第六話『雨の日のちいもも』
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あらすじ
桃の里に、優しい雨が降る朝。 ケイモモとちいももは、 窓を流れる雨粒を眺めたり、 傘をさして庭を散歩したりしながら、 雨の日ならではの小さな発見を楽しみます。 やがて、おうちで不思議な「俳句からくり箱」を開くと、 中から小さな俳句の先生、五七庵が目を覚まします。 先生に教わり、初めて俳句に挑戦するちいもも。 でも、ちいももの俳句には、 ちょっと変わった決まりがあって……。 雨音と笑顔に包まれた、心温まる一日のお話です。
本文
朝、目を覚ますと、窓の向こうから、さらさらと優しい音が聞こえてきた。
雨だった。
桃の里の空は薄い灰色の雲に覆われ、庭の桃の木も、しっとりと濡れている。
僕がベッドから起き上がると、
隣で眠っていたちいももも、小さな体をもぞもぞと動かした。
「ケイモモ、おはようだモモ……」
まだ眠そうな声で挨拶すると、ちいももは大きな瞳をぱちぱちさせた。
「あれ? 何か音がするモモ」
「雨が降っているんだよ」
「雨だモモ?」
ちいももはベッドから降りると、とことこと窓のそばへ歩いていった。
頭の桃についている緑の葉っぱが、左右にゆらゆら揺れている。
「わあ! いっぱい降ってるモモ!」
窓ガラスには、いくつもの雨粒がついていた。
ちいももは、その一つを指さした。
「ケイモモ、この雨さん、動いてるモモ!」
雨粒は、ガラスの上をゆっくりと滑り落ちていく。
「あっ、こっちの雨さんも動き始めたモモ! どっちが早いモモ?」
僕もちいももの隣にしゃがんで、二つの雨粒を見比べた。
「右のほうが早そうだね」
「ちいももは左の雨さんを応援するモモ!」
ところが、左の雨粒は途中で別の雨粒とくっつき、急に大きくなって、
右の雨粒を追い越してしまった。
「あっ! 合体したモモ!」
「本当だ。左の勝ちだね」
「やったモモ! 雨さん、力を合わせたモモ!」
ちいももは嬉しそうに両手を上げた。
その拍子に首元の小さな鈴が、ちりんと鳴った。
窓の外では雨が降り続いている。
屋根を打つ雨音、葉っぱに落ちる雨音、地面に降り注ぐ雨音。
それぞれ少しずつ違う音がしていた。
「ケイモモ、雨さん、いろんな音で歌ってるモモ」
「そうだね。今日は雨の演奏会だね」
「じゃあ、ちいももの鈴も参加するモモ!」
ちいももは体を小さく揺らして、ちりん、ちりんと鈴を鳴らした。
雨音の中に、可愛らしい鈴の音が混じった。
◆
朝食を終えたころ、雨は少し弱くなっていた。
ちいももは窓の外を眺めながら、何かを考えている。
「ケイモモ、ちいもも、お庭に行ってみたいモモ」
「雨が降っているけど、大丈夫?」
「ちょっとだけ、雨さんの近くに行きたいモモ!」
僕は玄関から傘を持ってきた。
大きな傘を一本開き、ちいももを抱き上げて、ふたりで庭へ出た。
空気はひんやりとしていて、土と草の優しい匂いが漂っていた。
傘に当たる雨粒が、ぽつぽつと音を立てる。
「わあ……。おうちの中で聞くのと、音が違うモモ」
ちいももは傘の内側を見上げた。
「雨さん、傘を叩いてるモモ」
「入れてくださいって言っているのかな」
「でも、雨さんを傘の中に入れたら、ちいももが濡れちゃうモモ!」
そう言って、ちいももはくすくす笑った。
庭の桃の木の下まで歩くと、葉っぱの先に大きな雫がぶら下がっていた。
「ケイモモ、見てモモ!」
ちいももが指さした瞬間、雫はぽとりと落ちた。
「あっ、落っこちたモモ!」
「ずいぶん大きくなっていたからね」
「雨さん、葉っぱで休憩してたのかな」
「そうかもしれないね」
ちいももは、今度は足元の水たまりに気づいた。
水面には灰色の空と、桃の木の枝が映っている。
