2-1 王国への道
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あらすじ
魔王亡き世界で、再び魔の時代が動き出す。 魔王ゼルヴァディスが討たれてから、六百二十八年。 平和を取り戻したアストラリア大陸では、三つの主要勢力が微妙な均衡を保ちながら共存していた。 しかし、今なお人の立ち入れない旧魔王領では、魔物たちが静かに活動範囲を広げ始めていた。 各地では怪しい薬が出回り、魔王を崇める新興宗教も勢力を増していく。 そんな異変をまだ知らず、自由交易都市に暮らす青年レオン・ヴェスタは、見知らぬ世界を求めて旅立つ。 やがて彼は、森の外へ憧れる若きエルフの癒し手フィリアと、その護衛リュシアに出会う。 三人の小さな旅立ちは、やがて国家、宗教、人間、魔物――大陸に生きる者すべてを巻き込む事変へ繋がっていく。 善と悪の境界が揺らぐ世界で、彼らは何を知り、何を選ぶのか。 これは、魔王亡き世界で再び動き始めた、魔の時代を巡る物語。
本文
新暦628年、4月11日。
朝。
エルフの里を離れてから、一夜が明けていた。
森はまだ深い。
頭上では枝葉が幾重にも重なり、朝の光を細かく砕いている。
その光は道の上に淡い斑模様を落とし、足元の草をきらきらと
濡らしていた。
レオンは、背負った荷を軽く直しながら、前を行く二人の
エルフを見ていた。
淡金色の髪を揺らしながら、フィリアが楽しそうに歩いている。
その隣では、リュシアが周囲へ視線を配りながら、静かな足取りで
進んでいた。
エルフの里を旅立ったのが昨日の朝。
そのまま森道を進み、昨夜は三人で初めての野営をした。
初めての、といっても、レオンにとって野営自体は珍しくない。
ヴェントゥスを出てからも何度か一人で野営している。
だが、三人で火を囲む夜は、一人のそれとはまるで違っていた。
「野営、面白かったね、リュシア!」
フィリアが唐突に振り返り、目を輝かせて言った。
リュシアは少しだけ瞬きをし、それから淡々と答える。
「まぁ、新鮮ではありましたが、面白くはなかったですね」
「なんでよ!」
フィリアが頬を膨らませる。
「焚火を囲んでお話したりとか、テントの中で寝るのとか、
楽しかったでしょ!」
「いえ。やはり外で無防備な姿を晒すというのは落ち着きません。
どこに敵がいるか分かりませんし、あまり気を抜けませんから」
「も〜、リュシアは心配性だな〜」
フィリアは両手を腰に当て、少し偉そうに胸を張った。
「夜は私が張った結界があるし、そんな簡単には破られないよ。
もし破られても、リュシアならなんとかできるでしょ?」
「それでも心配です」
リュシアは即答した。
「もしかしたら、世の中には結界をすり抜ける者もいるかもしれませんし」
「そんなの考え出したらきりがないよ〜」
「危険とは、そういうものです。
考え出したらきりがないからこそ、先に考えておくのです」
「むぅ……」
フィリアは不満そうに唇を尖らせた。
そのやり取りを横目に、レオンは昨夜の野営を思い出していた。
フィリアが張った結界。
あれは、魔法に詳しくないレオンでも分かるほど強固なものだった。
淡い緑と白の光が夜の森に広がり、三人の野営地を包み込む。
光は薄い膜のようでありながら、近づくだけで柔らかな圧を感じた。
魔物除け、気配遮断、外部からの侵入防止。
詳しい仕組みまでは分からないが、少なくともレオンが何時間かけても
破れないであろうことだけは分かった。
それをフィリアは、特に苦労した様子もなく、ぽん、と出してしまった。
里での事件の時に見せた回復魔法もそうだったが、やはりフィリアは
回復や浄化、結界といった魔法に秀でている。
それも、ただ得意という程度ではない。
常識の外にあるほどに。
そう考えれば、確かにリュシアの心配は杞憂にも思える。
だが、だからといって油断していいわけではない。
里での事件を思い返せば、フィリアの力がどれほど強くても、
