第2話Shelter

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/10/26 📚 シリーズ: Gravity Noir〜地球滅亡寸前の絶望的な世界。老人はギャグ補正で無双する〜 📝 5,909文字 ✅ 全年齢

あらすじ

Gravity Noir〜地球滅亡寸前の絶望的な世界。老人はギャグ補正で無双する〜 - 第2話Shelter

本文

病院の個室で、一条時雨はまだ眠っていた。胸から脇腹にかけて巻かれた包帯は真新しく、呼吸は浅いものの安定している。窓の外では遠くで爆発音が続き、街の上空を軍用機が飛んでいたが、この部屋だけは奇妙なほど静かだった。その静寂の中で、ケリーはベッド脇の椅子にふんぞり返り、スマートフォンの画面を睨みながら何かを打ち込んでいた。

「よし。完璧じゃ」

 隣で胃薬を飲んでいたイカボンが嫌な予感を覚えた。「何がだよ」「モガミンに送るメールじゃ。時雨を軍から抜くよう交渉する」「お前、交渉なんてできたのか」「できるわい。ワシは知的な男じゃぞ」そう言ってケリーは画面を差し出した。

『オイーッス!! モガミン元気?

オラはお陰でバチクソ元気だったゾ。

ところで一条時雨って娘が軍にいるじゃん。あの最高戦力みたいな感じになってる娘。

軍辞めさせろ。

子供戦わせてんじゃねぇよ。

脱走兵殺してんじゃねぇよ。日本国憲法読め短小包茎童貞大魔法使い。

ゼンニーセックス! ゼンニーセックス! ゼンニーセックス!

無理なら彼女をワシに貸せ。

さもなければお前には実験台になってもらう。

全男子の夢じゃ。尿道にハリガネムシを突っ込む。

頼んだぞい。

追伸

あ、できれば着払いでいいから時雨の情報が書いてある書類を、問題ないやつ全部ワシに送れ』

 イカボンはしばらく無言で画面を見つめた。そこからケリーの顔を見て、もう一度画面へ視線を戻す。「……大体正論なんだよな」「じゃろ?」「でも総理不憫だわ。あと下ネタ頭おかしすぎだろ。尿道にハリガネムシとか想像しただけで痛いわ!」「夢があるじゃろ」「悪夢だよ!」

 ケリーは満足そうに笑い、送信ボタンへ指を伸ばした。イカボンはそこで、ずっと引っかかっていたことを思い出す。「ていうか、お前さ」「なんじゃ」「なんであの子の名前知ってたんだよ。昨日会った時、本人が名乗る前から一条時雨って分かってただろ」ケリーの指が一瞬だけ止まった。

「老人ネットワークは世界中の美少女の名前を把握しとる」

「絶対嘘だろ」

「では送信」

「はぐらかすな!」

 メールは無情にも送信済みになった。イカボンが問い詰めようとした頃には、ケリーはもう椅子から立ち上がっていた。「さて、時雨の様子でも見るかのぉ」当然のように話を切り替えられ、イカボンは額を押さえる。だがケリーが何かを隠しているのは間違いなかった。

 ケリーがベッドへ近づいた時、時雨の指先がわずかに動いた。次いで睫毛が震え、ゆっくりと赤い瞳が開く。まだあれから一日も経っていない。医師からは、傷が深く目を覚ますまでしばらくかかる可能性が高いと言われていた。

「おお、生き返った!」

「死んでねえよ!」

 時雨はしばらく天井を見つめ、それからゆっくり首を動かした。ケリーとイカボンを見つけると、キョトンとした表情を浮かべる。数秒後、記憶が戻ってきたらしい。戦場、タツオミ、鶏、チョコレート。そこまで思い出すと、時雨の目に警戒が戻った。

