第二話『言語学者と、ちいももの「モモ」』
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あらすじ
桃の里の広場で、ケイモモと一緒に、 穏やかな時間を過ごしていたちいもも。 そこへ、言葉を研究している、 言語学者のモリノ先生が現れます。 先生は、ちいももが言葉の終わりにつける、 「モモ」という不思議な話し方に興味を持ち、 いろいろな質問を始めます。 けれど、ちいももにとって「モモ」は、 ごく自然な、自分らしい話し方。 そして、その言葉には、 ケイモモがつけてくれた大切な名前への、 愛着もありました。 小さなちいももの何気ない言葉から、 言語学者が新たな発見をしていく、 桃の里の優しくて、少し微笑ましいお話です。
本文
桃の里に来て、初めて迎えた朝だった。
窓から差し込む柔らかな光の中で、僕はちいももと一緒に朝ごはんを食べていた。
「ケイモモ、桃のジャム、もうちょっと欲しいモモ」
「ふふ、ちいももは桃のジャムが好きだね」
「うん。甘くておいしいモモ」
僕が小さなパンにジャムを塗ってあげると、
ちいももは両手で受け取って、嬉しそうに頬張った。
ふわふわの桃色の体に、まんまるの白いお顔。
頭には小さな桃の飾りがあって、首元の鈴が、動くたびにちりんと鳴る。
そんなちいももが、今は当たり前のように僕の向かいで朝ごはんを食べている。
「ねえ、ちいもも」
「なあにモモ?」
「今日はどこに行こうか?」
「うーん……」
ちいももはパンを食べ終えると、少し考え込んだ。
「桃の里の広場に行きたいモモ」
「広場?」
「うん。大きな桃の木があって、お花もいっぱい咲いてるモモ」
「そうなんだ。じゃあ、行ってみようか」
「うん!」
ちいももは嬉しそうにうなずいた。
その拍子に、首元の鈴が小さく鳴った。
◆
桃の里の広場には、大きな桃の木が一本立っていた。
枝いっぱいに薄桃色の花が咲き、木の周りには小さな花壇がいくつも並んでいる。
僕とちいももは、桃の木の下に置かれた木のベンチに腰を下ろした。
ちいももは僕の隣にちょこんと座り、短い足をぶらぶらさせていた。
「ケイモモ、風が気持ちいいモモね」
「そうだね」
柔らかな風が吹くたびに、桃の花びらがひらひらと舞い落ちてくる。
ちいももは、膝の上に落ちてきた花びらを小さな手で拾った。
「……きれいだモモ」
そうつぶやいて、しばらく花びらを眺めていた。
そのときだった。
「……失礼ですが」
横から声が聞こえた。
振り向くと、丸い眼鏡をかけた年配の男性が立っていた。
灰色の髪をきれいに整え、腕には分厚い本を抱えている。
「突然お声をかけて、申し訳ありません」
男性は穏やかに微笑んだ。
「いえ、大丈夫ですよ」
僕が答えると、男性はちいもものほうに目を向けた。
「実は、こちらの小さな方のお話しする言葉が、少し気になりまして」
「……ちいもものことですか?」
「ええ。私はモリノと申します。この桃の里で、言葉の研究をしている者です」
「言葉の研究……?」
「はい。言語学者をしております」
すると、ちいももが僕の服をちょんちょんと引っ張った。
「ケイモモ……」
「ん?」
「げんごがくしゃって、なんだモモ?」
「言葉について、いろいろ調べる人のことだよ」
「……言葉を調べるモモ?」
ちいももは不思議そうに首をかしげた。
モリノ先生は、その様子を微笑ましそうに見ていた。
「そうですよ。
たとえば、どうして人はこんなふうにお話しするのか、
言葉にはどんな仕組みがあるのか、
そういうことを研究しているのです」
「そうなんだモモ……」
ちいももは感心したようにうなずいた。
◆
「ところで、ちいももさん」
モリノ先生が、ちいももの目の高さに合わせて少しかがんだ。
「あなたは、お話しするときに『モモ』という言葉をつけますね?」
「うん。そうだモモ」
「それは、どうしてなのですかな?」
ちいももは、きょとんとした顔になった。
「……どうしてモモ?」
「ええ。
たとえば、普通なら『嬉しい』と言うところを、
あなたは『嬉しいモモ』と言いますね」