その力を発揮する前に狙われる可能性はある。
「リュシアさんの心配も分かります」
レオンが口を開くと、二人がこちらを見た。
「そしたらどうでしょう? 野営の際は、
俺とリュシアさんで交代しながら休みませんか?」
リュシアは少し考えるように目を伏せた。
「そうですね……」
それから、ちらりとレオンに視線を向ける。
その目は、彼の力量と人柄をもう一度測るようでもあり、
旅の仲間としてどこまで任せられるかを確認するようでもあった。
レオンは、視線の意味を掴みかねて、少しだけ背筋を伸ばした。
数秒後、リュシアは静かに頷いた。
「そうしましょうか。フィリア様の結界があるとはいえ、
見張りを置くに越したことはありません」
「それじゃあ、そうしましょう」
レオンが頷く。
するとフィリアが、自分を指差した。
「私はいいの?」
「フィリア様には任せられないので、いいです。寝ていてください」
「酷い!」
フィリアが叫んだ。
「私だって見張りくらいできるもん!」
「昨夜、焚火の前で一番最初に眠りかけていたのはどなたですか」
「それは……焚火がぽかぽかしていたからで……」
「しかも、寝言で『焼き鳥もう一本』と仰っていました」
「い、言ってない……と思う……」
「言っていましたよ」
どんどん自信がなくなっていくフィリア。
リュシアは涼しい顔のまま、淡々と歩いていく。
その微笑ましいやり取りを見て、レオンは思わず笑った。
エルフの里で起きた事件は、決して軽いものではなかった。
その重さは、今も胸の奥に残っている。
それでも、こうして三人で歩いていると、不思議と空気は明るかった。
「そういえば、さっきのフィリアさんじゃないですけど」
レオンは少し照れくさそうに言った。
「俺も、皆さんとの野営は楽しかったですよ。
一人の時は、夜空を見上げるくらいしかやることがありませんでしたから」
「だよねだよね!」
フィリアがぱっと顔を輝かせる。
「楽しかったよね!
そういえば、レオンが作ってくれた夕飯も美味しかったよ!
なんていうんだっけ、あれ。え〜と、ヤキトリだっけ?」
「ああ、焼き鳥ですね」
レオンは笑って頷いた。
「あれは、倭国っていう、アストラリア大陸とは別の大陸にある国から
伝わってきた料理なんですよ。
まぁ、料理と言っても、鶏肉を串に刺して焼くだけなんですけど」
「そうでしょうか」
リュシアが意外にも口を挟んだ。
「確かに見た目は単純なものでしたが、焼き加減や、何といっても
あの味付けが素晴らしかったと思いますよ」
レオンは少し驚いてリュシアを見た。
リュシアが料理を褒めるとは思っていなかった。
いや、彼女は礼儀正しいので、感想を求めればきちんと答えてくれただろう。
だが、今の言葉にはお世辞というより、
素直な評価が混じっているように感じた。
「そう言ってもらえると作った甲斐があります。
また、いい鶏肉が手に入ったら作りますよ」
「やった〜!」
フィリアはその場で軽く跳ねた。
その拍子に、茶色の外套の裾がふわりと揺れる。
旅立ちの朝、リュシアがほとんど押しつけるように着せた地味な外套だった。
フィリアは最初こそ不満そうだったが、今はすっかり旅装の一部として
受け入れているらしい。
ただし、フードはまだ被っていない。
人目が少ない場所では、リュシアもそこまで厳しく言っていなかった。
「そういえば」
フィリアが何かを思い出したように、レオンを見た。
「気になってたんだけど、レオン、私たちに敬語なんて使わなくていいよ。
もう旅の仲間でしょ〜?」
「ああ……」
レオンは少し困ったように頬をかいた。
正直なところ、最初から距離感には迷っていた。
フィリアは長老の孫娘であり、里の者たちから様付けされる立場だ。
リュシアもまた、丁寧で隙のない雰囲気をまとっている。
それに二人はエルフで、見た目は若くても実年齢はレオンよりずっと上だ。
自然と敬語になっていた。
リュシアも静かに頷く。
「そうですね。私たちは年齢こそかなり離れていますが、
