後日談
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
連作短篇の形式で語られる怪談ノワール。
本文
私が接見するために部屋に入ったとき、彼は困ったような顔をして待っていた。
二十二才の男子。中肉中背。
顔だちにはどこといって際立った特徴はなく、町で見かけても一度では覚えていられそうにない。
髪は本人の希望ではやばやと丸刈りにされていた。
元配送業。勤務態度、運転技術にはまったく問題がないとされている。
特に親しい友人はいないものの、周囲との人間関係はきわめて良好だった。
事件は彼が休日に一人でドライブに出かけた際に起こったのである。
彼は以下のように話した。
わたしは車を土手に止めて河原へ下りました。流れは、水量はさほど多くありませんでしたが、四十か五十メートルの幅があったように思います。ごく普通の地方都市の川ですから、水がきれいなわけがありません。
河原にも、流れの中にも、ゴミや空き缶が散らばっているのが見えました。それでも魚はいるのでしょう。
車を止めたのは橋の手前で、たしか宿り木橋という名でした。
変な名前だとは思ったのです。宿り木というのは、ほら、夏は寄生している樹木の方だってよく繁茂しているので見分けがつきませんが、冬枯れた林ではそこだけ鮮やかなまま緑が残っているので、はっきりとそれと指し示せるあれのことでしょう?
上々の天気にもかかわらず河原には釣り人の姿さえ見当たりませんでした。もっとも中州や、いちめんに生い茂ったススキの陰になってわからなかったのかもしれません。
ススキは季節が季節ですのできれいに枯れていましたが、丈の高いところではわたしの背が隠れるほどでした。休日なのはわたしばかりで、一般には平日だったせいもあるのでしょうが。
ふだんから余り評判のいい場所ではありませんでした。
近所の人に尋ねればここらで幼い少女の他殺死体が見つかったという陰惨な事件の顛末が聞けることでしょう。
わたしはそんなことは気にかけない方で、というより物見高いたちだったので、ススキの原に分け入って、こみいった繁みの間の石ころや空き缶に歩みをとられながら、死体を捜すような、どこかうさん臭い視線を足許の地面にめぐらしさえしたのです。
しかし橋桁と柳の木が──周囲には土手の並木のほかに、橋の袂にも一本の柳の木が植えられていました──やけに赤く、目にしみるくらい真っ赤に見えたのは、傾いた陽ざしのせいばかりではありませんでした。
わたしが河原に下りたのはまだ二時をまわって間もない頃だったのです。
柳の木は葉を落としているものの、枝や幹が赤いわけもなく、あとでわかったことですがその橋だって、錆びてもいないし赤くも何ともないごく普通の橋だったのですから。
誰もいないと思っていたのに、ひとりの女の子がわたしのすぐそばに立っていました。
小学生ぐらいでしょう。素足にはスニーカーをつっかけただけ、襟ぐりの大きな袖なしのシャツに、淡い桜色をしたデニムの短パンからすらりと伸びた長い脚をつきだして、季節はずれの、どう見ても三、四カ月はさかのぼった恰好でした。
とたんにかぐわしい夏の熱気とともに汗と埃と溝の匂いが押し寄せて、枯れ草の河原が新鮮な草いきれでいっぱいになりました。
正確には彼女は十才でした。
表情はもっと幼く見えましたが、真剣に何かを訴えかけるようにこちらへ投げたまなざしは、大人のわたしが気後れするほどだったのです。
といって人を威嚇するようなきついものではありません。じっと見つめ返すうちに思わずしらず好きにならずにはいられない、柔らかな光りに満ちたまなざしでした。
