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第十七話 自分で決める力

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📅 公開日: 2026/11/6 📚 シリーズ: Reincarnation -Record of memories- 📝 8,748文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

遺した記録、貴方の記憶、その手で全て解き明かして。

本文

──そうだ。

その声が、トーマの奥底で静かに響いた。

今まで聞こえてきた声とは違っていた。

思い出すな。

まだ、来るな。

一人で行くな。

それらは警告のようで、拒絶のようで、どこか遠くから響く鐘のようだった。

だが今の声は違う。

肯定。

ノアが自分の意思で前に進んだ瞬間、それを認めるように、忘却の剣が小さく震えた。

トーマは剣に触れた。

「今のは……」

隣のソルがすぐに気づく。

「また声か」

「ああ。でも、今までとは違う」

「何と言った」

「そうだ、と」

ソルはわずかに目を細めた。

ロイドも記録を取る手を止める。

「肯定の言葉……。ノアさんの意思表示に反応した可能性がありますね」

テリア女王もトーマの剣を見ていた。

先ほどまでセイレンの言葉に揺れていた瞳が、研究者のものに戻りかける。

だが、彼女は一度目を閉じた。

そして、自分を抑えるように息を吐いた。

「……今は剣ではなく、ノアじゃ」

アリスが小さく頷く。

「そうよ」

そのやり取りを、トーマは見ていた。

テリア女王は確かに興味を持っている。

忘却の剣にも、ノアの魔力にも。

けれど、今は踏みとどまっている。

セイレンが見ているからではない。

アリスに止められたからだけでもない。

おそらく、自分で止まろうとしている。

そのことが、トーマには少しだけ分かった。

ノアは部屋の中央に立っていた。

赤い亀裂は消えた。

セイレンの声も、ルークの影ももうない。

だが、空気にはまだ鋭い余韻が残っている。

自分の力の名前は、自分で決めます。

そう言った自分の声が、ノア自身の胸の中にも残っていた。

怖い。

でも、不思議と足は震えていなかった。

テリア女王が静かに問う。

「本当に続けるか?」

ノアは頷いた。

「はい」

「なら、次は三つの魔法灯を同時に光らせる」

テリア女王は机の上に三つの水晶灯を並べた。

「ただし、全部を同じ明るさにする必要はない」

ノアは少し首を傾げる。

「同じじゃなくていいんですか?」

「うむ。実戦では、すべてを均等にする必要などない。硬い盾、受け流す盾、足場にする盾。それぞれ役割が違うなら、魔力の流し方も違ってよい」

ノアは昨日の戦いを思い出す。

ミアの背中を押した防御。

ユナの横に置いた防御。

自分の足元に置いた防御。

全部、同じものではなかった。

「大事なのは、何のために光らせるかじゃ」

テリア女王は水晶灯を一つずつ指差した。

「一つ目は、守るため」

次に、二つ目。

「二つ目は、流すため」

最後に、三つ目。

「三つ目は、支えるため」

ノアはゆっくり頷いた。

「守る。流す。支える」

「そうじゃ。まずはその三つを、別々の意味で光らせてみよ」

ミアが小声でユナに聞く。

「意味で光らせるってどういうことだ?」

ユナも少し考えてから答える。

「たぶん、魔力の性質を変えるってこと」

「難しいな!」

「難しい」

レナも外側で腕を組んでいた。

「つまり、気持ちを込めるんだな!」

ロイドが少し考えてから言う。

「大雑把ですが、完全に間違いではありません」

「やった!」

ノアは三つの水晶灯の前に立つ。

手をかざす。

胸の奥にある大きな魔力を、無理に押さえつけない。

まずは感じる。

怖いほど大きい力。

