第7話 学び直す手
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
実麗の話を聞いた文江は、自分たちの言葉が古い痛みを運ぶことを知り、頭を下げる。清太郎も継承には技術だけでなく場の作り直しが要ると認める。後継者不足に悩む保存会は、若い人が残れる空気を学び直し始める。実麗もまた、叱声に似た物音で息を止める癖を少しずつほどいていく。窯出し前の暗い時間の願いは器に残るという噂がある。紬は広報を手伝い、実麗は出品を自分の意思で決める。ところが焼き上がりに小さな歪みが見つかる。
本文
「この前は、ごめんねえ」
文江が、先に頭を下げた。
実麗は戸を閉めた手のまま、止まった。
土間に片足だけ入れて、もう片方がまだ外に残っている。
そんな格好で、まばたきをした。
「私らの言葉がね」
文江は顔を上げない。
膝の上で、しわのある手をきちんと重ねている。
「古い痛みを連れてくること、あるのよね」
実麗の指先が、引き戸の縁をそっと離れた。
何か言わなきゃと思うのに、喉が先に細くなる。
「……いえ」
「いえ、じゃないのよ」
文江が小さく笑った。
でも、その笑いはいつもより静かだった。
「悪気がなければいいってもんじゃないものねえ」
倉橋清太郎が、ろくろのそばでうなずいた。
「継承って、技術だけ残せばいいわけじゃないんだな」
低い声が、工房の木にゆっくりしみる。
「場も、作り直さなきゃだめだ」
その言葉に、奥にいた会の人がひとり、ふっと息をついた。
別の人が棚に置いた器を持ち直す。
小さな音。
実麗の肩が一瞬だけ跳ねる。
けれど、その次に来るものがない。
叱る声も、急かす声も、笛もない。
実麗はそのまま、止めていた息をそっと吐いた。
「若い人に来てほしいって言っておいて」
倉橋が、苦く笑う。
「来た人が残れない空気のままじゃ、意味ないよな」
文江が「ほんとにねえ」と言って、今度は実麗を見た。
目尻が下がっている。
でも、甘やかすような顔ではない。
ちゃんと見ている顔だった。
「私らも、覚えなおすよ」
実麗は視線を受け止めきれず、少しだけ下を向いた。
でも、逃げるみたいにはそらさなかった。
「……はい」
短い返事。
それだけで、胸の奥がじんとした。
紬が、壁ぎわの机にチラシを広げていた。
色ペン。
スマホ。
地域イベントの案内。
器の写真をどう並べるか、何枚か見比べている。
「この写真、暗いかな」
紬が言うと、倉橋がのぞきこんだ。
「ちょっと手元が見えにくいかも」
「じゃあこっち」
紬が指で画面を払う。
別の写真。
灯りの下の器。
少し歪んだ縁が、やわらかく光っている。
「それ、いい」
文江も横からのぞく。
「ほら、きれいじゃない」
紬は「よし」と小さく言って、紙にメモを書いた。
実麗はその様子を、土間の脇から見ていた。
「広報、助かるよ」
倉橋が言う。
「若い目って大事だなあ」
「古すぎるって言った責任とってるだけ」
紬が肩をすくめる。
でも、口元は少し笑っていた。
文江が「ありがたいわよ」と言う。
紬は「どういたしまして」と、ペンをくるりと回した。
実麗は、そのやりとりを見て、ほんの少しだけ口元をゆるめた。
「実麗さん」
倉橋が呼ぶ。
「この前の出品、どうする?」
そのひと言で、胸が小さく鳴る。
でも前みたいに、すぐ凍らない。
実麗は器の並ぶ棚を見た。
自分の作ったもの。
削りあと。
指の跡。
少し不揃いな縁。
「……出します」
声はまだ小さい。
けれど、最後まで切れなかった。
紬が顔を上げる。
文江も、倉橋も、黙って待つ。
実麗はもう一度、言う。
「私が、出したいです」
倉橋の目尻が、ふっとやわらいだ。
「うん」
それだけ。
でも、実麗の肩から何かがひとつ落ちた。
文江が手を合わせるみたいにして笑う。
「それはうれしい」
紬も小さくうなずいた。
「蘭が決めたなら、いいじゃん」
蘭が決めた。
その言い方が、まだ少しくすぐったい。
その夜。
窯出し前の工房は、いつもより暗かった。
灯りを少し落として、みんなの声も自然と低くなる。
窯の前の空気だけ、じんわり熱を持っている。
「この時間の願いは器に残るって、聞いたことある?」
文江が、小さな声で言う。
「また噂」
紬がすぐに返す。
けれど、声は前よりやわらかい。
「でも、ちょっとわかるかも」
そう言って、スマホをしまう。
実麗は窯の前に立ったまま、指先をそっと重ねた。
願いなんて、大げさなものは思いつかない。
ただ、ちゃんと見たいと思った。
焼き上がった自分の器を。
自分で出すと決めた器を。
奥で、金属の触れる音がした。
からん、と乾いた音。
実麗の息が、一瞬だけ止まる。
肩がきゅっと上がる。
喉が閉まる。
でも、その次の瞬間。
何も飛んでこない。
怒鳴り声も。
「何してる」も。
「返事」も。
ただ、倉橋が「大丈夫」と言った。
それだけで、実麗はゆっくり息を吐いた。
吐きながら、自分で気づく。
前より少し早く戻れている。
止まっても、ほどけるまでが少し短い。
文江が窯のふたのほうを見つめたまま、ぽつりと言う。
「少しずつでいいのよ」
実麗は、その横顔を見た。
返事はしなかった。
でも、指先の力を少しだけ抜いた。
窯出しの手が進む。
ひとつ。
またひとつ。
棚板の上に、焼き上がった器が並んでいく。
紬が息をのむ。
「わ、色ちがう」
「焼き色って、ほんと違うのねえ」
文江が目を細める。
「自分で選んだ器は、ちょっと顔が変わるのよ」
「それ絶対ただの噂でしょ」
紬が言う。
でも、器をのぞく目は真剣だった。
倉橋が、実麗の器をそっと持ち上げる。
灯りの下で、縁がやわらかく光る。
底のあたりに、影がひとつ落ちる。
「……あ」
実麗の声がこぼれる。
小さな歪みだった。
ほんの少しだけ、口縁が片側へ寄っている。
知らない人なら見逃すくらい。
でも、自分にはすぐわかる。
紬が黙る。
文江も、言葉を飲みこむ。
倉橋は器を回して、もう一度見た。
実麗の指先が、服の裾をつまむ。
胸が、ゆっくり重くなる。
せっかく自分で決めたのに。
ちゃんとやったつもりだったのに。
喉の奥に、古い声が遠く集まりかける。
実麗は、器から目を離せなかった。