夜会の裏のバルコニー
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
アルバルト王国 貴族たちが多く住むとても華やかなこの王国 でもその裏にはたくさんの闇がある そんな王国で暮らす少年少女のちょっとした暮らしを描く日記 どうぞ最後までご覧ください
本文
ざわめきは、波のように広がった。
シリルの言葉を聞いた瞬間、庭園の空気が変わる。遠巻きにユノを見ていた令嬢たちが扇子を口元に寄せ、子息たちが目配せを交わす。誰も声には出さない。だが、その視線の全部が同じことを言っていた。
(オーカー公爵家の次期当主が、あのローズマリーの令嬢を?)
ユノはうつむいた。薄金髪が頬の線を隠す。
「……シリル様。ここで、その話をなさるのですか」
「あれ、まずかった?」
シリルは悪びれもしない。薄紫の髪を夜風に遊ばせたまま、アメジストの瞳を細めて笑ってみせる。
「隠すようなことでもないだろ。君は俺の婚約者だ。堂々としてればいい」
「堂々と、できる立場ではありませんわ。私は」
「そういうところだよ」
軽い口調のまま、シリルは一歩近づいた。その動きに、周囲の視線がさらに強くなる。
高い位置にいたレオンが、グラスを置いた。音は小さかったが、なぜかその場の全員が聞きつけたように静まった。サファイアの瞳が、庭園の隅の二人をまっすぐに見下ろしている。その視線に感情はない。ないはずなのに、見られている側は肌が粟立つ。
「シリル」
短く、冷たい声だった。
「なんだい、レオン」
「話があるなら、場所を選べ。ここは夜会だ」
「場所を選ぶのは得意だよ。今から選ぶところだった」
シリルはひらりと片手を上げ、ユノのほうへ顔を戻した。声を落とす。さっきまでの軽さが、ふっと薄くなる。
「少し、抜けない?」
「……どちらへ」
「バルコニー。あそこなら、俺たちを見てる連中も届かない」
ユノは迷った。断る理由なら山ほどある。兄が心配する。噂になる。この婚約は、彼にとっても得のない話のはずだ。平民の血を引く自分を、純血の貴族たちが陰で笑うように、ローズマリーの名を背負う自分もまた、彼の足枷になる。
それでも、ユノはうなずいていた。
「……お兄様に、一言だけ」
「ああ。アルなら、俺が話を通しておくよ」
アルは離れた場所から、妹の姿をじっと見ていた。ユノが目を向けると、彼は少しだけ眉を下げて笑い、小さくうなずいた。行っておいで、と。その仕草が、なぜか胸の奥に沁みた。
バルコニーへ続く石段は、夜露で冷えていた。手すりに触れると、ひやりとした感触が指先に伝わる。下ではまだワルツが続いている。ここまで来ると、音楽は遠い水音のようだった。
「寒くない?」
「平気ですわ」
「嘘。手、冷たい」
シリルが指先をかすめるように触れて、すぐに離した。それだけのことに、ユノの心臓が妙に跳ねた。
彼は手すりに背を預け、夜空を見上げる。ふわふわの薄紫が、星の光を受けて淡く光った。
「さっきの、怒ってる?」
「怒ってなど」
「でも、嫌だったろ。ああいうふうに、見せ物みたいに」
ユノは答えなかった。答えられなかった。当たっていたからだ。
「ごめん。わざとやった」
「……わざと」
「そう。あの場で言えば、レオンが黙ってない。アイツは俺の婚約の話を、たぶん一番気にしてる。何しろ、ローズマリーとオーカーが組むのを、王家が一番嫌がるからね」
ユノは顔を上げた。
「でしたら、なおさら」
「なおさら、隠す必要がある。そう思う?」
シリルは笑っていなかった。初めて見る、笑わない顔だった。アメジストの瞳が、夜の闇のほうを向いている。
「俺はね、ユノ。この婚約を、なかったことにしたいと思ってる人間が、この国に何人いるか数えたことがある。片手じゃ足りなかった」
「……シリル様」
「だから、今日みたいに堂々とやる。隠せば隠すほど、連中は面白がって嗅ぎ回る。だったら最初から、日の下に放り出しておくほうがいい」
風が吹いた。ユノの薄金髪がふわりと浮き、肩に落ちる。彼はそれを見ていた。
「それに、さ」
声が、少しだけ戻った。軽さが、戻ってきた。
「君が誰の許嫁か、はっきりさせておきたかったんだ。俺の我儘」
「……我儘、ですの」
「そう。悪い?」
ユノは答えに詰まって、手すりに指を絡めた。冷たい石の感触が、火照った頬にはちょうどよかった。
そのとき、バルコニーの入口のほうで、衣擦れの音がした。振り返ると、淡い灯りを背にした人影がある。肩下までの茶髪、イエロートルマリンの瞳。完璧な微笑みを浮かべたまま、アリス・ロナートが立っていた。
「ごめんなさい、お二人とも。迷子になってしまって。……でも、よかった。シリル様とユノ様でしたのね」
その声は、どこまでも甘かった。