第1話 丸髷は美しい
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
丸髷は美しい。 古い日本髪の写真集を見て、丸髷の美しさに魅せられた若い女性、丸井月子。 彼女は、思い切って自分も丸髷にしてみたものの、周囲の人々から笑われてしまう。 傷ついた月子は、ある夜、星空を見上げて決心する。 「地球に丸髷の美しさを理解してくれる国がないのなら、宇宙に作ればいい!」 やがて、彼女の夢に共感する少数の仲間たちが集まり、秘密の宇宙船計画が始まる。 そして、誰にも知られずに宇宙へ旅立つ月子たち。 果たして、丸髷を愛する人々の理想郷は見つかるのだろうか? 丸髷と宇宙――全く関係のなさそうな二つのものが結びついたとき、奇想天外な冒険が始まる。 ちょっぴりおかしくて、心温まる、愛と夢と丸髷の宇宙物語。
本文
丸井月子は、二十歳を少し過ぎたばかりの、ごく普通の若い女性だった。
少なくとも、周囲の人々はそう思っていた。
ところが、そんな月子の人生を大きく変えてしまう出来事が、
ある日の午後、何の前触れもなく訪れたのである。
それは、一冊の本との出会いだった。
月子は、その日、街の古書店に立ち寄っていた。
別に何か特別な本を探していたわけではない。
古い本が並ぶ店内の、少し懐かしいような匂いが好きで、
ときどき立ち寄るのである。
文学全集、昔の旅行案内、古い映画雑誌……。
そんな本を何気なく眺めているうちに、一冊の大きな写真集が目に留まった。
『日本の伝統髪型』
表紙には、昔の日本女性の美しい髪型が写っていた。
「へえ……」
月子は何となく手に取り、ページをめくった。
島田髷、桃割れ、銀杏返し。
昔の女性たちは、実にさまざまな形に髪を結っていたらしい。
月子は感心しながらページをめくっていたが、
ある写真を見た瞬間、その手が止まった。
そこには、丸く、ふっくらと結い上げられた髷が写っていた。
説明には、こう書かれていた。
『丸髷』
「……まるまげ?」
月子は小さくつぶやいた。
艶やかな黒髪が、なめらかな曲線を描いている。
後頭部には、ふっくらと丸みを帯びた髷が、堂々と、しかし優美に形作られていた。
派手すぎず、地味すぎず。
柔らかさと気品が、不思議なほど調和していた。
「……美しい」
月子は思わず声に出していた。
その髪型は、月子にとって、今まで見たどんな髪型とも違っていた。
現代の流行の髪型も、もちろん素敵だと思う。
けれども、この丸髷には、それらとは別の、何とも言えない魅力があった。
まるで、髪そのものが一つの芸術作品になったようだった。
月子は何度も写真を見つめた。
別のページにも丸髷の写真があった。
角度によって形が違って見え、髪飾りによっても印象が変わる。
しかし、どれにも共通しているのは、あの美しい丸みだった。
「こんな髪型があったんだ……」
月子は、すっかり夢中になってしまった。
結局、その写真集を買って帰った。
それからというもの、月子の頭の中は丸髷でいっぱいになった。
朝起きると、まず写真集を開く。
食事のあとにも開く。
夜寝る前にも開く。
インターネットでも丸髷について調べた。
昔の日本では、主に既婚女性が結っていた髪型だという。
「そうなんだ……」
月子は少し考えた。
現代に生きる自分が、丸髷にしたら、変かな・・・。
しかし、 何より、美しいものは美しいのである。
月子は鏡の前に立った。
自分の黒髪を、そっと持ち上げてみる。
「私も……丸髷にしてみたいな」
そう思った瞬間、胸が高鳴った。
けれども、すぐに不安にもなった。
今どき、丸髷を結って街を歩いている若い女性など、ほとんど見かけない。
人から変わっていると思われるかもしれない。
それでも、月子の憧れは日に日に強くなっていった。
そして、とうとう決心した。
「よし。丸髷にしよう!」
月子は、日本髪を結う技術のある美容室を探した。
何軒か問い合わせた末に、伝統的な日本髪の結髪を扱う店を見つけた。
予約の日、月子は少し緊張しながら、その店を訪ねた。
