我が病
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
大学2年生の橘ひなたは、ごく普通の女子大生。ある日、学校一のイケメンと噂される林武蓮と同じゼミになったことで、自然と彼を意識するようになる。 しかし蓮は恋愛に全く興味がなく、女の子から告白されても断り続けるクールな男。ひなたが話しかけても素っ気ない態度ばかり。 それでも一緒にいる時間が増えるうちに、ひなたは彼の不器用な優しさに少しずつ惹かれていく。 恋愛に無関心なイケメンが、初めて「恋の病」にかかるまでのドキドキラブコメ!
本文
9月の初日、林武は一人で部屋にいた。
特にやることもなく、テキストを開いていたが、頭に内容が入ってこなかった。気づくと、全然別のことを考えていた。
ひなたのことを。
……また、か。
林武はテキストを閉じた。最近、こういうことが増えていた。何かをしようとすると、気づけばひなたのことを考えている。講義中も、メッセージを送る時も、一人でいる時も。
花火の夜から、特にひどくなった気がした。
あの夜、ひなたが何かを言いかけた。花火の音に遮られて、聞こえなかった。でも、その後のひなたの笑顔が、ずっと頭から離れなかった。
穏やかで、少し恥ずかしそうで、でも満足そうな笑顔。あんな顔を、今まで見たことがなかった。
林武はベッドに横になって、天井を見つめた。
ひなたのことを考えると、最初に浮かぶのはあの笑顔だった。次に、カラオケで歌っていた姿。足湯で話を聞いてくれていた横顔。コンビニのアイスを押しつけてきた時の得意げな顔。マスクを渡してくれた時の、少し照れた顔。
一つひとつが、鮮明に思い出せた。
普段、人の顔をここまで覚えていることはなかった。誰かのことを、こんなに細かく記憶していることも。
……おかしい。
林武は起き上がって、窓の外を見た。夏の終わりの空は、夕方になってもまだ明るかった。
ひなたのことを考え始めたのは、いつからだろう。
最初は、ただ変なやつだと思っていた。ひなたが隣の席に座って、こちらをじっと見ていた。目が合ったら真っ赤になって謝った。それだけのことだった。
でも気づけば、隣にいることが当たり前になっていた。メッセージのやり取りが、毎日の習慣になっていた。ひなたが送ってくる他愛ない内容を、思ったより楽しみにしていた。
体調が悪い時に、マスクを渡してくれた。熱を出したひなたを、家まで送った。木の影で、慰めてくれた。旅館で、足湯に一緒に浸かりながら、過去の話を聞いてくれた。
ひなたは、踏み込みすぎない。でも、離れすぎない。ちょうどいい距離感で、いつも隣にいてくれた。
それが、こんなに心地よいものだとは思っていなかった。
林武はスマートフォンを手に取った。ひなたとのトーク画面を開いた。最後のやり取りは、昨日だった。
『今日のバイト、暇すぎて死ぬかと思った』
『……大げさだ』
『大げさじゃないよ、本当に暇だったんだから』
そんな、何でもないやり取りだった。でも、このやり取りをしている時、林武は自然と口元が緩んでいた。自分では気づいていなかったけれど、今思い返すとそうだった。
ひなたのメッセージを見ると、何かが緩む。
ひなたの顔を思い浮かべると、落ち着く。
ひなたがそばにいると、踏み込むことへの恐れが遠くなる。
一つひとつは、小さなことだった。でも、全部を並べてみると——
……これは。
林武は静かに、その言葉と向き合った。
今まで、何度か似たような感覚に近づいたことがあった。でも、その都度、蓋をしてきた。踏み込むことへの恐れが、いつも先に来た。
でも今日は、蓋をする前に、もう少しだけ考えてみようと思った。
ひなたがいない時に、ひなたのことを考えている。
ひなたが誰かに告白されているのを見て、安心した。
ひなたの笑顔が、頭から離れない。
ひなたと過ごす時間が、もっと続けばいいと思う。
一つひとつを確認するたびに、答えははっきりしていった。
……好きなんだ。
認めた瞬間、林武の中で何かがすとんと落ちた。
恐れがなくなったわけではなかった。踏み込むことへの不安が消えたわけでもなかった。でも、今までぼんやりとしていたものが、急にはっきりと形を持った気がした。
ひなたのことが、好きだ。
それだけのことだった。それだけのことなのに、こんなに時間がかかった。
林武はしばらく、その事実と向き合った。
好きになってしまった。誰の告白も断ってきた自分が。踏み込むことを恐れてきた自分が。気づかないうちに、気づかないふりをしているうちに、もうどこにも逃げられなくなっていた。
……ひなたしか、考えられない。
その言葉が、頭の中ではっきりと浮かんだ。
他の誰かのことを考えようとしても、ひなたの顔が浮かんでくる。他の誰かと話していても、ひなたと話したいと思う。他の誰かに何かをしてもらっても、ひなたにしてもらいたいと思う。
これが恋なのか、と改めて問いかけると、答えは一つしかなかった。
そうだ。これは、恋だ。
林武は窓の外を見た。夕空がオレンジ色に染まっていた。
困った、と思った。いつも同じ言葉が浮かぶ。でも今日の「困った」は、これまでとは全く違う意味を持っていた。
好きだと認めた。それは確かだ。でも、どうすればいいのかが、わからなかった。
ひなたには、好きな人がいると言っていた。花火の夜、何かを言いかけた。あの笑顔の意味が、今になって少し怖くなった。
もし、ひなたの好きな人が自分ではなかったら。
もし、すでに別の誰かのことを想っていたら。
踏み込む前に、また恐れが顔を出してきた。でも、今日は以前とは違った。恐れがあっても、ひなたのことが頭から離れないのは変わらなかった。
スマートフォンが震えた。
ひなたからのメッセージだった。
『今日夕焼けきれいじゃない?なんか急に秋っぽくなってきた気がする』
林武は思わず窓の外を見た。確かに、空がオレンジ色に染まっていた。
同じものを見ていた。
それだけのことなのに、胸の奥がじんとした。こんな感覚は、今まで知らなかった。
『……きれいだな』
返信してから、林武はしばらくスマートフォんを持ったまま動かなかった。
好きだと認めた。でも、それをどうするかは、まだわからなかった。踏み込む勇気が、自分にあるのかどうかも。
ただ、ひなたのことしか考えられない自分が、今ここにいた。
それだけは、もう否定できなかった。
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