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第二十九話 傷が塞がるまで

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/11/6 📚 シリーズ: Reincarnation -Record of memories- 📝 5,574文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

遺した記録、貴方の記憶、その手で全て解き明かして。

本文

トーマが完全に歩けるようになるまで、かなりの時間がかかった。

地下闘技場で受けた傷は、ただの外傷ではなかった。

折れた骨。

裂けた筋。

魔力神経の損傷。

忘却の剣によって切り離されかけた身体認識。

記録喰いの残滓に触れられた記憶の奥底。

治療師たちは、肉体の傷を塞ぐことはできた。

テリア女王の治療術式と、ベイル王国から送られた強力な薬草、シェイン王国の治療設備。

三国の力が集められたことで、普通なら数か月かかる傷も少しずつ塞がっていった。

だが、心の傷は違った。

それは、ただ魔法をかければ治るものではなかった。

トーマはしばらく、夜になるたびに夢を見た。

崩れた塔。

白い服の少女。

黒い空。

ゼロの背中。

血に濡れた自分の手。

そして、遠くで誰かが言う。

──まだ早い。

そのたびに、トーマは目を覚ました。

最初の頃は、起きた瞬間に自分の名前すら危うくなることがあった。

「トーマ」

まず、自分の名を呼ぶ。

「ノア。ミア。ユナ。レナ。ロイド。ソル」

次に、今の自分を繋ぐ名前を呼ぶ。

夜番の治療師も、初めは驚いた。

しかし、ロイドの指示で、医務室には一枚の紙が貼られることになった。

そこには、トーマ自身の字でこう書かれていた。

俺はトーマ。

ここはシェイン王国の医務室。

俺は帰ってきた。

一人では行かない。

その下には、仲間たちの名前が並んでいた。

ノア。

ミア。

ユナ。

レナ。

ロイド。

ソル。

ロイ。

アリス。

リン。

ガーネ。

セイレン。

ルーク。

最初、トーマはセイレンとルークの名前を書くか迷った。

敵かもしれない。

味方ではない。

いつか戦う相手かもしれない。

けれど、地下闘技場でその名を呼んだことは事実だった。

だから書いた。

それを見たロイドは、少しだけ頷いた。

「記録として正しい判断です」

ソルは静かに言った。

「敵でも、今のお前を繋ぐ名前なら書けばいい」

レナはよく分かっていなかったが、元気よく言った。

「名前が多い方が強そうだ!」

ミアも同じようなことを言った。

「名前いっぱいあると、なんか戻ってきやすそうだな!」

ユナはそれを聞いて、短く補足した。

「実際そうかも」

ノアは紙に書かれた自分の名前を見つめ、少しだけ頬を赤くした。

そして小さく言った。

「私も、トーマの名前を書く」

それからノアは、自分の魔力訓練帳の最初のページにこう書いた。

トーマはトーマ。

私はノア。

一緒に逃げない。

その言葉は、二人だけの合言葉になった。

⸻

身体の治療と並行して、トーマの心の訓練も始まった。

最初は、ロイドの管理する簡単な確認訓練だった。

「名前は?」

「トーマ」

「現在地は?」

「シェイン王国、医務室」

「昨日の出来事を一つ」

「ノアが焼き菓子を持ってきた」

「今日の目的は?」

「立って歩く練習をする」

毎朝、毎晩、それを繰り返した。

退屈に見える。

だが、この訓練は重要だった。

記録喰いは、曖昧な場所に入り込む。

忘れかけた名前。

ぼやけた記憶。

認めたくない恐怖。

一人で抱え込んだ罪悪感。

そこに黒い爪を立てる。

だからロイドは、トーマに言葉を持たせた。

自分が誰か。

どこにいるか。

何を感じているか。

