第五十八話 待っていた人の表紙画像

第五十八話 待っていた人

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/11/8 📚 シリーズ: Reincarnation -Record of memories- 📝 6,559文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

遺した記録、貴方の記憶、その手で全て解き明かして。

本文

空に開いた目を見た瞬間、ノアの呼吸が止まった。

黒い雲の中心に、青白い光が浮いていた。瞳と呼ぶには形が曖昧で、どこを向いているのかも分からない。それなのに、広場の誰もが、その光がノアだけを見つめていると感じていた。

「ノア、こっちを見ろ!」

トーマが肩を抱いても、ノアは顔を上げたままだった。通りに跪いていた透き通った人々が、一斉に頭を起こす。姿の定まらない口元から音は聞こえない。代わりに、ノアの胸の奥へ幾つもの呼び声が重なって届いた。

「……呼んでる」

「誰が?」

「みんな。子どもも、大人も……私の名前を知ってる」

ノアは耳を塞いだ。けれど声は遠のかない。食堂から呼ぶ声、笑いながら駆け寄る声、泣きながらすがる声。どれも知らないはずなのに、どこか懐かしく、聞き分けようとするだけで胸が痛んだ。

手のひらに、淡い防御膜が浮かぶ。普段なら彼女が大きさも厚さも決められる小さな膜が、今は指の動きに従わなかった。表面の光が細い筋となり、石畳へ垂れ、建物の壁を伝って中央の高い建物へ伸びようとする。

「帰星が……勝手に?」

「術を止めてください!」

ロイドが記録板を開いた。膜の光が遠くへ伸びるほど、ノアの魔力が減っている。都市全体を守るほどの力を出したわけではない。それでも、どこに繋がるか分からない細い線から絶えず魔力が流れ出していた。

「私、止めてる! なのに……!」

ノアの足が石畳から離れた。身体が前へ引かれ、トーマが腰へ腕を回す。ユナは青い糸を二人の手首へ結び、近くの石柱に巻きつけた。糸が軋み、石柱に細かな亀裂が走る。

「引っ張られてる。線の先に何かある」

「レナ、手伝ってくれ!」

「任せろ!」

レナはノアの背後へ回り、両腕を抱えて踏ん張った。ミアもレナの腰を支え、護衛兵が二人の後ろに続く。足を捻った術師を守るため、医療術師は広場の外縁へ下がった。ここで誰かが転べば、引かれているノアごと石畳へ叩きつけられる。

「動くな、ノア!」

「私、動いてない!」

レナが歯を食いしばる。トーマの踵が滑った。名前を呼ぶ声はノアだけでなく、すぐそばにいる彼の耳にも聞こえ始めていた。けれど、同じ声ではない。彼には、どこか遠くで子どもが泣く音だけが聞こえた。

ソルは空の目を見上げた。

「目を斬る」

「距離がありすぎます。原因もまだ……!」

「分かっている。だが、引かれる力を一度止める」

ロイドが言い終えるより早く、ソルは高く踏み込み、剣に集めた光を空へ放った。白銀の斬撃が雲の縁を切り裂き、青白い光のすぐ横で弾けた。目そのものを壊したわけではない。けれど黒い雲が閉じるように揺れ、広場へ伸びていた光の筋が一瞬だけ弛んだ。

「今です!」

レナとミアが力を合わせ、ユナが糸を巻き取る。トーマは落ちてきたノアを受け止め、二人で石畳へ膝をついた。光の筋は次々にちぎれ、掌に残った小さな膜も消えた。

ノアは激しく息をしていた。熱はないが、指先が冷えている。ロイドが駆け寄って魔力の状態を調べ、少し離れた場所でソルが空を警戒し続けた。

「どうして私を……」

「今は考えなくていい。息を整えろ」

トーマが背を支えると、ノアはその胸元を掴んだ。目を閉じ、ようやく顔を上げる。

「トーマ」

「ああ、ここにいる」

「……後ろ」

──

振り返った先に、少年が立っていた。

黒い服を着た、トーマより少し幼く見える少年だった。短い髪も目元も、驚くほど彼に似ている。ただ、トーマの手には短棒があるのに、少年は武器を持っていなかった。両手を下ろした立ち姿に、覚えのない落ち着きがあった。