「丸髷にしたいんです」
美容師は少し驚いた様子だった。
「丸髷ですか? 何かの撮影ですか?」
「いいえ」
「お芝居か何か?」
「いいえ。普通に、丸髷にしたいんです」
美容師は目を丸くした。
しかし、月子が真剣なことを知ると、にっこり笑った。
「そうですか。では、きれいに結いましょうね」
月子は、ほっとした。
髪を丁寧に整えられ、少しずつ形が出来上がっていく。
鏡の中の自分が、見慣れない姿に変わっていった。
そして、ついに完成した。
「はい。できましたよ」
月子は鏡を見た。
「わあ……!」
思わず声が上がった。
そこには、写真集で何度も見つめていた、あの丸髷があった。
ふっくらとした美しい曲線。
艶やかな黒髪。
きちんと整った、上品な形。
それが今、自分の頭に結われているのである。
「きれい……」
月子は、うっとりした。
鏡の前で少し顔を右に向け、次に左に向けた。
合わせ鏡で後ろ姿も見せてもらった。
何度見ても、見飽きなかった。
「とてもお似合いですよ」
美容師が言った。
「ありがとうございます!」
月子は嬉しくてたまらなかった。
まるで、長い間憧れていた宝物を、ようやく手に入れたような気持ちだった。
店を出た月子は、足取りも軽く街へ向かった。
今日は、世界がいつもより明るく見える。
そんな気さえした。
ところが――。
「あれ?」
通りすがりの若い男性が、月子を振り返った。
「何、あの髪型?」
隣にいた男性が笑った。
「時代劇みたいじゃん」
月子は、はっとした。
少し先では、若い女性二人がこちらを見て、何やら小声で話していた。
「見て、あの人」
「すごい髪型……」
「何かの仮装じゃない?」
くすくすと笑う声が聞こえた。
月子は急に恥ずかしくなった。
さっきまであんなに嬉しかったのに。
自分では、こんなに美しいと思っているのに。
どうして笑われるのだろう。
歩いていると、さらに別の人たちが振り返った。
中には、珍しそうに見るだけの人もいた。
しかし、月子には、その視線の一つ一つが、自分を笑っているように感じられた。
とうとう、月子はうつむいてしまった。
せっかく結った丸髷が、人目につかないようにしたい。
そんな気持ちさえ湧いてきた。
けれども、丸髷を隠してしまったら、それはそれで悲しかった。
月子は足早に帰宅した。
部屋に入ると、鏡の前に座った。
そこには、朝から憧れていた、美しい丸髷姿の自分が映っていた。
何も変わっていない。
美容室で見たときと、同じ丸髷である。
それなのに、なぜこんなに悲しいのだろう。
「……やっぱり、きれいなのにな」
月子は、ぽつりと言った。
鏡の中の丸髷は、何も答えなかった。
その夜、月子はなかなか眠れなかった。
丸髷をほどくのが惜しくて、まだそのままにしていた。
写真集を開いてみる。
そこには、あの美しい丸髷が、変わらず載っていた。
「昔の人は、こんなにきれいな髪型をしていたのに……」
月子は、ため息をついた。
もちろん、現代の人々が丸髷を好きにならなければならないとは思わない。
誰にだって好みはある。
けれども、好きな髪型をしているだけで笑われるのは、やはり悲しかった。
「どこかに、丸髷が美しいって、みんなが言ってくれる場所はないのかな……」
月子は窓を開けた。
夜の空気が、そっと頬に触れた。
空には、いくつもの星が輝いていた。
月も出ていた。
自分の名前にもある、あの月である。
「月か……」
月子は、ぼんやりと月を眺めた。
その向こうには、無数の星々がある。
この地球とは違う世界が、宇宙には数え切れないほど存在しているのだろう。
その中には、地球によく似た星もあるかもしれない。
そして、もしかしたら――。
「丸髷が美しいって言われる星も、あるのかな」
口に出してみると、何だかおかしかった。
月子は少し笑った。
宇宙人が丸髷を結っているところなど、想像したこともなかった。
丸髷姿の宇宙人。
あるいは、丸髷を見て感激する宇宙人。
そんな光景を思い浮かべると、さっきまでの悲しさが少し和らいだ。