「ケイモモ! 地面の中にも木があるモモ!」
「水たまりに映っているんだよ」
ちいももが顔を近づけると、水面にも小さな桃色の姿が現れた。
「あっ! ちいもももいるモモ!」
そのとき、一粒の雨が水面に落ち、丸い波紋が広がった。
映っていたちいももの顔が、ゆらゆらと揺れる。
「わわっ! 水の中のちいももが、ぐにゃぐにゃになったモモ!」
「雨粒が落ちたからだね」
僕が笑うと、ちいももも楽しそうに笑った。
しばらく庭を眺めてから、僕たちはおうちへ戻ることにした。
「ケイモモ、雨の日のお庭、面白かったモモ!」
「そうだね。いつもと違うものが見えたね」
玄関に入ると、ちいももは自分の頭の葉っぱを気にして、そっと手を伸ばした。
「ケイモモ、ちいももの葉っぱにも、雨さんが乗ってるモモ?」
見ると、葉っぱの先に小さな雫が一つついていた。
「本当だ。ちょっと待ってね」
僕は柔らかいタオルで、葉っぱの雫を優しく拭き取った。
「これで大丈夫」
「ありがとうだモモ!」
ちいももは満足そうに葉っぱをぴんと立てた。
◆
居間に戻った僕は、棚の上に置いてあった一つの木箱に目を留めた。
「そうだ。ちいもも、今日は面白いものがあるんだよ」
「面白いものだモモ?」
それは、以前、町のお店で手に入れておいた「俳句からくり箱」だった。
両手で持てるほどの木箱で、表面には美しい草花の模様が彫られている。
側面には、小さなぜんまいのつまみがついていた。
「ケイモモ、それは何だモモ?」
「俳句を教えてくれる、不思議な箱なんだ」
「はいく?」
「うん。俳句っていうのは、短い言葉で景色や気持ちを表すものなんだよ」
ちいももは首をかしげた。
「短いお話みたいなものだモモ?」
「少し似ているかもしれないね。実は、この箱の中には俳句の先生がいるんだ」
「ええっ! 先生が箱の中にいるモモ!?」
ちいももは驚いて、箱の周りをぐるりと一周した。
「こんなに小さい箱なのに、先生が入ってるモモ?」
「開けてみようか」
僕は箱をテーブルに置き、側面のぜんまいをゆっくり巻いた。
かりかり、かりかり。
やがて小さな音がして、箱のふたがひとりでに開いた。
中には、小さな畳の部屋があった。
障子があり、床の間には小さな掛け軸が飾られている。
そして、部屋の中央の座布団には、着物姿のおじいさんが座っていた。
白い眉毛に、短い白ひげ。
目を閉じて、静かにうつむいている。
やがて、おじいさんの肩がわずかに動いた。
「……ふむ。よく眠ったのう」
おじいさんはゆっくり目を開け、こちらを見上げた。
「おやおや。今日は、どんなお客さんかのう」
「こんにちは。僕はケイモモです」
「ちいももは、ちいももだモモ!」
おじいさんは、ちいももの顔をじっと見つめた。
「ほっほっほ。これはまた、可愛らしいお客さんじゃ。
わしは五七庵(ごしちあん)。
俳句を詠むのが大好きな、ただの年寄りじゃよ」
「ごしちあん先生だモモ?」
「そうじゃ。どうぞよろしくのう」
ちいももは箱の縁に両手をかけ、畳の部屋をのぞき込んだ。
「先生、ずっとそこで暮らしてるモモ?」
「今は、そういうことになるかのう。
昔は桃の里をあちらこちら歩いて、俳句を詠んでおったのじゃがな」
五七庵先生は、穏やかに笑った。
「わしは長い年月を楽しく生き、満足して生涯を終えた。
体は光に包まれて消えたが、魂は自分の術で、この箱に宿したのじゃ」
「どうして箱に入ったモモ?」
先生は白いひげをなでた。
「ほっほっほ。それは内緒じゃ」
ちいももは、ますます不思議そうな顔をした。
「さて、せっかく目を覚ましたのじゃ。今日は俳句のお話をしようかのう」
◆
五七庵先生は、小さな座布団に座り直した。
「俳句とは、基本的には五つ、七つ、五つの音を並べて作る、短い詩のことじゃ。
全部で十七音じゃな」
