第1話End and beginning
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あらすじ
20XX年地球はかつて追放された人類の末裔が作った国、月華連邦に侵攻されていた。 そんな中とびきりZENKAIパワーのチャラ・ヘッチャラ頭カラッポのほうが夢つめ込めるタイプの老人であるケリーは、元暗殺者の少女一条時雨を拾う。 その結果彼とその仲間達(全体的に見て比較的まとも)は地球規模の争いに飲み込まれる事になる。 それでもケリーはギャグの住民なのに市役所の眼鏡クンニのせいで間違えてこのダークファンタジー世界にきてしまったタイプのとびきりZENKAIパワーのチャラ・ヘッチャラ頭カラッポのほうが夢つめ込めるタイプの老人なので強さの格が違った。 絶望的な世界。笑い飛ばしてやろうぜ。 なおケリーより時雨の方が圧倒的に主人公してる模様。 この小説には以下の要素があります。 ・インド人 ・カニ ・名古屋湾 ・ゆとり世代 読む際はせいぜい注意せいや。 ちなノベルアップ+となろうにも乗っけます。
本文
20XX年、人類は初めて、自分たちより遥かに進んだ文明と真正面から戦うことになった。月華連邦――百年前に地球を追放された人々の末裔を名乗る国家は、月の裏側から突然現れ、地球各国へ宣戦布告した。彼らが乗る艦艇は既存の航空兵器を速度でも防御力でも圧倒し、兵士が携えるエネルギー銃は戦車の装甲さえ容易く穿った。さらに一部の兵士は、月の鉱石由来の、科学では説明のつかない「能力」と呼ばれる力まで備えていた。重力を捻じ曲げる者、炎を生み出す者、触れた相手の感覚を奪う者。地球側の軍隊は、まるで百年前の兵器で現代戦を挑むような惨敗を繰り返していた。
アメリカ、欧州、ロシア、中国。主要国家は各地で敗北した。例外的に死者が確認されていない大国はインドだけである。月華連邦の偵察部隊が「なんかカレー臭い」と報告し、上陸を後回しにしたためだった。人類史上最大級の危機において、インドだけがあまりにも雑な理由で無傷だった。
日本も同じだった。東京湾上空には敵艦が浮かび、市街地のあちこちから黒煙が上がっている。地球側が銃を撃つ間に、敵は銃弾を弾き、空を跳び、建物ごと吹き飛ばす。正面から勝てる相手ではなかった。
それでも、日本には一人だけ「月華連邦の能力者と戦える」と公式に認められた人間がいた。一条時雨。十四歳。日本軍中佐。黒い軍用コートを羽織り、漆黒の日本刀「黒重」を振るう少女だった。彼女は先天的に重力を操る異例の能力者であり、過去には月華連邦地球侵攻部隊の四天王を一体撃退した記録すら持っていた。日本政府は彼女を最高戦力として扱い、兵士たちは希望と呼んだ。
その希望は今、瓦礫の山の中で、自らの血に沈んでいた。
崩れたビルの隙間から、灰色の空がわずかに見えていた。時雨は仰向けに倒れ、浅く息をしている。白いシャツは腹から胸にかけて赤黒く染まり、左脇腹から胸元まで斜めに走る大きな裂傷から、呼吸のたびに新しい血が滲んだ。黒髪は埃と血で頬に張りつき、赤い右目は焦点を失っている。紫色に輝いていた左目も、今はほとんど光を失っていた。
「……にぃに……ごめんね……」
血の混じった息が喉に引っかかった。もう声を出すだけでも肺が焼けるように痛い。それでも時雨は、誰もいない空間へ向かって、かすかな声を続けた。「やくそく……守れない……かも……」八歳のあの日、瓦礫の下敷きになった兄は、彼女に生きろと言った。絶対に生きろ。自分の分まで生きろ。あれから六年、時雨は何度もその言葉だけを頼りに立ち上がってきた。
