タバコの加護
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
連作短篇の形式で語られる怪談ノワール。
本文
「タバコ、吸っていい?」
俺がタバコ嫌いなのを知っていて訊いたのだ。
嫌がらせか? そうなのか。
そうでもない。
亜依は単に我慢ができない女なのだ。「そこがまた可愛い」と思ってくれる人が多いと知っているのだろう。
煙いんだけど。惚れた弱みだ。しかたない。
「ああ、かまわないよ」
タバコの煙が充満した部屋で、俺たちは楽しく語り合った。
彼女がヘビースモーカーすぎるからって、女友達からも非難されてるのは知ってた。俺の前だから、遠慮なく甘えられるのだろうと思ってみたり。
まあ、自惚れだがな。
自分では中学生の時につきあった年上の男がヘビースモーカーで、キスの時に口移しで煙を吸ってニコチン中毒になったとか言っている。
昔の男の話なんて、と俺が嫌な顔をするとこんどは、「ほんとはね」死んだお父さんがタバコ好きだった。赤ん坊の頃から吸っていたとぬかすのだ。
ベビー・フェイスの喫煙者はアイプチで大きくした目をうるうるさせながら、ちょっと舌足らずな、甘えた声で、「小さい頃は、赤ちゃんはキャベツ畑で取れるんだって思ってたわ」と、しきりに無邪気だった子供の時分の思い出話を聞かせたがった。
その間にも部屋のタバコの煙は濃くなる一方で、眼球にヤニがこびりついたみたいに周囲の物が黄色く見えた。ニコチン中毒か。目が回る。
いや部屋が回っている。実際に、ポルターガイスト現象みたいに、ぐるぐる部屋が回っているのだ。
彼女と俺が座っているソファも、間に置かれたガラスのテーブルも、灰皿も、観葉植物も、壁にかかった絵画も照明もロッカーも、何もかもが部屋ごと回っていた。
彼女はすっかり酔っ払ったみたいに、けたけた声をあげて笑っていた。
憎ったらしい女だ。何がそんなに可笑しい。ばかにしてる。殴ってやろうと思っても手が届かない。
煙たくて近づけない。で、絞め殺すこともできない。
まだ笑っている。アホだ。
いいかげん、その猿面にも飽きてきた。
あとで聞いた話だが、隣室では死者がでたそうだ。
ビル全体では怪我人も多数、恐怖のあまり歯の根も合わない人の姿も大勢見た。地震ではない。揺れたのはこのビルだけだった。
斜向かいの部屋では、実際に幽霊らしき姿を見た者もいるという。
ここが倒産したレンタルオフィスビルだと知ったのは事件の後のことだ。俺も、亜依も、ビルに居合わせたその他の連中も、自分たちがなぜ用もないのにこのビルに集まり、部屋部屋に入り込んだのか、いくら考えてもわからなかった。
さらに異常なのは何かが起こるまで皆がじっと待っていたことだ。
よほど強い地縛霊だったのだろう。霊能者の話ではビルが倒壊しなかったのは幸いだった、本当なら部屋にいた全員が同じように揺れて建物と共振していたら一蓮托生、お陀仏だったということらしい。
怨霊の中でも犠牲者を集めてその力を利用する類の、強烈に質の悪い奴だ。
なぜ助かったのかはもっとわからない。
病院に運ばれた俺は急性ニコチン中毒と診断された。
亜依が笑ったのは目を回して、タコ踊りをする俺の格好があまりに可笑しかったからで、部屋は「べつに、回ってなんかいなかった」そうだ。「変わったことは何にもなかったわ。幽霊が入ってくれば、わかるでしょ」
嫌煙幽霊だったんだろう。