「お前は正式にワシの仲間じゃ。おめでとう」

「まだ返信返ってきてないのに……」

 イカボンが呆れた直後、ケリーのスマートフォンが鳴った。件名には『Re: オイーッス!!』とある。送り主は内閣総理大臣、最上篤史だった。

『一条時雨中佐について、当面の間あなたの管理下に置く。軍籍及び階級については保留。必要書類は後日送付する。

あと二度とあんなメールを公用アドレスに送るな。

ハリガネムシの件は忘れろ。』

 ケリーは胸を張った。「ほれ、許可出たぞい」「総理大臣が横の老人に脅されてる……」イカボンは国家の未来が急に心配になった。

 時雨がようやく口を開いた。「……わたしのこと、拾ってくれたの?」

「だからそう言ってるじゃろ。さっきから」

「なんでわたしに、チョコくれたの?」

「賞味期限近かったからじゃ」

 時雨は首を傾げた。その反応があまりに素直で、イカボンは少しだけ笑いそうになる。ケリーは今度は真顔になり、時雨へ顔を近づけた。「では問題じゃ。ワシが今考えてることが分かるか?」

 時雨は首を横に振った。

「あぁ……あと一人いたら麻雀出来んのにな……」

 時雨は完全に反応に困った。赤い瞳だけが僅かに泳ぐ。ケリーも自分で言っておきながら沈黙が気まずくなったのか、数秒迷った末に時雨の頭へ手を置いた。

 そして、ゆっくり撫でた。

 時雨の体が固まった。驚いたように目を見開き、ケリーの手を見上げる。乱暴ではない。力も入っていない。ただ子供を安心させるように、髪をそっと撫でている。それだけのことだった。

 何年振りだろう、と時雨は思った。

 兄が生きていた頃は、よくこうして頭を撫でてもらった。狩野も、時々不器用な手で同じことをしてくれた。けれど、それ以降は誰もしてくれなかった。軍では最高戦力、影の庭園では兵器。優しく触れられる理由など、どこにもなかった。

 頬を何かが伝った。

「……あれ」

 時雨自身が一番驚いていた。涙は一滴だけでは止まらず、次々に溢れた。声を出して泣くわけでもなく、ただ無表情のまま涙だけが落ちていく。

「えっ、ちょ、ワシなんかした!?」

 ケリーが慌てた。イカボンも狼狽する。「お前が変なこと言うからだろ!」「ワシの麻雀がそんなに嫌だったのか!?」「違うだろ!」

 何を思ったのか、ケリーはイカボンの後ろへ回り、その顎を掴んだ。「こんにちは時雨ちゃん。ぼくイカボンだよぉ。趣味は胃薬です」「勝手に腹話術すんな!」

 何の意味もなかった。

 けれど時雨の涙は少しずつ止まり、やがて疲れたように目を閉じた。そのまま小さな寝息を立て始める。ケリーはしばらくその寝顔を見つめてから、乱れた黒髪をそっと直した。

「……寝たのぉ」

「寝たな」

 二人とも、それ以上は何も言わなかった。

三日後。

 医師たちは頭を抱えていた。胸の裂傷は深く、出血量も多かった。普通なら数週間の安静が必要なはずなのに、時雨の傷はほとんど塞がり、検査結果にも目立った異常がない。包帯を外された本人は何事もなかったようにベッドの脇で軍用コートを羽織っている。

「こいつ人間じゃねぇ……」

 イカボンが思わず呟いた。

「わたし、人間……」

「あ、ごめん」

 時雨は少し傷ついた顔をした。ケリーは病室の荷物を勝手にまとめながら、「さて、帰るぞい」と宣言する。「今からワシの家に向かう。徒歩二時間じゃ」「遠っ!」「普通にここまで遠かったんじゃ」イカボンが額に青筋を浮かべた。「じゃあ車呼べよ。金持ちなんだろ」「歩く方が健康に良い」

 ケリーは時雨の方を見た。「あそこオス臭くて、うんこ臭くて、鈍臭いけど大丈夫かのぉ……」「オス臭いのは否定しねえけど、うんこ臭くも鈍臭くもないだろ」時雨は何を言われているのか分からず、黙って二人を見ていた。

「抱っこしてやろうか?」

「いい……あるけるから」

「遠慮するな。ワシの腰はまだ現役じゃ」

「壊す気か」

 結局、三人は歩くことになった。時雨は最初こそ無言でついてきたが、道中で何度か街の様子を眺めた。避難所へ向かう人々、閉まった商店、遠くの空を横切る月華連邦の艦。戦争中なのだと嫌でも思い知らされる。それでもケリーは道端の自販機で当たりが出るまで粘り、イカボンに怒られ、途中で公園の鳩と何かを交渉していた。