だが、もう無理だった。指先すらまともに動かない。耳鳴りが酷く、遠くで燃えている車両の爆発音も水の底から聞こえるようにぼやけていた。部隊は既に壊滅している。三十二名いた兵士のうち、立っている者は一人もいない。時雨自身も、あと数分も意識を保てるか分からなかった。
「いやァ、やっぱ最高だなァ……!」
瓦礫の向こうから、場違いに楽しげな声が響いた。タツオミ・ヤマシロ。月華連邦地球侵攻部隊四天王、その上から二番目に位置する男。白い軍服は所々が破れ、頬から血を流していた。左肩には深い斬り傷があり、脇腹にも黒重で裂かれた跡が残っている。それでも彼は笑っていた。心底、嬉しそうに。
時雨は重力を纏わせた黒重でタツオミを斬り、瓦礫を弾丸のように撃ち出し、重力障壁でナイフを防いだ。部隊が全滅したあとも、一人でほぼ互角に戦い続けた。
ただし、タツオミは最後まで能力を使っていなかった。
「久々だぜ。能力使わねえと殺されそうになったのはよォ」
彼は口の端を吊り上げた。タツオミ・ヤマシロの能力――『オールイン・ジャックポット』。何かを賭け、その賭けに勝利した時、賭けたものの重要さに比例して自身へ強力な強化がかかる。金なら小さな強化。指一本なら大きな強化。命ならば、その倍率は常軌を逸する。
彼が今回賭けたものは、自分自身の命だった。
「さあて。俺がこのガキを一撃で殺せるかどうか……オールインだ」
賭けは成立した。そして勝った。タツオミの全身から噴き出した魔力は、建物の残骸を震わせるほど濃密だった。次の瞬間、彼は時雨の視界から消えた。重力障壁が反射的に展開されたが、魔力を纏ったナイフは薄い膜を紙のように破り、そのまま時雨の胸を深く裂いた。
そこまでだった。
時雨は目を閉じた。痛みはもう遠い。怖いとも思わなかった。むしろ妙に静かだった。これで終わる。兄に会えるかもしれない。そう考えた瞬間、わずかに残っていた罪悪感すら薄れていった。
そんな絶望的な戦場に、どう考えても似合わない能天気な声が響いた。
「イカボーン! ルンバおらんぞー! やっぱ反抗期じゃ! 昨日『掃除しろ』って言ったのが気に食わんかったんじゃ!」
「ルンバに反抗期なんかあるか! お前が勝手に家出したことにしてるだけだろ!」
時雨は薄く目を開けた。血で霞む視界の先、瓦礫の山を越えて二つの人影が歩いてくる。一人はブロッコリーの絵が大きく描かれたTシャツを着た老人。もう一人は、なぜか常に怒っているような顔をした男だった。二人とも戦場に来る装備ではない。老人に至っては片手に虫取り網まで持っている。
「ほれ見ろイカボン。戦争じゃ。ルンバのやつ、とうとう武装勢力に加入したかもしれん」
「加入できるわけねえだろ! 車輪しかねえんだぞ!」
タツオミが、ゆっくりと二人の方へ振り向いた。
時雨は声を出そうとした。逃げて、と言いたかった。だが肺から漏れたのは掠れた吐息だけで、喉の奥から赤い血が逆流した。老人はそんな時雨の状態にも、目の前の敵にも気づいているのかいないのか、虫取り網を杖のように地面へ突きながら歩いてくる。
「おい、ジジイ」
タツオミが笑った。「ここがどこか分かってんのか?」老人は立ち止まり、しばらく考えるように顎を撫でた。「神奈川県じゃろ」「東京だよ!」イカボンが即座に突っ込む。「え? さっき県境越えた?」「越えてねえよ! 横揺れダンスしながら県境跨ぐって計画まだやってねえだろ!」
タツオミの眉がぴくりと動いた。怯えもしない老人に苛立ち、「お前、俺を舐めてんのか?」とナイフを回す。すると老人は急に目を輝かせた。
「おぬし、ギャンブル好きじゃろ」
「……あ?」
「ワシと勝負せんか。男なら賭け事で決めようぞ」
