黒魔女さんからお手紙ついた【7話】
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
魔法学校入学のために金貨3億枚の借金を背負ったヴェロア
本文
【七】
「さあ、これでこの金貨はキミのものよ」
「ありがとうございます!」
署名を終えると、浮かれ気分で目の前の金貨袋に手をかけた。これで晴れて契約は成立。魔法学校に入学して、思う存分学んで立派な魔術師になる。未来はそんな希望であふれている。そう思った次の瞬間、今まで味わったことのない激しい痛みが、突如ヴェロアの左腕を襲うのだった。
「い、痛ぅあぁぁ……!」
苦痛に顔を歪め、喉から声を絞り出すヴェロア。
一体何が起きたのかまるで判然としなかったが、その痛みはすぐには収まる気配すらない。
なおも続く激しい痛みに抗いながらも「何で? 何で? 何が起こっているの?」そんな思考がぐるぐると渦を巻く。しかし今のヴェロアの状態では、その事態を理解することは叶わなかった。
「ぐううぅ……」
テーブルに突っ伏して歯をめいっぱい食いしばりながら、左腕の痛みと格闘するヴェロア。左腕のある箇所だけが、焼きごてでもあてられたかのように恐ろしく痛む。それはたかが数秒しか経っていないというのに、まるで何時間も続いているように感じられるほどだった。
襲い来る痛みに耐え涙に揺れる視界には、テーブルに頬杖をつきじっとその様子を見つめる女性の姿が映る。
ヴェロアの口からは、依然言葉にもならない動物のようなうめき声だけが絞り出される。
女性の右手はヴェロアの手と重なりあったままで、不思議なことにその顔には笑みを浮かべていた。それは小動物を愛でる少女のよう。
その姿を目の当たりにすると、痛みとはまた別な、異常にうすら寒いものが背筋を込み上げてくるのだった。
脳の八割方を痛みに支配された状態で、それでもヴェロアはどうにか考えを巡らせた。こんなにも苦しんでいるのに、なにゆえこの目の前の女性は助けてくれないのだろうかと。
現状を省みれば、それは疑問としては至極真っ当なものなのだが、いかんせん正常に働かない脳では、いくら考えを巡らせようとも結局答えは導き出せなかった。
そもそもその答えは、ヴェロアの考えが及ばない所にしか存在していないのだった。
押し寄せる痛みの波を何度乗り越えたかもわからなくなった頃、ヴェロアは考えるのを放棄した。するとそれを見計らったかのように痛みは徐々に引いていった。それは痛みが消えているのか、それとも痛みに順応しているからなのかは、もはやヴェロアにすらわからなかった。
痛みが和らいだことを察知したのか、それでも相変わらず神秘的な笑顔を向け続ける女性はテーブルの上にある契約書をひょいとつまみ上げると、ヒラヒラとそれを見せる。
「おめでとう、これで契約は成立よ」
口許を緩めにたりと笑う。そこには今までの妖艶さは影を潜め、変わって刃物のような鋭さを携えていた。それでも楽しそうな様子だけは変わらなかった。
ヴェロアにはいったい何がめでたいというのか、その心が全く理解できずにいた。しかしその笑顔によって先ほどまで感じていたうすら寒さが、今度は凍りつく感覚に変化するのだけはありありとわかったのだった。
恐る恐るといった様子でゆっくりと口を開くと、その一言を口にする。
「今のは一体何だったんですか?」
遅まきながら、少しばかり警戒の色を強めた表情を浮かべるヴェロアに、女性は目だけが笑っていない笑顔を向ける。
「だから、契約成立だって言ったでしょ? 聞いてなかったの?」
「契約って…… あの痛みがですか?」
何一つ納得がいかないといった様子を見せるヴェロアに、女性は左腕を指す仕草をして見せる。それが左腕を見ろという意味なのだと理解して、先ほど痛みが襲った箇所を見やる。
底知れぬほどの嫌な予感が襲い来るが、意を決して一気に袖をまくる。すると手首と肘のちょうど中間付近に、見覚えのない模様があることに気がつくのだった。
「なに? これ…… いつのまにこんなものが?」
声を震わせながら、ヴェロアは一心不乱にゴシゴシとそれを擦る。しかし模様は消えもしなければ、にじみもすることはなかった。
「なんで? どうしてこんなものが……」
強迫観念に駆られたように擦り続けるヴェロアの様子を、楽しい出し物でも見るかのように眺めていた女性は、またしても例の「ふふふ」という魂をねぶるような笑いをこぼす。
頬杖をついたままの姿勢で指先だけを軽く振りながら。