でも、自分の力。

一つ目。

守るため。

ミアが前に出る姿を思い浮かべる。

危なっかしくて、まっすぐで、何度転んでも笑う少女。

彼女の前に置く盾。

一つ目の水晶灯が、強く、安定した白い光を灯した。

テリア女王が静かに頷く。

「よい」

二つ目。

流すため。

ユナを思い浮かべる。

糸を張り、相手の力を受け止め、逸らし、仲間へ繋げる少女。

ぶつかった力を正面から受けず、横へ流す膜。

二つ目の水晶灯が、少し淡く、滑らかな光を灯す。

光の表面が水のように揺れた。

ロイドが目を細める。

「性質変化が出ています」

三つ目。

支えるため。

トーマが見ていた。

ノアは一瞬だけ、彼の顔を見た。

自分の力を怖がっていた時、彼は言った。

怖くても逃げていないから強い、と。

昨日も、今日も、自分の力の名前は自分で決めていいと言ってくれた。

誰かを押し出す足場。

誰かが前へ進むための支え。

三つ目の水晶灯に、柔らかな光が灯る。

強すぎない。

弱すぎない。

けれど、確かにそこにある光。

三つの水晶灯が、それぞれ違う光を放った。

守る光。

流す光。

支える光。

ノアは息を止める。

できた。

三つ同時に、違う意味で。

テリア女王はしばらく黙っていた。

そして、静かに言った。

「見事じゃ」

ノアの目が大きく開く。

「本当に……?」

「うむ。お主は今、自分の魔力に役割を与えた。これは大きい」

アリスも少し驚いたように水晶灯を見ている。

「想像以上ね」

ロイは短く言った。

「綺麗」

その一言に、ノアは少しだけ顔を赤くした。

ミアは我慢できずに叫んだ。

「すごいぞ、ノア!」

ユナも小さく頷く。

「うん。すごい」

レナも拳を握る。

「やったな!」

ロイドは記録を取りながら言った。

「これは今後の訓練方針を大きく変えられます。ノア、今の感覚を忘れないでください」

ノアは三つの光を見つめながら頷いた。

「はい」

だが、テリア女王はそこで手を上げた。

「今日はここまでじゃ」

ノアは少し驚く。

「え? でも、まだ……」

「続ければ伸びる。じゃが、続けすぎれば壊れる」

その言葉に、部屋が少し静かになった。

テリア女王はノアをまっすぐに見た。

「力を扱う訓練で最も危険なのは、できた直後じゃ。もっとできる、まだできる、そう思った時に無理をする」

ノアは黙る。

テリア女王の声は、優しかった。

「今日は成功で終わらせよ。成功した感覚を、壊さず持ち帰るのじゃ」

アリスはその言葉を聞いて、少しだけ目を伏せた。

トーマも気づいた。

きっとこれは、テリア女王自身が昔できなかったことなのだ。

伸びるから続ける。

できるから試す。

可能性があるから限界まで使う。

その先に、セイレンがいたのかもしれない。

ノアはゆっくり頷いた。

「分かりました」

テリア女王は水晶灯の光を消した。

「よい子じゃ」

その言い方に、ノアは少し照れたように俯く。

そして、少し迷ってから言った。

「あの……ありがとうございました」

テリア女王の表情が止まった。

ほんの一瞬。

その言葉が、彼女の胸の奥深くに触れたようだった。

「……礼を言われるほどのことはしておらぬ」

「でも、少し分かった気がします。自分の魔力の使い方」

「そうか」

テリア女王は小さく頷いた。

「なら、よかった」

その声は、女王というより、ただの一人の大人の声だった。

⸻

測定室を出ると、廊下の空気は少し冷たかった。

ノアはミアとユナに挟まれて歩いている。

ミアは興奮が収まらない様子だった。

「三つ光ったな! しかも全部違う感じだった!」

「うん」

「次は四つか!?」

ユナが即座に言う。

「今日は終わり」

「でも見たい!」

「壊れる」

「それはダメだ!」

ミアは素直に引いた。

ノアは笑う。

「私も、今日はもう休む」

「それがいい」

ユナが頷く。