タツオミの目が変わった。それまで時雨へ向けていた殺意が、一瞬で好奇心に塗り替えられる。賭け。勝負。彼にとってその言葉は、どんな美女より、どんな酒より魅力的だった。「いいねえ……! 何やる? カードか? ルーレットか?」「チンチロじゃ」「チンチロ!?」イカボンが叫ぶ。「なんで戦場にサイコロ持ってきてんだよ!」
老人――ケリーはポケットから茶碗と三つのサイコロを取り出した。なぜか全部揃っている。「ワシはいつでもチンチロできるよう準備しとる」「そんな備えいらねえよ!」タツオミは笑いを堪えきれなかった。最高だ。命を賭けた死闘の直後に、謎の老人がチンチロを持ちかけてくる。こんな面白い展開はない。
「で、何を賭ける?」
「おぬしの全財産」
「いいぜ。じゃあ、お前は?」
ケリーは胸を張った。「ワシの両金玉じゃ」
「何で!?」
イカボンの絶叫が瓦礫の街に響いた。タツオミですら数秒固まったが、やがて腹を抱えて笑い始めた。「いい! 最高だよジジイ! 乗った!」ケリーは満足げに頷き、突然懐から何かを取り出した。
「はい八時十分、現行犯逮捕。賭博はダメだよお兄ちゃん」
タツオミの笑いが止まった。「……お前誰だよ。私服警官?」
「いや、ワシは私服のジジィじゃ。ちなみに名前はケリーじゃ」
「お前、俺を誰だと思ってんだよ」
「はいはい。続きは署で聞くからね。チー牛奢ってあげるから」
「なんでチー牛!? カツ丼だろ!?」イカボンが怒鳴った。
「だってコイツ、チー牛じゃろ」
「違うでしょ」
タツオミの顔から血の気が引いた。「俺の……小学校の頃のあだ名がチー牛なのを、なんで知ってる!?」
「知らん」
「許さねぇ! お前ら皆殺しだ!」
「なんで!?」イカボンが叫んだ瞬間、タツオミの姿が掻き消えた。命を賭けた能力強化はまだ残っている。時雨の重力障壁すら破壊した速度と威力で、ナイフがケリーの胸を真正面から貫いた。
「……っ!」
時雨の赤い瞳が見開かれた。止める暇すらない。老人の体は確かに刺し貫かれた――はずだった。
「それは残像じゃ」
刺されたケリーが真顔で言った。
「いやワシが残像じゃ……」
「意味分かんねえよ!」
イカボンの突っ込みと同時に、瓦礫の反対側からバリバリという音が聞こえた。本物のケリーは横向きに寝そべり、ポテトチップスの袋へ手を突っ込んでいた。「コンソメ味は戦場で食うと三割増しでうまいのぉ」「どういう原理だ!」タツオミは自分のナイフが貫いている残像と、ポテチを食べている老人を交互に見た。
時雨には何が起きたのか分からなかった。残像が刺されながら喋り、本体は寝転んでいる。能力なのか技術なのか、それすら不明だった。ただ一つだけ理解できた。この老人、ものすごく強い。
その時、物陰から円盤状の何かが飛び出してきた。埃を巻き上げながら滑走し、そのままケリーの胸元へ飛び込む。
「すまねぇケリー! 俺が間違ってたよ! 俺はやっぱりイカボンさんの乗り物になるべきだった!」
「ルンバァァァ!」
ケリーとルンバは熱い抱擁を交わした。ルンバに腕はないので、実際にはケリーが勝手に抱きしめているだけだった。
「いや、掃除してくれ」
イカボンが冷静に言った。
「よかったのぉルンバ! もう二度と家出なんかするんじゃないぞ!」
「ケリー! 俺、これからは心を入れ替えて床を――」
次の瞬間、タツオミのナイフが飛んだ。
銀色の刃は回転しながら一直線に進み、ルンバの中央へ深々と突き刺さった。火花が散り、電子音が一度だけ鳴る。ルンバはその場で沈黙した。
「……ルンバ?」
ケリーの笑顔が消えた。
風が灰を巻き上げた。ケリーの周囲だけ、急に空気が変わったように感じられた。
「お前は……絶対に許さん」
ケリーの声が低くなる。「ウォォォォォォォッ!!」
