風、凪ぐ頃11
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
学科は満点、実技が苦手 そんな悩みが卒業試験で露呈、不合格になってしまった凪 補習過程に移行した彼に待っているのは…… アマツを母とする戦後170年の物語。
本文
第五十話 半年という約束
十一月。
外縁独立機動部隊教育隊。
午前八時。
朝礼終了後。
教育隊本部前に候補生たちが整列していた。
教官が一歩前へ出る。
「本日より。」
「卒業認定試験を開始する。」
静かな空気が流れる。
「期間は三日。」
「筆記。」
「実技。」
「総合評価。」
「これをもって教育課程を修了する。」
候補生たちの表情が引き締まる。
凪も静かに敬礼した。
「了解しました。」
◇
資料館。
朝食の席。
アマツはいつものように珈琲を淹れていた。
窓から差し込む朝日が食卓を照らす。
「今日からですね。」
「はい。」
「卒業試験です。」
アマツは静かに頷いた。
「緊張していますか。」
凪は少しだけ考えた。
「少しだけ。」
「ですが。」
「楽しみでもあります。」
「そうですか。」
その笑顔を見て、アマツも優しく微笑んだ。
◇
朝食を終え、玄関へ向かう。
凪が靴を履こうとした、その時だった。
「凪さん。」
アマツが静かに呼び止める。
「はい。」
「覚えていますか。」
「何をですか。」
「最初の日。」
凪は少し考えた。
半年ほど前。
アマツはあの日、こう言った。
『もう半年、一緒にいられますね。』
その言葉が、ゆっくりと思い出される。
「……はい。」
「覚えています。」
アマツは優しく頷いた。
「約束の半年が。」
「もう終わるのですね。」
玄関に静かな空気が流れる。
◇
凪は少し寂しそうに笑った。
「そうですね。」
「早かったです。」
「ええ。」
「本当に。」
アマツは凪の制服の襟を、そっと整える。
子どもを送り出す母親のような、自然な仕草だった。
「凪さん。」
「はい。」
「卒業しても。」
「ここは、あなたの帰る場所です。」
その一言に、凪はゆっくりと頷いた。
「はい。」
「母さん。」
「私は。」
「帰ってきます。」
アマツは何も言わず、小さく微笑んだ。
◇
教育隊。
卒業試験。
初日は筆記。
戦術。
救難。
災害対応。
航空管制。
倫理。
外縁独立機動部隊の理念。
答案用紙へ、凪は迷いなく書き続ける。
半年間。
アマツと過ごした日々。
第七戦隊で学んだ現場。
それらすべてが、自然と言葉になっていた。
◇
夕方。
試験終了。
帰宅した凪は、玄関でいつもの声を聞く。
「お帰りなさい。」
「ただいま。」
それだけで、不思議と肩の力が抜ける。
食卓には、温かな夕食が並んでいた。
「今日は。」
「お祝いではありませんよ。」
アマツが少しだけ笑う。
「試験は、まだ始まったばかりですから。」
「はい。」
凪も笑った。
「終わったら。」
「母さんの料理を、ゆっくり味わいます。」
「約束ですよ。」
「約束します。」
◇
夜。
凪が眠った後。
資料館の応接室。
アマツは静かに一冊の日記を開いていた。
最初のページ。
そこには、一年ほど前の日付。
«今日から半年だけ、この子と暮らします。»
ページをめくる。
凪が初めて笑った日。
料理を覚えた日。
教育隊へ通い始めた日。
実習へ送り出した日。
そして今日。
アマツは万年筆を取り、小さく書き加えた。
«明日から、この子は巣立ちの試験を受ける。»
書き終えると、そっと日記を閉じる。
窓の外には、十一月の夜空。
星々が静かに瞬いていた。
半年という時間は、決して長くはない。
けれど、その半年は、一人のアンドロイドを「凪」という一人の青年へ育てるには、十分すぎるほど温かな時間だった。
ーーー
第五十一話 立ち上がるために
十一月。
教育隊演習場。
午前九時。
卒業認定試験二日目。
実技試験。
格納庫には訓練用が静かに並んでいた。
白い装甲。
人工筋肉で構成された四肢。
二十年にわたり改修され続けた主力機。
試験官である教官が候補生たちを見回す。
「本日の課題は。」
「《神威》操縦総合評価。」
「離陸。」
「機動。」
「索敵。」
「目標救助。」
「帰投。」
「点数ではない。」
「総合的な判断を見る。」
「了解!」
候補生たちの返事が響く。
凪も静かに敬礼した。
◇
搭乗。
コックピットへ身体を預ける。
『生体認証確認。』
『脳波同期開始。』
『人工筋肉同期率、九七・九パーセント。』
『操縦系統正常。』
モニターが次々と点灯する。
凪は深く息を吸った。
その瞬間。
頭の中へ、一年前の光景がよみがえった。
◇
訓練開始直後。
初めて《神威》へ乗った日。
緊張から操作が遅れた。
右脚の着地が遅れ。
重心が崩れる。
巨大な機体がゆっくり傾き——
ドンッ!