しかし、月子の想像は、そこで終わらなかった。
「別に、宇宙人じゃなくてもいいんだ……」
月子は、ふと思った。
地球にだって、丸髷を美しいと思う人は、きっといる。
自分一人しかいないはずがない。
もし、そういう人たちが集まって、宇宙へ行ったらどうだろう。
地球に似た、美しい星を見つける。
そこに、小さな国を作る。
その国では、丸髷がとても美しいものとして大切にされる。
丸髷を結った女性たちは、堂々と街を歩く。
人々は微笑みながら、その美しさを褒める。
男性たちも丸髷を愛し、憧れを込めて見つめる。
そして、自分は――。
「……女王様?」
月子は思わず声を上げた。
自分が丸髷の女王になる。
何とも大それた想像だった。
豪華な宮殿。
美しい庭園。
丸髷を結った女性たち。
丸髷を心から愛する男性たち。
国民たちに祝福され、玉座に座る自分。
「丸髷の女王、丸井月子……」
月子は、そっとつぶやいてみた。
そして、思わず吹き出した。
「あはは……何を考えてるんだろう、私」
けれども、笑い終わったあとも、その光景は頭から離れなかった。
何より、その国では、誰も自分の丸髷を笑わない。
それどころか、みんなが丸髷を美しいと褒めてくれる。
もちろん、丸髷を好まない人がいたって構わない。
ただ、お互いの好きなものを尊重して、仲良く暮らせればいい。
そんな国があったら、どんなに幸せだろう。
月子は、もう一度、星空を見上げた。
遠くの星が、小さく瞬いていた。
あの星まで行くには、どれほどの距離があるのだろう。
宇宙船を作るには、どれほどのお金が必要なのだろう。
そんなことは、月子にはさっぱり分からなかった。
そもそも、宇宙船の作り方さえ知らない。
けれども、今はそれでよかった。
まずは、夢を持つことだ。
そして、その夢を分かってくれる人を探すことだ。
もしかしたら、世の中には、自分と同じように丸髷を愛する人がいるかもしれない。
その中には、宇宙に行ってみたいと思っている人もいるかもしれない。
そういう人たちが集まれば、何かが始まるかもしれない。
「……よし」
月子は、小さくうなずいた。
「宇宙へ行こう」
自分で言って、少し驚いた。
昨日まで、宇宙へ行くことなど、考えたこともなかった。
ただ、丸髷にしたかっただけなのに。
丸髷が美しいと、誰かに言ってもらいたかっただけなのに。
それが、いつの間にか宇宙旅行になってしまった。
でも、不思議と、今の月子には、その夢がとても素敵なものに思えた。
月子は鏡の前に戻った。
そこには、丸髷姿の若い女性が映っていた。
少し照れくさそうな、しかし、どこか晴れやかな顔をしていた。
「あなた、宇宙へ行くんだって」
月子は、鏡の中の自分に話しかけた。
「大変なことになったわね」
そう言って、また笑った。
今度は、誰かに笑われた悲しさからではない。
自分の夢が、あまりにも大きくなってしまったことが、おかしかったのである。
月子は写真集をそっと閉じた。
表紙の女性も、美しい日本髪を結っていた。
「ありがとう」
月子は、小さく言った。
この本に出会わなければ、丸髷の美しさを知らなかったかもしれない。
そして、宇宙へ行こうなどとは、夢にも思わなかっただろう。
窓の外では、星々が静かに輝いていた。
その星のどこかに、月子の求める理想郷があるのかどうか。
それは、まだ誰にも分からない。
けれども、この夜、一人の若い女性の心に、
途方もない夢が生まれたことだけは確かだった。
丸髷を愛する人々の国を、宇宙に作る。
そして、自分は、その国の女王になる。
丸井月子の、奇想天外な大冒険は、こうして始まったのである。
その名も――。
大宇宙マルマゲドン。
もっとも、このときの月子は、まだ知らなかった。
自分のこの突拍子もない夢に、本気で賛同してくれる人々が、やがて現れることを。
そして、その中に、宇宙船を作ることさえ夢ではなくしてしまう、
ある人物がいることを。
月子はただ、幸せそうに微笑みながら、夜空の星々を見つめていた。
(第1話 完)