第七話
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
次の瞬間、何が起きるか、誰にもわからなかった。ミレディアの問いかけが空洞に反響し、消える。その沈黙を破ったのは、リナの放った矢だった。愛想のない顔のまま、彼女は弦を引き絞り、ミレディアの胸元を狙う。だが、矢は届かない。ミレディアの周囲に透明な障壁のようなものが展開され、矢先が弾かれて床に転がった。「粗い」
本文
次の瞬間、何が起きるか、誰にもわからなかった。
ミレディアの問いかけが空洞に反響し、消える。その沈黙を破ったのは、リナの放った矢だった。愛想のない顔のまま、彼女は弦を引き絞り、ミレディアの胸元を狙う。だが、矢は届かない。ミレディアの周囲に透明な障壁のようなものが展開され、矢先が弾かれて床に転がった。
「粗い」
ミレディアが呆れたように言う。その声には怒りではなく、失望の色が滲んでいた。
「三年前、魔王城で私を追い詰めたときとは違うわね。あの頃は、もっと殺気があった」
「俺たちはもう英雄じゃない」
カインがトレイを握り直し、前に出た。足元のフリルが揺れる。下着がないという事実が、今の彼には重荷ではなく、むしろ枷を外されたような軽さを感じさせていた。
「ただの、無職の男だ」
「ええ。だから、私はあなたたちを雇ったのよ」
ミレディアが歩みを進める。そのハイヒールが石畳を叩く音が、心臓の鼓動のように聞こえた。
「平和になった世界で、あなたたちに居場所はない。王都の貴族も、教会も、ギルドも、あなたたちを忘れつつある。だが、ここなら忘れない。ここでなら、あなたは『天罰』を受ける存在として、確かに存在できる」
「意味がわからない」
エリナがロイドの背中から降りようとするが、ロイドが支えて静止させる。
「オーナー、ビジネスの話はいい。だが、この地下施設は何だ? ガラス容器の中の生物は?」
セレスティアが杖を突きつけ、周囲を見渡す。多数の人間型の影が浮かぶ容器。それらは眠っているのか、死んでいるのか判別つかない。
「実験体よ」
ミレディアが淡々と答える。
「魔力を吸収し、擬態する生物。これは私が作り出したものではない。かつて魔王軍が開発しようとして失敗した技術の残滓。でも、あなたがたのおかげで、完成させたわ」
「私たちのおかげ?」
カインが眉をひそめる。
「三年間、あなたがたが路頭に迷い、恥をかき、空腹に耐え続けたこと。その感情——屈辱、絶望、そしてそれでも生き延びようとする執念。それが、この生物たちの成長に必要な栄養素だったのよ」
ミレディアはニヤリと笑う。その笑顔は、店で見せる接客用よりもずっと本物だった。
「ノーパンメイド喫茶『天罰』。それは単なるカフェじゃない。あなたの感情を抽出し、精製するための装置なの」
「……最悪だ」
ロイドが呟く。冷徹な彼でさえ、この論理には嫌悪感を隠せないようだ。
「つまり、俺たちが働けば働くほど、こいつらが強くなるってことか」
「ええ。そして今、あなたたちがここに来たことで、最終段階が始まる」
ミレディアが手をかざすと、背後の王座から黒い霧が噴き出し、洞窟全体を満たしていった。
霧の中で、ガラス容器が次々と割れていく。中から現れたのは、人型をした、しかし顔のない生物たちだった。彼らはミレディアの前に跪き、彼女を崇拝するように頭を垂れる。
「灰!」
ミレディアが叫ぶと、瓦礫の上に立っていた灰が跳躍し、ミレディアの隣に着地した。
「承知しました、オーナー」
灰の声は低く掠れている。彼は兜を外し、傷だらけの顔を晒しながら、カインたちを見た。
「英雄様方。悪いが、ここで終わりです。あなたたちの感情は、すでに十分に抽出されました。後は、消費されるだけです」
「消費?」
カインが問う。