演習場へ倒れ込んだ。
砂煙。
静まり返る教官たち。
凪はコックピットで動けなかった。
『……終了。』
その一言だけだった。
あの日。
実技評価は最低点。
教育隊へ残ることになった。
◇
「凪。」
通信が入る。
試験官だった。
「聞こえますか。」
「はい。」
「準備ができたら開始してください。」
「了解しました。」
凪はゆっくりと操縦桿へ手を添える。
「……大丈夫。」
誰へ言ったのか。
自分自身へだった。
◇
《神威》が立ち上がる。
以前のような焦りはない。
一歩。
また一歩。
人工筋肉が静かに駆動する。
教官たちは黙って見守っていた。
「姿勢制御。」
「良好。」
「歩行安定。」
「問題なし。」
◇
演習空域。
目標は倒木に見立てた大型コンテナ。
その下には救助用ビーコンが設置されている。
凪は機体を停止させた。
「周辺確認。」
「安全確保。」
ビーコン位置を確認。
巨大な腕でコンテナをゆっくり持ち上げる。
急がない。
力任せにも動かさない。
「救助完了。」
ビーコンが緑へ変わる。
教官が無線で呟いた。
「……上手くなったな。」
◇
帰投。
着陸。
最後の難関。
以前転倒した場所だった。
凪は一瞬だけ地面を見る。
そして。
ゆっくり脚を下ろす。
右。
左。
重心。
姿勢。
すべてを確認しながら。
《神威》は静かに膝をつき、停止した。
振動はほとんどない。
完璧とは言えない。
だが。
転ぶことはなかった。
◇
エンジン停止。
凪は静かにヘルメットを外す。
格納庫へ降り立つと、教官が近付いてきた。
「半年前。」
「ここで転んだな。」
「はい。」
「覚えています。」
教官は少しだけ笑った。
「私は。」
「転んだことは評価しない。」
凪は顔を上げる。
「立ち上がったか。」
「そこを見る。」
静かな言葉だった。
「今日のお前は。」
「ちゃんと立っていた。」
その一言だけで十分だった。
凪は深く敬礼する。
「ありがとうございます。」
◇
夕方。
資料館。
「ただいま帰りました。」
「お帰りなさい。」
アマツはいつものように迎えた。
「今日は。」
「実技でしたね。」
「はい。」
「どうでしたか。」
凪は少しだけ照れたように笑う。
「転びませんでした。」
アマツは一瞬きょとんとした後、小さく笑った。
「それは。」
「とても大切なことですね。」
「はい。」
「以前の私なら。」
「また転んでいたと思います。」
アマツは紅茶を二つ用意しながら言う。
「人は。」
「転ばないから成長するのではありません。」
「転んだ場所を覚えているから。」
「同じ場所で立ち止まらなくなるのです。」
凪はその言葉を胸の中で静かに繰り返した。
一年前。
転倒して終わった実技試験。
今日。
同じ場所で、最後まで立ち続けることができた。
卒業試験は、まだ終わっていない。
だが凪は、自分が確かに一年前とは違う場所まで歩いてきたことを、初めて実感していた。
ーーー
第五十二話 母のいる場所
十一月。
外縁独立機動部隊教育隊。
講堂。
卒業認定式。
壇上に立つ教育隊長が、静かに卒業者名簿を開く。
「卒業認定。」
「凪。」
「前へ。」
「はい。」
凪は一歩前へ進み、敬礼する。
隊長は卒業認定証を手渡した。
「筆記試験。」
「満点。」
「実技試験。」
「合格。」
「総合評価。」
「優。」
静かな拍手が講堂に広がる。
「本日をもって。」
「教育課程修了を認定する。」
凪は証書を胸の前で受け取り、深く頭を下げた。
「ありがとうございました。」
その声は、半年前より少しだけ力強かった。
◇
認定式が終わる。
同期たちは笑顔で写真を撮り合い、教官たちへ挨拶をしていた。
「凪!」
「おめでとう!」
「ありがとう。」
自然と笑顔になる。
その輪の中へ、教官が歩み寄ってきた。