その少し後ろを、トーマとテリア女王が歩いていた。

ソルとロイド、アリス、ロイも近くにいる。

レナは廊下の先で警備しながら、ちらちらこちらを見ていた。

トーマはしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。

「さっきは、止まったんだな」

テリア女王は横目で見る。

「何の話じゃ」

「ノアの魔力を見て、前のめりになりかけた時」

アリスが少しだけ反応する。

テリア女王は小さく息を吐いた。

「止められた、が正しい」

「それでも止まった」

「……そうじゃな」

テリア女王は歩きながら、窓の外を見る。

「ワシは研究者じゃ。未知の力を見ると、知りたくなる。構造を見たくなる。限界を試したくなる」

その声には、隠しようのない本音があった。

「セイレンの時も、そうじゃった」

トーマは黙って聞く。

「最初は、あの子を守るためじゃった。あの子の魔力は不安定で、放置すれば危険だった。だから調べた。制御する方法を探した」

テリア女王の手が、わずかに握られる。

「だが、いつからか目的が混ざった。守るための研究か、研究のためにあの子を見ているのか。ワシ自身、分からなくなっておった」

アリスは何も言わない。

ロイも黙っている。

「気づいた時には、あの子はもうワシを見ておらなんだ」

テリア女王は自嘲気味に笑った。

「いや、違うな。あの子はずっと見ておった。ワシが見ていなかっただけじゃ」

トーマは胸の奥が重くなるのを感じた。

セイレンの言葉。

私が話したかった時、あなたは研究記録を見ていた。

私が泣いていた時、あなたは結界式を見ていた。

それは、ただの憎しみではない。

見てほしかった子どもの叫びだった。

「ノアには、同じことをしたくない」

テリア女王は言った。

「そう思っておる。じゃが、思うだけでは足りぬ。だから、アリスにもロイにも止めてもらう。お主らにも見ていてもらう」

トーマは少し驚いた。

「俺にも?」

「お主は顔に出るからの」

「またそれか」

「便利じゃぞ。警戒心が顔に出る者は、時に鏡になる」

トーマは少しだけ苦笑した。

「褒められてる気がしない」

「半分は褒めておる」

「半分か」

「十分じゃろ」

ソルが静かに言った。

「今日は悪くなかった」

テリア女王はソルを見る。

「お主にそう言われるとはの」

「ノアを研究対象として扱わなかった」

「危うかったがな」

アリスが横から言う。

「危うかったわ」

テリア女王は苦笑する。

「分かっておる」

ロイが短く言った。

「でも、止まった」

テリア女王はロイを見る。

ロイの表情はいつも通り読めない。

だが、その短い言葉は、否定ではなかった。

テリア女王は小さく頷いた。

「うむ」

その時、廊下の窓の外で、何かが赤く揺れた。

トーマが立ち止まる。

ソルも即座に気づく。

レナが遠くから走ってくる。

「何か見えたか!?」

窓の外。

王城の外壁の向こう。

遠くの屋根の上に、赤い布が一瞬だけ見えた。

紅い旗。

だが、すぐに消えた。

テリア女王は窓へ近づき、外を見つめる。

「セイレン……」

その声は、小さかった。

トーマは問う。

「追うのか?」

テリア女王はしばらく黙っていた。

それから、首を振った。

「追わぬ」

アリスが少し驚いた顔をする。

「いいの?」

「今追っても、あの子は逃げる。あるいは戦う。それでは何も変わらぬ」

テリア女王は窓の外を見たまま言う。

「今日、あの子は見に来たのじゃ。ワシがどうするかを」

「試されたのか」

トーマが言う。

「そうじゃろうな」

「結果は?」

テリア女王は少しだけ笑った。

「不合格ではない、と信じたいのう」

その声は、少しだけ弱かった。

⸻

王城の屋根の上。

セイレンは紅い旗を肩に担ぎ、遠くから測定室のある塔を見ていた。

隣にはルークがしゃがんでいる。

「終わった?」

