フリーマーケット(四)
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
長編&連作 作品集
本文
フリーマーケット(四)
【あなたに、私から】
二人は、それからも何度もメモを交換するようになった。
最初は確認のための、いわば報告書のような内容だった。
「今日、市でこんな物を見つけました」
「そっちでは珍しいんですね。こっちだと当たり前で、逆に驚きました」
そんなやり取りが、少しずつ商売の話へと形を変えていく。
奇しくも二人とも、代々の商売屋の生まれ。だからこそ、話の通じる速度が尋常ではなかった。
売れそうな品。
珍しい意匠。
相手の世界では、思いがけない値がつく物。
まだ一度も直接顔を合わせたことはない。それなのに、二人はいつの間にか、共同経営者のような感覚で品物談義を交わすようになっていた。
やがて、メモの中身は商売の話だけにとどまらなくなる。
今日の天気。
食べた物の感想。
ちょっとした失敗談。
一人暮らしゆえの、たわいもない愚痴。
そうした何気ない言葉のやり取りを通して、少しずつ、お互いの人となりが見えてくる。
生真面目なようで、意外と抜けているところがある純。
冷静なようでいて、案外慌て者のミナ。
文字だけのやり取りだからこそ、かえって素直な部分が滲み出ていたのかもしれない。
そうして自然と、二人の間に、ただの転移仲間とは呼べない親しみが生まれていった。
ある日、純はこちらの世界で、ふと目を引く品を見つけた。
繊細な細工の施された、小さな装飾品。
商売の品として売っても、十分な値がつきそうだった。
純は、それを手に取ったまま、しばらく動けずにいた。
「これ……あの人に、渡したいな」
自分の世界では、ごく当たり前のもの。
しかしミナの世界でなら、きっと目を輝かせて喜ぶはずだった。
そう思うと、自然と頬が緩む純。
丁寧に紙で包み、リボンを掛けた。
メモも一枚、そっと添える。
「これはあなたに。私から」
ミナもまた、同じように、純への贈り物を用意していた。
商売品として選ぶ物とは、まるで違う基準で選んだ一品。
売るための物ではない。
ただ、相手に受け取ってほしいという気持ちだけで選んだ品だった。
こうして二人の関係は、商売相手から、もう一歩踏み込んだ特別な誰かへと、静かに姿を変えていく。
それでも、二人はまだ、お互いの本当の姿を知らないままだった。
鏡を見れば、映るのはいつも自分自身の意識が宿った身体。
こちらの世界にいる時は、純自身の姿。
向こうの世界にいる時は、ミナ自身の姿。
当然のことのようでいて、それが、二人がまだ相手の本当の顔を知らない理由でもあった。
ある夜、純はふと、ミナのことを考えていた。
メモの文字だけでは、もう物足りないと感じ始めている自分に気づく。
「会いたいな」
そうつぶやきながら、何気なく洗面所の鏡を覗き込んだ。
いつもと同じように、こちらの世界にいる自分の顔が映るはずだった。
けれど、そこに映っていたのは、向こうの世界で毎日見てきた、あの女性の顔だった。
「……え?」
思わず息を呑む純。
いつも向こうの鏡で見慣れていた顔が、今、こちらの鏡に映っている。
つまりこれは、自分の顔ではない。今、向こう側にいるミナ本人だ。
「もしかして……ミナさんですか?」
声に出してみるが、鏡の向こうには届かない。
唇の動きだけを見て、ミナが何かを言おうとしているのが分かる。
けれど、声はどうしても聞こえない。
それでも、純には分かった。目の前にいるのは、これまでメモを交わしてきた相手。
同じ頃、ミナもまた、同じ光景を目にしていた。
「純さんに、会いたいな」
そうつぶやきながら鏡を見た瞬間、映っていたのは、こちらの世界で見てきた、あの男性の顔だった。
戸惑いながらも、ミナはすぐに気づく。
これは自分の顔ではない。
「もしかして……純さん?」
言葉は届かない。
けれど、目と目が合った瞬間、確かに何かが通じ合った気がした。
純は、恐る恐る鏡の表面に手を伸ばしてみた。
ミナも、応えるように手を伸ばしている。
冷たいガラスの感触を覚悟していた。
けれど、指先に伝わってきたのは、確かな体温だった。
その瞬間、景色が大きく揺らぐ。
気づけば二人は、同じ場所に立っていた。
それぞれが本来の自分の身体と意識のまま、同じ空間に立っている。
しばらくの間、二人とも言葉が出てこなかった。
ずっとメモだけでやり取りしてきた相手。
二つの世界を行き来しながら、少しずつ距離を縮めてきた相手。
その人が今、初めて、声の届く場所にいる。
「……純さん?」
震える声で、先に口を開いたのはミナの方だった。
「はい。……ミナさん、ですよね」
やっと届いた、お互いの本当の声。
先に動いたのは、純の方だった。
震える手で、ゆっくりとミナの手を取る。
そのまま、引き寄せるように、そっと抱きしめた。
今まで鏡越しだった距離が、ようやくゼロになった瞬間だった。
「やっと、会えましたね」
耳元でつぶやく純の声に、ミナは小さくうなずく。
けれど、少し落ち着きを取り戻した頃、ミナがぽつりと口を開いた。
「これ……二人でずっとここにいられるのかな」
その一言で、純もはっと我に返る。
これまで確認してきた中では、それぞれが「帰りたい」と思って手を上げれば、あっさり自分の世界に戻ってしまう。
抱き合ったまま、二人は顔を見合わせた。
「少し、色々と試してみましょうか」
純がそう提案すると、ミナも真剣な顔でうなずいた。
二人にとっての一番大切な検証が、ここから始まろうとしていた。