「ご、しち、ご……だモモ?」
「そうじゃ。季節を表す言葉を入れることも、大切な決まりの一つじゃよ」
先生は掛け軸を指さした。
そこには、美しい筆文字で俳句が書かれていた。
先生はそれをゆっくり読み上げ、言葉の数え方を教えてくれた。
「なるほど……」
僕が感心していると、ちいももは小さな指を折りながら、何かを数えていた。
「ちいもも、分かったモモ! 五つと七つと五つだモモ!」
「うむ。では、何か一つ、詠んでみるかのう」
「ちいもも、やってみるモモ!」
先生は嬉しそうにうなずいた。
「今日のお天気はどうじゃった?」
「雨だモモ!」
「では、その雨を題材にしてみよう。何か面白いものを見つけたかのう」
ちいももは、庭で見た桃の木を思い出したらしい。
「葉っぱに雨さんが乗ってたモモ! それから、ぽとんって落ちたモモ!」
「ほう。よく見ておったのう。では、その景色を五七五にしてみるのじゃ」
ちいももは目を閉じて、一生懸命に考え始めた。
頭の葉っぱまで、考え込んでいるように少し傾いている。
やがて、ぱっと目を開いた。
「できたモモ!」
五七庵先生は背筋を伸ばした。
「では、聞かせてもらおうかのう」
ちいももは胸を張って、元気よく詠んだ。
「あめのにわ はっぱのうえで おどるモモ!」
先生は少し驚いた顔をしてから、楽しそうに笑った。
「ほっほっほ! なるほど、雨粒が葉っぱの上で踊っておるのじゃな」
「そうだモモ! 雨さんが、ぽとんって落ちる前に、ゆらゆらしてたモモ!」
「うむ。五七五にもなっておる。よいところを見つけたのう」
僕はちいももの頭を優しくなでた。
「すごいね、ちいもも。初めてなのに、ちゃんと作れたね」
「えへへ。ちいもも、俳句が作れたモモ!」
しかし先生は、少し首をかしげた。
「ところで、一つ聞いてもよいかのう。最後の『モモ』というのは、何じゃ?」
「モモは、モモだモモ!」
「ほう?」
「ちいももは、いつもモモってお話しするモモ。
だから、俳句もモモで終わるモモ!」
先生はしばらく考えてから、大きくうなずいた。
「なるほど。自分だけの決まりがあるのじゃな。
俳句にはいろいろな作法があるが、まずは楽しむことも大切じゃ。
面白い工夫ではないか」
「先生、ちいももの俳句、いいモモ?」
「もちろんじゃ。
わしは長いこと俳句を詠んできたが、
最後を必ずモモにするという弟子は初めてじゃよ」
先生が笑うと、僕もちいももも笑った。
それから、僕も雨の俳句を一つ作ってみた。
先生は僕の句にも丁寧に感想を述べ、
言葉を少し変えるだけで景色の伝わり方が違ってくることを教えてくれた。
ちいももは、先生が話すたびに何度もうなずいていた。
やがて、箱の奥から、ちりりん、と小さな音が聞こえた。
五七庵先生は、壁に掛かった時計を見上げた。
「おや。もう三十分になるようじゃ」
「三十分だモモ?」
「この箱のぜんまいで、わしが動けるのは三十分だけなのじゃよ。
そろそろ、また眠る時間じゃ」
ちいももは、少し残念そうに先生を見つめた。
「先生、また俳句を教えてくれるモモ?」
「もちろんじゃとも。ただし、この箱は一度使うと、すぐには再び動かせん。
次にぜんまいを巻けるのは、一年ほど経ってからじゃ」
「一年だモモ……」
ちいももは少し考えてから、顔を上げた。
「じゃあ、ちいもも、一年の間に、いっぱい俳句を作っておくモモ!」
「ほっほっほ。それは楽しみじゃのう。
次に会ったときには、とっておきの一句を聞かせてもらおう」
先生は僕たちに向かって、丁寧に頭を下げた。
「今日は楽しい時間をありがとう。ふたりとも、どうかお元気でのう」
「こちらこそ、ありがとうございました」
「先生、またねだモモ!」
五七庵先生は優しく微笑み、座布団の上で静かに目を閉じた。
やがて、その体はぴたりと動かなくなった。