「最初に《神威》を倒した時は。」
周囲が小さく笑う。
凪も照れくさそうに頭をかいた。
「……はい。」
「正直。」
「卒業は難しいと思っていた。」
教官は少し間を置く。
「だが。」
「お前は諦めなかった。」
「それが一番評価した点だ。」
凪は静かに敬礼した。
「ありがとうございます。」
◇
夕方。
資料館。
玄関を開ける。
「ただいま。」
「お帰りなさい。」
いつもと同じ声。
いつもと同じ笑顔。
アマツが迎えてくれる。
凪は卒業認定証を差し出した。
「卒業しました。」
アマツは両手で受け取り、一文字ずつゆっくり読んでいく。
そして、小さく微笑んだ。
「おめでとうございます。」
「凪さん。」
「ありがとうございます。」
二人は自然と笑い合った。
◇
夕食は、少しだけ豪華だった。
炊きたてのご飯。
魚料理。
季節の野菜。
そして、凪の好きなクリームシチュー。
「今日は。」
「卒業祝いです。」
「母さん。」
「覚えていてくださったんですね。」
「もちろんです。」
アマツは穏やかに頷く。
「今日という日は。」
「一度しかありませんから。」
◇
食後。
二人は縁側へ出た。
夜風は少し冷たい。
秋の星空が静かに広がっている。
しばらく無言だった。
やがてアマツが口を開く。
「凪さん。」
「はい。」
「教育隊は卒業しました。」
「これからは。」
「一人の隊員として歩んでいくことになります。」
「はい。」
「そうなると。」
アマツは少しだけ空を見上げる。
「今までのように。」
「毎日一緒に食事をしたり。」
「毎日送り迎えをしたり。」
「そういう時間は、少なくなります。」
凪は静かに聞いていた。
それは分かっていた。
配属されれば勤務時間も変わる。
任務も増える。
今までのような生活は続かない。
「……少し。」
凪が小さく笑う。
「寂しいですね。」
アマツも、同じように微笑んだ。
「ええ。」
「少しだけ。」
◇
静かな風が吹く。
庭の木々が小さく揺れた。
凪は星空を見上げる。
「母さん。」
「はい。」
「私は。」
「ここへ来て良かったです。」
「1年しか一緒に暮らしていません。」
「でも。」
「私にとっては。」
「初めて。」
「帰りたいと思える家でした。」
アマツは答えなかった。
代わりに、そっと凪の肩へ手を置く。
その手は、人間と変わらない温もりを持っていた。
「凪さん。」
「はい。」
「家というのは。」
「帰ってくる回数ではありません。」
「帰りたいと思える場所があることです。」
「ですから。」
「あなたが、どこへ配属されても。」
「どれほど忙しくなっても。」
「ここは。」
「あなたの家です。」
凪はゆっくりと頷いた。
「……はい。」
「母さん。」
◇
その夜。
凪が眠ったあと。
アマツは一人、資料館の展示室を歩いていた。
歴代隊員たちの写真が並ぶ廊下。
その中に、新しく一枚の写真が加えられている。
教育隊卒業記念。
少し照れたように笑う凪の姿。
アマツはその写真を見つめ、小さく微笑んだ。
「卒業。」
その言葉を静かに口にする。
「おめでとうございます。」
「凪さん。」
「これからは。」
「あなた自身の人生を歩いてください。」
展示室の灯りが静かに落ちる。
資料館は今日も変わらず、帰る人を待ち続ける。
それは百年前から変わらない。
そしてこれからも、変わることのない、アマツの願いだった。
ーーー
エピローグ 始まりの辞令
十一月。
外縁独立機動部隊教育隊。
卒業認定式から三日後。
朝。
柔らかな陽射しが、教育隊本部の窓から差し込んでいた。
凪は一枚の呼び出し通知を手に、本部廊下を歩いていた。
「配属辞令交付」
短く、それだけ書かれている。
扉の前で制服を整える。
深く一度息を吸った。
「失礼します。」
