アルト・ランゲートの苦難
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
西の大陸の平和を守るため、港町エル・ドラドを後にしたSSS級パーティ『真実の天秤』。 次なる目的地である不夜の鉱山都市【ゴルゴン・グラン】を目指し、彼らは険しい山岳地帯へと足を踏み入れる。 しかし、そこは「一筋縄ではいかないトラブル」のオンパレードだった! 道中で待ち受ける難解な関所の検問(?)や、己の体幹を鍛えるために挑んだ霊峰の滝行で早くも炸裂する、お約束の大惨事――。 シリアスな世界観と、容赦ないギャグの嵐がハイテンションで交錯する! 大罪の影が忍び寄る緊迫の道中でありながら、今日も今日とてリーダー・アルトの胃袋は限界突破のサイレンを鳴らし続ける。 果たして彼らは、無事に鉱山都市へとたどり着くことができるのか? ポンコツで愛すべき最強パーティが織りなす、爆笑必至の異世界ファンタジー第3章、いざ開幕!
本文
第5話 聖女の決意! 朝のランニングで下着全開
朝日が昇る前の、蒼藍色のしじまが街を覆っていた。
夜気の名残が漂う冷ややかな風が石畳の隙間を吹き抜け、古い木造の宿屋『月光亭』の軒先で乾いた音を立てて揺れている。
まだ鳥のさえずりすら聞こえない静寂のなか、ギシ……と宿の重い木製ドアがかすかな音を立てて開いた。
「よし……! 今日の朝から、私の新しい『改革』が始まるのですぅ……!」
ドアの隙間から滑り出てきたのは、聖女ミゼラだった。
普段の清楚な白と金を基調とした修道服ではなく、彼女が身にまとっていたのは、どこか妙に丈の短い薄手の綿製ワンピースだった。彼女なりに「動きやすさ」を追求した特製の運動着らしいが、生地が薄すぎる上に胸元や袖口の裁断が甘く、朝の冷気にあてられてかすかに身体を震わせている。
ミゼラは両拳を小さく握り締め、自分の胸の前にあてがった。その薄桃色の瞳には、並々ならぬ決意の炎がゆらめいている。
(アルト様やバルダーさん、それにカゲツ様やリン様……皆さん昨日も命がけで戦ってくださったのに、私ときたら……背中で目を回して泡を吹いていただけでした……っ)
思い出すだけでも、胸がギュッと締め付けられるように痛む。 前回のダンジョン仮攻略。自分はパーティーの「聖女」として回復魔法を唱えるどころか、バルダーの背中に米俵のように縛り付けられ、衝撃と揺れに悲鳴を上げていただけだった。
(このままでは駄目です……! 私はアルト様たちの足手まといになりたくありません! 回復術士である前に、まずは自分の足で戦場を駆け抜けられるだけの圧倒的な『体力』と『脚力』をつけなければ……!)
昨夜、全員が眠りについた後、ミゼラは一人で密かに誓いを立てたのだ。 「足を引っ張るポンコツ」を卒業し、アルトの力になれる立派な仲間になるのだと。
「ふーっ……はーっ……。吸って、吐いて……準備運動はバッチリですぅ!」
ミゼラは誰もいない朝の路地裏で、ぴょんぴょんとその場で二回跳ねた。 朝露に濡れた石畳が、白く滑らかな足首を冷たく照らしている。
「行きます……! 聖女ミゼラ、伝説の一歩目ですぅぅっ!!」
タッ、タッ、タッ——
乾いた足音が朝の静寂に響く。 力強く地面を蹴り出し、風を切って疾走する——はずだった。
開始、わずか五メートル。
「あ……」
ミゼラの足元で、何かが引っかかった。 解けたまま放置されていた運動靴の長い紐と、前傾姿勢になりすぎた彼女自身の右足の爪先が、奇跡的なまでの不器用さで複雑に絡み合ったのだ。
前傾姿勢のまま加速していた可憐な身体は、慣性の法則に抗うことなどできるはずもない。
「ひやあああぁぁぁぁぁっ!?」
空気すら引き裂くような悲鳴が上がった。 浮遊感。視界がぐにゃりと九十度傾き、地面の黒々とした石畳が猛スピードで視界いっぱいに迫ってくる。
ドガラッシャアァァァンッ!!!!