箱の中には、小さな畳の部屋と、眠るように座っている先生の姿だけが残った。
僕はそっとふたを閉じた。
「先生、眠っちゃったモモ」
「うん。また一年くらいしたら会えるよ」
「そのときは、ちいもも、俳句の名人になってるモモ!」
ちいももは自信たっぷりに言った。
僕は笑いながら、箱を大切に棚へ戻した。
◆
いつの間にか、雨はすっかりやんでいた。
窓の外には、雲の切れ間から柔らかな日差しが差し込み、
濡れた庭を明るく照らしている。
ちいももは窓辺に座り、外を眺めていた。
「ケイモモ、雨さん、帰ったモモ」
「そうだね。晴れてきたね」
そのとき、ちいももが急に鼻をひくひくさせた。
「……あれ?」
もう一度、小さく鼻を動かす。
「ケイモモ! いい匂いがするモモ!」
「いい匂い?」
僕も窓を開けてみた。
すると、どこからか香ばしく甘い匂いが漂ってきた。
遠くから、のんびりとした声が聞こえる。
「やきいもー。ほくほくの、やきいもはいかがー」
道の向こうから、小さな屋台を引いたやきいも屋さんがやってきた。
屋台の煙突からは、白い湯気がふわふわと立ち上っている。
「ケイモモ! やきいもだモモ!」
「食べたい?」
「食べたいモモ〜!」
僕たちは玄関を出て、屋台のそばへ向かった。
やきいも屋さんは、にこにこと笑いながら声をかけてくれた。
「いらっしゃい。雨がやんで、いいお天気になりましたね」
「こんにちは。やきいもを二つ、いただけますか」
「はいよ。ちょうどおいしく焼けたところですよ」
屋台の中には、こんがりと焼けたさつまいもが並んでいた。
僕たちは、やきいもを二つ分けてもらった。
「ありがとうございます」
「ありがとうだモモ!」
ちいももが元気よくお礼を言うと、やきいも屋さんは目を細めた。
「おやまあ、可愛らしいお客さんだこと」
僕たちはおうちの縁側に腰を下ろし、温かいやきいもを食べることにした。
ちいももの分は、僕が食べやすい大きさに分けてあげた。
「はい、どうぞ」
「いただきますだモモ!」
ちいももは両手で小さなやきいもを持ち、
ふうふうと息を吹きかけてから、ぱくりと食べた。
「ん〜! 甘いモモ! ほくほくだモモ!」
嬉しそうに頬をふくらませている。
その様子を眺めながら僕も一口食べると、柔らかい甘さが口いっぱいに広がった。
雨上がりの庭は、日差しを受けてきらきらと輝いていた。
しばらくすると、ちいももが空を見上げた。
「ケイモモ、ちいもも、また俳句を思いついたモモ!」
「おっ、今度はどんな俳句かな?」
「晴れた日の俳句だモモ!」
ちいももは、やきいもをそっと置き、先生に教わったように背筋を伸ばした。
そして、晴れた空を見上げながら、ゆっくりと詠んだ。
「あきのそら おいものゆげが のぼるモモ!」
僕は思わず拍手した。
「すごい! ちゃんと五七五になっているね」
「えへへ! ちいもも、できたモモ!」
ちいももは得意そうに笑ったあと、
ふと何かに気づいたように、やきいもを見つめた。
「でも、ケイモモ……」
「どうしたの?」
「ちいもも、俳句を考えてたら、やきいもがちょっと冷めちゃったモモ……」
僕は思わず笑ってしまった。
「それなら、冷めないうちに食べようか」
「そうするモモ!」
ちいももは再びやきいもを両手で持ち、おいしそうに頬張った。
やがて、口元についた小さなかけらをぺろりとなめると、満足そうに言った。
「ケイモモ、ちいもも、もう一つ分かったことがあるモモ」
「何が分かったの?」
「俳句は五七五だけど、
やきいもは、五でも七でもなく、いっぱい食べたいモモ!」
僕が声を上げて笑うと、ちいもももつられて笑い始めた。
雨上がりの桃の里に、ふたりの笑い声が響いた。
空はすっかり晴れて、庭の桃の木の葉っぱが、きらきらと光っていた。
第六話・おわり