1-28 それぞれの影【第一章 最終話】
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
魔王亡き世界で、再び魔の時代が動き出す。 魔王ゼルヴァディスが討たれてから、六百二十八年。 平和を取り戻したアストラリア大陸では、三つの主要勢力が微妙な均衡を保ちながら共存していた。 しかし、今なお人の立ち入れない旧魔王領では、魔物たちが静かに活動範囲を広げ始めていた。 各地では怪しい薬が出回り、魔王を崇める新興宗教も勢力を増していく。 そんな異変をまだ知らず、自由交易都市に暮らす青年レオン・ヴェスタは、見知らぬ世界を求めて旅立つ。 やがて彼は、森の外へ憧れる若きエルフの癒し手フィリアと、その護衛リュシアに出会う。 三人の小さな旅立ちは、やがて国家、宗教、人間、魔物――大陸に生きる者すべてを巻き込む事変へ繋がっていく。 善と悪の境界が揺らぐ世界で、彼らは何を知り、何を選ぶのか。 これは、魔王亡き世界で再び動き始めた、魔の時代を巡る物語。
本文
新暦628年4月11日。
アストラリア大陸には、三つの大きな勢力がある。
大陸中央に広がる最大国家、グランディア帝国。
古い歴史と王権を持つ、リュミエール王国。
海際に栄える商業都市、ヴェントゥス自由交易都市。
それぞれの国は、それぞれの顔を持つ。
剣と軍旗。
調停と伝統。
商いと情報。
その三つが支え合うことで、アストラリア大陸の平穏は、
かろうじて保たれている。
◇
グランディア帝国。
皇都市街地。
「陛下ー!」
「ヴァルデリオス様ー!」
「皇妃様ー!」
通りの両側から、いくつもの歓声が上がっていた。
石畳の大通りには、人々が集まっている。
人々の視線の先には、二人の人物がいた。
グランディア帝国皇帝、ヴァルデリオス・レグルス。
そして、その妻である皇妃リディア・レグルス。
ヴァルデリオスは、燃えるような赤髪と赤髭を持つ巨躯の男だった。
歩いているだけで、まるで戦場の旗が進んでいるかのような迫力がある。
その隣を歩くリディアは、柔らかな微笑みを浮かべていた。
若く美しい皇妃。
穏やかで、上品で、民に向ける眼差しは柔らかい。
しかし、その芯の強さを知る者は知っている。
帝国最強の皇帝を、たった一言で座らせることができる人物だ。
「はっはっは! 皆、今日も元気そうで何よりだ!」
ヴァルデリオスは豪快に笑い、手を振った。
市民たちからさらに歓声が上がる。
彼は時折、こうして帝国の街を歩く。
ただの視察ではない。
文官の報告書を読むだけでは分からないことがある。
会議室では聞こえない声がある。
兵士や貴族を通して届く民の言葉は、どうしても形を変える。
だから、ヴァルデリオスは自ら歩く。
帝国が本当に健やかかどうかは、玉座ではなく市井にこそ表れる。
そう考えているからだった。
「おう、そこの店主! 最近、物の値はどうだ!」
ヴァルデリオスが、果物を並べていた商人へ声をかける。
商人は慌てて背筋を伸ばした。
「は、はい! 少し北東方面の運送費が上がっておりますが、
今のところ大きな混乱はございません!」
「北東か」
ヴァルデリオスの目が、わずかに細まる。
「魔物被害の影響か?」
「おそらくは。護衛を増やす商隊が多いようで」
「そうか。分かった。無理な値上げをする者がいれば役所へ言え。
困窮者に食料が回らなくなるのは困る」
「は、はい!」
「商いも帝国を支える大事な仕事だ。励め!」
「ありがとうございます、陛下!」
商人が深く頭を下げる。
ヴァルデリオスは満足げに頷き、歩き出した。