「ええ」

「戦わなかった」

「そうね」

ルークは首を傾げる。

「よかった?」

セイレンはすぐには答えなかった。

風が吹く。

紅い旗が揺れる。

「母上は、止まった」

「うん」

「昔は止まらなかった」

「うん」

「でも、それだけよ」

セイレンの声が少し冷える。

「一度止まったからといって、何もかも許されるわけじゃない」

ルークは短く頷く。

「うん」

「ノアは強くなるわ」

「うん」

「トーマも」

「うん」

セイレンは遠くの窓を見た。

そこには、テリア女王の姿が小さく見える。

母と娘。

遠すぎる距離。

近づけば刺さる。

離れれば冷える。

セイレンは自分の胸に生まれた小さな揺れを、すぐに押し潰した。

「行くわ」

ルークが立ち上がる。

「どこ?」

「次の準備」

「戦う?」

セイレンは紅い旗を握った。

「まだ。でも、近いうちに」

ルークの目が静かに変わる。

普段のぼんやりした色が消え、底知れない戦闘者の光が宿る。

「誰と?」

「まずは、トーマを試す」

「殺す?」

セイレンは少しだけ黙った。

「殺す気で行く。でも、死ぬかどうかは彼次第」

ルークは短く答えた。

「うん」

その一言で、屋根の上の空気が重くなる。

セイレンは遠くの城を見る。

「大会ごっこで得た繋がりが、本物の死線でどこまで残るか」

紅い旗が風に鳴った。

「見せてもらうわ」

赤い裂け目が開く。

二人の姿は、その中へ消えた。

⸻

その日の午後。

テリア女王は忘却の剣の調査に入った。

場所はシェイン王城の地下にある封印室。

厚い石壁。

二重の結界。

魔力遮断のための黒水晶。

中央の台に、トーマの剣が置かれる。

ただし、トーマ自身もすぐそばに立っていた。

剣を手放すことにはまだ抵抗がある。

だが、完全に離れるわけではない。

手を伸ばせば届く距離。

それが条件だった。

テリア女王は台の前に立つ。

「抜かぬ。触れぬ。外側だけを見る」

トーマは頷く。

「頼む」

「うむ」

テリア女王は魔法陣を展開した。

青白い光が、剣の周囲をゆっくり巡る。

忘却の剣は沈黙している。

いや、沈黙しているように見える。

だが、トーマには分かった。

剣は眠っているのではない。

見ている。

こちらを。

テリア女王を。

「妙じゃな」

テリア女王が呟く。

「何が」

「この剣、封じているというより……隠しておる」

ロイドが記録しながら問う。

「記憶をですか?」

「それだけではない」

テリア女王の表情が険しくなる。

「存在そのものを、じゃ」

トーマの胸が鳴る。

「存在?」

「トーマ。お主はこの世界の記録から抜け落ちている可能性がある」

「どういう意味だ」

「普通、人が生きていれば、どこかに痕跡が残る。魔力の残響、血筋の記録、土地との繋がり。じゃが、この剣の周囲には、それらを断ち切るような術式がある」

テリア女王は剣を見つめる。

「まるで、お主という存在を世界から隠すための鞘じゃ」

封印室の空気が重くなる。

トーマは剣を見る。

自分の記憶がないだけではない。

世界が自分を忘れたがっている。

セイレンの言葉が蘇る。

「それは、誰がやったんだ」

トーマの声は低かった。

テリア女王は首を振る。

「分からぬ。じゃが、この術式は古い。神代に近い形式を含んでおる」

「神……」

ゼロが倒した、世界を崩壊させた存在。

その言葉が、この場にまた影を落とす。

ソルの表情が険しくなる。

「ゼロたちの戦いと関係があるのか」

「可能性は高い」

テリア女王は魔法陣をさらに細かく展開する。

その瞬間。

剣の紋様が光った。

黒い光。

光なのに、周囲を暗くするような色。

トーマの頭に痛みが走る。

「っ……!」

視界が揺れた。

崩れた塔。

血。

倒れている誰か。

そして、今度ははっきりと聞こえた。

──トーマ、行かないで!