静かな朝の街に、およそ少女が転倒したとは思えない、爆発的な破砕音が響き渡った。
顔面から盛大に石畳へと突っ込み、そのまま摩擦力と勢いで数メートル滑走する。 そして——その衝撃の煽りを、彼女が意気揚々と着ていた「動きやすさ重視(笑)」の薄手ワンピースが全身で受けることとなった。
バサァッ!!!!
めくれ上がった。 豪快に。手加減も慈悲もなく。
裾は腰を通り越し、背中まで一気に捲り上がった。 朝の澄み切った日光の下で露わになったのは、薄桃色の髪に負けないほど可憐で、同時に絶望的なほど無警戒な、レースのついた純白の下着と、まぶしいほどに真っ白な太腿の全貌だった。
「ふぎゅっ……!?」
カエルのように地面に潰れた姿勢のまま、ミゼラはぴくりとも動かなくなった。 痛みに耐えているのか、それとも事態の恐ろしさに脳の処理が追いついていないのか。
そこへ、重重しい足音が近づいてきた。
「む? なんだなんだ、早朝から地響きがしたと思ったら……」
巨大な斧を肩に担ぎ、上半身裸で朝の散歩(という名の筋トレ)から戻ってきたバルダーだった。 彼は地面に突っ伏し、スカートが豪快にめくれて下着を太陽の下に晒しているミゼラを見下ろし、豪快に首を傾げた。
「おい聖女! 何をしているのだこんなところで? 朝から太陽に下半身を捧げる新しい儀式か?」
「も……もう……」
地面に顔を埋めたまま、ミゼラが消え入りそうな蚊の泣くような声で呟いた。
「もう……足が動きませんぅ……。私の……私の足が……三秒で壊れましたぁ……」
「ガハハハ! 相変わらず軟弱な足腰だな! ほら起きろ、朝飯の時間だぞ!」
バルダーは全く躊躇することなく、ミゼラの首の後ろの襟ぐりをガシッと太い鷲掴みにした。 まるで市場で買い叩いた米俵か、仕留めた獲物の小動物でも運ぶかのように、豪快に持ち上げる。
「いやぁぁぁっ! めくれてますぅ! 下着が丸見えのまま吊り下げないでくださいぃぃっ!」
「細かいことを気にするな! 男も女も脱げばみな同じ肉の塊だ!」
「同じじゃないですぅぅぅっ! アルト様ぁぁぁ助けてくださいぃぃっ!」
バルダーに荷物のように小脇に抱えられ、下着を全開に揺らしながら宿屋の扉へと回収されていくミゼラ。その絶叫が、爽やかな朝の街に虚しくこだましていった。
◇
「……で?」
宿屋『月光亭』の一階食堂。 焼きたてのパンと香ばしい干し肉のスープの匂いが立ち込めるテーブルで、俺——アルト・ランゲートは、頭を抱えて深々と溜息を吐いていた。
目の前には、頭に大きなタンコブを作り、泣き腫らした目で毛布をすっぽりと被ったミゼラが正座している。隣ではバルダーが豪快にスープをズズッと音を立てて啜っていた。
「足手まといになりたくなくて、朝からランニングの特訓をしようとした……それは分かった。向上心は買うよ、ミゼラ」
俺は冷めたお茶を一口飲み、こめかみを指で強く揉んだ。
「問題はだな……努力しようとして、なんで開始五メートルで服が脱げて下着全開で回収されてんだよ!! 順序がおかしいだろ! 特訓の成果が出ずに倒れるなら分かるが、特訓が始まる前に脱げて自滅ってなんだよ!!」
「うぐっ……! す、すみませんぅぅ……! 私、自分でもどうしてあんなに足がもつれたのか分からなくて……っ!」
ミゼラは毛布の中で身を縮こまらせ、耳まで真っ赤にしてプルプルと震えている。
「まあまあアルト殿、落ち着かれよ」