リディアが隣で微笑む。
「陛下は、どなたにでもすぐ声をかけますね」
「はっはっは! 声をかけねば声は返ってこんからな!」
「それはそうですが、
果物屋さんが緊張して林檎を落としかけていましたよ」
「む。そうだったか」
「ええ」
リディアはくすりと笑った。
「ですが、皆さん嬉しそうでした」
「ならばよい」
ヴァルデリオスは豪快に笑い、再び民へ手を振った。
しばらく進んだところで、彼の足が止まった。
通りの一角。
広場へ続く小さな石段の前に、人だかりができていた。
壇のように使われている木箱の上に、黒を基調とした衣を
まとった男が立っている。
その周囲には、同じような服装の男女が数人。
男は、よく通る声で語っていた。
「人は、弱きままでは救われません。古き恐怖を恐怖のまま語る者たちは、
真実を見ようとしていないのです」
黒衣の男は、片手を胸に当てた。
「偉大なるゼルヴァディスは、ただの悪ではありません。力とは何か。
支配とは何か。人と魔を超えた王権とは何か。それを示した存在なのです」
人々の反応は分かれていた。
眉をひそめる者。
不気味そうに距離を取る者。
だが、中には熱心に耳を傾けている者もいる。
「……ノクティス教団か」
リディアも表情を静かに引き締める。
「先日の会議で報告に上がっていた教団ですね」
「ああ」
ヴァルデリオスは腕を組み、その演説を聞いた。
黒衣の男は、言葉巧みに語り続ける。
魔王を崇める。
そう聞けば、帝国の多くの者は拒絶するだろう。
だが、男の口調は露骨ではなかった。
既存の価値観への疑問。
弱者が力を得ることの正当性。
勝者が歴史を書くという話。
忘れられた者たちへの救い。
その言葉は、明確な反逆や暴力を煽るものではない。
だが、聞く者の心の隙間に入り込むような湿り気があった。
しばらく聞いたあと、ヴァルデリオスは小さく唸った。
「やはり、いまいち分からんな」
「陛下には、あまり合わなそうですね」
リディアが静かに言う。
「うむ。力が欲しいなら鍛えればよい。腹が減ったなら飯を食わせる
仕組みを作ればよい。怒りがあるなら、なぜ怒っているのかを聞けばよい」
ヴァルデリオスは壇上の男を見た。
「力そのものを拝んでも、腹は膨れんだろうに」
その言葉は豪快だが、軽んじているわけではなかった。
分からないからこそ、危うい。
そういう警戒も含まれている。
ヴァルデリオスは近くにいた兵士を手招きした。
「おい」
「はっ!」
見張りについていた兵士が、即座に駆け寄ってくる。
「陛下!」
「この者たちは、何か問題を起こしているか?」
兵士は一瞬だけ言葉を選んだ。
「はい。今のところ、特に問題は起こしておりません」
「ふむ」
「起こしてはおりませんが……」
兵士は壇上の教団員へ視線を向ける。
「やはり、私にはこの者たちの信仰はいまいち理解できかねます。
あの魔王を信仰するなどと……」
「うむ。そうだな」
ヴァルデリオスは深く頷いた。
「余も理解できるとは言いがたい」
兵士の顔に、少し安堵が浮かぶ。
だが、ヴァルデリオスは続けた。
「が、しかし、特に問題を起こしていない以上、無闇に叩くこともできん。
特に宗教がらみは面倒なことになりかねんからな」
「……そうですね」
兵士は苦い顔で頷いた。
「それでは陛下、私どもがきっちりと見張り、問題が起きないように
いたします!」
「おう!」
ヴァルデリオスは兵士の肩を大きな手で叩いた。
「任せたぞ!」
「はっ!」
兵士が敬礼する。
ヴァルデリオスは再び歩き始めた。