誰に助けを求めるか。

それを、はっきり口に出す訓練。

トーマは最初、それを少し恥ずかしいと思った。

けれど、ロイドは淡々と言った。

「恥ずかしさで命が守れるなら安いものです」

あまりに正論だった。

トーマは何も言えなかった。

ソルは別の訓練を担当した。

それは、感情を隠さない訓練だった。

「怖いか」

「怖い」

「何が」

「剣をまた抜くこと。皆をまた傷つけること。過去を思い出すこと」

「よし」

「よしなのか?」

「ああ。隠していない」

ソルはそう言った。

怖いなら、怖いと言う。

苦しいなら、苦しいと言う。

分からないなら、分からないと言う。

それは、戦士として弱くなることではなかった。

むしろ、記録喰いに隙を与えないための戦いだった。

ソル自身も、その訓練を通して少し変わった。

以前の彼女なら、自分の恐怖を口にすることなどなかった。

だが、ある日。

トーマが問い返した。

「ソルは怖くないのか」

ソルはしばらく黙った。

そして、小さく答えた。

「怖かった」

トーマは驚いた。

ソルは視線を逸らさずに続けた。

「地下闘技場で、お前に剣を向けられた時。私は怖かった」

「……ごめん」

「謝罪は受け取る。だが、これは私の訓練でもある」

「ソルの?」

「ああ。私は、怖かったことを認める訓練をしている」

その言葉に、トーマは胸を打たれた。

ソルは強い。

誰よりも強く見える。

でも、恐怖がないわけではない。

それでも立つから強いのだ。

トーマはその日、初めてソルに深く頭を下げた。

「ありがとう」

ソルは少しだけ困ったような顔をした。

「礼を言われることではない」

「でも、言いたかった」

「……そうか」

少しだけ耳が赤かった。

レナは、その場面を廊下の影から見ていた。

そして後でロイドに小声で言った。

「ソル、また照れてたぞ」

ロイドは眼鏡を押し上げた。

「言わないであげてください」

「でも面白いぞ」

「面白くてもです」

⸻

ノアの訓練も進んだ。

テリア女王が教えた「守る、流す、支える」の三種類の防御膜は、ノアの中で少しずつ形になっていった。

最初は小さな魔法灯で練習した。

一つ目は、硬く守る光。

二つ目は、受け流す光。

三つ目は、支える光。

そこから、実際の防御膜へ移る。

ミアの前に硬い盾。

ユナの横に受け流す膜。

トーマの歩行訓練用に、足元を支える小さな板。

「これ、便利だな」

トーマが言うと、ノアは少しだけ得意げに笑った。

「便利って言われるの、前は少し怖かったけど」

「今は?」

「何のために便利なのか、自分で決められるなら大丈夫」

その言葉に、トーマは頷いた。

ノアは確かに変わっていた。

大きすぎる魔力を怖がるだけの少女ではなくなっている。

怖さは消えていない。

けれど、怖いまま手を伸ばすことを覚え始めていた。

ミアとユナも、ノアに合わせて動きを変えていく。

ミアは以前より、少しだけ止まることを覚えた。

本当に少しだけ。

「今のは待てたぞ!」

「半秒」

ユナが言う。

「半秒も待った!」

「成長」

「褒められた!」

ユナは糸の使い方をさらに細かくした。

記録喰いに対抗するため、自分たちの名前を糸に乗せる練習まで始めた。

魔力糸に名前を刻む。

切られかけた認識を引き戻す糸。

ロイドはその試みを見て、目を輝かせた。

「興味深いです。ユナ、あとで詳細を記録しましょう」

「分かりました」

ミアが横から言った。

「私の突撃にも名前をつけよう!」

「何て?」

ノアが聞く。

ミアは胸を張った。

「ミア突撃!」

ユナが即座に言う。

「そのまま」

「分かりやすいだろ!」

トーマはそれを見て笑った。

笑うとまだ胸が少し痛い。

けれど、その痛みすら愛おしかった。

ここにいる。

生きている。

それを感じられる痛みだった。

⸻

