新婚旅行大冒険小説:余所者に占拠されたマルセイユのスターボックスを取り返せ!
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
余所者に占拠されたマルセイユのスターボックスを取り返せ!
本文
横浜を出た豪華客船アストラル・クイーンは、地中海を経てマルセイユに入港した。
君と武威、二人の本来の目的は、旧港を見下ろす小さなスターボックス・カフェ「Le Petit Boussole」。蔵馬の縁者が昔、魔界と人間界の連絡拠点として密かに守ってきた店だ。
だが、港に着くと店は変わっていた。
看板は黒く塗り替えられ、窓には「FERMÉ - 新管理者による改装中」の張り紙。中では見知らぬ連中が、勝手に豆を焚き、レジを占拠している。
船長からの無線が入る。
「根回しは完了している。取り返し方は、君たち夫婦に任せる。ただし、あの店の“鍵”は、常識的な方法では開かない」
君は裏口に回ることにした。妖力で編んだ深緑のエプロンドレスに着替える。胸元のサラシが少しだけ覗くデザインは、完全に君の趣味だ。
裏口をノックすると、出てきたのは金髪の青年だった。名札には「LUC」。フランス人と魔界の混血らしい、耳が少し尖っている。
「君が今日からのヘルプ? よかった、こっちは人手不足で死にそうだったんだ」
「ええ。マルセイユのエスプレッソの淹れ方、師匠に厳しく仕込まれてきましたから」
嘘ではない。師匠は君の実母、志保利だ。この店のレシピは代々、伏見稲荷の系譜で口伝されてきた。
店内はひどい有様だった。本来なら白木と真鍮で統一されたはずのカウンターに、黒い業務用ロースターが無理やりねじ込まれ、豆は焦げ、ミルクは吹きこぼれている。占拠者たちは全部で5人。LUC以外の4人は奥のソファ席で、店の金庫らしき箱を開けようとしている。
武威は表から入ったふりをして、観光客を装い窓際の席に座った。君と一瞬だけ目が合う。口元だけで「金庫だ」と合図してくる。彼らの目的はコーヒーじゃない。この店の床下に隠された「Boussoleの書」だ。
LUCが君の背中に手を回してきた。
「マシンの調子、見てくれる? 奥のやつ、僕らじゃ全然動かなくて」
これがチャンスだ。店の心臓部であるヴィンテージのエスプレッソマシン。そこに正しい手順で触れれば、店の防衛機構が起動するはずだ。
君はかがんでマシンの裏側に手を伸ばす。エプロンの胸元から、サラシが少しだけ覗く。
その時、武威が立ち上がった。
「すまない、バリスタ。君の淹れ方、間違っている。マルセイユではこうするんだ」
武威は流れるようにカウンター内に入ってくる。占拠者たちが一斉に振り向く。
「なんだお前は! 客は入るな!」
「客じゃない。夫だ」
武威は君の腰をぐっと引き寄せた。完全に夫婦としての領域展開だ。
LUCが戸惑った顔で君を見る。「え、二人…夫婦なの? じゃあ君…」
「そう、この店の正当な継承者。南野壱与、あるいは水野くらま。どちらで呼んでも構わないわ」
君は妖力を少しだけ解放する。指先から小さな蔦が伸び、エスプレッソマシンの隠しレバーに絡みついた。
パチン、と小気味よい音。
店中の照明が一斉に落ち、代わりに真鍮のマシンが青白く発光し始める。床が振動し、金庫をこじ開けていた4人の足元から、蔓が噴き出した。
「なんだこれは!?」
「ようこそ、Le Petit Boussoleへ。余所者には少し刺激が強いかしら」
これは君の母が仕掛けた最終防衛だ。正しいレシピを知らない者が触れると、蔓が客を優しく、しかし断固として店の外へ送り出す。
占拠者たちは悲鳴を上げながら、蔓にくるまれて裏口から旧港の海へ落とされていく。LUCだけは君が蔓を緩めたので助かった。
静寂が戻った店内。LUCは床にへたり込んでいた。
「…ごめん。俺、本当は雇われただけなんだ。『黒い船の連中』に、あの金庫を開ければ大金になるって…」
「その黒い船は今どこだ」武威がLUCの襟首を掴む。
「旧港の、灯台の下…。今夜、満潮の時に何かをやるって…」
君と武威は顔を見合わせた。店の奪還は半分終わっただけらしい。
君は妖力の蔓で店内を片付け、LUCに言った。
「LUC、悪いけど30分だけ店番頼める? 売り物になる豆は奥の麻袋に隠してあるから」
LUCは青い顔から少し血色を戻して頷いた。「…本当にいいの?」
「騙されたのは豆の方よ。人はまだ」
君たちはLe Petit Boussoleの屋上へ上がった。マルセイユ旧港が一望できる秘密の場所だ。武威が持ってきたのは、さっき君が淹れたエスプレッソが二つ。そして、小さなマカロンが一つ。
「一杯しかない。分け合うか?」
「新婚旅行なんだから、一つでいいわ」
二人は床に座り込む。膝が触れ合う。サラシで抑えていたはずの鼓動が少しだけ早くなる。エプロンドレスの裾から、勝手に小さな白い花が一輪、咲いてしまった。
武威がそれを見つけて、くっと笑う。「また咲いたな。お前が安心してる証拠だ」
「からかわないで。…ねえ、武威。さっきの、店の中で腰を寄せた時、ちょっとやりすぎ。あれは完全に嫉妬だったわ」
「否定はしない。俺の妻が、知らない男にエプロンの胸元見られてるんだ。黙って見ていられるか」