去り際、彼はもう一度、壇上のノクティス教団員を横目で見る。
男は、相変わらず穏やかな声で語っていた。
それがかえって、ヴァルデリオスには不気味に思えた。
隣を歩くリディアが、そっと声をかける。
「危うさを感じても咎められないのは、歯がゆいものですね」
「そうだな」
ヴァルデリオスは息を吐いた。
「まあ、仕方がなかろう。天下のグランディア帝国皇帝にも、
思い通りにならんことの一つや二つあるということだな」
「ふふ。そうですね」
リディアは穏やかに微笑む。
「とりあえず、兵士さんたちに任せましょうか」
「うむ」
ヴァルデリオスは頷いた。
だが、その目は先ほどまでより少しだけ鋭かった。
ノクティス教団。世間を騒がせる妙な噂たち。
「……嫌な風が吹き始めておるな」
ヴァルデリオスの呟きは、歓声に紛れて消えた。
◇
リュミエール王国。
王宮。
王都の中心に建つ王宮は、帝国の皇宮ほど威圧的ではない。
白い石材を基調とした優美な建物。
古い歴史を感じさせる尖塔。
庭園には季節の花が咲き、回廊には淡い光が差し込んでいる。
その一室。
女王エレノア・リュミエールは、執務机を挟んで宰相と向き合っていた。
エレノアは35歳。
落ち着いた美しさを持つ女性だった。
華やかすぎず、しかし目を引く気品がある。
その佇まいは柔らかいが、言葉を交わせばすぐに分かる。
この人は、流されない。
怒鳴らずとも、威圧せずとも、相手に軽んじられない。
それが、リュミエール王国女王エレノアだった。
「三国会議の準備は順調?」
エレノアが穏やかな声で尋ねる。
宰相は手元の書類を確認しながら頷いた。
「はい。レグルス皇帝、ルカ殿からも出席の返事をいただいております。
各国から寄せられている議題のまとめも、順調に進んでおります」
「そう。よかったわ。さすがね、宰相」
「恐れ入ります」
宰相は軽く頭を下げる。
エレノアは手元の茶器に触れた。
「それで、議題はまとめ中とのことだけれど、気になるものはある?」
「そうですな……」
宰相は少し考え込む。
「強いて挙げるなら、ノクティス教団という妙な教団の件。
それと、最近帝国の貧民街や農村で妙な薬が出回っている話でしょうか」
「妙な教団。妙な薬……ね」
エレノアは静かに目を伏せた。
「どちらも、放っておくには少し気になるわね」
「はい。教団については、信仰対象がどうにも……」
「王国にも女神教をはじめとして、いくつもの信仰があるわ。
信仰そのものを理由に排除するのは危険よ」
「もちろんです」
宰相は頷く。
「ですが、対象が対象です。民の不安を煽る可能性もあります」
「ええ」
エレノアは窓の外へ視線を向けた。
王宮の庭園では、庭師が花の手入れをしている。
その穏やかな光景を見ながら、彼女は小さく息を吐いた。
「皇帝なら力で押さえ込むことはできるでしょう。
でも……彼、宗教のことは大丈夫かしら?」
宰相の顔が、わずかに渋くなる。
「ううむ……もしかしたら、唯一の苦手分野かもしれませんな」
エレノアは少しだけ笑った。
「そうよね」
ヴァルデリオスは名君だ。
豪快で、民を愛し、国を守るためなら真っ先に血を流すことを厭わない。
統治者としても優れている。
だが、宗教的な機微や、信仰の言葉に絡む繊細な扱いに関しては、
どうしても彼の性質と相性が悪いところがある。
「今度会う時にでも、少し助言してあげようかしらね」
「それがよろしいかと。王国は宗教との繋がりが深い分、
そういったことで力になれるでしょう」
「ええ」
エレノアは頷く。
「それから、妙な薬ね」
「はい」
「それ、どうにか手に入れることはできないかしら?」
