第六話
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
起きろ、エリナ。まだ戦いは終わっていない。その言葉に応じるように、エリナの睫毛が微かに震えた。だが、彼女の瞳には光が入り込んでおらず、ただ虚ろに天井の瓦礫を見つめているだけだった。聖属性魔力の暴走は、彼女の神経系を焼き尽くしたかのように、意識を遠ざけていた。カインは焦燥感に駆られ、エリナの頬を軽く叩こうとしたが、ロイドがそれを制止した。「無駄だ。今はただの人間だ」
本文
起きろ、エリナ。まだ戦いは終わっていない。
その言葉に応じるように、エリナの睫毛が微かに震えた。だが、彼女の瞳には光が入り込んでおらず、ただ虚ろに天井の瓦礫を見つめているだけだった。聖属性魔力の暴走は、彼女の神経系を焼き尽くしたかのように、意識を遠ざけていた。カインは焦燥感に駆られ、エリナの頬を軽く叩こうとしたが、ロイドがそれを制止した。
「無駄だ。今はただの人間だ」
ロイドの声は冷徹だったが、その手つきはエリナの脈を測るという実務的なものだった。彼は即座に判断を下す。
「背負うぞ。俺が運ぶ」
「お前が? 体力があるのか」
カインが疑いの目を向ける。ノーパンメイド喫茶での労働で、英雄としての肉体美は保たれているものの、重荷を背負って洞窟を移動するのは容易ではないはずだ。
「盗賊時代、金庫ごと担いで逃げたことがある。これくらいは朝飯前だ」
ロイドは言い切ると、エリナを軽々と抱え上げ、自分の背中に固定した。フリルのスカートが揺れ、下着がないという事実が露呈するが、ロイドは動じない。むしろ、その羞恥すらも荷物と同列に処理しているようだった。
一方、リナは弓矢を再装填しながら、崩落した壁の隙間から漏れる紫紺色の光を睨んでいた。
「セレスティアさん、状況はどうです?」
「……厄介よ」
セレスティアは右腕の包帯を解き、そこに刻まれた魔導紋様を撫でた。血が滲み出ている。呪文の反動だ。
「灰が仕掛けた罠ね。この洞窟全体が、魔力回路として機能している。崩落したのも偶然じゃない。私たちは、意図的に地下深くへ誘導されている」
「誘導?」
カインが問うと、セレスティアは苦々しい表情で頷いた。
「王都の地下街にある『謎の生物』の巣穴へ。ミレディアの言う通り、これは実験なのか、それとも復讐なのか……いずれにせよ、出口はこの先にはないわ」
その時、足元の瓦礫がぐらついた。
暗闇の中から、無数の甲殻音が響いてくる。先ほどの蜘蛛型生物とは違う、もっと巨大な何か。それは、壁を這いずるようにして現れた。半透明の膜状生物が合体し、一つの巨大な塊となり、人の形を模している。顔はない。だが、そこには明確な殺意と、飢餓感が漂っていた。
「何あれ……!」
リナが息を呑む。
「魔力吸収体……いや、擬態体ね」
セレスティアが杖を構える。
「触れた瞬間、生命力を吸われる。物理攻撃では止まらない」
カインはトレイを握りしめた。剣はない。だが、彼には鍛え抜かれた反射神経がある。
「ロイド、エリナを守れ! リナ、援護射撃!」
「了解」
リナが矢を放つ。矢は巨大な塊の表面に突き刺さるが、粘液に飲み込まれ、効果なく消えていく。
「効かない!」
「なら、内部を狙う!」
カインが叫び、走り出した。彼の足取りは軽い。ノーパンであることによる風圧のなさ——それが、意外にも敏捷性を高めていた。彼は巨大な塊の正面へ跳び上がり、トレイを振り上げる。
「天罰の一撃!」
自棄気味な叫びと共に、トレイが塊の中心部——最も濃密な紫色の核のような部分に命中した。
ドン、と鈍い音が響く。
塊がひび割れ、中から黒い液体が噴き出す。
「今よ!」
セレスティアが呪文を唱える。
「破滅の雷、降臨」
青白い稲妻がカインの頭上を通り抜け、裂け目へ直撃した。
爆発音と共に、巨大な塊は四散した。だが、その残骸からも新しい個体が生まれており、再びこちらへ迫ってくる。
「数が多すぎる……!」
カインが後退する。息が上がる。体力の消耗が激しい。
その時、背後から声が聞こえた。
「……カインさん」
エリナの声だった。彼女はロイドの背中で目を開けていた。その瞳には、かつての聖女の輝きはなく、代わりに深い絶望と、それでも諦めない意志が宿っていた。
「私、もう浄化できないかもしれません……でも、言霊なら……」
「言霊?」
ロイドが振り返る。
「聖女としての祈りは、信仰に基づくもの。私は、あなたたちの存在意義を信じています。だから……」
エリナが手を組んだ。その指先から、淡い金色の光が漏れ出す。それは浄化の力ではなく、純粋な希望の光だった。
「お願い、みんな。助けて」
その光が、周囲の闇を照らす。
すると、驚くべきことが起きた。
襲いかかってきた擬態体たちが、その光に触れると、一瞬動きを止めたのだ。まるで、懐かしい記憶を呼び覚まされたかのように。
「……なぜ?」
セレスティアが目を見開く。
「エリナさんの光は、魔力を吸収しない。逆に、相手の核にある『感情』に作用している……!」
カインが気づく。
「灰の写真……ミレディアとの過去……こいつらは、単なるモンスターじゃない。誰かの執念の結晶だ」
その時、洞窟の奥から、聞き慣れた低い声が響いた。
「見事だ、英雄様方」
灰が、瓦礫の上から立っていた。革鎧は傷だらけだが、その姿は健在だった。
「オーナーの計算通りよ。あなたがたは、ここで真実を知るために来たのだから」
灰が手を広げると、背後の闇が晴れ、そこには広大な空間が広がっていた。
そこには、多数のガラス容器が並べられ、それぞれに人間の姿をした生物が浮かんでいる。
そして、中央には、大きな王座があった。
その上に座っているのは——ミレディアだった。
だが、今の彼女は「天罰」のオーナーとしての妖艶さを纏っておらず、魔王軍の将帥としての威厳を取り戻していた。
「おかえりなさい、カイン、エリナ、ロイド、リナ」
ミレディアが微笑む。その笑顔は、店で見せるそれよりもずっと甘く、ずっと危険だった。
「あなたのための特別サービスよ。地下のVIPルームへご案内します」
カインたちは、互いに顔を見合わせた。
ノーパンメイド喫茶「天罰」。その正体は、単なるカフェではなかった。
世界を救った英雄たちを、再び束縛するための牢獄だったのだ。
「……逃げるぞ」
ロイドが低く囁く。
「いや、待て」
カインが止める。
「ミレディアが、なぜここにいる? そして、なぜ俺たちを呼んだ?」
ミレディアが立ち上がり、ゆっくりと近づいてくる。その足元には、影が長く伸びていた。
「答えは、あなたの心の中にあるわ。カイン。あなたは、本当に平和を手に入れたかったの?」
その問いかけは、ナイフよりも鋭く、胸を抉った。
エリナがカインの手を握る。
リナが弓を構える。
ロイドが身構える。
セレスティアが呪文を準備する。
四人の視線が、ミレディアへと集中する。
地下の空洞に、風が吹き抜けた。
次の瞬間、何が起きるか、誰にもわからなかった。