ビルオーナー長編版(一) 〜狭さは、時に贅沢になる〜
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あらすじ
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本文
ビルオーナー長編版(一) 〜狭さは、時に贅沢になる〜
王都の一等地、そこに毅然と佇む「魔導マルチテナントビル」。部屋ごとに異なる空間結界が張られた、少々変わった賃貸ビル。
ビルのオーナーは佐藤 純。戦闘力こそ一般人並みだが、ビル内に限り絶対的な管理権限を持っている。結界の強さ、広さ、重力、気温——テナントに迷惑さえかけなければ、その気になれば部屋の中を灼熱の砂漠にも極寒の氷原にも変えられる。もっとも純の関心事は、そんな力の使い道ではない。もっぱら家賃がちゃんと入るかどうか、それと、テナントたちが機嫌よく商売できているかどうか、それくらいだった。
物件の仲介や管理の窓口となる管理ギルドの担当者は、熱烈な小説愛好家であった。ビルの中で繰り広げられる職人たちの悲喜こもごもを特等席で眺めては、いつも独り静かに胸を熱くさせている。
そんな一風変わったビルに、この度新たな二つの小さな店が加わることとなった。
【4坪のお菓子屋】
ビルのエントランス、階段下のデッドスペースは、長らく掃除道具入れとして使われていた、忘れられた4坪の空間だった。柱の陰になっていて、日当たりも悪く、これまで何を提案しても借り手がつかなかった場所だ。
「大家さん、あそこ、本当にお店になるんですか。ただの物置じゃないですか」
管理室で担当者が図面を見ながら、首をかしげながら聞いてくる。
「小さな妖精族のパティシエが、あそこでいいって言うんだから、こっちも止める理由はないよ」
「妖精族の方は体格も華奢ですからね。案外、あのこぢんまりとした空間がちょうどいいのかもしれません」
「だろうな。広すぎる店より、あの子には合ってると思う」
数日後、その場所には、おとぎ話から抜け出してきたような、小さなお菓子屋が開店していた。4坪という限られた空間ゆえに、並んでいるのは親指サイズの色鮮やかな魔導マカロンや、一口サイズの可愛らしいクッキーばかりだ。ガラスケースの中で、マカロンたちがほんのり光を放ち、まるで宝石箱のようだった。カウンターも椅子も、すべてがミニチュアサイズで作られていて、覗き込むだけで小さな博物館を見ているような気分になる。
「大家さん、これ見てください! このスペースが、こんなに可愛くなるなんて!」
開店初日、二人が様子を見に行くと、担当者は目を輝かせ、ガラスケースに顔を近づけては、うっとりと眺めていた。
「小さくても、丁寧に作ればちゃんと店になるもんだな」
純はそう言いながら、小さなパティシエと契約書を交わした。羽をぱたぱたと動かしながら判を押すその姿は、見ているだけで頬が緩む可愛らしさだった。
「大家さん、狭いお店ですけど、ちゃんとやっていけますか」
純が尋ねると、パティシエは自信満々に胸を張った。
「狭いからこそ、目が届くんです。大きなお店だと、一つ一つのお菓子に、こんなに手をかけられませんから」
その言葉通り、開店した店は、たちまちビルの名物になった。仕事帰りの住人たちが、ふらりと立ち寄っては、色とりどりのマカロンを一つ二つ買っていく。
このお菓子には、少し変わった魔法がかかっていた。食べると1時間だけ、体が子供サイズ、あるいは妖精サイズにまで縮んでしまうのだ。物珍しさもあって、こっそり試す住人が後を絶たなかった。
そんなある日の昼下がり、純は思いがけない人物が、この4坪の店にこっそり立ち寄っているのを目撃する。
いつも怖い顔でビルを見回りに来る、王都の国家騎士団副団長だった。屈強な体つきと、鋭い眼光で有名なその男が、周囲を気にしながら、小さなクッキーを一枚買っていく。
「……あれ、何してるんでしょうね」
ちょうど管理室を出たところで、物陰から様子を窺っていた担当者が、小声で囁いた。純は黙って様子を見ることにした。