宰相が眉を上げる。
「薬を、ですか」
「王国で問題になる前に、こちらでも調べておきたいの。
噂だけで動くのは危ういけれど、実物から分かることもあるでしょう?」
「確かに、おっしゃる通りですな」
宰相は顎に手を当てた。
「帝国側の商人や、王国と帝国を行き来する行商人に探らせましょう。
危険物である可能性が高い以上、慎重に扱う必要はありますが」
「お願い」
「承知しました」
エレノアは少し考え、それから続けた。
「それと、手に入ったら、あの人にも声をかけておきましょうか」
「あの人……」
宰相は一瞬考え、すぐに察した。
「ああ、アルカナリア殿のことですな」
「ええ」
エレノアは微笑む。
「彼女なら、こういったものにも詳しそうでしょう?」
「確かに。あの方は魔法だけでなく、魔鉱石や瘴気、
古代魔法にも精通されております。何か分かるかもしれません」
「早めに実物が手に入ったら、三国会議より前に相談しに行きましょう」
「そうしましょう」
その後も、二人はいくつかの議題について話し合った。
話がひと段落すると、宰相は書類をまとめて立ち上がった。
「では、私はこれで」
「ええ。頼んだわ」
宰相が一礼し、部屋を出ていく。
その扉が閉まるのと、ほとんど入れ違いだった。
「お母様ー!」
明るい声と共に、扉が開いた。
入ってきたのは、エレノアの夫、クラウス・リュミエール。
そして、四人の子どもたちだった。
一番上の6歳の王子。
その妹である4歳の王女。
さらに3歳の幼い王子。
そして、1歳の末子はクラウスの腕に抱かれている。
クラウスは穏やかな顔立ちの男性だった。
王配としての品位を持ちながらも、どこか柔らかく家庭的な雰囲気がある。
彼は少し申し訳なさそうに微笑んだ。
「執務中にすまない。どうしても君に会いたいって、ごねるものでね」
「お母様に会いたかったの!」
4歳の王女が、エレノアの方へ駆け寄ろうとする。
一番上の王子が、その手を引いた。
「走ったらだめだって、父上が言ってたよ」
「でも、お母様だもん!」
「お母様でもだめだよ」
3歳の王子は二人の横をすり抜け、結局一番にエレノアの膝へ飛びついた。
「おかあさま!」
エレノアの表情が、女王のものから母のものへ変わる。
「いいわ。今ちょうど話を終えたところだし」
彼女は椅子から少し身を乗り出した。
「ほら、みんなおいで」
その一言で、上の二人も駆け寄った。
「お母様、今日のお勉強ね、褒められたの!」
「僕も剣の型、少しできた!」
「ぼく、お花みた!」
「あら、すごいわね」
エレノアは一人一人の話を、急かさず聞いた。
4歳の王女の髪を撫で、3歳の王子の頬に触れ、一番上の王子へ微笑む。
クラウスが抱いている1歳の末子も、母の顔を見て小さな手を伸ばした。
エレノアはその手にそっと指を触れさせる。
「あなたも来たかったの?」
末子が意味のない声を上げる。
クラウスが微笑んだ。
「どうだい? 三国会議は上手くいきそうかい?」
「ええ。まあ、心配事もあるけれど、今のところ大丈夫そうよ」
「そうか」
クラウスは少しだけ真剣な顔になる。
「体には気をつけて。君は平気な顔で、抱え込むところがあるから」
「それは、あなたもでしょう?」
「私は君ほど忙しくないさ」
「そうかしら」
エレノアが柔らかく笑う。
クラウスも笑い返した。
それから、子どもたちへ声をかける。
「ほら、まだお母さんは仕事中なんだ。行くよ」
「えー」
「もうちょっとだけ!」
「だめだよ。お母様を困らせたら」
一番上の王子が真面目に言う。