「この生物たちは、あなたたちの生命力を吸い取り、ミレディア様の力となる。それが、この店の真の目的です」
灰が両手を広げると、彼の革鎧の下から、紫色の紋様が浮き上がった。それは魔導文字であり、カインたちは見覚えがあった。三年前、魔王城で対峙したときの魔法陣の一部だ。
「お前……本当に魔王軍だったのか」
エリナが震える声で言う。
「私は、魔王の側近だった。だが、敗北後、生き残り、ミレディア様に拾われた。彼女こそが、新たな魔王になるべき存在だと信じている」
「ミレディアが魔王?」
セレスティアが驚愕する。
「いいえ、違うわ」
ミレディアが首を横に振る。その表情は、どこか寂しげだった。
「私は魔王じゃない。だが、魔王を超える存在になりたいだけ。この世界を支配するためではなく、あなたたちが二度と私を忘れられないようにするために」
その言葉は、奇妙なほど切実だった。
その時、リナが弓を構え直した。
「長話は終わりです。オーナー。あなたは嘘つきですね」
「あら、なぜそう思うの?」
「だって、もし本当に支配したいなら、最初から力ずくで捕らえればいい。わざわざカフェを経営して、時間をかけて感情を抽出する必要はないはずです」
リナの指摘に、ミレディアは一瞬目を閉じた。
「……鋭いわね」
「つまり、これはゲームです。あるいは、テスト。私たちは、何を試されているんですか?」
リナが問うと、ミレディアは微笑んだ。
「試しているのは、私自身よ。三年間、平和の中で暮らすあなたたちが、本当に変わってしまったのかを。剣を捨て、プライドを捨て、それでもなお、仲間のために戦えるかどうかを」
ミレディアが手を打ち鳴らす。
すると、襲いかかってきた生物たちが、一斉に止まった。
「……え?」
カインが戸惑う。
「答えが出たわ」
ミレディアがゆっくりと近づいてくる。
「カイン、あなたはトレイで盾を作った。ロイド、あなたはエリナを守った。エリナ、あなたは光を放ち、敵を困惑させた。リナ、あなたは冷静に真相を見抜いた。セレスティア、あなたは協力者として留まった」
ミレディアは四人の前で立ち止まり、紫煙を吐き出す。
「あなたたちは、まだ英雄よ。少なくとも、私の目にはそう映る」
「……どういうことだ」
カインが尋ねる。
「この実験は終了。生物たちは、これ以上あなたたちを害しない。代わりに、報酬を支払うわ」
ミレディアが懐から袋を取り出し、地面に投げた。ガチャリと金属音が響く。金貨だ。
「今回の調査依頼に対する報酬よ。十分すぎる額でしょう?」
「待て、話が見えない」
ロイドが眉をひそめる。
「見えない方が面白いでしょ? これが『天罰』のスタイルよ」
ミレディアが振り返り、灰に指示を出す。
「灰、帰還準備。全員、地上へ戻るわ」
「了解」
灰が頷き、生物たちを従えて奥へと消えていく。
ミレディアもまた、王座の方へ歩き出す。
「カイン。エリナ。ロイド。リナ。明日のシフトは通常通りよ。遅刻しないように」
その背中は、もう魔王軍の将帥ではなく、ただの美人オーナーだった。
洞窟に残された四人は、互いを見合わせた。
「……結局、何だったんだ?」
カインが項垂れる。
「わからない。でも、金はもらった」
ロイドが金貨を拾い上げる。
「聖女としての証は、得られたかしら」
エリナが自分の手を見る。先ほどまで暴走していた力は、今は穏やかに脈打っている。
「指導係としては、不合格かな」
リナが肩をすくめる。
「でも、面白かったわ」
セレスティアが苦笑しながら、右腕の包帯を巻き直す。
四人は、暗い洞窟の中で、それぞれの思いを抱きながら、地上への階段を上り始めた。
ノーパンメイド喫茶『天罰』の日常は、まだ終わっていない。
いや、むしろ、本当の意味での日常が、今から始まろうとしているのかもしれなかった。