声の主は、少女だった。

顔はまだ見えない。

だが、その声に胸が裂けそうになる。

トーマは膝をつく。

ソルが支える。

「トーマ!」

ロイドが叫ぶ。

「調査中断!」

テリア女王は即座に魔法陣を消した。

黒い光も消える。

封印室に静寂が戻る。

トーマは荒い息を吐いていた。

「今の……」

ソルが問う。

「何を見た」

トーマは震える手で剣を見る。

「誰かが……俺を止めてた」

「誰か?」

「女の子の声だった」

トーマは胸を押さえる。

痛い。

記憶ではない。

傷が戻ってきたような痛み。

「俺は……どこかへ行こうとしていた」

テリア女王は沈黙していた。

その顔は、ひどく険しい。

「トーマ」

「何だ」

「この剣は、お主を守っておるのかもしれぬ」

トーマは顔を上げる。

「守っている?」

「記憶を奪っているのではなく、お主が耐えられぬものを一時的に遠ざけている可能性がある」

ロイドが言う。

「では、剣を無理に解析するのは危険ですね」

「危険じゃ」

テリア女王ははっきり言った。

「今日の調査はここまでにする」

トーマは剣を見つめた。

自分を隠す鞘。

存在を世界から断ち切る術式。

神代に近い形式。

そして、少女の声。

行かないで。

トーマはゆっくり剣を手に取った。

手に馴染む。

恐ろしくなるほどに。

「俺は、誰を置いていったんだ……?」

誰も答えられなかった。

封印室の黒水晶だけが、静かに光を吸っていた。

⸻

その夜。

テリア女王たちはシェイン王城に一泊することになった。

表向きは、長距離移動による疲労と、調査結果の整理のため。

だが、実際は違う。

セイレンが接触したこと。

忘却の剣が強く反応したこと。

そして、トーマの記憶がまた一つ動いたこと。

その全てが、すぐに帰れる状況ではないと告げていた。

トーマは自室に戻り、剣を机に置いた。

今日は触れるのが少し怖かった。

この剣は、自分を守っているのかもしれない。

だが、守るとは何だ。

記憶を隠すことが、本当に守ることなのか。

それとも、真実から逃がしているだけなのか。

「行かないで……」

トーマは小さく呟く。

あの声は誰だったのか。

なぜ、自分を止めたのか。

自分は、どこへ行こうとしていたのか。

その時、扉が叩かれた。

「トーマ」

ノアの声だった。

トーマは顔を上げる。

「入っていいぞ」

扉が開き、ノアが入ってくる。

手には小さなランプを持っていた。

「眠れないのか?」

トーマが聞くと、ノアは少し困ったように笑った。

「うん。色々ありすぎて」

「そうだな」

ノアは机の上の剣を見る。

「剣、大丈夫?」

「分からない」

トーマは正直に答えた。

「でも、少し思い出した。いや、見えただけかもしれない」

「怖かった?」

「ああ」

ノアは少しだけ近づいた。

「私も今日、怖かった」

「テリア女王が?」

「うん。でも、途中から少し違った」

ノアはランプを机に置く。

「怖いけど、ちゃんと私を見てくれてる気がした。魔力じゃなくて、私を」

トーマは静かに聞いていた。

「それでも、セイレンさんの言葉も分かる気がする。許せない気持ちも、怖い気持ちも」

「どっちも本物なんだろうな」

「うん」

ノアは剣を見つめる。

「トーマの記憶も、きっと怖いだけじゃないと思う」

「そうか?」

「うん。だって、誰かがトーマに『行かないで』って言ったんでしょ?」

トーマは息を止める。

ノアは続ける。

「それは、トーマを大事に思っていた人がいたってことだと思う」

その言葉は、静かに胸へ入ってきた。

行かないで。

それは確かに、拒絶ではなかった。

引き止める声。

失いたくないという声。

「俺を、大事に思っていた人……」

トーマは机の上の剣を見る。

自分には何もないと思っていた。

名前しかないと思っていた。

けれど、過去には誰かがいたのかもしれない。

自分を呼び、自分を止め、自分に行かないでと言った誰かが。

「思い出すのは怖い」

ノアは言った。

「でも、その中には、トーマを待ってるものもあるかもしれない」

トーマはノアを見る。

「ノアは、強くなったな」