「それはねぇ、どんなことをしても消えないのよぅ。だってそれは……」
女性は勿体つけるように言い淀む。
もはやヴェロアには悪い予感しかなかった。艶やかな赤い唇に人差し指をあてがい、投げキッスでもするかのようにそれをヴェロアに向けて弾く。そしてこう言葉を続けた。
「黒魔女の契約印なのだ・か・ら」
「黒……」
諦めたヴェロアは焦点の合わない目で空を見つめる。
黒魔女の契約なるものがいかなるものなのか、そしてそれがいかに恐ろしいものなのかヴェロアにはまったくわからなかった。しかしながら、なにやら良からぬ事態になったことだけは理解ができた。なにせつい今しがた、そのさわりとなる痛みを、身を持って体験したのだから。
「そうそう、忘れていたわ。ワタシの名はエルターナ・アリエス・ベルトーラ。黒魔女と呼ばれているわ。よろしくね」
それはまるで楽しいパーティーの席でするような、場違いともいえる自己紹介を陽気に披露するアリエス。ヴェロアは今一度力なく左腕の模様に目を落とす。
左右に二匹のドラゴンが対照的なポージングをとっていて、それを全体として捉えるならば、ハート型をしているといえるのだった。
消え入りそうなほど弱々しく「契約印……」と言葉を漏らしたヴェロア。ハート型をした黒魔女の契約印など、どこまでも人を食ったようだといっそ笑いたいほどだった。
「この店の手伝いをするのに、こんな契約印なんかが必要なんですか……」
「店の? あら、ワタシそんなこと一言でもいったかしら?」
アリエスは悪戯を咎められた少女の様な言い訳めいた台詞を吐くが、見た目とのギャップはあまりにも大きい。口を尖らせながらのそれは、あたかも勝手に勘違いしたヴェロアが悪いのだと言わんばかり。
するとアリエスは心を折るような言葉を、さらりと口にするのだった。
「それに、店の手伝いなんかじゃ一生…… ううん、来世を使っても全額返済なんて出来ないわよ?」
出来の悪い弟の間違いを正すように、小首を傾げて優しく諭すアリエス。
「ええ! ま、まさか?」
その言葉の意味を一瞬図りかねたものの、はたと思い及ぶとアリエスの手から契約書を引ったくって、その内容の一字一句に丹念に目を通す。
そこにはヴェロアが目を疑い、後悔をし、失意のどん底に叩き落とされる記述があった。
【ヴェロア・サルトルアが、利子を含めエルターナ・アリエス・ベルトーラに返済する金額は、金貨3億枚とする】
「さ、3?……」
「そ。3億」
「無理ですよ、そんな金額……」
「でも、契約は成立しちゃったし、今からは取り消すこともできないし…… どうしましょう?」
にこやかに聞き返されたところで、もはや思考は崩壊寸前。契約書とアリエスを交互に見ながら口をパクパクとさせることしか叶わず、なにかもが言葉となって出ることはなかった。
「まあ、嫌ならやめてもいいけど、そうしたら魔法学校には入れないわよ? 契約不履行がどうなるのかワタシも知らないけれど、さっきの痛みくらいじゃ済まないかも知れないわね。それはそれで見てみたいから…… やってみる?」
そんなヴェロアの姿さえも楽しんでいるかのようなアリエスは、ニタリとした黒魔女にふさわしいまでの笑顔を作る。すでにヴェロアの置かれた状況では断れるはずもないことは、十二分に理解しているはず。
いったいどこまでが本心なのかわからない言葉をよこしたアリエスは、続けて初めて仕事の内容についても口にしたのだった。
「いい? ここからが本題よ? キミが手伝う最初の仕事は、フェリアーニ魔法学校であるものを探しだすことよ」
「魔法…… 学校?」
「そう、魔法学校」
やっとのことで言葉がついて出るようになったヴェロアは、テーブルの上に置かれた金貨袋に目をやった。そしてそもそもの発端が、魔法学校へ入学するための金貨の調達にあったことを思いだす。
確かにこの金貨1万枚があれば魔法学校に入学することは可能だった。しかし仕事の内容が魔法学校内にあるとするならば、ヴェロアにはもう一つの懸念材料が存在するのだった。
しかしそれだけは話しておかないといけないと感じたヴェロアは、あまり思い出したくない事実を告げる。
「確かにこれで入学はできますけど、僕には魔法の才能はないです。だから試験にも落ちたんです。教官だって散々言われましたから……」
アリエスが腕組みすると、その腕にボリューム感たっぷりの膨らみが乗る。それによって今までよりもさらに強調された胸の谷間が、否応なしに視界に飛び込んでくる。ヴェロアは視線をどこに向けてよいのかわからず、モジモジとこすり合わせる自分の指先を見る。