「うん」
「『ありがとう』も、『ありがとうだモモ』と言う」
「そうだモモ」
先生は胸のポケットから小さな手帳を取り出した。
「ふむ……興味深いですね」
さらさらと何かを書き込んでいる。
ちいももは先生の手元をじっと見つめた。
「先生、何を書いてるモモ?」
「ちいももさんのお話し方を記録しているのですよ」
「ちいもものお話し方モモ?」
「そうです。言語学では、文の終わりにつく言葉にも注目するのです。
あなたの『モモ』は、そのような文末表現として考えられそうですね」
「ぶんまつ……ひょうげん……」
ちいももは小さな声で繰り返した。それから僕を見上げた。
「ケイモモ、むずかしいモモ……」
「ふふ、そうだね」
僕が笑うと、ちいももも少し笑った。
先生は眼鏡を直しながら言った。
「では、ちいももさん。少し質問をしてもよろしいですかな?」
「うん、いいモモ」
「ありがとうございます。では、桃は好きですか?」
「好きだモモ」
「リンゴは?」
「リンゴも好きだモモ」
「それでは、ケイモモさんのことは?」
ちいももは、すぐに僕の顔を見上げた。
「……大好きだモモ」
そう言うと、ちいももは少し照れたように笑い、僕の腕にそっと寄り添った。
僕はその小さな頭を優しくなでた。
「ありがとう、ちいもも」
先生は、ふたりの様子を見ながら手帳に何かを書き込んだ。
「なるほど……。
好きなものを答えるときも、特別に大切な相手について答えるときも、
『モモ』は変わらず現れるのですね」
「……そうなんですか?」
僕が尋ねると、先生はうなずいた。
「ええ。どうやらこの『モモ』は、特定の感情だけを表す言葉ではないようです。
喜びや好意を伝えるときにも、普通に質問するときにも使われています」
「なるほど……」
先生は、ちいもものほうに目を戻した。
「ちいももさん。今度は、ひとつだけ実験をしてみてもよろしいですかな?」
「実験モモ?」
「ええ。『モモ』をつけずに、お話ししてみてほしいのです」
ちいももは少し考えた。
「……モモをつけないモモ?」
「そうです。たとえば、『お腹がすいた』と言ってみてください」
「お腹がすいたモモ」
「ああ、最後の『モモ』をつけずに、です」
「……あっ」
ちいももは小さくうなずいた。そして、少しゆっくりと口を開いた。
「お腹が……すいた……」
先生は嬉しそうに微笑んだ。
「ええ、そのとおりです。上手にできましたね」
けれど、ちいももは何だか不思議そうな顔をしていた。
「……なんだか、へんな感じだモモ」
「そうですか?」
「うん。ちいもも、いつもモモって言ってるモモ……」
僕は、ちいももの頭をそっとなでた。
「そうだね。ちいももは、いつもそうやってお話ししてるもんね」
「うん……」
先生は、静かにうなずいた。
「なるほど。
普段の話し方から『モモ』を取り除くと、違和感があるわけですね。
これは大変興味深いことです」
◆
しばらくすると、モリノ先生は手帳を閉じて、桃の木を見上げた。
「私はこれまで、さまざまな言葉を研究してきました。
けれど、ちいももさんのようなお話し方には、初めて出会いましたよ」
「そうなんですか?」
「ええ。言葉というものは実に不思議です。
同じ意味を伝えるにも、人によって話し方が違います。
そして、その違いには、その人らしさが表れることもあるのです」
ちいももは、先生の言葉を聞きながら、僕の隣でちょこんと座っていた。
「ちいももさん」
「なあにモモ?」
「あなたにとって、『モモ』という言葉は、どんな言葉なのでしょうね?」
ちいももは首をかしげた。
「……どんな言葉モモ?」
「ええ。何か特別な意味があるのですか?」
ちいももは、少し考えてから答えた。
「……わからないモモ」
「そうですか」
「うん。ちいもも、いつもこうやってお話ししてるモモ。
だから、あんまり考えたことないモモ……」
先生は、ふむふむとうなずいた。
「なるほど。それが自然なのですね」
ちいももは、ふと僕のほうを見た。
「でも……」
「ん? どうしたの、ちいもも?」