ノアは目を丸くする。

「え?」

「今日、そう思った」

ノアは顔を赤くして俯く。

「まだだよ」

「まだでも、前より強い」

ノアは少し笑った。

「じゃあ、トーマも少し強くなってる」

「俺も?」

「うん。前より、一人で抱えようとしてない」

そう言われて、トーマは少しだけ驚いた。

自覚はなかった。

でも、確かにそうかもしれない。

ソルに話し、ロイドに相談し、ノアと考え、レナに助けられた。

一人で行くな。

その声に、少しずつ従えているのかもしれない。

「ありがとう、ノア」

「うん」

ノアは小さく頷いた。

窓の外には、静かな夜が広がっている。

だが、その夜のどこかで、紅い旗が揺れていることを、二人は知っていた。

そして、忘却の剣の奥で眠る記憶が、また少しだけ目を覚まし始めていることも。

⸻

王城の客室。

テリア女王は一人、窓辺に立っていた。

月明かりが、彼女の青白い髪を照らしている。

机の上には、忘却の剣の簡易記録。

だが、彼女はそれを見ていなかった。

思い出していたのは、セイレンの声。

私が話したかった時、あなたは研究記録を見ていた。

「……セイレン」

小さく呟く。

その声は、夜に溶ける。

扉の外からアリスの声がした。

「入るわよ」

返事を待たずにアリスが入ってくる。

「寝てないと思った」

「眠れぬ」

「でしょうね」

アリスは机の資料を見る。

「また記録を見てるの?」

「見ておらぬ」

「珍しい」

テリア女王は苦笑する。

「今日は、見るのが怖い」

アリスは少し驚いたように目を細めた。

「あなたが?」

「うむ」

テリア女王は窓の外を見る。

「ワシはずっと、見ることが正しいと思っておった。知ること、調べること、解き明かすこと。それが守ることに繋がると信じておった」

「間違いではないわ」

「そうじゃな。間違いではない」

テリア女王の声は静かだった。

「じゃが、それだけでは足りぬ。見るべきものを間違えれば、知識は刃になる」

アリスは黙っていた。

「ノアは、ワシを見て礼を言った。怖かっただろうに」

「そうね」

「セイレンは、ワシを見て憎しみを向けた。怖かっただろうに」

テリア女王は目を伏せる。

「どちらも、ワシが向き合うべきものじゃ」

アリスはゆっくり息を吐いた。

「明日、シェインを出る前にノアにもう一度話したら?」

「何を」

「今日の続きを。研究の話じゃなくて、大人として」

テリア女王は少し黙った。

「……できるかのう」

「やりなさい」

アリスの声は厳しかった。

「あなたは女王でしょ。研究者でしょ。母親でもあるんでしょ。だったら逃げないで」

テリア女王はアリスを見る。

そして、ほんの少し笑った。

「お主は容赦がないのう」

「誰かさんが容赦なく育てたからね」

「それはワシの功績か?」

「半分くらいは」

「半分か」

二人の間に、少しだけ柔らかい空気が流れた。

だが、その外。

王城の屋根の上に、黒い影が立っていた。

ロイだった。

彼女は遠くの夜空を見つめている。

その視線の先。

ほんの一瞬だけ、赤い裂け目が光った。

セイレンではない。

もっと小さな、歪な裂け目。

ロイの目が鋭くなる。

「別の反応」

彼女はすぐに屋根を蹴った。

音もなく夜を駆ける。

王城の外れ。

古い塔の跡地。

そこに、黒い魔力の染みが生まれていた。

忘却の剣の反応に似ている。

だが、違う。

もっと濁っている。

もっと空腹のような気配。

ロイは短剣を抜く。

黒い染みの中心から、小さな声が漏れた。

──見つけた。

それはセイレンの声ではなかった。

トーマが聞いた声でもない。

もっと古く、もっと冷たい声。

ロイは眉を寄せる。

「……神代の残滓?」

黒い染みはすぐに消えた。

だが、そこには一つだけ残されていた。

古びた黒い羽根。

ロイはそれを拾わず、ただ見つめる。

「面倒」

彼女は短く呟いた。

その頃、トーマの部屋では、忘却の剣が誰にも触れられていないのに、静かに震えていた。

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