『天津守護』-I'll never lose my mind
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
【あらすじ】 十三年前、紫黒い天蓋と異形の怪異に閉ざされた魔都・東京。時間の流れが狂った結界の中で13年間閉じ込められていた17歳の少年・大神護(おおがみ まもる)と、外界から彼を救うために戦い続けた27歳の特殊部隊元隊長・神崎志乃(かんざき しの)。 崩れかけた廃屋で分け合った不味いスープ、指先を傷だらけにして削られた手作りのオルゴール。世界を繋ぎ止める人柱「天津守護」となった護は、「生きろ」という言葉と手作りのオルゴールを志乃に遺し、光となって消え去ってしまう。 あの日から、志乃は生涯誰とも婚姻を結ばず、ただ一人「大神護」という少年だけを愛し続けた。甥や姪、その子どもたち(孫世代の葵)を我が子のように愛し、生涯の戦友・風間とともに復興の時代を泥を啜って生き抜いた志乃。 そして50年以上の歳月が流れたある夕暮れ。80歳を超え、愛する家族と仲間に囲まれて穏やかに人生を全うした志乃の前に、あの日と変わらぬ17歳の姿で護が手を差し伸べにやってくる――。 【こんな人におすすめ!】 一途で切ない「純愛・生涯愛」ストーリーで泣きたい方 歳の差・時間の歪み・運命に翻弄される重厚なドラマが好きな方 悲劇で終わらず、長年の想いが報われる美しいハッピーエンドを読みたい方 戦友としての絆や、復興を支える温かな家族愛に触れたい方 0話含め全57話(最終回56話)
本文
第0話:『誕生日』
ザーザーと、容赦なくアスファルトを叩く雨の音が、世界を白く塗り潰していた。
六月の梅雨空は低く垂れ込め、街全体が湿った憂鬱に沈んでいる。
放課後。駅の改札前は、行き交う人々が差す傘の波で埋め尽くされていた。その中で、神崎志乃(かんざき しの)は所在なく佇んでいた。
14歳。
紺色のセーラー服の裾が、吹き込む風でわずかに揺れる。
彼女の手には、赤い傘が握られていた。
(毎日、この駅で別れる。なんてことのない、いつもの日常だと思っていた)
志乃の家は、ここから電車で一時間ほど離れた場所にある。
彼の家とは、進む方向が真逆だ。
同じ中学校という場所がなければ、交わるはずのなかった二つの人生。
スマートフォンの画面を見る。
表示されたデジタル時計は、約束の時間をすでに七分過ぎていた。
「……遅い」
ポツリと呟いた言葉は、激しい雨音にかき消される。
いつもなら、こんな風に待たされたら少しだけ眉をひそめるところだった。けれど、今日の志乃の胸の奥には、どうしようもない気恥ずかしさが居座っている。
付き合って、まだ三日。
そして、今日は――志乃の十四回目の誕生日だった。
「おーい! 志乃ーーっ!」
その時、雨のカーテンを切り裂くようにして、聞き馴染んだ声が響いた。
改札の向こうから、びしょ濡れになった少年が走ってくる。
大神護(おおがみ まもる)。
同じクラスで、席が隣同士で、ぶっきらぼうのくせに困っている人を放っておけない、志乃の「人生初の彼氏」だ。
「はぁ、はぁ……! わりぃ、待たせた!」
護は志乃の前で足を止めると、膝に手をついて荒い息を吐いた。
制服のブレザーの片袖はすっかり濡れ、黒髪から滴る水滴が、彼の強い意志を宿した瞳を濡らしている。だが、その両腕は、何か大切なものを守るように、制服の胸元をきつく抱え込んでいた。
「……来ないかと思った」
志乃は少しだけ視線を逸らし、わざと平淡な声で言った。感情を隠すのは、彼女の悪い癖だった。
「ばっ……! 来ないわけねぇだろ!」
護は顔を真っ赤にして、噛みつくように言い返す。
「彼女の誕生日忘れる奴が、どこにいるんだよ。……ほら、これ」
ふいっと顔を背けながら、護が胸元から差し出したのは、雨に濡れないようビニール袋で二重に包まれた、小さな、本当に小さな紙袋だった。
「ガチャで、どうしても当てたいやつがあってさ……少し遠回りして回してたら時間食った。……人生初だから、こういうの。その、誕生日、おめでとう」
差し出されたプレゼントと、護の耳まで真っ赤になった横顔を交互に見つめ、志乃の胸の奥に、じわりと温かいものが広がっていく。