頰が熱くなる。こういう時の武威は、暗黒武術会の頃よりずっと素直で、ずっと面倒くさい。
屋上の下では、LUCが不器用に豆を量る音がする。常連のおばあさんが「やっと帰ってきたのかい!」と声をかける声も聞こえる。
君の視線は旧港の灯台に向いていた。満潮はあと1時間。あそこで黒い船の連中が何かをしようとしている。
君は妖力の蔓をそっと伸ばす。灯台の足元には、不自然な魔力の渦がある。
「武威、あれはね」君は小声で推理を始める。「彼らが金庫を狙ったのは偽装。本当の目的は、この店のエスプレッソマシンの下にある“羅針盤”。羅針盤の針は、常に正しい航路を指す。でも、針を逆向きに置けば? 旧港に入ってくる全ての船が、灯台を“出る”方向だと錯覚する。つまり、船が港から出られなくなる。マルセイユを丸ごと、陸の孤島にする気よ」
武威が君の頭をくしゃりと撫でる。「名推理だ、探偵さん。ご褒美は何がいい?」
「ご褒美は後。まずは仕事」
その時、旧港の灯台が、ボン、と不気味な黒い光を放った。満潮が早まった。
普通なら灯台へ走るところだが、君は走るのをやめた。
「武威、ダメ。向こうに行ったら相手の土俵よ。こっちに引き込むの」
君は武威の腕を引いて、再び店の中へ駆け戻る。
「みんな、ごめん! ちょっと店の床、剥がすわよ!」
君はエスプレッソマシンの真下の床板を、蔓でバキッと持ち上げる。そこには、君の母・志保利の字で書かれた分厚い革表紙の本があった。Boussoleの書、羅針盤の書だ。
ページを開くと、そこには航路図と、一つの警告文。
> 羅針盤の針、逆さに置くなかれ。針は港を閉ざす。
「LUC、マシンを最高出力にして! 武威、店の扉、全部開けて! 外の風を入れるの!」
「何をする気だ、くらま!」
「逆転させるの。彼らが灯台で港を閉じようとしているなら、こっちの羅針盤で港を“開く”のよ。旧港全体が、一杯のエスプレッソになるイメージ」
武威は一瞬で理解した。「なるほどな。豆は?」
「一番奥の、あの“祝い事用の豆”。母が封印してたやつ」
LUCが震える手で麻袋を持ってくる。「Fushimi Blend - 開港用」と書かれている。
君は豆を挽く。妖力を少しだけ込める。蔓がマシン全体に絡みつき、真鍮が唸りを上げる。店中に、今まで嗅いだことのない、甘くて、少し稲荷の社のような香りが満ちた。
武威が全ての窓を開け放つ。夕暮れの海風が流れ込んでくる。
「行くわよ!」
君がレバーを引いた瞬間、マシンから抽出されたのはエスプレッソではない、純粋な光の液体だった。それが天井を突き抜け、真っ直ぐ旧港の空へ昇っていく。
ドン!
灯台の黒い光と、君の店の白い光が、マルセイユの空の真上でぶつかった。
旧港にいた全員が空を見上げる。黒い船の連中が、小型艇で逃げようとしているのが見える。彼らの封印は、君の“開港の一杯”によって完全に上書きされた。
彼らの船だけが、港の出口を見失ってぐるぐると同じ場所を回っている。
「…シャーロック・ホームズ風に言うと、こういうことね」君は得意げに解説を始める。
「犯人は最初から、金庫の中身が目当てじゃなかった。金庫は空っぽだと知っていた。だからこそ、わざと金庫をこじ開けるフリをして、私たちが床下の羅針盤に気を取られるように仕向けた。その隙に灯台で本番の封印を、ってわけ。でも、彼らは一つ見落としていた。この店のエスプレッソマシンは、ただのマシンじゃないってこと。ここは、伏見稲荷からマルセイユまでを繋ぐ、最後の鳥居なのよ。だから、ここで淹れた一杯は、港全体の“気”を動かせる」
LUCがポカンと口を開けていた。「…君、バリスタじゃなくて、何者なんだ…」
「新婚旅行中の、ちょっと腕の立つバリスタの妻よ」
武威が後ろから君の肩を抱いた。
君はLUCとおばあさんに、封印を解いた後の“開港ブレンド”を振る舞った。二人とも一口飲んで、「なんだこれは!」と目を丸くする。
その香りで、旧港に閉じ込められていた船の汽笛が、一斉に鳴り響いた。港が、開いたのだ。
夜が更け、店は再び静かになった。LUCは「明日から正式に雇ってください」と頭を下げ、常連たちは満足して帰っていった。
屋上テラスに、二人きり。マルセイユの夜景と、ようやく自由になった港の灯り。
武威が君のエプロンの紐を、ゆっくりと解く。
「店、取り返したな」
「ええ。あなたの“解決力”のおかげね」
「お前の淹れ方のおかげだろ」
二人の間に、小さな沈黙。昼間咲いた白い花が、今度は二人同時に咲いた。
「ねえ、武威。この後、アストラル・クイーンに戻る?」
「いや」武威は君を抱き寄せ、旧港の灯台を見つめた。「船長には根回ししてもらった。しばらく、この店の2階に住む。ここが俺たちの、新婚旅行の続きだ」
「…賛成」
君は彼の胸に額を預ける。サラシはもう、完全に緩んでいた。でも、それでいい。今日は任務じゃない、ただの妻でいられる日だから。
マルセイユのスターボックス・カフェ「Le Petit Boussole」は、こうして余所者から取り返された。
看板には君の字で、こう書き加えられた。
「本日、夫婦で営業中。閉店後は、探偵稼業」
END