【日常編 ―― L'Ordinaire:不染の禁忌(クリーン・ベール)と、魂を融かす謝辞――幸福の魔力(ショコラ)】

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/10/1 📚 シリーズ: 『 カフェ・ド・レクリプス 』(Café de l'Éclipse) 📝 1,966文字 ✅ 全年齢

あらすじ

<p> 深夜の地下工房。黒鉄のパイプが這う巨大な粉砕機『リカーミル』が、教会のパイプオルガンのように重低音を響かせていた。</p><p> 俺は完璧にアイロンのあてられた白シャツの袖を、黒いアームガーターでたくし上げ、ストイックな横顔を意識しながら魔鉱石の石臼を見つめる。 カカオ豆が潰され、生きた漆黒の絹のような液体が、ガーゴイルの彫刻が施された大理石の攪拌機(コンチェ)へと流れ落ちていく。</p><p> シャツの皺一つ、前髪の僅かな乱れすら、俺は自分に許さない。 二階のお仕事部屋にいらっしゃるあのお方が、いつ<strong>『硝子の魔導書』</strong>を開き、この工房へその気高きまなざし

本文

アルベリック

 深夜の地下工房。黒鉄のパイプが這う巨大な粉砕機『リカーミル』が、教会のパイプオルガンのように重低音を響かせていた。

 俺は完璧にアイロンのあてられた白シャツの袖を、黒いアームガーターでたくし上げ、ストイックな横顔を意識しながら魔鉱石の石臼を見つめる。 カカオ豆が潰され、生きた漆黒の絹のような液体が、ガーゴイルの彫刻が施された大理石の攪拌機(コンチェ)へと流れ落ちていく。

 シャツの皺一つ、前髪の僅かな乱れすら、俺は自分に許さない。 二階のお仕事部屋にいらっしゃるあのお方が、いつ『硝子の魔導書』を開き、この工房へその気高きまなざしを注がれるか分からないのだ。

 いつ、いかなる瞬間を切り取られても、オーナーの視界に映る俺は完璧に美しく、気高くあらねばならない。従者として身だしなみを完璧に調えておくことなど、あのお方を戴く者であれば誰だって当然の規律だ。

  「……温度、二十七・五度。人間の負の感情を揮発させ、幸福の術式を定着させる。オーナー、あなた様の設計(レシピ)は今夜も完璧だ。俺の『不染の術式(クリーン・ベール)』も、チリ一つの汚れすらカカオに許さない……」

 どれほど激しく漆黒の沼が跳ねようとも、俺のシャツは純白のままだ。黙々と闇を調教するその所作は、残酷なまでに美しくなければならない。

 あのお方が敷いた鉄壁の防衛規律【館内因果投影術式】は、俺たちの私生活の尊厳を完璧に守る代わりに、職務中の姿をリアルタイムに投影する。

 その調律のまなざしを俺に注いでいただける。 それこそが、俺にとって魂を滾らせる最高の忠誠の証だった。

 そのときだった。青白く明滅する硝子のページを介して、オーナーの声がダイレクトに俺の精神へと響き渡った。

  『アル、すごく格好いいよ。いつも素敵なショコラをありがとう。無理しないでね』

――刹那。 コンチェの重低音が、俺の思考ととも冷徹な錬金術師を自負する俺の黒曜石の瞳は、一瞬で丸く見開かれ、白い肌が耳の根元までカッと鮮やかな朱に染まっていくのが自分でも分かった。

 鉄壁のシステムが、今、俺だけの空間にオーナーの意識を接続したのだ。 あらかじめ完璧に調えていたはずの身だしなみが、すべて不意打ちの至福によって内側から掻き乱される。

 心臓が痛いほど跳ねた。大慌てでシャツの袖口を整え直そうとしたが、指先が言うことを聞かず、アームガーターの金具をカチカチと無様に震わせるのが関の山だった。

  「――っ! お、オーナー……っ!? あ、あなた様、今、俺の調合を……見て、おいでだったのですか……っ!? む、無理など滅相もないことです……! 俺のこの両腕も術式も、すべてはオーナーのために存在しているのですから……っ」

 普段のポーカーフェイスは完全に崩壊していた。 熱っぽい敬愛の光を瞳に宿しながら、天井の書斎の気配に向けて深く深く、最敬礼のお辞儀を捧げる。

 オーナーが授けてくれた極上の「光」に魂を震わせながら、狂おしいほどの鼓動を落ち着かせるように、そっと胸元に手を当てて深呼吸を繰り返した。

 だが、その至福の余韻は無遠慮に破られる。

 薄暗い階段の上から、何の足音も立てず、影のように滑り込んできた気配があった。 たっぷりとしたレースのヘッドドレスを揺らしたエレーヌが、トレイを胸に抱えたまま、霧がかった氷のような瞳で淡々と俺を見つめている。

  「……あらあら。地下室の温度が急に上がったと思えば。アル、ずいぶんと温かくて、甘苦い結晶(こころ)になっていますのね」

  「――っ、エレン!? お前、いつからそこに……っ!?」

 俺は大慌てで前髪の『銀の一粒石の髪留め』に触れ、いつもの冷徹な面を持ち直そうとした。 だが、完全に沸騰してしまった耳までは隠しきれない。

 オーナーに見られるためだけに完璧を保っていた身だしなみを、この女にだけは無様に崩されたことが、たまらない。

  「オーナーが硝子の魔導書を開き、あなたに極上の『光』を授けられた瞬間からですわ。……抜け駆けはいけませんって、あれほど忠告いたしましたのに。オーナーに見守られて、随分と可愛いお人形さんになってしまって。綺麗ですけれど、少し羨ましいですわ」

  「くっ……! うるさい、お前には関係のないことだ! 俺はただ、オーナーのご期待に完璧に応えるべく、職務を全うしているだけで――」

 必死に言い訳を紡ごうとした、その瞬間だった。

 俺の背筋に、おぞましい戦慄が走る。地上のカウンターの奥から、何やらどろりとした、嫉妬に狂う凄まじい「犬」の気配がダクトを通じて地下まで響き渡ってきた。俺の背筋に、おぞましい戦慄が走る。

【館内因果投影術式】

魔導書による全自動遮断(シャット&コールシステム)プライバシー保護。ただの監視カメラみたいなの。

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作者について

みまち

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紅茶、珈琲、レモンが好き。【私がニヤニヤする物を置いております】

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