「ちいももの名前にも、モモがあるモモ」
「そうだね」
「ケイモモが、ちいももって名前をつけてくれたモモ」
僕は微笑んだ。
「うん。そうだよ」
ちいももは、少し嬉しそうに続けた。
「だから、ちいもも、モモって言うのが好きだモモ」
先生は、その言葉を聞いて、ゆっくりとうなずいた。
「……そうですか。それは素敵なお話ですね」
そして、僕のほうを向いた。
「ケイモモさんが、この子に名前をつけられたのですか?」
「はい。僕がイラストを描いて生み出して、ちいももと名づけたんです」
「ほう……それは不思議なご縁ですな」
先生は、ちいももを見つめた。
「ちいももさん。その名前が、お好きなのですね?」
「うん。大好きだモモ」
ちいももは、こくんとうなずいた。
先生は、手帳にゆっくりと何かを書き込んだ。
「言葉には、意味だけでなく、
思い出や、大切な相手とのつながりが宿ることもあります。
ちいももさんにとって『モモ』は、そういう言葉なのかもしれませんね」
僕は、ちいももの小さな手を握った。
ちいももも、きゅっと握り返してきた。
◆
やがて、桃の木の向こうから柔らかな風が吹いてきた。
花びらがひらひらと舞い、先生の手帳の上にも一枚落ちた。
「おや……」
先生は、その花びらを指先でそっと拾った。
「桃の里らしい、きれいな花びらですね」
「そうだモモ」
ちいももが答えると、先生はまた微笑んだ。
「……ふふ。やはり面白いですね」
「何がですか?」
僕が尋ねた。
「いえ、ちいももさんの『モモ』を聞いていると、
何だかこちらまで穏やかな気持ちになるのです」
「そうですか」
「ええ。言葉には、意味だけでなく、音の響きというものもあります。
『モモ』という柔らかな音が、ちいももさんのお声によく合っているのでしょう」
ちいももは、先生を見上げた。
「先生、ちいもものお話、好きモモ?」
「ええ、とても好きですよ」
「……えへへ」
ちいももは嬉しそうに笑った。
先生は手帳を閉じ、丁寧に頭を下げた。
「今日は貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとうございました」
僕が答えると、ちいももも小さく頭を下げた。
「ありがとうだモモ」
先生は、そんなちいももの姿を優しく見つめた。
「またいつか、お話を聞かせてくださいね」
「うん、いいモモ」
先生は満足そうにうなずくと、分厚い本を抱え直し、
ゆっくりと広場を歩いていった。
◆
先生と別れたあと、僕とちいももは、桃の小道を並んで歩いていた。
道の両側には桃の木が続き、枝の間から柔らかな光が差し込んでいる。
「ケイモモ」
「ん?」
「言語学者の先生、いっぱいお話ししたモモね」
「そうだね。ちいももの『モモ』が、よっぽど気になったんだろうね」
「……そうなんだモモ」
ちいももは、ぽてぽてと歩きながら、少し考え込んだ。
「ケイモモ」
「なあに?」
「ちいもも、いつもモモって言ってるモモ?」
「うん。言ってるよ」
「……いっぱいモモ?」
「ふふ、いっぱい言ってるね」
ちいももは、しばらく黙っていた。そして、ちょこんと首をかしげた。
「……ちいもも、そんなに言ってるつもりなかったモモ」
僕は思わず笑ってしまった。
「ははは。そうなんだね」
「うん……」
ちいももは、少し不思議そうな顔をしていた。
僕はその小さな手を握り直した。
「でも、僕はちいももの話し方が好きだよ」
「……ほんとモモ?」
「うん。ちいももの声を聞くと、何だか嬉しくなるんだ」
ちいももは、僕を見上げて微笑んだ。
「えへへ……よかったモモ」
それから、またぽてぽてと歩き始めた。
しばらくすると、道の端に小さな桃の実がひとつ落ちていた。
「あっ……」
ちいももは立ち止まった。
「ケイモモ、桃があるモモ」
「本当だね」
ちいももはしゃがみ込み、両手で桃を拾い上げた。
「……いい匂いだモモ」
小さな鼻を近づけて、くんくんと香りを確かめている。
その様子が可愛らしくて、僕は微笑んだ。
「おうちに持って帰ろうか?」
「うん。ケイモモと一緒に食べたいモモ」
「じゃあ、そうしよう」