睫毛のまばらな、奥二重の瞼をしたがえて、明るい色の瞳を際立たせる白目は充血の陰りもない青みがかったような白にぬけていました。むきだしの手足も、シャツの襟ぐりから覗ける胸も、日に焼けた褐色の肌にはすこしも黒ずんだところなどないのです。
見るからに活発で、健康そうで、それでいて、下のほうから順に赤や薄紫と白のしぼりの大振りな花をつけてゆく立葵が夏の盛りにいちだんと伸びた背をすっくと立たせたような細い体に──小さな頭部が陽を浴びて、まぶしそうに目を細め、手足はとつぜんの伸長期にとまどっているような、そんなはかなげなところがありました。
いくら背がのびたといってもようやくわたしの胸元にとどくかとどかないくらいです。
顔は上を見あげる恰好で、尖ったあごがかたむいて、笑うと歯茎がわずかに覗けます。笑うといっそう愛嬌があるのは目尻がこころもちさがっているからでしょう。
「こんにちは」
わたしは勇気をだして声をかけました。
すると少女は急に人なつこい目をしてわたしにより添い、胸に頭をもたせかけたのです。
「これはこれはお嬢さん」
わたしはふざけて言いました。腰を下ろしても、少女はわたしから離れようとしません。雑草のような髪をなでるとわたしの胸に顔を押しつけたまま、うめくような、それとも笑うのをこらえるように、くぐもった声をたてるのでした。
名前を聞くとマチタエリコだと言いました。少し間を置いてからの、考えたようなそぶりに、わたしはこの子は事情があって家をとび出したのではないかと推察しました。
だいたいわたしはじぶんでも軽々しく子供に好かれるはずはないと思っていたのです。
彼女は新聞やテレビでよく見かける行方不明の少女たちに共通の、寂しげでもの憂げな瞳をしていました。
どこかアンバランスな感じがするのは季節はずれの服に、伸びすぎた手足や、なぜかぶざまに短く刈り取られている髪の毛のせいばかりではありません。
「ワタシ、サミシイ」
「トモダチ、イナイ」
彼女がしきりにたどたどしい日本語で語りかけるのを聞いてからは、帰国子女なのかとも思ったのです。
「どうしてこんなに刈っちゃったの?」
と尋ねると彼女はすこし悲しそうにしました。
「オトウサン、シタ」
「髪の毛のこと?あ、そうか。お父さんが切っちゃったのか」
「カミ、キッタ。オトウサン、シタ」
どうやら切られる前には髪の毛が腰にとどくまであったということを、少女は身ぶりで示したのです。
「残念だね……」
わたしがわたし自身に言い聞かせるように呟くと、マチタエリコは鼻をならし、シャツの裾をひきぬいて向き直り、脚をなげだし、
「アソボウヨ」
と言いました。
わたしの方も足がしびれていました。彼女のお尻を支えていた腿、肩を抱いた腕や腋の下が汗ばんで、
「アナタト、ワタシト、アソボウ」
彼女がそう真剣になんども言いつのるのに、わたしは手近な草の茎を折ってその汁を彼女の頬にこすりつけたのです。
「なにして遊ぶの?」と聞きながら。
シャツをまくり上げるとシャツにかみつきました。といってそんなに強くはなく、脱がされまいと抵抗するというよりは生地がよだれで湿って、まるでわたしの指をしゃぶるように、あやされるように、そうしたのです。
彼女のぶっきらぼうな情愛の表現は、いくぶんわたしを安心させました。わたしは大いにてこずりながらも短パンのデニム地にくいこんだきついボタンをはずしたのです。
わたしのしようとしていることは、これは忌まわしい犯罪なのだと思わなかったわけではありません。しかしわたしは香蘭が──今はもう彼女のほんとうの名を知っているのですから、はっきりとそう呼ばせてもらうことにします──幽霊であることをうすうす感づいていたのです。
教えて頂きたいのですが幽霊を相手に犯罪なんて成立しえるのでしょうか?