「入れ。」
教育隊長が静かに頷く。
机の上には、一通の封筒。
厚みのある、防衛軍本部の紋章が押された辞令だった。
「凪。」
「はい。」
「卒業、おめでとう。」
「ありがとうございます。」
隊長は辞令を手に取り、ゆっくりと読み上げる。
「辞令。」
部屋の空気が静まる。
「凪。」
「外縁独立機動部隊本部直属。」
「特務機動タスクフォース設立要員を命ずる。」
凪は一瞬、言葉を失った。
「……タスクフォース。」
「そうだ。」
隊長は穏やかに頷く。
「新設部隊だ。」
「まだ正式名称も決まっていない。」
「隊員も、お前を含め数名。」
「本部直属の独立運用部隊になる。」
凪は辞令を両手で受け取る。
紙の重さ以上に、その責任の重さを感じた。
「はい。」
静かな返事だった。
◇
教育隊を出る。
秋風が制服を揺らす。
半年以上通った訓練場。
転倒した演習場。
仲間と走ったグラウンド。
すべてが、少しだけ懐かしく見えた。
「卒業したんだな……。」
誰へ言うでもなく、小さく呟く。
◇
資料館。
玄関の扉を開ける。
「ただいま。」
「お帰りなさい。」
いつもの声。
いつもの笑顔。
アマツが出迎える。
凪は少し照れながら辞令を差し出した。
「配属先が決まりました。」
アマツは静かに封筒を開く。
一行ずつ目を通し、
やがて、とても優しく微笑んだ。
「そうですか。」
「本部直属なのですね。」
「はい。」
「正直、驚きました。」
アマツは辞令を丁寧に閉じる。
そして、どこか懐かしそうに窓の外を見つめた。
「実は。」
「私も最初の配属は、タスクフォースだったのですよ。」
凪が驚いて顔を上げる。
「母さんも?」
「ええ。」
「もっとも。」
少しだけ笑う。
「百年以上前のお話ですが。」
二人は思わず笑い合った。
◇
夕暮れ。
資料館の縁側。
紅茶と珈琲が湯気を立てている。
空は茜色から群青へ変わり始めていた。
「凪さん。」
「はい。」
「タスクフォースは。」
「簡単な部隊ではありません。」
「はい。」
「ですが。」
アマツは凪を見る。
「あなたなら。」
「きっと、大丈夫です。」
凪は静かに頷いた。
「母さん。」
「私は。」
「まだ未熟です。」
「これからも迷うと思います。」
「失敗もすると思います。」
「でも。」
「人を守ることだけは、忘れません。」
その言葉を聞き、アマツはゆっくりと目を閉じた。
「その言葉を聞けただけで。」
「私は安心しました。」
静かな沈黙。
波の音だけが聞こえる。
◇
夜。
凪は自室で荷物をまとめていた。
大きな荷物はない。
制服。
数冊の本。
写真立て。
そして、一枚の写真。
教育隊卒業の日。
アマツと並んで笑う二人。
凪はその写真を鞄へしまう。
「行ってきます。」
まだ誰もいない部屋へ、小さく呟いた。
◇
翌朝。
資料館の玄関。
荷物を肩に掛けた凪が立っている。
アマツはいつものように玄関まで見送った。
「それでは。」
「行ってきます。」
アマツは、いつもと変わらない優しい笑顔で頷く。
「はい。」
「いってらっしゃい。」
その一言だけだった。
凪は敬礼する。
そして、ゆっくりと歩き出した。
朝日が、その背中を照らしている。
もう、教育隊の候補生ではない。
一人の隊員として。
一人の人間として。
自分の足で未来へ歩いていく。
アマツは、その姿が見えなくなるまで静かに見送っていた。
そして、小さく微笑む。
「立派になりましたね。」
その言葉は、風に乗って誰にも届くことなく空へ溶けていった。
---
こうして、一人の青年は教育隊を卒業した。
生まれた時に与えられた識別番号ではなく、
アマツから贈られた名前とともに。
彼の物語は、ここで終わる。
そして同時に、
まだ誰も知らない新しい物語が、静かに始まろうとしていた。