「……ありがとう、護くん」
志乃の頬が、みるみるうちに赤く染まった。
彼の手から紙袋を受け取る。指先がほんの少しだけ触れ合って、二人して小さく飛び退いた。付き合って三日。まだ、手を繋ぐことさえできない、そんな距離。
二人は並んで歩き始めた。
少しでも長く一緒にいるために、雨の街をあてどなく歩く。
「毎日、ここでバイバイするの、ちょっと寂しいよな」
護は頭の後ろで手を組みながら、強がるように言った。
「進む方向が違うだけでさ。なんか、別の世界に行くみたいだ」
「……うん。でも、明日も学校で会えるよ?」
志乃は赤い傘を少しだけ護の方へ傾けながら、微笑んだ。
「学校に行けば、私の隣には護くんがいるもの」
「まぁ、そりゃそうだけど……」
護は照れ隠しに頭を掻いた。
「これからもずっと、こうして一緒に――」
その言葉が、最後まで紡がれることはなかった。
ズズズ……。
足元から、経験したことのない不気味な地鳴りが響いた。
地面の底から、何かが這い上がってくるような、世界そのものが身震いするような震動。
直後、周囲にいたすべての人々のスマートフォンが、狂ったような警告音を一斉に鳴らし始めた。
空気を引き裂く非常事態のサイレン。
「……え? なんだ、これ」
護が足を止め、怪訝そうに空を見上げた。
「護くん……空が……!」
志乃の声が震える。
雨を降らせていたどんよりとした雲が、まるで生き物のように蠢き、急速に、禍々しい紫色へと変色していく。
バリバリ、と世界のガラスが割れるような、凄まじい音が響き渡った。
上空の空間が、目に見える形で「裂けた」のだ。
そこから何が現れたのか、見る余裕すらなかった。
一瞬の静寂の後、街は、一瞬にして絶叫と混沌の渦へと叩き落とされた。
悲鳴を上げて逃げ惑う群衆。日常は、文字通り一秒で崩壊した。
「志乃! こっちだ、走れ!」
護が志乃の腕を掴もうとした。
しかし、パニックに陥った人間の濁流が、容赦なく二人の間に割り込む。
「護くん! 護くん……っ!!」
「志乃ーーー!!」
繋がろうとした十四歳の細い手は、無情にも引き離された。
人々が逃げ惑う波に押され、二人の距離はどんどん離れていく。
(神様なんて信じていなかった。でも、あの日、世界は確かに終わったんだ)
その時、二人の間に、目も眩むような光の壁が突き抜けた。
地中からせり上がってきた巨大な光の障壁が、超高速で空へと伸びていく。
それは、街を真っ二つに引き裂く、巨大な「檻」のようだった。
「護くん!!」
志乃は、壁の向こう側に見える少年の姿を、必死で目で追った。
光の壁が完全に閉じるまで、あと数秒。
壁の向こう側――黒い煙が立ち込める凄惨な景色の中で、護もまた、志乃を見つめていた。
護は、激しい苦痛に襲われているのか、頭を抱え、崩れ落ちそうになっていた。彼の瞳から、急速に光が消えかけていく。
それでも――護は、志乃を見た。
意識が濁流に飲み込まれていく中で、彼は最後の力を振り絞って叫んだ。
「志乃ーーー!!!」
護は、制服の胸元に残っていた、あの小さな紙袋を掴むと、塞がりかける光の隙間に向けて、全力で投げ放った。
放物線を描いて飛ぶ、十四歳の、人生初の誕生日プレゼント。
次の瞬間、眩い白光とともに、壁は完全に閉ざされた。
――ドンッ。
静寂。
激しかった雨の音さえ消え去ったかのように、志乃の周囲には奇妙な静けさが戻っていた。
志乃の足元に、ポツンと、少し濡れた紙袋が落ちていた。
アスファルトの上で、それはひっそりと佇んでいる。
志乃は震える手で、その紙袋を拾い上げた。
中身を見ることは、できなかった。これを開けてしまえば、彼が本当にいなくなってしまうような恐怖が、十四歳の少女の指先を縛り付けた。
顔を上げる。
そこには、世界を切り裂くようにそびえ立つ、冷たく青白い光の壁が立ちはだかっていた。
「護……くん……?」
ぽつり、と流れた涙が、雨水と混ざって顎から落ちていく。
ここから、引き裂かれた二人の、狂おしいほどに残酷で、切実な物語が始まる。
(これが、私たちの最後の会話。ここから、私の『十三年』が始まる――)
【第0話 『誕生日』 終わり】