 二時間後、時雨の前に現れたのは、本当にボロい一軒家だった。

「……ここ?」

「うむ。我が家じゃ」

 瓦屋根は古く、壁には細いひびが走り、庭には盆栽が並んでいる。大金持ちだと聞かされていた時雨は、しばらく無言で家を見つめた。「思ってたのと違う顔しとるな」「……お金持ちって、聞いた」「金はある」「じゃあ直せよ!」イカボンが叫ぶ。

 ケリーは得意げに人差し指を振った。「甘いのぉ。真の金持ちは表からは分からんものじゃ」玄関を開けると、中はさらに古かった。時雨の困惑が深まる。そのまま廊下を進むと、突き当たりの襖の向こうに、不自然なほど近代的な金属製の扉があった。

 エレベーターだった。

「……なんで?」

「地下が本体じゃ」

「最初から地下施設って言えよ」

 三人が乗り込むと、エレベーターは静かに下降を始めた。表示は地下十階を越え、さらに下へ進んでいく。時雨は少しだけ警戒し、腰の黒重へ手を添えた。だがケリーは鼻歌を歌い、イカボンは慣れた様子で壁にもたれている。

 やがて扉が開いた。

 目の前に巨大な筋肉があった。

「ふにゃあ!?」

 時雨の口から、本人すら予想していなかった気の抜けた声が飛び出した。反射的に一歩下がり、顔が真っ赤になる。目の前にいたのは、上半身裸の大男だった。肩幅は異常に広く、胸板は壁のように厚い。

 ケリーはその反応を見て、少しだけ安心した。戦場では何が起きてもほとんど表情を変えなかった少女が、普通に驚いて、恥ずかしそうに顔を赤くしている。それだけで、時雨の中にまだ十四歳の部分が残っているのだと分かった。イカボンも同じことを思い、単純に可愛いな、とも思った。

 一方、筋肉の方は全く違うことを考えていた。

「ウオォォォ! 可愛いッス! 可愛いッス! 俺の筋肉と結婚してくださいッス!!」

「やだ」

「一瞬で断られたッス! 清々しいッス!!」

 時雨は怖かった。ただ、不思議と殺気は感じない。多分、悪い人ではない。多分。

「アホ!」

 ケリーがタフの頭を叩いた。鈍い音がしたのに、タフはまるで効いていない。「こいつはタフじゃ。ワシの専属公認会計士でもある。ちなみにIQは多分2じゃ」「よろしくッス!」「IQ2ってサボテンじゃん」とイカボンが呟く。

 時雨は小さく頭を下げた。

「一条……時雨です」

「よろしくッス! 一条ちゃん!」

 その時、奥の部屋から能天気な声が響いた。

「おーいケリー。外日、九対四で負けてるぞ」

 ケリーの顔から血の気が引いた。

「何ィィィィィ!?」

 次の瞬間、老人は凄まじい速度で廊下を走り出した。時雨も反射的に追いかける。

 このひと、もうおじいちゃんなのに、なんでわたしより速いの?

 そんな疑問が頭をよぎったが、答えは出なかった。

部屋へ飛び込むと、大型テレビに野球中継が映っていた。スコアは確かに九対四。外日ワイバーンズは七回表、なおも二死満塁の危機を迎えている。ケリーは画面を見た瞬間、膝から崩れ落ち、そのまま床へ横たわると全身を微妙に反らせ始めた。

「何してんだよ」

「ウナギの蒲焼のモノマネ」

「分かるか!」

 絶妙に伝わらなかった。

 だが時雨は、ケリーの奇行よりも部屋の奥にいた存在へ目を奪われていた。ソファの上に、大きなトカゲが寝転がっている。黒い体に、腹だけが白い。少し太っていて、見た目だけなら妙に愛嬌がある。

「よぉ。お前がケリーが拾ったっていう女の子か? 俺はゴミトカゲだ。よろしく……うわっ!?」

 時雨が突然抱きついた。

 ケリーもイカボンも固まる。戦場で助け、病院まで連れて行き、数日一緒に過ごしても、時雨はまだ二人に完全には心を開いていなかった。それなのに今、初対面のトカゲへ迷いなく抱きついている。