クラウスは感心したように頷いた。
「さすがお兄ちゃんだ」
「えへへ」
子どもたちは名残惜しそうにしながらも、クラウスに促されて扉へ向かう。
4歳の王女が振り返った。
「お母様、あとで一緒にお茶できる?」
「ええ。時間を作るわ」
「絶対よ!」
「約束するわ」
その言葉に、子どもたちは満足したように部屋を出ていった。
扉が閉まると、部屋に静けさが戻った。
エレノアはしばらく、扉の方を見つめていた。
その表情には、母としての柔らかな幸福が残っている。
だが、やがて彼女の視線は机の上の書類へ戻った。
穏やかな日常を守るために、向き合わなければならないものがある。
エレノアはそっと息を整え、再びペンを取った。
◇
ヴェントゥス自由交易都市。
大会議室。
「ふぅー……」
大きなため息が、広い会議室に響いた。
長机の上には、各商会から提出された資料が積まれている。
壁には海図、交易路図、魔鉱石流通表、関税の記録、
船団の出港予定などが貼られていた。
今日は、各分野の商会の長たちが集まる定例会の日である。
本来なら昨日、開催される予定だった。
だが、都市代表ルカ・フェルディオの都合により、一日ずれ込んでいた。
そして、その肝心のルカが開始時間ぎりぎりだというのに、まだ現れていなかった。
「遅いのう……」
議長が眉間に深い皺を寄せる。
白髪交じりの老商人。
長年、自由交易都市の商人たちをまとめてきた人物である。
その視線は、会議室の扉へ向いていた。
他の商会長たちは、どこか慣れた様子で待っている。
「まあまあ、議長殿。まだ時間前ですし」
「ルカ殿のことです。どうせ開始の鐘と同時に入ってきますよ」
「いや、鐘が鳴った直後に『いやあ間に合った』と言う方に銀貨一枚」
「私は鳴る寸前に滑り込む方に賭けますな」
「賭けるでない!」
議長が怒鳴る。
その瞬間、廊下の方から軽やかな足音が近づいてきた。
「やあやあ、ぎりぎりになってすまない!」
扉が開くと、明るい声と共にルカ・フェルディオが現れた。
二十代後半の青年。
整った顔立ちに、人懐っこい笑み。
高価ではあるが気取りすぎない上質な服をまとい、
肩には軽い外套をかけている。
まるで市場で顔馴染みに声をかけるような気軽さで、彼は片手を上げた。
「遅いぞ、馬鹿たれ!」
議長が机を叩く。
ルカは懐から懐中時計を取り出し、ひょいと見せた。
「いやいや、時間ぴったりだし、セーフセーフ。ははは」
「心構えの問題を言っとるんだ!」
「なるほど。心構えなら、僕はいつでも万全だよ」
「その態度のどこが万全だ!」
議長がさらに怒鳴る。
だが、会議室の空気は険悪ではなかった。
むしろ、どこか和やかですらある。
「まあまあ議長殿」
布商会の長が苦笑しながら仲裁に入る。
「ルカさんの言う通り、遅れてはいないのですし、そのくらいで」
「そうそう。今に始まったことではありませんし」
「むしろ今日は早い方では?」
「それは褒めているのか?」
ルカが笑う。
「褒めておりますとも、代表殿」
「全く……」
議長は頭を抱えた。
「皆が甘やかすから、こやつはいつまで経ってもこんな調子なのだ」
「いやあ、人徳だね」
「違うわ!」
議長の怒号に、会議室のあちこちから笑いが漏れた。
ルカはひらひらと手を振り、自分の席へ腰を下ろす。
「それじゃあ、始めようか。今日も議題は山盛りだろう?」
「誰のせいで開始が遅れかけたと……ええい、もういい」
議長の一声で、会議が始まった。
議題は多かった。
港湾使用料の改定。
南方航路の海賊被害。
王国向けの小麦輸送量。
帝国方面への金属製品の輸出。