忘却の剣は、封印室に置かれ続けた。

三国の術式を重ねても、完全には黙らなかった。

時折、黒い光が漏れる。

夜中に誰かの名前を消そうとするように、結界の文字が一部欠けることもあった。

そのたびにロイドとテリア女王が修復し、アリスが補強し、ベイル側から送られてきた力場石で押さえ込む。

剣は危険だった。

だが、処分はできなかった。

壊せるかどうかも分からない。

仮に壊したとして、トーマの記憶がどうなるか分からない。

何より、剣そのものがトーマを何かから守っていた可能性がある。

だから、封じておくしかなかった。

レナは時々封印室の前に立った。

「今日も出るなよ」

剣へ言う。

「トーマは今、歩く練習で忙しいんだ。邪魔するな」

剣は沈黙している。

「聞いてるなら返事しろ」

もちろん返事はない。

「返事しないなら、分かったってことだな」

ユナにそれを見られた時、こう言われた。

「レナ理論」

「強そうだろ!」

「強引」

そんなやり取りが、少しずつ日常を取り戻していった。

⸻

ゼロたちへの連絡は、三国それぞれから送られていた。

しかし、返答はすぐには来なかった。

やがて届いたのは、ゼロ本人からではなく、復興支援隊を通じた短い報告だった。

ゼロたちは現在、北方の大崩落地帯にいる。

神との戦いの余波で地形ごと裂けた地域で、大規模な魔力災害が再発し、多数の集落が孤立しているという。

ゼロと仲間たちは、その救援と復興に当たっていた。

すぐに三国へ来ることはできない。

報告書には、そう書かれていた。

ロイドはその文書を読み上げた。

医務室にいたトーマは、静かに聞いていた。

「来られないのか」

「はい。少なくとも当面は難しいでしょう」

テリア女王は通信越しに言った。

『ゼロらしいと言えば、ゼロらしい。目の前で助けを求める者を放って、こちらへ来る男ではない』

ソルも頷く。

「英雄としての責務を果たしているのだろう」

トーマは少し目を伏せた。

ゼロに会えば、何かが分かるかもしれない。

そう思っていた。

けれど、すぐには会えない。

それは落胆でもあり、どこか安堵でもあった。

まだ早い。

夢の中でゼロの背中が言った言葉。

もしかすると、本当にまだ早いのかもしれない。

ロイドは文書を畳む。

「ただし、ゼロ一行にこちらの状況は伝達されています。返答が来る可能性はあります」

「分かった」

「焦らないことです」

トーマは小さく笑った。

「皆にそればかり言われるな」

「あなたが焦るからです」

「否定できない」

ノアが横で言う。

「今は、治すことが先」

トーマは頷いた。

「ああ」

ゼロは来ない。

ゼロたちは復興で忙しい。

なら、トーマはトーマとして進むしかない。

英雄の答えを待つのではなく、自分の足で立つ準備をする。

それが、今できることだった。

⸻

日々は過ぎた。

最初はベッドの上で起き上がるだけだった。

次に、ノアの支えと治療師の補助で立ち上がる。

それから、医務室の中を数歩歩く。

廊下まで出る。

中庭へ行く。

訓練場を眺める。

やがて、杖なしで歩けるようになった。

最初に訓練場へ戻った日は、皆がいた。

ノア、ミア、ユナ、レナ、ロイド、ソル。

トーマは入口で立ち止まった。

訓練場の土。

朝の風。

木剣の匂い。

遠くに見える白い城壁。

帰ってきた。

その実感が、胸にじわりと広がる。

レナが両手を上げる。

「トーマ、復帰だ!」

「まだ軽い訓練だけです」

ロイドが即座に言う。

「分かってる!」

「分かっていない顔です」

ミアが走り寄りかけて、ユナに止められる。

「ぶつかったら折れる」

「折れるのか!?」

「まだ折れやすい」

「じゃあゆっくり行く!」

ミアは本当にゆっくり歩いてきた。

それが不自然すぎて、トーマは笑った。

「普通でいい」

「普通が難しい!」

ノアは小さく笑っている。

