第8話 この町の時間

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/10/18 📚 シリーズ: 人形芝居のある町で 📝 1,586文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

高校生の陽崎友奈は、群馬で育ちながら、この土地をずっと「何もない場所」だと思っていた。部活にも打ち込めず、学校でもどこか周囲に合わせてばかりで、何かを好きになるきっかけを見失ったまま日々を過ごしている。そんなある日、街で偶然目にした人形芝居に、幼い頃の記憶がかすかによみがえる。懐かしさに引かれるように足を踏み入れた保存会には、年配の人たちが当たり前のように人形を直し、道具を整え、次の舞台のために黙々と手を動かしていた。何もできず失敗ばかりの友奈だったが、華やかな本番の裏にある地道な積み重ねに触れるうち、自分の中に眠っていた好奇心が少しずつ息を吹き返していく。うまくやることより、続けること。誰かの真似ではなく、自分なりのやり方で場を支えること。人形芝居と出会い直した少女が、居場所を見つけ、何もないと思っていた故郷と自分自身を静かに好きになっていく青春文学。

本文

「友奈、こっち」

桐生澄香(67)の声は、いつもより少しだけ低かった。

陽崎友奈(16)は、舞台の袖で息を吸う。朝からずっと、胸の奥が落ち着かない。手のひらは汗ばんでいるのに、指先だけは妙に冷たかった。

布の匂い。木の匂い。薄く張った空気。

「……はい」

返事をした瞬間、喉が少しだけ震えた。

澄香が差し出したのは、友奈がずっと避けてきた役目だった。

「ここ、お願いできる?」

友奈は、目を見開く。

「……私が、ですか」

「うん。今の友奈ならできる」

簡単に言われた気がして、でも、軽くはなかった。

友奈は一度だけ唇を引き結ぶ。逃げたい気持ちは、今もある。間違えたくない。止めたくない。迷惑をかけたくない。

でも、ここで引いたら、たぶんもう次はない。

「……やります」

声は小さかったけれど、自分で思っていたよりまっすぐ出た。

北条兼信(72)が横で短くうなずく。

「いい。見て、合わせろ。焦るな」

青木海斗(25)は、友奈の手元を一度見てから、何も言わずに次の動きへ移った。

友奈は、舞台の向こうを見つめる。客席のざわめきが、幕越しにかすかに伝わってくる。いつもならその音だけで縮こまっていたのに、今日は違った。

自分がやることは、派手じゃない。

でも、誰かが動きやすいように支えることならできる。

友奈は、澄香に教わった手つきで道具を整え、舞台の流れを見ながら身を動かす。少し遅れる。少しずれる。それでも、止まらない。

「友奈、そのまま」

澄香の声が飛ぶ。

友奈は、反射で肩をすくめかけて、それでも踏みとどまる。

呼吸を整えて、次の動きに手を伸ばす。

手の中の感触は、まだ完全には馴染んでいない。けれど、今の自分の力で届く範囲が、前より少し広がっている気がした。

袖の隙間から、客席をちらりと見る。

その端に、相沢結衣(16)の顔があった。

結衣は、まばたきも忘れたみたいに友奈を見ていた。さっきまでの、いつもの軽い調子はない。口が少し開いたまま、言葉が出てこない顔をしている。

友奈は、一瞬だけ目を見開く。

来てくれたんだ。

その事実が、胸の奥を静かに熱くした。

でも、今は手を止められない。

友奈は視線を戻して、舞台の流れに集中する。

失敗しそうになるたび、北条の「焦るな」が頭の中で響く。澄香の「できる、じゃなくて、やってみる」が、少し遅れて追いかけてくる。

足元の板が、わずかにきしむ。

風が、袖の端をかすかに揺らす。

友奈は、置かれた役目をひとつずつこなしていく。完璧ではない。けれど、今の自分でやれることは、たしかにある。

最後の動きが終わるまで、息を抜かない。

人形が静かに収まり、舞台の空気が少しゆるむ。

友奈は、その瞬間になってようやく、肩に入っていた力に気づいた。

「……終わった」

小さく漏れた声は、自分のものなのに、少し遠かった。

幕の向こうで、拍手が起きる。

大きな歓声じゃない。それでも、胸にしみる音だった。

友奈は、そっと立ち尽くしたまま、息を吐く。

何もないと思っていた。

ただ通って、ただ過ぎていく場所だと思っていた。

けれど違った。

誰かが続けてきた手の先に、自分がいた。

この土地で育ったことも、ここにいることも、もう「たまたま」ではない気がした。

友奈は、ゆっくりと顔を上げる。

客席の隅で、結衣が目を赤くしたまま、ぎゅっと拳を握っていた。

「……友奈」

聞こえないくらい小さな声。

でも、その顔はたしかに応援していた。

舞台の脇で、澄香が友奈を見る。

何も言わない。

ただ、ほんの少しだけうなずく。

その一動作が、友奈の胸に深く残った。

友奈は、そっと手を握りしめる。

うまくやれたとは言えない。

実力差も、まだある。

それでも、自分のやり方で最後まで届いた。

この土地で生まれた意味を、今日はまだ全部言葉にできない。

でも、ここで過ごす時間なら、選べる気がした。

初夏の終わりの光が、舞台の端を白く照らしていた。

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作者について

津組セナ

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