とうてい考えられないじゃありませんか。かつては人間だったにしても、今はもうそうじゃないはずです。だれしもが思うようにわたしも思っただけです。ただわたしはこんな少女といたりつくせるのなら、白日夢でも幽霊でもかまわないとまで願ったのでした。
思いきって香蘭の服を脱がすとわたしはだいぶ気が楽になりました。くるみを割ったように滋味あふれる体を取り出して、河原に寝かしつけたのです。
それより後のこととなるとたいして詳しく話せそうにありません。覚えていることといったらごくわずかなもので、いったい何を忘れてしまったのかさえ思い出せないありさまなのです。とても少女の姿態を嘆賞する余裕はなかったのでしょう。
わたしは正面向きにあぐらの上にかかえあげた少女を犯しました。
「ヒドイコト」と、香蘭が「ワタシ、カナシイ。アナタヒドイコト、シタ。カナシイコト」と泣いて訴えた痛がりようも、ささやかな抵抗も、なぜかわたしの決意をゆるがしはしなかったのです。
ついにわたしのたけり狂った欲望が幼い腹の上に真珠の涙をまきちらし、はぐれ雲からふりだした天気雨がいっとき肌をうって、なまぬるい大粒のシャワーがそれを内股のほうへ洗い落としました。
あの世で彼女が香蘭と呼ばれるように、わたしはいいこだ、かわいいこと声をひそめてなんども呼んだのです。わたしの快感はただつかまることもできず身をよじる強烈なものでしたがどう考えて良いかふしぎでならなかったのは射精の瞬間、完全につらぬかれ、苦痛で歪めた香蘭の表情が、それまで見たこともない歓喜の色に輝くような気がしたことでした。自分の生命力が吸いとられるような気がしたほどです。
天気雨はすぐやんで、体もたちまち乾きます。わたしが、どうしても殺さねばならない衝動に駆られたとき、ぬれた草の上にあおむけになった少女の首にはロープが一巻かかっていました。
どうしてそんことをしたのでしょう。
香蘭は、脱ぎ捨てたシャツのほうに手を伸ばし立ちあがろうとするようなそぶりを見せました。だからといって彼女が騒いだりこのことを人に告げるなんて考えられないことでしたのに、もともと生きていないのならなおさら、殺す必要などないと簡単に判断できるのですから、わたしがそのかぼそい首にもう一巻きロープをまわして力のかぎり引っ張ったというのは信じがたいことでした。
それはロープではなくて古びた電気コードでした。手にとってみてわかったのです。
少女の頭には黒いビニール袋がかぶっていて、表情をうかがい知ることはできません。
わたしは香蘭の息が止まるまで全力でコードを引っ張りつづけたのです。それが、彼女の望みだったのです。
彼女が死んでわたしは香蘭が笑ったわけを知りました。彼女は幽霊のじぶんを、わたしに犯してもらいたかったのです。
まだぬくもりは残っていましたが、息が止まって、顔がふくれ、全体にしなびたように赤らんでいる見苦しい死体を、わたしはどうにも正視にすることができませんでした。わたしはあわてて立ち上がり、逃げ出しました。ふりかえると五月のような緑の葉がみずみずしい柳の木の根方に、大人になった香蘭が立っていました。こちらを見ていました。
なぜでしょう、わたしにははっきりとそれがあの子だと確信できました。
夕暮れの風が柳のしなやかな枝を顔の前で交叉させると、それは彼女の長い髪とからみあい、緑の色にとけあって、やがてスカートの格子縞とかさなり衣服のほかの模様と色をのみこんで、香蘭の姿は消えました。
二度とこの世に現れることはないでしょう。
逃げなければと、考えられたのはそのことだけでした。
ようやく止めてあった車のことを思い出したというのに!
思いのほか狼狽していたのでしょう。わたしはよそ見をしたはずみに犬に散歩をさせる主婦が見ているところで何かに蹴つまづいてつんのめる醜態を演じてしまったのです。
それはよくある放置された黒いゴミ袋でした。おそるおそる足で探りますと結構重いわりに中身はなんだか柔らかく、手ごたえがない感じです。いやに厳重にテープを巻き梱包してありましたが投棄されたのはだいぶ以前のことらしくポリ袋は汚れ、いたんで、破れた亀裂から腐乱した小さな手が、なかば指をひらいて、くずれ落ちた肉のあいまに白骨をさらして、ころげ出しているのが見てとれました。
死体が発見されて一週間後にわたしは逮捕されました。
取り調べに何と答えればよかったのでしょう。遺体の体内から検出された残存物を、DNA鑑定した結果、あいてがわたしであることが確認されました。
それはそうでしょう。認めるにやぶさかではありません。遺体の損傷をあれこれあげつらって、わたしが彼女を強姦したといわれるのも報いでしょうか。仕方のないことです。
でもこれだけは言って置かねばなりません。
マチタエリコと名のった少女はとうに死んでいたのです。殺したのは、絶対にわたしではありません。
わたしではないのです。
わたしが目撃されたのは、彼女が死んで、七十日もたったあとのことでした。それを彼等は死体をもてあそびに行ったのだろうというのです。死体には河原でつまづいただけですし少なくとも、わたしは生きている彼女を犯したことはないのです。
殺したのは絶対にわたしではありません。
とうてい信じてはいただけないのでしょうか?
この眼は本気で信じている眼だ。
精神鑑定に持ち込めば、無罪を勝ち取れるだろう。
私は確信した。