そんなヴェロアの狼狽えっぷりさえも楽しい見世物とでも思っているのだろうか、表情をほころばせるアリエス。
「ふふふ…… 心配はないわ。現状でもキミは魔法能力が全くないわけではないもの」
実際試験を受けて何一つ出来なかったことを、もちろんヴェロアは誰よりも知っている。学校に入って魔法をきちんと習得出来るかもしれないとは考えているが、それは長い目で見てのこと。
「でも、すぐに役に立てるような魔法能力は、正直ゼロなんです」
「ねえ、キミ。思い出してごらんなさい? あの学校の試験方法は、基本魔法を行わせて、その人の基礎能力を確かめる。ただそれだけなの」
言われてヴェロアは、試験の時の忘れたいはずの記憶を無理矢理引っ張り出す。出来るのであるならば、それはいっそ永遠に封印しておきたいものだったが、こうなってしまってはそうもいってはいられない。
確かに試験で行ったのは、四大元素を集めてそれぞれの属性魔法を放つといった、基本中の基本だった。その基本すら思うように行えず不合格になったことが、落ち込み度合いを加速させたのだから忘れるはずもない。
「確かに僕がやったの基礎のおさらいみたいなものでした」
「でしょう。いい? 試験のその方法が、単純にキミに合っていなかっただけなのよ」
「え? どういうことですか? 基礎なのに……」
身を乗り出さんばかりの勢いで言葉を返す。
「だってキミの持っている能力は、そんなことでは計れないものなのだからよ」
ウインクを飛ばして見せるアリエスだったが、ヴェロアには「能力がある」という言葉がいまいちピンと来なかった。
「えっと、どういうことですか? 四大元素魔法は、全ての基礎なんじゃないんですか?」
もはや色々なことに理解がおぼつかないほど追い詰められたヴェロアは、表情を崩してどうにか言葉を絞りだす。そんなヴェロアの様子をふびんに思ったのか、アリエスはもう少しだけ詳しい話を始めたのだった。
「もちろんそうよ」
「だったらどうして……」
「いい? よく聞いてね? キミの能力はね、基礎能力を必要とする四大魔法の系統にはないのよ」
黒薔薇のような笑顔から黒薔薇の棘のような鋭い笑顔に変えたアリエス。
その言わんとすることを、ヴェロアは必死に理解しようと努める。それなのに考えれば考えるほど、理解から遠ざかっていく気がしてならないのだった。
四大魔法が基本とされるゆえんは、すなわち全ての魔法はそのいずれかの属性にあるとされるから。
もちろん属性は他にも光と闇とがあるのだが、しかしこれらはその魔法を使う術者の精神によるところが大きく影響する。精神状態を考慮しない状態で見ても、光と闇の魔法もまた、結局は四大属性の組み合わせでしかないからだ。
なので四大魔法の基礎が使えない者には魔法は使えない。それが揺るぎない摂理なのだ。いくら試験に落ちたとはいえ、さすがのヴェロアもそれくらいは理解していた。
だからこそ、アリエスの言うことが一向に理解がつかないのだった。
「キミだって、四大魔法がまったく使えないってわけじゃないでしょう?」
ヴェロアは、言われてはたと気づく。
確かに四大魔法は使える。ただそれをこなすプロセスが、果てしなく苦手で遅いというだけだった。
「でも、その基本が恐ろしく下手なんですよ?」
アリエスと教官を重ねてしまいすっかり気落ちしたヴェロアは、視線をテーブルに落としてしまう。視界の片隅で揺れ続けるロウソクの炎が、時間の感覚を奪ってゆく。
「例えばそれはどんな風に?」
「どの属性の魔法も、発するまでに時間がかかりすぎるんです」
「属性の得意不得意は、誰しも少なからず持っているわ。それは精霊エナジーを集めたり、それを構築することに影響を与える」
「僕の場合、それが全てにおいてダメなんです……」
怒っているでも、さげすんでいるでもないのはわかるのだが、どうしても顔を上げることができず、ボソボソとした声で質問に答える。
それは自分で言っていて悲しくもあり、情けなくもある。けれどもそれはどうしたところで変わらない事実だった。
「うんそうね、そういうことなのよ。キミの能力には、得意不得意といった概念がないの。四大属性の精霊エナジーを平均的に必要とし、しかしそれを四大属性のどれにも構築しないんだから」
「えっと、言ってる意味がよく……」
答えの出ない哲学的な話を聞かされたようで、怒られそうだという不安にさいなまれながらもそう返すしかない。