それは種族間の差でしかありませんし」
「リュシア……」
フィリアが嬉しそうに頷く。
「特にこのお嬢様の精神年齢は、子供の時から変わっていませんし」
「そうそう……って、今さらっと酷いこと言った!」
「事実です」
「むき〜〜〜!」
フィリアがリュシアに抗議するが、リュシアはまるで気にした様子がない。
レオンはその光景に、また笑ってしまった。
この二人の関係は、主従という言葉だけではとても収まらない。
幼馴染で、親友で、家族のようでもある。
フィリアが無邪気に飛び出し、リュシアがそれを捕まえる。
きっと、里にいた頃からずっとこうだったのだろう。
「ははは。それじゃあ、そうさせてもらいます」
レオンは一度そう言ってから、少し言い直した。
「いや、そうさせてもらおうかな」
そして、二人を見た。
「じゃあ、改めてよろしく。フィリア、リュシア」
フィリアの顔がぱっと明るくなる。
「よろしく〜!」
リュシアは小さく頭を下げた。
「よろしくお願いします、レオン」
その言い方はいつも通り丁寧だったが、少しだけ距離が
近くなったように聞こえた。
レオンは胸の奥が少し温かくなるのを感じた。
旅の仲間。
昨日までは、まだどこか不思議な響きだった。
だが今、こうして名前を呼び合うと、その言葉が少し現実味を帯びてくる。
フィリアがふと前方の道を見た。
「そういえば、今日はどこまで目指すんだっけ?」
「今日は、道中の宿場町まで辿り着きたいね。
多分、夕方までには着くと思うよ」
「お〜、宿場町!」
フィリアの目がまた輝く。
「早く見てみた〜い!」
「フィリア様」
リュシアの声が、少し低くなった。
フィリアの肩がぴくりと跳ねる。
「宿場町に着いたら、フードを被ってくださいね」
「う〜〜、どうしても?」
「どうしてもです」
「少しだけなら……」
「駄目です」
「宿場町を見る時だけ……」
「駄目です」
「リュシアぁ……」
リュシアは足を止め、静かにフィリアを見た。
「もし被らなかったら、里に帰ります」
「え!?」
フィリアの顔から血の気が引いた。
「分かった分かった! 絶対被るから! ちゃんと被るから!」
「そうしてください」
「うぅ……外の世界って、思ってたより厳しい……」
「まだ宿場町にも着いていませんよ」
「着く前から厳しい……」
フィリアはしょんぼりと肩を落とした。
だが、その落ち込みも長くは続かない。
数歩歩くと、すぐにまた顔を上げ、
木々の向こうに見える空を眺めている。
初めて見る里の外の道。
初めて向かう人間の宿場町。
初めての旅。
不安もあるはずだった。
里での事件を思えば、外の世界がただ綺麗なだけではないことも、
もう知っている。
それでも、フィリアの瞳から輝きは消えていなかった。
レオンはその横顔を見て、少しだけ安心した。
そして同時に、胸元の封書の重みを思い出す。
リュミエール王国女王エレノア宛ての封書。
グランディア帝国皇帝ヴァルデリオス宛ての封書。
自分たちは、ただ旅をしているだけではない。
エルフの里で起きたことを伝えなければならない。
妙な薬とノクティス教団の危険性を届けなければならない。
けれど今だけは、この明るい旅路を大切にしてもいいのかもしれない。
「レオン、宿場町ってどんなところ?」
「場所によるけど、旅人向けの宿と食堂があって、
馬車の停留所があって、商人や冒険者が集まってる感じかな」
「食堂!」
フィリアが食いついた。
「美味しいものある?」
「あると思うよ」
「やった〜!」
「ただし、食べ歩き中もフードは被ってください」
「リュシア、今その話してなかったのに!」
「大事なことなので」
「むき〜!」
レオンは二人のやり取りを眺めながら、苦笑した。
朝の森道に、三人分の声が重なる。
柔らかな風が吹き、枝葉が揺れ、遠くで鳥が鳴いた。
エルフの里を離れた旅は、まだ始まったばかりだった。
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