タツオミは冷や汗を流す。そして金で釣ることにする。
「百円やるよ」
「どうしよう」
「お前の怒りはそんなもんかよ!」イカボンが即座に叫んだ。
ケリーは一秒だけ悩み、手を差し出した。「百円寄越せ。クソギャンブラー」
タツオミが「ほらよ」と拳を差し出す。ケリーの目がその手だけを追った瞬間、タツオミはナイフで首を狙った。
だが、ケリーの方が速かった。
「百円!」
ケリーはタツオミの拳を両手で掴み、凄まじい力で指を一本ずつこじ開けた。「痛ぇ痛ぇ痛ぇ! 何してんだジジイ!」「百円どこじゃ!」「嘘に決まってんだろ!」「何ィィィィィ!?」開いた掌には何もない。ケリーは目を見開き、次の瞬間には地面を転げ回り始めた。
「詐欺じゃ! これは詐欺じゃ! 消費者庁に電話じゃ!」
「戦場で百円の詐欺通報すんな!」
タツオミは額を押さえた。こいつの相手をしていたら頭がおかしくなる。そう判断し、視線を時雨へ戻す。まず本来の目的を終わらせる。瀕死の少女を殺し、それから老人は無視して帰ればいい。
彼が時雨へ向かって一歩踏み出した瞬間、背後から声がした。
「コーッコッコッコッコ!」
タツオミの足が止まる。振り返ると、ケリーが両腕を畳み、首を前後に振りながら鶏の真似をしていた。
「何してんだ」
「コッコッコッ。逃げるんか? チキン野郎」
「……殺すぞ」
「コケーッ! チキンが喋った!」
「てめぇ!」
タツオミは反射的にケリーを蹴り飛ばした。
ケリーは十メートルほど吹き飛び、瓦礫へ突っ込んだ。タツオミが鼻で笑うと、土煙の中から一本の腕が伸びる。「今……ワシを蹴ったな?」ケリーは無傷で立ち上がり、ブロッコリーTシャツの埃を払った。「鶏の真似をしとるワシを蹴った。つまり鶏への宣戦布告……ひいては鳥貴族への宣戦布告じゃ」「鳥貴族って店の方?」「お前はもう死ぬ」「話繋がってねえよ!」
直後、空が暗くなった。ビル群の間から現れたのは、白と金に塗装された巨大なプライベートジェットだった。側面には堂々と『KELLY AIR』と書かれている。「なんでこんな低空飛行してんだよ!」「ワシのじゃ」「だろうな!」後部ハッチが開き、ロープを伝って降りてきたのは、黒い蝶ネクタイをつけた大量の鶏だった。
「……は?」タツオミが固まる。
「上品な鶏じゃ!」ケリーは胸を張った。「どこが!?」「蝶ネクタイしとる」「そこじゃねえ!」
百羽近い鶏が整列し、一斉にタツオミを見た。「行け、鳥貴族の戦士たちよ!」「コケェェェェェ!」鶏たちは猛烈な勢いで突撃し、ナイフを優雅に避け、嘴でつつき、羽ばたきながら蹴りを入れた。シルクハットを被った一羽など、一礼してから攻撃している。「上品な攻撃じゃ」「どこが上品なんだよ!」能力で強化されたタツオミも数の暴力と意味不明さには耐えられず、「覚えてろジジイ!」と叫んでビルの屋上へ逃げていった。
「勝ったぞー!」ケリーが両手を上げ、鶏たちが一斉に一礼する。イカボンは頭を抱えた。「もう何なんだよ……」「鳥じゃ」「見りゃ分かるわ!」
時雨は、ようやく助かったのだと理解した。死を受け入れていたはずなのに、今は不思議と息をしたかった。黒重を杖代わりにして起き上がり、震える声で「……ありがとう、ございました」と告げる。「おお! おぬし生きとったか!」「見りゃ分かるだろ! ていうか酷い怪我じゃねえか!」時雨は刀を鞘へ戻し、「基地に戻ります」と歩き出そうとした。
「その前に止血じゃ」「……だいじょうぶ」「大丈夫な人はそんなに血を出さん」「噴水ではない……です」言い終える前に時雨は咳き込み、掌を血で濡らした。ケリーはすぐ大きな救命セットを取り出す。「なんでそんなもん持ってんだよ」「ルンバ探しに行くと高確率で誰か怪我するから」「どんなルンバだよ!」