向かいの席で、スケッチブックではなく珍しく口を開いて(もちろん岡山弁と猫語尾は絶封して)お茶をすするカゲツが、静かに窘めるように言った。
「ミゼラ殿も、我らの役に立とうと必死だったのだ。その志や、良し。……失敗は上達の母と言うではないか」
「そうですわアルト様!」 隣のリンも頷く。 「最初は誰しも失敗するものですわ! 私だって忍びの修業を始めたばかりの頃は、木から落ちて袴が破けたりしたものです!」
「お前たちのフォローはありがたいがな……」 俺は皿の上のパンを千切りながら、力なく視線を落とした。
「このペースで毎回ハプニングを起こされたら、俺の胃袋が次のダンジョン遠征までに跡形もなく消失するんだよ……。トリアさんの特製胃薬の苦味が、まだ舌の奥に残ってんだ」
「ガハハハ! 気にするなアルト! 聖女の尻くらい俺は何回見ても痛くも痒くもないぞ!」 「私は大いに傷ついてますぅぅっ! バルダーさんの無神経! 筋肉ダルマぁっ!」
ミゼラが毛布の端をバルダーに向けてポカポカと叩くが、バルダーの鋼鉄のような筋肉の前には蚊が刺したほどの効果もなかった。
「はぁ……とにかく、ミゼラ。気持ちは嬉しいが、無茶な一人特訓は禁止だ。体力をつけるにしても、ちゃんと段階を踏んで俺か誰かがついている時にやれ。いいな?」
「……はいぃ。申し訳ありませんでした、アルト様……」
しょんぼりと肩を落とすミゼラ。 その姿はまるで雨に濡れた捨て犬のようで、これ以上怒る気も失せてしまう。
「よし、じゃあ今日の休業日はおとなしく……」
俺がそう言いかけた、その時だった。
バンッ!!!!
食堂のドアが凄まじい勢いで叩き開けられた。
「おい!! ここに『巨斧のバルダー』はおるか!!」
響き渡ったのは、怒号だった。 立っていたのは、全身に煤を擦り付け、巨大な鍛冶用の金槌を肩に担いだ、頑固そうなドワーフの親方だった。
「む? ガルドの親父ではないか。どうした、そんな真っ赤な顔をして?」
バルダーが呑気に手を振ると、ガルドと呼ばれたドワーフの親方は、顔の血管を爆発させんばかりに激昂して踏み込んできた。
「『どうした』じゃねえよこのポンコツ野郎がぁぁぁっ!! ダンジョン管理協会から連絡が来たぞ! お前が昨日粉砕したっていう『古代の石扉』! あれはなぁ……! 俺が若い頃に協会から依頼されて、三年がかりで納品した最高傑作の『古代様式魔導扉』だったんだよぉぉぉっ!!」
「「「「……え?」」」」
食堂内の空気が凍りついた。
ガルド親方は手に持った金槌をブンブンと振り回しながら、バルダーに肉薄する。
「鍵穴の精密構造を作るのにどれだけ苦労したと思ってんだ! それを……それを『解錠が面倒だったから』という理由で斧で叩き割りやがったな!? 俺の作品を侮辱しやがってぇぇぇっ! 弁償しろ! いや、その前にそのナマクラ斧ごと叩き折ってやる!!」
「ガハハ! 何を言うか親父! 俺の八烈斧はナマクラではない! お前の作った扉が脆すぎたのだ!」
「んだとこの筋骨バカがぁぁぁぁっ!!」
「待てバルダーあおるな!! 親方落ち着いてください!!」
俺はスープの皿をひっくり返しそうになりながら、激怒するガルド親方と、嬉々として斧に手をかけるバルダーの間に飛び込んだ。
休業日。 穏やかで平和な一日になるはずだった俺の休日は、朝の太陽が昇り切る前に、早くも音を立てて崩れ去ろうとしていた。
俺は天を仰ぎ、懐の中にある「竜の胆汁入り超極苦胃薬」の瓶を、固い手つきで握り締め直した。