「誰だ」

トーマが問う。少年は答えず、まずノアを見た。

「また泣いてる」

その声まで、トーマと同じだった。

ノアの手が震える。近づこうとしたトーマをソルが止め、ロイドは記録式を慎重に展開した。薄い文字が少年の足元へ現れる。

『対象照合不能』

「模造体とは、反応が違います」

ロイドが小声で告げる。ユナが一本の糸を伸ばすと、少年の袖へ確かに触れた。だが、糸から伝わる感触は冷たい石に近く、呼吸による揺れもない。

「俺に似せた影なのか?」

「違う」

少年は即座に答えた。

「遅い」

「何がだ」

「帰ってくるのが」

その言い方に、トーマは胸の奥を掴まれた気がした。知らない相手に責められているのではない。ずっと聞かずにいた自分の声が、目の前から返ってきたようだった。

「お前は俺の過去なのか」

「違う」

「なら、誰なんだ」

少年は一歩近づいた。ユナの糸が張り、ソルが剣先を下げて進路を塞ぐ。少年は誰にも手を出さず、トーマだけを見つめた。

「捨てたお前」

その言葉と同時に、トーマの右手が上がった。少年と同じ角度で肘が曲がり、開いた掌が胸の前に止まる。ソルと向き合った十秒間、最後に取ったのと同じ姿勢だった。

トーマは自分の手を見下ろし、指を握り込もうとした。思うように力が入らない。少年の指が動くたび、こちらの身体にも次の動作が浮かぶ。

「……やめろ」

「忘れたんじゃない」

少年の声は静かだった。

「捨てた」

「俺が?」

「逃げたかったから」

「何から逃げたんだよ」

少年は答えなかった。その視線がノアへ移る。ノアはトーマの腕を両手で掴み、身体の動きを止めようとしていた。

「お前も来る」

「行かない」

「帰るだけだ」

「ここが帰る場所じゃない」

ノアは苦しそうに息を吸い、仲間たちを見回した。ユナの糸が肩に触れている。レナは息を切らしながらも隣に立ち、ミアは彼女の手を握れる位置を空けていた。ロイドもソルも、誰一人その場を離れない。

「私の帰る場所は、皆のところ」

少年の表情が初めて揺らいだ。怒ったわけではなかった。何かを思い出した人が、もう取り戻せないものに気づいたときのような顔だった。

「……前も、同じことを言った」

ノアが息を呑む。少年の輪郭は、足元から薄くなり始めていた。

「待て! 俺たちを知ってるんだろ!」

トーマは一歩踏み出した。身体の中で何かが叫ぶ。聞かなければならない。今でなければ、二度と答えを得られない。

「ゼロを知ってるのか!」

少年が止まった。

「知ってる」

「俺は……ゼロを殺したのか?」

誰も息をしなかったように思えた。地下闘技場で聞いた言葉と、壁に残った読めない文字が胸をかすめる。少年の口が僅かに動く。

「殺した」

トーマの身体が強張った。しかし、ソルがすぐに声を上げた。

「確かめられない言葉だ。信じるな」

「でも、こいつは……!」

「お前の姿を借りている。それだけだ」

少年は反論しなかった。代わりに、まるで続きを言おうとしたところで空を見上げた。黒い雲から細い腕が無数に伸び、その身体へ巻きつく。

「待って!」

ノアが叫んだ。トーマも手を伸ばす。少年は逃げずにこちらを見つめ、最後に一つだけ言いかけた。

「思い出したら、お前は……」

声が途切れた。黒い腕が少年を引き裂き、輪郭が羽根となって散る。トーマの指先には何も残らず、石畳へ小さな欠片だけが落ちた。

欠片には、たった一字が刻まれていた。

『零』

──

トーマは欠片を拾おうとして、ソルに手首を掴まれた。

「触るな」

「俺のことを知ってた」

「だから安全だとは限らない」

「ゼロのことも知ってた。俺が何をしたか、あいつは……」

「トーマ」

ソルの声が強くなる。

「今のお前を見ろ」

トーマは息を吐いた。右手はまだ、少年と同じ形を取ろうとしている。短棒を握り直すと、ようやく指が自分の思うとおりに動いた。

彼は足元の欠片から目を離した。ユナが遠くから糸で囲み、ロイドが近づかずに記録を取る。そこに『零』の字があった事実と、少年が語った言葉の真偽は別だった。

「……ごめん」

ソルの手が少し緩む。

「謝る相手は私ではない」

トーマが振り向くと、ノアが袖を掴んだまま立っていた。普段より顔が青い。つい先ほどまで空へ引き上げられていたのに、彼を止めるために立ち上がったのだ。

「置いていかないって言った」

「ああ」

「今、行こうとした」

「……うん」

ノアは目元を拭った。怒っているのではなく、怖がっている。そのことがトーマには、責められるより痛かった。

「次は、私も連れていって」

「止めないのか」

「止める。危ないと思ったら、止めるよ」

ノアは彼の手を握り直した。

「それでも行くなら、一緒に行く。だから、一人で決めないで」

トーマは頷いた。自分の過去について知りたい気持ちは消えない。しかし、答えを持っていそうなものが現れたからといって、目の前の仲間を置き去りにする理由にはならなかった。