「ふふふ…… そうでしょうね。だからね、あんな試験をいくらしたところで、キミの能力を把握するということにおいては全くもって無意味なのよ」
「でもそんなことがあるんですか?」
何となく丸め込まれはしたが、だからといってその言葉に納得できたのかというと、それは首をかしげざるを得ないのだった。
自分の頭が、発想が凝り固まっているせいなのか、それとも単なる知識不足なのか。それさえもわからないのだった。
「いい? キミが持っている能力は召喚魔法。それも憑依魔法に極端に特化したものなのよ」
「憑依魔法…… ですか?」
だがそれを聞いても、全くといっていいほどにイメージが浮かばなかった。聞いたことのないその魔法についても気になるが、それよりもさらに疑問に思うところがあった。
「あの…… 見てもいないのに、どうしてそんなことがわかるんですか?」
「だって占い師…… いいえ、魔女ですもの」
茶目っ気たっぷりにおどけて見せるアリエスだが、それに対するリアクションをとるだけの頭の余裕は今のヴェロアには全くない。
「なぜそんなに詳しいんです?」
「それはね、ワタシも召喚魔法の使い手だからよ。あ、でも憑依魔法ではないけれどね」
肩をすくめた仕草で当然とばかりに言い放つ。召喚魔法というのはもちろん聞いたことがある。
自らの魔力を使ってゲートを作り、契約した従者を呼びだす。それは時にサラマンダーであったりウンディーネであったりするわけで、しかしながらそこにも、当然四大元素の能力というのは必要になるはずだった。
「その顔は、相当混乱している様子ね」
アリエスがにクスッと笑みをこぼしながら口にした言葉に、心中をズバリ言い当てられてドキリとする。それでも素直にうなづいて見せた。
「キミの能力については後で色々と指導するとして…… 今は魔法学校に入学することが先よね」
アリエスが笑顔で指を鳴らしたのに反応し、通りの窓が一ヶ所だけバタンと開く。すると待ち構えていたとばかりに、一羽のフクロウが飛び込んでくるのだった。
状況も去ることながら、その迫力に驚いたヴェロアだったが、アリエスの方はいっさい気にする様子を見せてはいない。
フクロウはバサリと大きな翼を目一杯広げて減速すると、慣れた様子でアリエスの後ろにある止まり木に着地したのだった。
そして翼をバタつかせながら開口一番。
「アリエス! どうしてあたしを閉め出す必要があるのよ!」
「あ…… え? 喋った?」
そうこぼして呆気にとられるヴェロア。いちべつをくれたフクロウは何事か言いたそうだったが、それをアリエスの言葉がさえぎった。
「だって、大事な契約があったんだもん。仕方ないでしょう?」
一転して少女のような口調で言いきるアリエスに、いつものことといった様子で「フン」とそっぽを向くフクロウ。
そのやり取りに、ヴェロアはどこか人間味を感じていた。
「ふうん。それじゃあ、この子がそうなのかい?」
クリクリとした丸い目玉にヴェロアをとらえながら、フクロウが尋ねた。
「そうよ。これからは、アナタがお世話してね」
「なんであたしが面倒見てやらなきゃならないんだよ」
勢いよくそちらに向き直ったフクロウは、それが抗議の意なのであろう翼をバタバタと忙しく羽ばたかせる。
「だってワタシはこの店から出られないんだもん、しょうがないじゃない」
「都合のいいこと言ってんじゃないよ、まったく。人使いが荒いんだからさ」
そうぼやきを炸裂させるフクロウを指して、アリエスはそれが当然のことのように「フクロウだけどね」と笑う。
そして反論をしようとするフクロウを制し、簡単な紹介を始めた。
「この娘はアイリーシェ。これからキミとの連絡係でお目付け役よ。仲良くしてね?」
突然のことに、相手がフクロウだということも忘れ、慌てて立ち上がり姿勢を正すと深々と頭を下げた。
「よろしくお願いします。アイリーシェさん」
そう挨拶の言葉を口にしたヴェロアの耳に、二人の揃った声が届いた。
「よろしくね、ヴェロアくん」
「よろしく。ヴェロア君」
「え?」
驚き、顔を上げたヴェロアを見て笑い合う二人。名乗った覚えはないのにどうして知っているのかと不思議に感じたヴェロアは、それに気づいてテーブルの上の契約書を手にする。
そこにはしっかりと「ヴェロア・サルトルア」という名前が記載されていた。
契約書とアリエス。そして物言うフクロウを見やりながら、黒魔女というのもあながち嘘じゃないのかもしれないと思うのだった。
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