第五話『ちいももと、なでなで小町』
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あらすじ
ある日、ケイモモとちいももは、 桃の里の町で「なでなで小町」というASMR屋さんを、 見つけます。 心地よい音や、優しいなでなでを楽しめる不思議なお店。 スタッフのフワリーナさんとユルリオさんに案内され、 ふたりは初めてのASMRを体験することに。 ささやき声や耳かき、ブラッシングなど、 さまざまな癒やしを楽しむふたりの、 心地よく温かなひとときを描きます。
本文
桃の里に、穏やかな朝が訪れていた。
窓の外では桃の花が風に揺れ、柔らかな日差しが部屋いっぱいに広がっている。
僕は、ちいももと一緒に朝ごはんを食べ終えたところだった。
「ケイモモ、今日は何をするモモ?」
ちいももが、椅子の上から僕を見上げた。
頭の緑の葉っぱが、ぴょこんと立っている。
「そうだね。今日は町をお散歩してみようか」
「お散歩モモ! 行くモモ!」
ちいももは嬉しそうに両手を上げた。
僕が椅子から抱き下ろしてあげると、
ちいももは玄関へ向かって、ぽてぽてと歩き始めた。
「ケイモモ、早く行くモモ〜!」
「ふふ、ちょっと待ってね」
僕は戸締まりを確かめ、ちいももと手をつないで家を出た。
桃の里の小道には、今日も優しい風が吹いていた。
◆
しばらく歩いて町の商店街に入ると、ちいももが突然足を止めた。
「ケイモモ、あれは何モモ?」
ちいももが指さした先には、桃色の屋根をした小さなお店があった。
入り口には、ふわふわした雲の形をした看板がかかっている。
そこには、『ASMR屋さん なでなで小町』と書かれていた。
「ASMR屋さんか……」
「えーえすえむあーる? 何のお店モモ?」
ちいももは、不思議そうに首をかしげた。
「心地よい音を聴いたり、優しく撫でてもらったりして、
リラックスするお店だよ」
「なでなでしてもらえるモモ?」
「うん。頭を撫でてもらったり、耳かきをしてもらったりするみたいだね」
すると、ちいももの大きな瞳が、きらきらと輝き始めた。
「ちいもも、なでなで大好きモモ!」
「知ってるよ。いつも僕にお願いするもんね」
「えへへ……だって、ケイモモになでなでしてもらうと、とっても幸せモモ」
ちいももは、僕の手をぎゅっと握った。
「ねえ、ケイモモ。ここ、入ってみたいモモ!」
「いいよ。僕もちょっと興味があるな」
「やったモモ〜!」
僕たちは、木でできた可愛らしい扉を開けた。
ちりん、と小さなベルが鳴った。
◆
お店の中には、ほのかに甘い花の香りが漂っていた。
壁は淡い桃色で、窓辺には小さな花が飾られている。
どこからか、静かな水の流れる音が聞こえてきた。
「いらっしゃいませ」
奥から、穏やかな声が聞こえた。
現れたのは、優しい笑顔を浮かべた女性だった。
「ようこそ、なでなで小町へ。私はフワリーナと申します」
続いて、落ち着いた雰囲気の男性も姿を見せた。
「私はユルリオと申します。本日は、どのような癒やしをご希望でしょうか?」
僕は、ちいももを見下ろした。
「初めてなので、いろいろ体験してみたいんですが」
「もちろんです。
当店では、ささやき声や心地よい音のほか、
なでなで、ブラッシング、耳かきなどもお楽しみいただけます」
フワリーナさんが、にっこりと微笑んだ。
「おふたりで一緒に施術を受けることもできますよ」
「ほんとモモ!?」
ちいももが嬉しそうに声を上げた。
「はい。私は、こちらの可愛らしいお客さまを担当させていただきますね」
フワリーナさんは、ちいももの目線に合わせて、そっとしゃがんだ。
「お名前を教えていただけますか?」
「ちいももだモモ!」
「まあ、可愛らしいお名前ですね」
「えへへ……ケイモモがつけてくれた、大切な名前モモ!」
ちいももは得意そうに胸を張った。
「それでは、ちいももちゃん。今日はよろしくお願いしますね」
「よろしくお願いしますだモモ!」
ユルリオさんが、僕に向かって微笑んだ。
「ケイモモさまは、私が担当いたします。どうぞ、ゆっくりおくつろぎください」