「約束する。次は皆に話してからだ」

「……うん」

ロイドが二人の前へ戻った。欠片にはいまだ触れていない。

「先ほどの少年は、あなた自身だと断定できません。特にゼロについての証言は、これまで得た情報と照らし合わせる必要があります」

「嘘だったかもしれない、ってことか」

「はい。相手が真実を語っていると証明する方法は、今のところありません」

トーマは胸の奥に残る冷たさを飲み込んだ。少年の声は自分と同じだった。それでも、自分の声をした何者かの言葉を、すべて信じてよいわけではない。

そのとき、ロイドの記録板に細い光が走った。書いた覚えのない文字が、余白へ一行ずつ現れる。

『対象名、ノア。王国記録への再接続を開始。』

「王国記録……」

ロイドは読み上げ、すぐに別の板へ写した。文字を写し終えると、元の記録板から光が消える。

「ノアさんの魔力に反応した仕組みが、まだ動いているようです。無理に膜を使わないでください」

「私、何かを取り戻しかけてたのかな」

「分かりません。記憶を戻す仕組みとは限りません。まずは身体を休めましょう」

ノアは頷いたが、広場の中央へ向いたままだった。空の目は雲の奥へ半分隠れ、こちらを見続けている。ソルもその気配を確かめていた。

「ここで長く止まるのは危険だ」

「ええ。ですが、闇雲に進めば同じです」

ロイドは周囲を見た。来た道の左右は黒い壁に塞がれ、通りへ戻る道筋さえ見失いかけている。一方、透明な人々が集まる方向には、細い白い石畳が残っていた。

「案内してるのか?」

ミアが尋ねると、先頭に立つ人影が振り返った。顔はない。それでも、こちらを待っているように見えた。

「罠の可能性はあります。ただ、ほかに確かめられる進路も少ない」

「全員で決めよう」

トーマが言った。レナはすぐに頷き、ミアも槍を持ち直す。ユナは護衛兵の負傷を見てから、進む速度を落とすならと答えた。ソルは先頭を引き受けると言い、ノアはトーマから手を離さずに頷いた。

ロイドは選択を記録した。

「では、中央広場まで進みます。危険が増したら引き返す判断も残してください」

透明な人々が歩き始める。一行は距離を取り、消えかけた街の奥へ進んだ。

──

道を行く人影の中には、何かを抱える者、子どもの手を引く者、何もない空間へ挨拶する者がいた。すれ違っても彼らは足を止めず、開かない店の戸を押しては、当然のように通り抜ける。かつてそこにいた人間の生活をなぞっているようだった。

ミアが玩具を包んだ袋へ手を当てた。あの少女もこの中にいたのだろうか。そう考えると、歩くたびに胸が詰まった。

「この人たち、ずっと同じことをしてるのかな」

「今見えているものが本当の住民か、それとも何かの記録かも分かりません」

ロイドが答える。

「でも、暮らしてた人はいたんだよな」

「それは、家や道具が示しています」

レナは前を歩く二人の小さな影を見た。片方が遅れると、もう片方が振り返る。同じ動きを繰り返しながらも、その仕草には誰かを待つ気持ちが残っているように見えた。

通りはやがて円形の広場へ出た。中央には大きな石碑が立ち、黒い幕のような影で覆われている。周囲の建物には旗の跡があり、柱には星を重ねた紋様が彫られていた。透明な人々は石碑の前で足を止め、順に膝をついた。

「王様を迎える場所か?」

「式典に使われた広場かもしれません」

ロイドが石碑の側面を確かめる。読めない古い文字が影の下にある。文字自体が削られているわけではないが、指を近づけると、表面から冷たい気配が返ってきた。

「この場所、知ってる気がする」

ノアが呟いた。トーマも同じだった。石碑の向こうに高い台があり、そこへ誰かと並んで立ったような感覚が、胸の奥を掠める。歓声があった気もする。差し出された手を取った気もする。だが、それが本当に過去の出来事かどうかは分からなかった。