 時雨はゴミトカゲの体へ顔を埋め、何度か匂いを嗅いだ。

「にぃにの匂いに似てる……」

「にぃに?」

 ゴミトカゲは困惑した。時雨自身も、なぜそう思うのか分からない。匂いだけではなく、声でも姿でもない。もっと曖昧な、懐かしい気配だった。幼い頃、自分を守ってくれた兄と似た何かを、この奇妙なトカゲから感じる。

「俺は、お前の兄ちゃんに似てるか?」

「うん。にぃにって呼んでもいい?」

 ゴミトカゲは少しだけ黙り、それから気怠そうな声で答えた。

「別に構わんよ」

 大きな前足が、時雨の頭をゆっくり撫でた。

「うへへ……」

 時雨は目を細め、とても嬉しそうに笑った。

 イカボンはその様子を見ながら、そっとケリーへ顔を寄せた。「……あの子、闇深くない?」「ワシもそう思う」死んだ兄と初対面のトカゲを重ねて、迷わず抱きつく。それほどまでに、兄を失った穴が埋まらないまま残っているのだろう。

 それとは別に、イカボンはゴミトカゲの反応にも驚いていた。普段なら何をするにも面倒そうで、他人が近寄れば露骨に嫌そうな顔をする。それが今は時雨の頭を撫で、逃げようともしない。まあ、あんな可愛い女の子に懐かれたら優しくしたくなるか。イカボンは勝手に納得した。

 そこへ、廊下から足音が近づいた。

「チーッス。あ、新入りの子じゃn――」

 現れたのは眼鏡をかけた細身の少年だった。シヴァである。いつものように世の中を舐め腐った顔で部屋へ入ってきたが、時雨を見た瞬間、その表情が完全に止まった。

「……」

 顔がみるみる赤くなる。

 タフがどこからかマイクらしき物を持ってきた。

「おっと! シヴァ選手、一目惚れッス! オレの奴より重度ッス!」

 ケリーもいつの間にか隣で腕を組んでいる。「解説のケリーです。ワシも同感じゃ。あいつが人に惚れるなんて想像できなかったがのぉ……成長じゃ」

「うっせぇ!」

 シヴァは真っ赤な顔で怒鳴った。「僕があんなチビのガキに惚れるわけないだろ! あのトカゲはロリコンだとしても」

「あー、また始まったよー。人煽るの」

 ゴミトカゲが面倒そうに言った。

 時雨の表情が変わった。

「わたし……チビじゃない」

 身長百四十一センチで言うには、かなり無理があった。

 だが本人は本気だった。赤い瞳が僅かに細まり、さっきまでゴミトカゲに甘えていた空気が一瞬で消える。シヴァも引けばいいものを、むしろ楽しそうに口角を上げた。

「へぇ。怒った?」

「怒ってない」

「怒ってんじゃん」

「怒ってない」

「じゃあその刀から手離せよ」

 時雨は無言で黒重を抜いた。

「完全に怒ってるじゃねぇか!」

 イカボンが頭を抱える。

 シヴァは不敵に笑った。「力の差ってやつを見せつけてやるよ、クソガキ」

「やってみなよ」

 次の瞬間、部屋の空気が変わった。

 シヴァが床を蹴った。

 速い。

 時雨の赤い瞳が大きく見開かれる。視界から姿が消えたと思った瞬間には、もう左側へ回り込まれていた。シヴァの手には短刀が握られている。刃が横薙ぎに走り、時雨は黒重で受け止めた。甲高い金属音が部屋に響く。

「……っ」

 速すぎる。

 時雨は戦場で何人もの月華連邦兵と戦ってきた。それでも、能力を使っていない人間の動きとしては異常だった。受け止めたと思った次の瞬間、シヴァの姿はもう目の前から消えている。

「どうしたチビ。最高戦力ってこんなもん?」

「……その呼び方、やめて」

「嫌だね」

 時雨の左目が、僅かに紫色へ染まり始めた。

 ゴミトカゲはソファの上で寝転がったまま、ため息をつく。

「やめといた方がいいと思うけどなぁ」

「どっちに言ってるッスか?」

「両方」

 ケリーだけは、なぜか嬉しそうだった。

「ええぞええぞ! 若者は拳で語れ!」

「刀だよ!」イカボンが叫ぶ。

 シヴァが再び踏み込む。時雨も黒重を構え、足元へ重力を集中させる。

 戦闘が始まった。

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ミスター微妙

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