牛娘《うしむすめ》
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
連作短篇の形式で語られる怪談ノワール。
本文
叔父さんが、わざわざ僕の家にやってきて、「ほら、この人がお前の父親だよ」と言って紹介したのはまったく見覚えがない男だったので、おそらくどこかの電柱に魔法をかけて連れて来たのだろうという事ぐらいすぐにわかった。叔父さんはそういう質の悪い冗談が大好きだった。以前にも案山子に魔法をかけて、お客として連れて来たことがあって、その時は鴉の屍骸も混じっていたものだから、案山子の客が突然メリーさんの目玉を突つき出して大騒ぎになった。
メリーさんは家で飼っている年を取った牧羊犬で、片目を抉り取られた以外は無事だったが、それからは叔父さんを見ると不機嫌そうにうなり声を上げるようになってしまい、僕は少し悲しかった。
叔父さんが魔法を使えるといたって、魔法がかけられる相手は有機物に限るので、石や金属やプラスチック、自転車や自動車などの機械は操れなかった。案山子だって竹と縄と木綿の着物だったから操れたわけで、それでも有機物が不十分だったから吊られていた鴉の屍骸なんか加えてとんでもない事になったのである。
今回のお父さんの偽物は電柱だったけれど、その頃は僕の家の周囲はまだ田んぼばかりで、木の電柱も残っていたのだ。電柱だけあってとんだ木偶の坊で、見分けるのは簡単だったが、母の怒りはおさまらない。
息子をからかう弟に、おとなしく凹まされているほど、母は穏やかな気性の人ではなかった。
「モー、なんてことするの。モー、アンタってコは」
庭で草を食べていた母は叔父さんに向かって突進した。
なまじ自分の身に覚えのある僕の父親のことだったから、余計に抑えがきかなかったのだろう。
縁側を踏みぬき、ちゃぶ台をひっくり返し、畳を蹄で毛羽立てながら、猛然と叔父さんを追いかけ回す。
僕の母は生まれてすぐ、悪い魔法使いによって牛に変えられてしまった。以来、決して人間の姿に戻ることはできず、奔放だった十代に僕を産んだ。
母が預けられていた放牧場は肉牛専門だったから、思いがけず妊娠を知った時には父親の可能性のある牡牛は全頭食肉になっていた。堕胎は考えなかったそうだ。母としても自分が何欠ける所のない人間の子を産むとは想像していなかったのだ。
その頃、中学生だった叔父さんはよく姉のところへ遊びに来て、ブラシをかけたり、散歩や水浴びをさせたり、しきりに面倒を見ていたが、にもかかわらず自棄になって牡牛とやりまくる姉に焼餅を妬いていたのだ。
しかし、身に覚えのない牧童頭のことでからかわれるのは、母にとっては我慢のならないことだった。
たしかに牧童頭は見栄えのする好青年で、母の片思いの相手だったけれど、所詮相手は人間、間違っても厩舎に閉じこもって獣姦に及ぶような異常者ではなかった。
大切な想い出を叔父さんに汚されたとあっては、たとえ床を踏み抜いたとしても責められない。
普段はとても優しい牝牛の母も、時として呪われた体にふさわしい凶暴性を発揮することがあったのだ。
その昔、母は一度だけテレビに出演したことがある。有名になりたいという叔父さんの頼みをきいたのだ。母は普通の牛の振りをして、歌って踊った。
叔父さんは牛に芸を仕込んだ調教師の役どころで、母の達者な歌と踊りに合わせて必死で操る格好をしている、まだ高校生の叔父さんの姿がなんとも情けなくて、失笑ものの、録画テープが家に残っている。
乳房の垂れたホルスタインの大きな牝牛が軽快なステップを踏んで、モー、モー、とのどかな声で歌いながら踊る姿は息子の僕が見ても微笑ましく、美しい。
叔父さんは恥をかいたが母の芸は評判を呼んで、取材依頼が殺到した。
僕という息子がいるのですべてを断ったのに、叔父さんがさも残念そうに言うには、それはそれは丁寧にお断りしたのだが、恥知らずな写真週刊誌の記者一名が母の盗撮を試みたのだ。
母はちょうど庭で用を足し始めたところだった。
牛の放尿はすぐには止まらない。母はそこらじゅうに小便をまき散らしながら覗き屋めがけて突進すると、怒りにまかせて頭突きでカメラごと顔を砕き、腸を引きずり出し、前足で踏みつけ、性器を喰いちぎり、あっというまに喰い殺してしまったのである。
その時だけは、珍しく叔父の魔法が役に立った。
叔父は死体に魔法をかけて生きているように見せかけて家に帰した。なにしろ有機物を操るならお手のものだ。
とはいえ、そのまま記者に以前と同じ生活を続けさせるわけにはいかなかった。魔法で、外見だけは生きているらしく見せかけていたが、組織は死んでいるし、性器なんか母に喰われてしまって跡形もない。
叔父はすぐさま妻と二人の子供を殺すと、遺書を残し、損傷の程度が酷いので、既に死んでいたことがわからないように、車の中でガソリンをかぶって焼身自殺させた。
「家族まで殺すのはやりすぎだ」と母は叔父さんを叱ったそうだが、「その顔は笑っていたよ」と叔父さんは僕に話してくれた。
「一度は帰宅したというアリバイが必要だったんだ。姉さんも、そのことはわかっていたのさ」
あの時と比べたら、今、母が叔父さんを追い回すのなんて、じゃれているみたいなものだった。