こうして、僕たちは初めてのASMR体験をすることになった。
◆
案内された部屋には、柔らかなリクライニングチェアが二つ並んでいた。
片方は人間用の大きな椅子。
もう片方は、ちいももの体にぴったりの、小さな桃色の椅子だった。
「わああっ! ちいももの椅子、ちっちゃいモモ!」
ちいももは嬉しそうに駆け寄った。
「ちいももさまのお体に合わせて、調整させていただきました」と、
ユルリオさん。
「すごいモモ! ちいもも専用みたいだモモ!」
僕がちいももを抱き上げ、椅子に座らせると、
小さな体がふんわりとクッションに沈んだ。
「ふわぁ……これだけでも気持ちいいモモ……」
ちいももは、すでに幸せそうな顔をしている。
僕も隣の椅子に腰を下ろした。
背もたれがゆっくり倒れ、体が優しく包み込まれる。
「それでは、始める前にひとつだけ。
苦手な音や、触れられたくない場所がありましたら、
遠慮なくおっしゃってくださいね」
フワリーナさんが優しく説明した。
「ちいももちゃん、頭を撫でてもよろしいですか?」
「もちろんモモ! いっぱいなでなでしてほしいモモ!」
「ふふ。それでは、始めましょうね」
フワリーナさんは、ちいももの頭にそっと手を置いた。
そして、ふわふわの毛並みに沿って、ゆっくりと撫で始めた。
なで、なで。なで、なで。
「……ふにゃぁ」
ちいももの口から、小さな声が漏れた。
「いかがですか?」
「き、気持ちいいモモぉ……」
ちいももの大きな瞳が、とろんと細くなっていく。
頭の緑の葉っぱも、気持ちよさそうにゆらゆら揺れていた。
「ちいもも、気持ちよさそうだね」
僕が声をかけると、ちいももはゆっくり顔を向けた。
「ケイモモぉ……すごいモモ……なでなでの達人さんだモモぉ……」
その言い方が可愛らしくて、僕は思わず笑ってしまった。
◆
一方、僕のところでは、ユルリオさんが施術の準備を始めていた。
「まずは、耳元で心地よい音をお楽しみいただきます」
ユルリオさんは、小さな木の箱を取り出した。
その中には、さまざまな道具が並んでいた。
柔らかな筆、小さな鈴、木製のブラシ、薄い紙。
最初に、筆で布をゆっくり撫でる音を聴かせてくれた。
さら、さら、さら……。静かな部屋に、細かな音が響く。
不思議なことに、耳の奥から頭全体へ、心地よい感覚が広がっていくようだった。
「……気持ちいいですね」
「ありがとうございます。では、次はこちらを」
今度は、薄い紙をゆっくりめくる音だった。ぱらり。ぱらり。
小さな音なのに、すぐ近くで聴くと、ずいぶん繊細に感じられる。
「ケイモモ〜……」
隣から、ちいももの声がした。
「ん?」
「ケイモモも、気持ちいいモモ?」
「うん。とっても気持ちいいよ」
「よかったモモぉ……」
ちいももは安心したように微笑んだ。
フワリーナさんは、今度は小さなブラシを手に取っていた。
「ちいももちゃん、今度はブラッシングしてみましょうか」
「ぶらっしんぐモモ?」
「はい。ふわふわの毛並みを、優しく整えていきますね」
フワリーナさんが柔らかなブラシを動かすと、
ちいももの桃色の体から、かすかな音がした。さわ、さわ。さら、さら。
「ふにゃああぁ……!」
ちいももは両手を胸の前で合わせ、幸せそうに目を閉じた。
「ケイモモぉ……ちいもも、もっとふわふわになっちゃうモモぉ……」
「ふふ、もともとふわふわなのにね」
「もっともっと、ふわふわになるモモぉ……」
僕は笑いながら、その様子を眺めていた。
◆
しばらくすると、ユルリオさんが僕に尋ねた。
「続いて、耳かきを体験されますか?」
「はい。お願いします」
僕は椅子の背もたれを倒し、横向きになった。
ユルリオさんは、明かりで耳の中を確かめてから、
柔らかな道具を使って、ごく浅いところを優しく整えてくれた。
こしょ、こしょ……。耳元に響く小さな音が、不思議と心地よい。
「痛くありませんか?」
「はい。大丈夫です」
ゆっくりした動きに、僕も次第に眠くなってきた。
そのころ、ちいももはフワリーナさんに、頭の周りを優しく撫でてもらっていた。