「さっきみたいに、また引かれるかもしれない」

トーマが言うと、ノアは頷いた。

「今度は一人で触らない。少しずつ確かめる」

ロイドは術師と相談し、記録板を四か所に置いて反応を比較した。石碑を覆う影へ近づくほど、文字が薄れる。ソルの剣を添えても傷はつかず、ユナの糸も表面を捉えられない。ひとつだけ、ノアが小さな防御膜を近づけたとき、影の下の線が僅かに見えた。

「これ以上は負担が大きいです。無理をしないでください」

ロイドが告げる。

「分かってる。だから、全部は剥がさない」

ノアは膜を石碑の一角へ寄せた。光が影を払うのではなく、黒い膜の表面で反射する。そこで見えた文字の形を、ロイドが別の紙へ写し取る。ソルがノアの背後に立ち、トーマはその手を握った。

最初の一行は途中で途切れた。次に、星の紋様が浮かぶ。読み取れた古い文字をロイドが一つずつ照合すると、ようやく二つの語が並んだ。

「……アリア」

その名前を口にした瞬間、ノアの膜が震えた。

「続いて、王国、です」

「アリア王国……」

トーマが繰り返した。木の柱へ二人で背丈を刻み、食事に呼ばれた記憶のようなものが、名前に重なる。アリアという女性がいた。だが、その人が王国そのものの名でもあるとは、考えたことがなかった。

ロイドがもう一度、石碑の下側を確かめる。影が薄くなったのは一瞬だった。そこに都の名らしい文字が現れ、すぐに消える。彼は消える前に写し取った字を何度も見比べた。

「王都……ムネモシア。そう読めます。ただ、原文全体はまだ確認できていません」

鐘が鳴った。

広場に跪いていた人々が一斉に顔を上げた。低い音が屋根を渡り、街の色が僅かに変わっていく。壁の黒ずみの下から白い石が覗き、窓枠に青い塗料が現れる。ほんの短い間、誰もいない市場に人の行き交う音が混じった。

ノアの頬を涙が伝った。

「ここ……」

トーマが支えようとすると、ノアは彼の袖を握った。

「私たち、ここにいたのかな」

「……分からない。でも、会えば聞けるかもしれない」

「誰に?」

「アリアに」

答えた途端、広場の鐘が止まった。

──

「おかえりなさい」

声は、今度こそすぐ近くから聞こえた。

石碑の上に、黒い外套を纏った人物が立っていた。先ほどまで誰もいなかった場所だ。右手には鞘に収められた忘却の剣があり、その足元では黒い羽根がゆっくり舞っている。

ソルが剣を抜き、レナは負傷者の前へ立った。ユナの糸が広場の出入口を確かめ、ミアは短槍を握る。ロイドは石碑と人物の両方を記録しようとして、筆を止めた。

トーマには、剣よりも声の方が気になった。あの小さな家で、食事が冷めると二人を呼んだ女性。顔だけが見えなかった、その人の声だ。

「あなたが……アリア?」

人物は少し首を傾けた。

「ええ」

たった一言なのに、ノアが息を呑んだ。黒い外套の人物はゆっくりと頭巾へ手をかけ、顔を隠していた布を外した。長い銀白の髪が肩へ落ち、深い青の瞳が現れる。

トーマはその顔を知らない。少なくとも、今の自分の記憶にはない。それでも、懐かしいと感じてしまった。ノアも彼の隣で動けずにいた。

アリアは二人の顔を順に見た。忘却の剣を持つ手は下げたまま、敵を警戒する素振りもない。視線には安堵があったが、その奥に深い疲れも見えた。

「ノア」

名前を呼ばれた少女が、肩を震わせる。

「トーマ」

今度は彼の名前だった。確かめるように、声の形を大切にするように、ゆっくりと呼ばれた。

「ようやく、帰ってきてくれたのね」

忘却の剣が鞘の中で低く鳴った。黒い羽根が広場の上へ舞い、背後の高い建物から大きな影が伸びる。ソルの剣先は下がらなかったが、アリアは見向きもしない。

「ここは、あなたたちが始まった国」

アリアは両腕を少し広げた。誰かを抱きしめようとして、今はまだその距離を測っているような仕草だった。

アリア王国へ────────

ひと呼吸を置き、二人へ微笑む。

────────おかえりなさい

ジャンル・タグ

, ,

作品統計

👁️ 閲覧数: 1 👍 いいね: 0 📚 本棚登録: 0

作者について

となん

Reincarnationシリーズ投稿中

👥 フォロワー: 1人

作者ページを見る