第17話 宙に浮いた一枚——NO SHOW

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/9/18 📚 シリーズ: その腕、天才につき 〜スクラップ都市の機化傭兵〜 📝 2,282文字 ✅ 全年齢

あらすじ

その腕、天才につき 〜スクラップ都市の機化傭兵〜 - 第17話 宙に浮いた一枚——NO SHOW

本文

「まだ来ねえのかよ、あの一枚」

 カウンターの端で、常連の一人がグラスを傾けて言った。

 カウンターの内側に立つ男の名を、客はほとんど知らない。誰もが「大将」としか呼ばない。

 大将は、グラスを拭く手を止めなかった。この話が出ない夜のほうが、もう珍しい。

 十一日前の、一本試験の日からずっとこれだ。

 店は中央の裏通り、本部前の広場から歩いてすぐの雑居ビルの一階にある。

 カウンターの奥の壁は、丸ごと一枚のスクリーンだ。

 メニューはホロで宙に浮く。勘定は端末に指を当てるだけで済む。紙は一枚も無い店だ。

 外の通りでは配達のドローンが低く唸り、頭上のホロ看板が値段を差し替えている。

 今夜も壁の一角には、ギルドの賭場の払い戻し状況が流れている。

〈二十六倍。未回収、一件〉

 合成音声が数字を読み上げると、店の中がどっと沸いた。

「一件で足りるかよ。あの日の広場、あれだけの騒ぎだったんだぞ」

「大口が一枚だよ。一枚だけが、まだなの」

「金額は」

「非公開。窓口が閉じてる」

 カウンターの端に、白襟しろえりの一団がいた。

 こめかみの端子を光らせたまま、聞き耳を立てている。出勤前に賭けて、帰りに勝敗を確かめる。この店の朝晩の客の半分は、そういう連中だ。

「うちの課長なんて、まだ払い戻しの端末を見せびらかしてますよ」

「見せびらかす額かよ、それ」

「本人はそのつもりです」

 どっと笑いが起きて、また誰かが同じ話を繰り返す。何周目かはもう誰も数えていない。

「そういや、路地でホーネットのシュリにやられかけたって噂もあるぞ」

「やられかけて、勝ったんだろ」

「いや、聞いた話じゃ、シュリのほうが逃げたらしい」

「盛りすぎだろ、それ」

 最初に聞いたときは「やられかけた」だけだった。

 いまはもう「シュリが逃げた」になっている。

※

「だからね、あたし全部張ったの。昼飯三日ぶん」

 別の卓で、鈴余すずよが両腕を大きく広げていた。あの一本を、また再現しているらしい。もう何度目か分からない。隣の忌那いなは、黙って皿の残りを片付けている。

「三日ぶんで、いくら勝ったんだよ」

「言わない。奢るから黙って飲んで」

 周りがどっと笑って、勝手にグラスを合わせた。運のいい客の隣は、居心地がいい。

「なあ、結局その大口、何者なんだ」

「知らねえよ。窓口の子に聞いても、顔を見てないって言うんだ」

「見てない? あれだけの額を賭けて、名乗らないやつがいるのか」

「腰の端末を、窓口にただ当てただけらしい。ライセンスの照会も、通してねえって話だ」

「そんなの、通るのか」

「通ったから、いま二十六倍で止まってんだろうが」

 声が一段低くなった。

「企業の下見じゃねえのか。青田買いの連中は、顔を出さねえもんだ」

「だったら尚更、取りに来いよ。買った株が上がったのに、放っとく株主がどこにいる」

「気味が悪いこと言うなよ」

 自称もの知りの常連が、身を乗り出した。

「教えてやろうか。あれは緑青ろくしょうだ。あそこは金より別の物が欲しいんだよ」

「先週も同じ口でアイアンゲートだって言ってたろ、お前」

「今週はこっちが本命なんだよ」

 誰も、まともに取り合わなかった。

 誰も、答えを持っていなかった。

※

「壁の関せきも、いい顔してたよなあ」

 話は、大穴の噂を一周すると、いつも関せきとドッコに戻ってくる。

「十三年目で、あそこまで動かせたのは初めてだと」

「ドッコの奢りだって聞いたぞ、今夜のあの卓」

「負けたのに奢るのかよ」

「負けたから奢るんだよ、あの人は」

「来年また出るってさ。十四回目」

「気の長い話だ」

 大将は、その卓に瓶を一本、余分に置いた。誰の勘定にも付けなかった。

※

「あの子、結局なんて呼ばれてんだ」

 話は、いつもここへ流れ着く。

「壁割り、って呼んでた奴がいたな」

「芸がない」

「じゃあ、灰かぶりでどうだ」

「なんだそれ」

「拾い物の身体一つで、8級まで来たんだとよ。ガラクタの中から拾い上げた、みたいな話だろ」

「辛気臭え」

「二十六倍のままでいいだろ。数字が名前になる奴だって、この街にはいる」

「それも味気ねえよ」

「渤海ぼっかいのスカウト席、最後まで座ってたらしいぞ」

「本当かよ」

「本当だ。あそこが動くと、次の対抗戦は荒れる」

 じゃあお前が決めろ、と誰かが言う。

 言われたほうは、黙ってグラスを空けた。

 カウンターの隅に、黒板が一枚掛かっている。

 誰かが悪ふざけで書いた候補が、三つほど並んだままだった。

 どれにも、まだ丸は付いていない。

※

 窓際の一番奥、いつもの席に、今夜も男が座っていた。

 細身の上等な上着。値踏みをする目。

 それ以外は、どこにでもいる客の顔をしている。

 注文はいつも同じ、水割りを一杯。減らない。

 名乗られたことは一度もない。襟の小さな徽章だけが、渤海ぼっかいの人間だと教えてくれる。

 騒がしい夜でも、あの席の周りだけ、少し静かになる気がする。大将にも、うまく説明できない理由だった。

 壁のスクリーンが試験の映像を流しはじめると、男は初めてグラスから顔を上げた。

 あの一本が映る、その数秒だけを見ている。

 終わると同時に、視線を戻した。

 通りかかった常連が、酔った勢いで軽く声をかけたことがある。

「兄さんも、あれに張ったのかい」

「いや」

 それだけだった。愛想はいいのに、話は少しも続かない。

「今夜も静かだったな、あの客」

 しんがりに帰る常連が、出しなに大将へ言った。

「いつからいるんだ、あの人」

「さあな。……気づいたら、いつも隅にいる」

 勘定を置いていく音がした。

 いつもどおり、一杯ぶんだけ。多くも少なくもない。

 大将は壁のスクリーンを消して、店を閉めた。

〈未回収の一件は、三十日で失効します〉

 消す間際、電光の板がそう告げた。

 残りは、十九日。

 あの一枚は、結局、誰の手に戻るのだろう。

ジャンル・タグ

, , , , , , ,

作品統計

👁️ 閲覧数: 0 👍 いいね: 0 📚 本棚登録: 0

作者について