ケリーの手つきは意外なほど的確だった。傷口を圧迫し、素早く包帯を巻いていく。「ワシはケリー。六十九歳、独身。趣味は盆栽と勉強。好きな球団は外日ワイバーンズじゃ」「最後の情報いる?」「重要じゃ」イカボンも名乗ると、時雨は小さく頭を下げた。「……一条、時雨です」「知っとる」「……?」ケリーは説明しなかった。
止血が終わると時雨は再び立とうとしたが、ケリーが止めた。「なぜさっき、死を受け入れたんじゃ?」時雨は固まる。イカボンも予想外だったのか黙った。「お前、死ぬのが怖くないのか?」時雨には答えが分からなかった。兄を失い、大切な人を何人も失い、命令されるまま人を殺し、仲間の死も何度も見た。怖がっている暇などなかったし、気づけば死ぬこと自体にも現実味を感じなくなっていた。
「……分かりません」
ようやく時雨が答えると、イカボンが「お前、いくつだ?」と尋ねた。「十四……さい」「十四!?」時雨の肩がびくりと揺れる。「悪い、怒ってない。……なんでそんな子供が軍にいるんだよ」「わたしは……兵士です。中佐、なので」「そこじゃないんだよ……」
「無理して戦う必要なんぞないぞ」とケリーが言う。時雨はすぐ首を横に振った。「……戦います」「なぜじゃ」「そうしないと……にぃにとの、約束を……守れないから」ケリーは少し黙り、それから突然手を叩いた。「そうじゃ! 県境で横揺れダンスする話なんじゃが」「今その話やめろ!」
ひとしきり怒鳴られたあと、ケリーは時雨の前へしゃがみ込んだ。「お前、ワシらの家来い」「……はい?」時雨は目を瞬かせる。「住むとこも飯もある。シャーペンもいっぱいあるぞ」「なぜシャーペンを……?」「ワシが好きだからじゃ」
時雨は困惑した。助けてくれた恩人ではある。それでも今日会ったばかりの老人が何を考えているのか、一切分からない。「大丈夫じゃ。ワシ、内閣総理大臣のモガミンと友達じゃから」「モガミン……?」「最上篤史」「総理をあだ名で呼ぶな!」
ケリーはさらにポケットから板チョコを取り出した。「チョコレートをあげよう」「十四歳がチョコで来るわけねえだろ!」そう言われても気にせず、ケリーは一欠片を時雨の口へ押し込む。
「……ん」
甘かった。
ずっと血の味しかしなかった口の中に、久しぶりに普通の甘さが広がった。それだけのことで、張り詰めていたものが切れた。時雨の体が傾き、ケリーが慌てて抱き止める。完全に意識を失った時雨の右手だけが、無意識にケリーの指を握っていた。
「これは同意ってことで良いのかのぉ」「多分同意だろ。ていうか先に病院だ!」「うむ。ワシは近くの病院の場所を全部知っている! 出よ、Coggglleマップ!!」「それは知ってるに入らねぇよ!」
イカボンの怒声を背中に受けながら、ケリーは時雨を抱き上げた。瓦礫と炎の向こうでは、まだ戦闘音が続いている。月華連邦は圧倒的に強く、人類にはほとんど勝ち目がない。それでもケリーは、いつもと同じ軽い足取りで歩き始めた。
途中で一度だけ、彼は腕の中の少女へ目を落とした。そこにいつものふざけた笑みはなかった。
「狩野……約束は守るぞい」
誰にも聞こえないほど小さな声だった。
こうして、日本軍最高戦力の少女と、世界で最も意味不明な老人は出会った。この出会いが地球、月華連邦そして世界そのものの運命を捻じ曲げることを、まだ誰も知らない。
もっともケリーはその頃、病院へ向かう途中で見つけたたい焼き屋が営業中かどうかを、世界の運命より真剣に気にしていた。
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