ちいももは桃を大事そうに抱え、僕の隣を歩き始めた。
小さな鈴が、ちりん、ちりんと鳴っていた。
◆
その日の夕方。桃の里の小さな研究室で、モリノ先生は机に向かっていた。
机の上には、今日の観察記録が広げられている。
先生は眼鏡を直し、ゆっくりと万年筆を走らせた。
『観察対象:ちいもも』
『特徴:発話の文末に「モモ」が頻繁に現れる』
『喜び、感謝、疑問など、さまざまな発話で使用される』
『本人にとって自然な話し方であり、省略すると違和感を覚える』
『本人の名前にも「モモ」が含まれ、名前への愛着との関連も考えられる』
先生はそこまで書くと、ふと筆を止めた。
窓の外では、桃の花びらが静かに舞っていた。
「……しかし、不思議なものですな」
先生は、今日のちいももの姿を思い出していた。
小さな手で花びらを拾っていたこと。
難しい言葉を聞いて、不思議そうに首をかしげていたこと。
そして、『わからないモモ』と、何の飾り気もなく答えていたこと。
「……言葉というものは、実に奥が深い」
先生は、観察記録の最後にもう一行書き加えた。
『「モモ」という音の柔らかさと、話し手の穏やかな声が、
聞き手に与える印象についても、今後考察したい』
そして、手帳を閉じた。
「……また、あの小さな方にお会いしたいものですな」
先生は窓の外を眺め、優しく微笑んだ。
◆
その頃、僕たちのおうちでは、今日拾った桃をふたりで食べていた。
小さな木のテーブルの上には、切り分けた桃が並んでいる。
「ケイモモ、おいしいモモね」
「うん。甘くておいしいね」
ちいももは、小さな一切れを両手で持ち、ゆっくりと食べていた。
「ねえ、ちいもも」
「なあにモモ?」
「今日は楽しかったね」
「うん。先生のお話、ちょっと難しかったけど、面白かったモモ」
「そうだね」
僕は、ちいももの頭を優しくなでた。
ちいももは気持ちよさそうに目を細めた。
「……ケイモモ」
「ん?」
「ちいもも、明日も一緒にお散歩したいモモ」
「いいよ。明日はどこに行こうか?」
「うーん……」
ちいももは少し考えた。
「小川に行きたいモモ。お水がきらきらしてるところだモモ」
「いいね。じゃあ、明日は小川に行こう」
「うん」
ちいももは嬉しそうにうなずいた。
そして、食べ終えたお皿をそっとテーブルに置くと、
僕の膝の上によじ登ってきた。
「ケイモモ、抱っこしてほしいモモ」
「もちろんいいよ」
僕が小さな体を抱き上げると、ちいももは僕の胸に寄りかかった。
ふわふわの毛並みから、ほんのり桃の甘い香りがする。
窓の外では、夕暮れの光が桃の花を優しく照らしていた。
「……ケイモモ」
「なあに?」
「ちいもも、ケイモモと一緒にいられて、嬉しいモモ」
僕は小さな背中をそっとなでた。
「僕もだよ、ちいもも」
ちいももは、僕の胸に顔をすり寄せた。
「……えへへ」
首元の鈴が、ちりん、と小さく鳴った。
僕はその音を聞きながら、ちいももを優しく抱きしめた。
言語学者の先生は、ちいももの「モモ」という言葉に、
いろいろな仕組みや意味を見つけようとしていた。
けれど、僕にとっては、難しい説明などなくてもよかった。
ただ、ちいももがいつもの声で「ケイモモ」と呼んでくれること。
そして、何気ない言葉の終わりに、小さな「モモ」が聞こえてくること。
それだけで、僕の胸は温かくなるのだった。
ちいももは、僕の腕の中で少し眠たそうにしていた。
「……ケイモモ」
「ん?」
「ちいもも、ちょっと眠くなってきたモモ」
「ふふ、じゃあ、少しお昼寝しようか」
「……うん」
僕がゆっくりと背中をなでると、ちいももは安心したように目を閉じた。
「……おやすみ、ケイモモ……」
「おやすみ、ちいもも」
ちいももは、小さな声でつぶやいた。
「……おやすみだモモ……」
やがて、すうすうと穏やかな寝息が聞こえてきた。
窓の外を、一枚の桃の花びらがゆっくりと通り過ぎていく。
僕は眠っているちいももの顔を見つめながら、そっと微笑んだ。
桃の里の小さなおうちには、今日も柔らかな時間が流れていた。
――第二話・おわり――