冒険者ギルドとの護衛契約。
魔鉱石の価格変動。
異大陸船の入港管理。
商会長たちは、それぞれの立場から意見を述べる。
利害がぶつかる場面もあった。
声が少し強くなる場面もあった。
だが、そのたびにルカが口を挟んだ。
「それなら、港湾使用料を一律に上げるんじゃなくて、
船の積載量で段階を分けた方がいいね。
小型船まで締め付けると、市場の細かい流れが鈍るよ」
「南方航路の護衛費は、単独で負担するより共同出資にした方がいい。
海賊はどの商会の商品かなんて気にしないからね」
「帝国向けの鉄材は、少し納期に余裕を持たせよう。
最近、北東方面が少しきな臭い。急ぎすぎると護衛費の方が高くつく」
「王国向けの小麦は、質を落とさない方がいい。
王国は信用を重んじるから、短期の利益で長期の取引を壊すのは損だよ」
商会長たちは皆、真剣に耳を傾ける。
ルカはこの場では圧倒的に若い。
それでも、彼を侮る者はいない。
議題があらかた片付いた頃、議長が資料の束から一枚を取り出した。
「最後の議題だ」
ルカは椅子に背を預けたまま、首を傾げる。
「おや。まだあるのかい?」
「これはルカに対してだな」
「おお、僕にか。なんでもどうぞ」
議長は資料に目を落とす。
「ここ最近、汚染魔鉱石の流通量が増えているらしい。
しかも、封印処理の甘いものが多いそうだ」
会議室の空気が、少し変わった。
汚染魔鉱石。
それは、自由交易都市にとっても無視できない言葉だった。
魔鉱石は生活と産業の要である。
だが、汚染されたものは危険だ。
扱いを誤れば、人も、物も、街も害する。
ルカは軽く頷いた。
「ああ、そのことか」
議長が目を細める。
「知っておったのか」
「もちろん。耳には入れているよ。
というより、最近ベルナード商会のガレス殿とも話した」
「そうか。それで、この件に関してお前はどう見ている?」
ルカは指先で机をとん、と叩いた。
「そうだね……この件、どこかの業者が汚染魔鉱石採掘に新規参入した、
という線は薄いと思ってる」
「ほう」
議長が身を乗り出す。
「では、誰がこんな甘い仕事をしていると思う」
「ううん……」
ルカは少しだけ視線を上げた。
「思うんだけど、これは本当に仕事でやっているのかな?」
会議室に、小さなざわめきが起こる。
議長は眉をひそめた。
「は? 何を言っている? 金目的でもないのに、誰が汚染魔鉱石など
という危険なものに手をつけるのだ」
「いやいや、考えてもみてよ」
ルカは軽く両手を広げる。
「汚染魔鉱石で商売をしようって人たちが、封印処理を甘くするかな?
封印処理を甘くしたら、危険が及ぶのは自分たちも例外じゃないでしょ?」
「それはそうだ」
議長は頷く。
「だが、ルカよ。ガレスと話をしたのなら分かっているだろうが、
流通量の多くなった汚染魔鉱石は、それほど汚染度が高くないものだ。
故に仕入れをした者も許容範囲として仕入れたし、封印を施した側も
それなりの処理で済ませた、という線はあるのではないか?」
「そう」
ルカは指を鳴らした。
「それだよ。それが、とても妙なんだ」
「妙?」
「件の汚染魔鉱石を見せてもらったんだけどね。加工痕があったんだよ」
その言葉に、何人かの商会長が顔を上げた。
議長の表情も変わる。
「加工痕だと?」
「うん。つまり、何らかの処理をした後の汚染魔鉱石を流しているん
じゃないかってことさ」
「……確かに、それは妙な話だな」
議長は腕を組んだ。
「自ら汚染魔鉱石を除染、あるいは加工できる技術を持っていながら、
わざわざ市場に流しているということか?
