第8話 火のあと
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
イベント当日、実麗は歪みのある茶碗を出品する。完璧ではないが、自分で休み、自分で戻り、自分で出すと決めた器だった。会場では保存会が地域の技を継ぐために続いてきたこと、高齢化と後継者不足の中で夜の二時間が新しい居場所にもなることが伝わる。手放したくない器ほど使うほど育つという噂がある。実麗は続けるを命令ではなく意思として受け取り直す。帰り道、紬が来年は同世代にも声をかけようと言い、実麗は静かにうなずく。
本文
「これ、出します」
実麗は、両手で茶碗を持ったまま言った。
声は大きくない。
けれど、最後まで揺れなかった。
倉橋清太郎が、その器を受け取る。
灯りの下で、そっと回す。
口縁の片側が、ほんの少しだけ寄っている。
「うん」
倉橋はうなずいた。
「いいね」
文江も横からのぞきこんで、目を細める。
「この歪み、私は好きよ」
実麗は、少しだけまばたきをした。
好き。
その言葉が、胸の奥に静かに落ちる。
「完璧じゃないです」
ぽつりとこぼすと、紬がすぐ横で言った。
「だからいいんじゃん」
実麗は顔を上げる。
紬は肩をすくめて、でも笑っていた。
「蘭が休んで、戻って、出すって決めたやつなんでしょ」
その言い方に、実麗の指先がわずかに熱くなる。
「……うん」
「じゃあ、それでいい」
紬は値札の横の札をまっすぐに直した。
保存会の名前。
作品名。
出品者名。
実麗は自分の名前を見た。
そこにある。
誰かに書かされた名前じゃない。
自分で出すと決めた器の横に、自分の名前がある。
会場には、朝の光がまだ薄く残っていた。
長机に白い布。
並ぶ器。
案内板。
地域の人の話し声。
上履きのこすれる音。
出入口のたびに、外の風が少し入る。
紬がチラシを手にして、来た人へ渡していく。
「こんばんは。地域イベントです」
「こちら、陶芸保存会の展示です」
「見ていってください」
最初は少しだけ硬かった声が、何人かに渡すうちにやわらかくなる。
文江がその横で、「上手になったねえ」と笑う。
紬は「広報なめないで」と返して、また一枚差し出した。
倉橋は、立ち止まった人に器を示す。
「昔からこのあたりで続いてきた焼きものなんです」
「細いですが、まだ火はつないでいて」
「ただ、会もみんな年を取りましてねえ」
見ていた年配の男の人が、「そうだよなあ」とうなずく。
倉橋は苦笑する。
「若い人が少なくて」
その言葉に、実麗の目が自然と保存会のみんなへ向く。
しわのある手。
節の太い指。
持ち上げる器の重さを知っている手。
文江が続けた。
「だから夜の二時間だけでも開けてるの」
「働いてる人も、学校帰りの子も来やすいようにねえ」
「夜に?」
足を止めた人が、少し意外そうな顔をする。
「十九時から二十一時です」
紬がすっと口をはさむ。
手元の案内を見せる。
「見学だけでも大丈夫みたいです」
「休んでも平気?」
別の人が半分冗談みたいに聞くと、倉橋が笑った。
「そこは大事です。平気です」
そのやりとりに、小さな笑いが起きる。
実麗はその声を聞きながら、自分の肩がこわばっていないことに気づく。
会場の灯りが、器の焼き色をそれぞれ違って見せる。
薄い茶。
深い飴色。
灰の影。
自分の茶碗は、その中で少しだけ口をゆがめたまま、静かに置かれていた。
文江が近くでささやく。
「手放したくない器ほど、使うほど育つって言うのよ」
実麗はその茶碗を見る。
「また噂ですか」
「ええ」
文江は笑う。
「でも、育つ器ってあるでしょう」
実麗は返事のかわりに、そっと口元をゆるめた。
小さな子が母親の手を引いて、器の前で立ち止まる。
「これ、ゆがんでる」
悪気のない声。
実麗の喉が一瞬だけひやりとする。
でも、その子の母親が言った。
「ほんとだね。手で作った形なんだねえ」
その言葉に、実麗のまつ毛が揺れる。
倉橋もやわらかくうなずいた。
「同じものがないのが、いいところです」
子どもは「ふうん」と言って、少し身をのり出した。
実麗の茶碗をじっと見る。
「なんか、これ、好き」
実麗は思わず息を止める。
次の瞬間、胸の奥で何かがほどけた。
「……ありがとうございます」
小さく言うと、子どもはもう別の器へ走っていった。
母親が「すみません」と笑って頭を下げる。
実麗も慌てて会釈する。
紬がその横顔を見て、にやっとした。
「よかったじゃん」
「……うん」
「ちゃんと届いてる」
届く。
その言葉を、実麗は胸の中で繰り返す。
続ける。
その音も、少し前とは違って聞こえる。
やめるな、じゃない。
命令じゃない。
前へ出ろ、でもない。
自分で来る。
自分で休む。
自分で戻る。
自分で出す。
その先に、また続けるがある。
実麗は展示台の前に立ったまま、静かに息を吸った。
吐く。
肩が落ちる。
もう一度、茶碗を見る。
歪んでいる。
でも、逃げなかった形だと思った。
片づけのころには、会場のざわめきもやわらいでいた。
机の布を外し、箱を重ね、札をしまう。
紬がテープを指で切りながら言う。
「来年さ」
実麗は顔を上げる。
「同世代にも声かけようよ」
紬は箱のふたを閉める。
ぱたん、と軽い音。
「学校の子とか」
「こういうの無理って決める前に、見てもらうだけでもさ」
実麗はすぐには返事をしなかった。
会場の隅に残る土の色。
片づけるみんなの手。
自分の茶碗が入った箱。
それから、静かにうなずく。
「……うん」
紬がその顔を見て、少しだけ笑った。
「今のは、ごまかしてない返事」
実麗は困ったみたいに口元をゆるめる。
「うるさい」
「でもほんと」
外へ出ると、夜気が頬に触れた。
帰り道の商店街は、昼より静かで、けれど灯りはまだ残っている。
並んで歩く足音が、ゆっくり続く。
実麗は前を見たまま、もう一度うなずいた。
今度は、誰に言われたからでもなく。
命じられたからでもなく。
ただ、自分で。
継続とは、追い詰められてやるしかないことだけじゃない。
逃げてもいい。休んでもいい。
それでも戻りたくなる理由があるなら、その選び直しもまた継続なのだ。
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