ソルは木剣を一本持ってきた。

ただし、トーマに渡したのは剣ではなく、短い木の棒だった。

「今日はこれだ」

「短いな」

「剣を持つ感覚にはまだ早い」

トーマは棒を見る。

剣ではない。

忘却の剣でもない。

ただの木の棒。

それが、妙に安心できた。

「分かった」

ソルは静かに構える。

「最初は歩く。次に止まる。最後に名前を言う」

「戦闘じゃないのか?」

「復帰初日に戦闘をする馬鹿がいるか」

レナが少し目を逸らした。

ロイドが言う。

「心当たりがありそうですね」

「ないぞ!」

「ありますね」

トーマは棒を握る。

ゆっくり歩く。

一歩。

痛みはある。

だが、立てる。

二歩。

呼吸が乱れる。

でも、戻れる。

三歩。

ノアが見ている。

ミアが拳を握っている。

ユナが静かに頷く。

レナが泣きそうな顔で笑っている。

ロイドが記録している。

ソルが正面で待っている。

トーマは立ち止まった。

深く息を吸う。

そして言った。

「トーマ」

自分の名。

次に。

「ノア。ミア。ユナ。レナ。ロイド。ソル」

皆の名。

訓練場の空気が、少しだけ揺れた。

忘却の剣はここにない。

記録喰いもいない。

それでも、名前を呼ぶことは、戦いだった。

自分をここに繋ぐための戦い。

ソルが頷いた。

「よし」

トーマは笑った。

「これでいいのか?」

「今日はな」

「今日は?」

「明日はもう少し増やす」

レナが目を輝かせる。

「明後日は走るか!?」

ロイドが言う。

「走りません」

「明々後日は!?」

「走りません」

「その次は!?」

「検討します」

「やった!」

「検討と言いました」

皆が笑った。

トーマも笑った。

胸は痛い。

まだ深く息を吸うと苦しい。

けれど、その痛みの中に、確かな温かさがあった。

⸻

その夜。

トーマは久しぶりに、自分の部屋へ戻った。

医務室ではなく、自室。

机の上には、何も置かれていない。

忘却の剣があった場所は空いている。

その空白を見ても、以前ほど怖くはなかった。

剣はまだ封印室にある。

いつか向き合わなければならない。

だが、今すぐではない。

トーマは机に向かい、紙を一枚置いた。

そこに、今日のことを書く。

ロイドに言われたわけではない。

自分で記録しようと思った。

今日、訓練場に戻った。

まだ走れない。剣も持てない。

でも歩けた。

名前を呼べた。

皆がいた。

俺は、トーマだ。

書き終えて、トーマはしばらくその文字を見つめた。

自分の字。

自分の記録。

誰かに喰われるためではなく、誰かに証明するためでもなく。

自分がここにいたことを、自分で残すための記録。

窓の外には星が見える。

トーマは小さく呟いた。

「ゼロ。まだ会えないなら、それでいい」

夢の中の背中を思い出す。

「俺は俺で進む」

それから、もう一つの声を思い出した。

白い服の少女。

ノアに似た声。

──ひとりで来ないで。

トーマは静かに頷いた。

「ああ。一人では行かない」

夜風が窓を揺らす。

どこか遠くで、紅い旗が鳴ったような気がした。

それが本当だったのか、ただの気のせいだったのかは分からない。

けれど、トーマはもう怯えなかった。

傷は塞がった。

完全ではない。

跡は残った。

痛みも残った。

謎も残った。

それでも彼は、また歩き始めた。

忘却に抗うために。

記録喰いの影を追うために。

ゼロの真実へ近づくために。

そして、ノアとの約束を守るために。

トーマは灯りを消した。

暗闇は訪れた。

だが、もう完全な闇ではなかった。

彼の中には、名前があった。

帰る場所があった。

そして、次へ進むための小さな記録が、机の上に残っていた。

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