高純度魔鉱石として売った方が、ずっと高くなるだろうに」
「そうだろう?」
ルカは笑みを浮かべた。
だが、その目は笑っていない。
「だから、僕が立てた仮説はこうだ」
会議室の全員が、ルカを見る。
「最近、汚染魔鉱石を流している者たちは、汚染魔鉱石の瘴気を
何かに利用している。
そして、いくらか利用した後、それを売り飛ばして資金源にもしている」
一瞬の沈黙。
その後、議長が笑った。
「ははは! なんだそれは。いくらなんでも飛躍しすぎだろう!」
何人かの商会長も困惑したように顔を見合わせる。
議長は続けた。
「だいたい、瘴気を利用するとは何だ? あんなもの、何に使うのだ」
「それはさ」
ルカは、机の上で指を組んだ。
「最近にわかに流行っている、怪しい薬ってやつが匂うなって、
僕は思っているよ」
会議室から笑いが消えた。
「怪しい薬……」
議長の顔が険しくなる。
「ああ、商人の間で噂になっているやつか」
「そう。それさ」
「まさか、手に入れたのか?」
「実はね、手に入れたんだよね」
ルカはあっさりと言った。
「なに!?」
議長が机を叩く。
「そんなものをいつ!」
「噂が出てすぐさ」
ルカは得意げに笑う。
「商人たるもの、情報の鮮度は命だからね」
「いやあ、さすがの情報網ですな」
どこかの商会長が感心したように言う。
ルカは胸を張った。
「だろう?」
「待て待て!」
議長が割って入る。
「それで、なぜその薬が瘴気と関係していると言えるんだ?」
「ああ」
ルカは笑みを少しだけ薄めた。
「その薬にね、僕が持ってる汚染魔鉱石の計測器が反応したんだよ」
会議室が再びざわめく。
「計測器が?」
「うん。で、まあ、その薬を色々と手を尽くして調べてみたんだけど、
それ以上のことは分からなかった」
ルカは肩をすくめる。
「その薬を試したらどうなるのか、気にはなったけどね」
議長の顔が引きつる。
「まさか、試してはおらんだろうな」
「さすがに試さないよ。瘴気を使ったものなんて、口にしたくないしね」
「当然だ!」
議長が怒鳴る。
「お前は時々、好奇心で危ない橋を渡りすぎる!」
「ははは。そこは僕も同意するよ」
「笑いごとではない!」
そのやり取りに、少しだけ場の緊張が緩む。
議長は腕を組み、深く唸った。
「そういうことなら、お前の仮説にも一理あると言わざるを得ないな」
「だろう?」
「仮に、お前の仮説が正しかったとする」
議長の声が低くなる。
「かなりまずいのではないか?
そんな危険な薬を扱っている者の魔鉱石など仕入れていては、
そいつらの懐が潤ってしまうだろう」
「その通りだね」
ルカは頷く。
「とはいえ、具体的な仕入れルートもまだ見えていない。
すぐに止めることはできなさそうだ」
「むう……」
「だから、このことは今度の三国会議にも議題として挙げるつもりだよ。
各国にも警鐘を鳴らさないといけないしね」
議長は重々しく頷いた。
「その通りだな」
それから、ふと思い出したように言う。
「そういえば、今度アルヴァン様がここを訪ねてくるのだろう?」
「うん。そう聞いているよ」
「ならば、一足先に連携できそうだな」
「そうだね」
ルカは笑った。
「それについては、いいタイミングだと思っているよ」
表情は軽い。
だが、胸の奥では別のことを考えていた。
――本当に、いいタイミングだ。
偶然にしては、少し出来すぎている。
まるで、何かに導かれているようにさえ思える。
ルカは、会議室の窓の向こうへ視線を向けた。
港には、いくつもの帆船が並んでいる。
海鳥が飛び、荷馬車が行き交い、商人たちの声が遠くから聞こえる。
ヴェントゥス自由交易都市は、今日も活気に満ちていた。
金、人、情報。それぞれが絶え間なく動く。
その流れの中に、何か得体の知れないものが紛れ込んでいる。
笑みは消さない。
けれど、その目は、すでに次の一手を探していた。
作品統計
📚 本を探すなら「よみどき」(あいぺんが運営する本の発見サイト)
130万冊を超えるコミック・小説・書籍の順位と値段を毎日みて、いま読むものを決められます。