「ちいももちゃん、この頭の桃も、とても可愛らしいですね」
「えへへ……これは、ちいももの体の一部だモモ」
「まあ、そうなんですね」
「葉っぱも、ちいももの大切な葉っぱモモ!」
ちいももは、ちょっぴり誇らしげだった。
「それでは、桃と葉っぱには触れないように、周りを優しく撫でますね」
「ありがとうだモモ!」
フワリーナさんは小さな桃を避けながら、頭の柔らかな部分をゆっくり撫でた。
「ふわぁ……」
ちいももの葉っぱが、だんだん下がってきた。
僕は、その様子を見て微笑んだ。
以前、モモノウチ博士から教えてもらったことを思い出したのだ。
ちいももの葉っぱは、感情に合わせて動く。
眠くなると、柔らかく垂れてくるのだった。
「ちいもも、眠くなってきた?」
「……うん……ちょっとだけモモ……」
そう答えながら、ちいももは小さなあくびをした。
「ふあぁぁ……モモぉ……」
フワリーナさんが、くすっと笑った。
「無理に起きていなくても大丈夫ですよ」
「でも……ちいもも……まだ……いっぱい、なでなでしてほしいモモ……」
「はい。眠ってしまっても、優しく続けますね」
「えへへ……嬉しいモモ……」
ちいももは再び目を閉じた。
◆
次に、フワリーナさんは、ちいももの耳元で小さくささやき始めた。
「ちいももちゃん。今日も、とってもいい子ですね」
「……えへへ……」
「ふわふわで、可愛らしいですね」
「……嬉しいモモ……」
柔らかな声が、ちいももの耳元に優しく届く。
「大好きなケイモモさんと一緒に来られて、よかったですね」
その言葉を聞くと、ちいももはうっすら目を開けた。
「……うん……ケイモモと一緒だから……もっと幸せモモ……」
僕は、その声を聞いて胸が温かくなった。
ユルリオさんも、僕の頭をゆっくりとマッサージし始めていた。
指先で優しく圧をかけられるたび、頭から肩へと力が抜けていく。
「いかがでしょうか?」
「……すごく気持ちいいです」
僕が答えると、ユルリオさんは穏やかに微笑んだ。
「ありがとうございます。
こちらのお店では、何かを頑張る必要はありません。
ただ、心地よいと感じる時間をお楽しみください」
僕は、ゆっくり目を閉じた。
静かな音。優しい手の温もり。隣から聞こえる、ちいももの小さな寝息。
こんなふうに、何もしないで過ごす時間もいいものだと思った。
◆
どれくらい時間がたったのだろう。
僕が目を開けると、部屋の中には柔らかな光が満ちていた。
施術は、そろそろ終わりのようだった。
隣を見ると、ちいももが小さな椅子の上ですやすや眠っていた。
両手をおなかの上に置き、頭の葉っぱは、すっかり下がっている。
首元の鈴も静かだった。
「……ちいもも」
僕は小さな声で呼んだ。
「……んにゃ……モモ……」
ちいももは寝ぼけたように口を動かした。
フワリーナさんが微笑む。
「とても気持ちよさそうに眠っていらっしゃいますね」
「ええ。こんなに幸せそうな顔をしていると、起こすのがもったいないですね」
すると、ちいももの瞳がゆっくり開いた。
「……ケイモモ……?」
「おはよう、ちいもも」
「……あれ……? ちいもも、寝ちゃったモモ?」
「うん。ぐっすり寝てたよ」
ちいももは、ちょっぴり恥ずかしそうに頬を赤くした。
「えへへ……あんまり気持ちよくて……寝ちゃったモモ……」
そして、フワリーナさんを見上げた。
「フワリーナさん、ありがとうだモモ! ちいもも、とっても幸せだったモモ!」
「こちらこそ、ありがとうございます。またいつでもいらしてくださいね」
ユルリオさんも、僕に丁寧に頭を下げた。
「本日はありがとうございました」
「こちらこそ。とても気持ちよかったです」
僕は椅子から立ち上がり、ちいももをそっと抱き上げた。
「ケイモモぉ……」
ちいももは、すぐに僕の胸に顔をすり寄せた。
「ふふ、まだ眠い?」
「……ちょっとだけモモ……」
僕は、ふわふわの頭を優しく撫でた。
「それじゃあ、抱っこして帰ろうか」
「……うん。お願いするモモ……」
◆
お店を出ると、町には穏やかな午後の日差しが降り注いでいた。