副団長はクッキーを一口かじった瞬間、みるみるうちに体が縮んでいき、あっという間に手のひらサイズになってしまった。小さくなった彼は、店の隅に用意されたミニチュアの椅子に、ちょこんと腰掛ける。
「ふにゃあ……」
いつもの厳めしい顔はどこへやら、小さな体を椅子に沈めて、だらしなく力を抜いている。パティシエが小さなカップに注いだ温かいお茶を差し出すと、彼はそれを両手で受け取り、幸せそうに口をつけた。
「日頃の激務、相当溜まってるんでしょうね、あの人」
「だろうな。誰だって、たまにはこのくらい小さくなって、力を抜きたい日もあるさ」
純は静かにそう呟いた。
「大家さんも、小さくなりたい日、あるんですか」
「あるよ。台帳とにらめっこしてる時とか、特にな」
しばらくして、副団長は純たちの視線に気づき、飛び上がるように驚いた拍子に、ミニチュアの椅子ごとひっくり返りそうになる。
「た、大家殿! こ、これは、その……!」
真っ赤になった顔で、しどろもどろに言い訳を探している姿は、普段の厳めしさが噓のようだった。
「うちのビルの4坪のオアシスですから、どうぞごゆっくりしていってください」
純は動じることなく、いつも通りの調子で告げた。
「ただ、元のサイズに戻るときは、通路を塞がないよう、外に出てからにしてくださいね。急に大きくなられると、他のお客さんが驚きますから」
副団長は何度も頷き、それから照れ隠しのように咳払いをした。
「……この店のことは、他言無用に願いたい」
「もちろん、口外するつもりはありませんよ。ただ、あんまり頻繁に来ると、他の団員に気づかれるかもしれませんね」
「う……それは、確かに」
副団長は気まずそうに視線を逸らしながら、それでも名残惜しそうに、もう一枚クッキーを追加で買っていった。
副団長が満足げに帰っていったあと、担当者は感動したように手帳を開いていた。
「4坪の有効活用として、完璧ですね……! あの怖い副団長が、あんな可愛い椅子に座ってるところ、僕、絶対に忘れられません」
「お前も、たまには小さくなって休んでみたらどうだ」
「僕はいつでも、この仕事で癒やされてるので大丈夫です!」
そんなやり取りをしながら、純は小さな金貨——といっても、普通の何分の一かのサイズしかない、可愛らしいミニ金貨を数えて、台帳に記していった。
【6坪の香水店】
副団長が小さくなって癒やされた、まさにその日の夜。エントランスの騒がしさから少し離れた、ビルの奥まった一角には、もう一つ、小さな変化が起きていた。
隠れ家のような、お洒落な6坪の空間。そこに新しく入居したのは、寡黙な魔女の調香師。
昼間、純は管理室で担当者とこんな会話を交わしていた。
「大家さん、あそこ、ちょっと奥まってて分かりにくい場所ですけど、大丈夫でしょうか」
「本人が、その方がいいと言っていたよ。隠れ家みたいな雰囲気が欲しいんだと」
「変わった希望ですね。普通は、目立つ場所の方が人気なのに」
「香水って、静かな気持ちで選びたいものなのかもな」
夜の見回りの前に二人が開店した店に足を踏み入れると、部屋中に果実やハーブの複雑な香りが満ちていた。壁一面に並んだガラス瓶が、淡い光を受けてきらきらと輝いている。狭い部屋だからこそ、香りが凝縮されて、まるで魔法の小箱の中に迷い込んだような気分になった。
「ここにいるだけで、幸せな気持ちになりますね……」
担当者はガラス瓶の一つ一つを、うっとりと眺めながら呟いた。
この店が売るのは、少し変わった品。客の「一番大切な記憶」の匂いを、香水として再現してくれる。魔女は客と静かに向き合い、思い出話に耳を傾けながら、その記憶にふさわしい香りを、慎重に調合していく。
「一つ聞いてもいいかな」
純が尋ねると、魔女は瓶を磨く手を止めずに、頷いた。
「記憶の匂いって、どうやって決めるんですか。同じ思い出でも、人によって感じ方は違うでしょう」
「その人が、その記憶を語るときの声、表情、間の取り方。全部を聞いて、初めて分かるものなの。だから、急いで作ることはできない」
