つ目。名前は無い。母から、母はその母から受け継いだ動きだった。
振り下ろす。止める。半歩、下がる。また止める。
止まるたびに、重さの置き場所が決まっていく。腹の底で、一つにまとまる感じがする。うまく言えたことは一度も無い。
母は三年前、この丘の上で最後の型を見せた。それきり、教えるのをやめた。理由は聞いていない。聞いても、笑って返されるだけだと分かっていた。
十七のアユは、この街ではまだ「何者でもない歳」だった。
同い年の友達には、もう端子の跡がある。肘の内側や首の後ろに、小さく残る跡だ。
友達の一人には、去年「まだ生身なの」と驚かれた。「うちも隣もみんな入れたのに」——悪気はない声だった。だからこそ、うまく笑い返すしかなかった。
アユの肘には、何も無い。
※
貨物区画の朝は、アユの家の朝でもあった。
塔の根元をぐるりと囲む環状の建屋。降りてくる荷を受けて、仕分けて、街へ流す。荷役にやくは、この街では「地味だが無くならない仕事」と呼ばれている。
兄は両脚が機化きかしている。渤海ぼっかいの廉価型だと、いつか自慢げに言っていた。腕は二本とも、アユと同じ生身のままだ。
「今日も素足かよ」
兄が、荷台を押しながら笑った。
「軍手くらいしろよ。指、切るぞ」
「切ったことない」
「そのうち切る」
兄はいつもそう言う。アユはいつも切らない。
理由を聞かれたことは、数えるほどしかなかった。答えたことは、一度も無い。
頭上で、電光の板が切り替わった。
〈第七便、着荷。積み荷、照合中〉
降下カプセルの扉が開く音がして、荷が流れ出す。梱包材、金属くず、選別待ちの箱。
塔に上がれるのは、街の許可証と会社の身元保証を両方持った人間だけだ。荷役の人間は毎朝この塔の真下に立ちながら、乗ったことが一度も無い。
「行って帰ってくるだけの一日を、あの人たちは金で買ってるんだよな」
兄は、何度もそう言った。
建屋の上、ガラス張りの見学通路を、案内付きの一団が通っていく。
こめかみに宝石みたいな端子を付けた、遠くから来た客たちだ。指を差して、荷役の手元を映している。「本物の生身の腕ですよ」と案内の声がガラス越しに漏れて聞こえた。
兄が肩をすくめた。
「今日も見世物か」
「見世物は見世物で、金にはなるでしょ」
「なるけどよ」
兄は、それ以上は言わなかった。
※
そのときだった。
クレーンの爪から、コンテナが一つ外れた。
鎖が跳ねる高い音がして、荷台の陰にいた検品係の男へ向かって落ちていく。
男の脚は機化済みだ。反応は速いはずだった。だが速すぎて、逃げる方向を一度、間違えた。踏み出した先に、コンテナの落ちる線がちょうど重なった。
アユは、考える前に動いていた。
男の襟をつかんで、半歩だけ横へ引く。力は要らなかった。コンテナの落ちる角度と、男の重心の傾きを見た。間に合う場所へ、足を置いただけだ。
鈍い音がして、コンテナが地面を叩いた。男が立っていた場所の、指一本分だけ外側だった。
「……いまの、見えてたのか」
男が、地面に座り込んだまま言った。
「見えてなかったら、間に合わないでしょ」
「機化した俺より、お前のほうが速かったぞ」
「速くない。先に決めてただけ」
うまく言えた気がしなかった。いつもそうだ。
周りで見ていた何人かが、拍手より先に、ちょっと笑った。生身のアユが、機化した大人を助けた。驚きより先に、慣れている顔だった。この街ではもう、何度目かの話らしい。
※
散らばった荷を集め直すのは、結局、荷役全員の仕事になった。
アユは、割れた木箱の中身を選り分けていく。値の付く金属、値の付かない金属、判別できない金属。
その中に、一つだけ違うものが混ざっていた。
握りこぶし大の部品だった。継ぎ目が無いくらい滑らかで、指の先が吸い付くように吸い付く。
放棄区から回ってきた再生材にしては、傷が少なすぎる。錆も、汚れも無い。ほかの木箱の中身とは、手触りからして別物だった。
裏側に、小さく打たれた印があった。折れた塔を、輪の中に描いた印。その下に、聞いたことのある街の名前があった。
「メナラ……」
声に出して、初めて実感が来た。
「知ってるのか、それ」
兄が覗き込んできた。
「聞いたことはある。塔が折れた街でしょ。ずっと昔に」
「学校の授業でも出てきたな、反面教師として。……なんでそこの品が、こんなにきれいなんだ」
兄も、分からないようだった。
その場にいた誰も、答えを知らなかった。
アユは、その部品を光にかざした。
折れた塔の印は、握るとちょうど手のひらに収まる大きさだった。
死んだと言われている街のはずだった。なのにこの鉄は、まだ誰かが磨いていた鉄の顔をしていた。
選別済みの箱へ戻す代わりに、アユはそれを自分の胸ポケットへ入れた。
規則違反だとは分かっていた。それでも、今日だけは見なかったことにしてほしかった。
塔の上を、光の箱がまた一つ、ゆっくり登っていく。
あの塔の根元にも、いつか誰かが立つのだろうか。そうして、こっちを見上げているのだろうか。
死んだと言われている、あの街で。
これを磨いていたのは、いったい誰なのだろう。
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