ちいももは僕の腕の中で、気持ちよさそうに体を丸めている。
「ちいもも、今日は楽しかったね」
「うん! とっても楽しかったモモ!」
少し元気を取り戻したちいももが、顔を上げた。
「フワリーナさん、なでなでがとっても上手だったモモ!」
「そうだね。ユルリオさんも、すごく上手だったよ」
「ケイモモも、また行きたいモモ?」
「うん。また一緒に行こうね」
「やったモモ〜!」
ちいももの葉っぱが、ぴょこんと立った。
それから、ちいももは少し考えるように首をかしげた。
「でもね、ケイモモ」
「ん?」
「ちいもも、ひとつ気づいたことがあるモモ」
「どんなこと?」
「フワリーナさんのなでなでも、すっごく気持ちよかったモモ。だけど……」
ちいももは、小さな両手で僕の服をぎゅっとつかんだ。
「ケイモモに抱っこしてもらうと、もっともっと安心するモモ」
僕は、思わず微笑んだ。
「そうなの?」
「うん。だって、ケイモモのおてては、ちいももがいちばん大好きなおててだモモ」
そう言って、ちいももは僕の手に小さな頬を寄せた。
「ちいももが嬉しいときも、眠いときも、ちょっと寂しいときも……
いつも優しくなでなでしてくれるモモ」
僕は立ち止まり、ちいももを抱き直した。
「……ありがとう、ちいもも」
「えへへ……」
僕は、ちいももの頭をゆっくり撫でた。なで、なで。なで、なで。
「ふにゃぁ……やっぱり、これが大好きモモぉ……」
ちいももは、とろけるような笑顔を浮かべた。
「僕も、ちいももを撫でていると幸せになるよ」
「ほんとモモ?」
「うん。ちいももが気持ちよさそうにしてくれると、僕も嬉しくなるんだ」
「えへへ……じゃあ、ふたりとも幸せモモ!」
僕たちは顔を見合わせて笑った。
◆
やがて、桃の木々の向こうに、見慣れた桃色の屋根が見えてきた。
『ケイモモとちいもものおうち』だった。
「ケイモモ、おうちが見えたモモ!」
「うん。ただいまだね」
「ただいまモモ〜!」
玄関を開けると、いつもの温かな空気が僕たちを迎えてくれた。
僕はちいももを抱っこしたまま、居間のソファに腰を下ろした。
「ちいもも、少しお昼寝する?」
「うん……でも、ケイモモも一緒がいいモモ」
「もちろん」
僕はソファにゆったりともたれ、ちいももを膝の上に乗せた。
小さな体を両腕で包み込み、頭を優しく撫でる。
「ケイモモ……」
「なあに?」
「今日のお店、すごかったモモ……」
「うん」
「でもね……ちいもも、今もASMRしてもらってるみたいだモモ」
「えっ? 僕、何か音を出してる?」
「ううん……ケイモモの声と、なでなでと……それから……」
ちいももは、僕の胸に小さな耳を寄せた。
「とくん、とくんっていう音が聞こえるモモ……」
「ああ、心臓の音だね」
「うん……この音、好きだモモ……」
ちいももは、幸せそうに目を閉じた。
「ケイモモが、ここにいるってわかる音だモモ……」
僕は何も言わず、ちいももをそっと抱きしめた。
窓の外では、桃の花びらが静かに舞っている。
やがて、ちいももの口から、小さな寝息が聞こえ始めた。
「……すぅ……すぅ……モモ……」
僕は、その寝顔を見つめながら、ゆっくりと頭を撫で続けた。
今日、僕たちはASMR屋さんで、たくさんの心地よい音や優しいふれあいを体験した。
けれど、こうしておうちでちいももを抱きしめている時間も、
僕にとっては何より心地よいものだった。
小さな寝息。柔らかな桃色の毛並み。ときどき、ちりんと鳴る首元の鈴。
そして、腕の中に確かに感じる、ちいももの温もり。
僕は、小さな声でつぶやいた。
「……おやすみ、ちいもも」
すると、眠っているはずのちいももが、ほんの少しだけ微笑んだ。
「……おやすみ……ケイモモ……大好きモモ……」
僕も微笑み、もう一度その小さな体を抱きしめた。
桃の里の午後は、ゆっくりと流れていく。
なでなで小町で過ごした、優しくて心地よい時間。
そして、ふたりのおうちで過ごす、何でもない幸せなひととき。
今日もまた、僕たちの大切な思い出がひとつ増えたのだった。
――第五話・おわり――