「なるほどな。時間のかかる仕事なわけだ」
「ええ。でも、それだけの価値がある仕事だと思ってる」
その後、夜になって純が担当者と一緒に夜間の見回りをしていると、めったに自室から出てこないことで有名な、ビル最上階に住む偏屈な大魔導士が、ふらりと6坪の店を訪れているのが目に入った。彼は家賃をいつも一括で払う、癖はあるが実直な人物だった。
「珍しいな。あの人が、自分から出歩くなんて」
「本当ですね。いったい、何のご用でしょう」
純と担当者は、少し離れた廊下の場所から、開いた扉越しにそっと覗いた。
「……昔、旅した故郷の匂いを、探している」
大魔導士は、いつもより少し低い声で、ぽつりぽつりと語り始めた。
「もう戻れない場所でね。緑の匂いと、雨上がりの匂いが、確かにあった。あの場所は、もうこの世のどこにもない」
魔女は静かに頷き、いくつもの香料瓶を手に取っては、慎重に調合していく。彼女は無駄な言葉を発さず、ただ真剣な眼差しで、大魔導士の語る記憶に耳を傾けていた。
「その草原には、どんな音がありましたか」
「……風が、草を撫でる音。遠くで、川が流れる音」
「色は」
「深い緑。雨上がりだけ、少しだけ、金色が混じる」
魔女は一つ一つの言葉を、丁寧に拾い上げるようにして、瓶の中身を選んでいった。
やがて一本の香水が出来上がる。魔女がそれを一吹きした瞬間、6坪の狭い部屋いっぱいに、幻影の美しい草原が広がった。風に揺れる緑の匂い、雨上がりの土の匂い、その向こうには、淡く輝く虹までもが浮かび上がっていった。部屋全体が、幻想的な光にふわりと包まれた。
大魔導士は、その光景を前に、しばらく言葉を失っていた。やがて、愛用の杖を強く握りしめ、ただじっと、懐かしい幻影を愛おしそうに見つめていた。その目元が、長年の孤独を溶かすようにかすかに潤んでいるのを、純は見逃さなかった。
「……この匂いだ。間違いない」
大魔導士は深く息を吐き、静かに香水の瓶を受け取った。
「お代は......」
「気にしなくていい。大金貨を、好きなだけ払う」
大魔導士はそう言って、思いのままに多くの金貨を置いていった。彼が静かに店を去り、足音が廊下の奥へ消えていったあと、部屋にはまだ、かすかに緑と雨の匂いが漂っていた。
様子を見ていた純は、店内に一歩入り、静かに魔女へ声をかけた。
「素晴らしい店ですね。おかげで、うちのビルの価値——というか、魔力濃度が、少し上がった気がします」
魔女はガラス瓶を整理しながら、静かに微笑んだ。
「この部屋に張られた結界と、この6坪という狭さだからこそ、香りが薄まらずに、記憶をしっかり閉じ込められるの。広い部屋じゃ、こうはいかない」
「なるほどな。君がそう言うと思って、この部屋の結界は空気が外に逃げにくいように微調整しておいたんだが、正解だったようだ」
「ええ、助かるわ。狭さは、時に一番の贅沢になる」
魔女はそう言って、また新しい香料瓶を手に取った。
後ろについてきていた担当者は、感激した面持ちで、手帳にその一言を書き留めていた。
「このビルにいると、本当にたくさんの素敵な物語に出会えますね。今日は、二つも素晴らしい奇跡を見せてもらいました」
「今日は特別だったな。エントランスの妖精菓子屋も、こっちの香水店も、どっちも小さな部屋だからこそできることをやってる」
純は管理室へと戻り、台帳を閉じながら、静かにそう呟いた。
「狭いからって、何もできないわけじゃない。むしろ、狭いからこそ生まれるものもある」
「大家さん、今日はやけに詩的ですね」
「たまにはな。それより、今日の分の家賃、ちゃんと記帳しておかないと」
純はそう言って、台帳のページをめくった。可愛らしいミニ金貨と、良い香りのする金貨、二つの家賃が並んだ台帳を前に、担当者は満足げに頷いていた。
ビルの片隅では、今日も小さなお菓子屋の灯りと、隠れ家のような香水店の灯りが、それぞれ静かに輝いている。狭くても、そこにしかない特別な時間が、確かに流れていた。