黒魔女さんからお手紙ついた【12話】
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
魔法学校入学のために金貨3億枚の借金を背負ったヴェロア
本文
【十二】
ミエリは大きく息を吸い込むと、「進路指導室」と記されたプレートの扉をノックした。放課後の人けのない廊下に乾いた音が二度、三度、ひびいては消える。蝋の匂い、床に残る白い粉の線、掲示板の端がめくれているのが、どうでもいいのにやけに目につく。心臓の鼓動だけが自分の音になって、胸の奥をぐっと掴む。
「失礼します」
出た声は思ったよりも落ち着いていた。扉の向こうには二人の教官。燃えるような赤髪を中央で分けて後ろで結った女性教官は、名札の代わりに薄金のピンを襟に光らせ、対面のソファを指して「座って」と目だけで促す。もう一人、薄青の外套をまとった男性教官は、無言で書板にペン先を走らせていた。顔を上げないまま、耳だけはこちらを向いているような気配。
ミエリは一礼し、そっと腰を下ろす。ソファがわずかに沈んで、膝の上で重ねた指先が汗ばむのがわかった。
「確認させてちょうだい。ミエリさんで間違いないわね?」
「はい。下位クラスの、ミエリ・カルセイラです」
「今日来てもらった理由は、わかるかしら?」
「……成績の件だと思います」
言ってしまえば楽になるはずだった。ところが胸の重しは、言葉にしてもほとんど軽くならない。
「ええ。あなたの基礎魔法の伸びが今一つなのよ。あなたたちの年代は伸びやすいの。だから、このままだと——あなたの“夢”の実現が難しくなる」
わかっている。わかっていても、喉の奥がきゅっと締まって、呑みこんだ唾に薄い鉄の味がする。紫水晶——おばあちゃんの形見を手放してまで入ったのに。一万枚の金貨。父と母の「大丈夫だよ」という声。背中に全部貼りついて、剥がれない。
女性教官は、少しだけ声色をやわらげた。
「試験のとき、“魔法医になりたい”と言っていたわね?」
「はい。それは、今でも変わりません」
「魔法医は、四大元素に限らずあらゆる精霊エナジーを取り込めなければならない。とりわけ光属性は不可欠で、要求量も自然と大きくなる」
「……わかっています」
膝の上の両手に力が入る。爪が指に食い込む痛みで、かろうじて呼吸の形を思い出す。
「では…… あなたが今、魔法構築でつまずいている理由。自分で、わかるかしら?」
ミエリは小さく首を振る。正直に、左右に。
「そう」
「教えてください。私はどうしたら…… 何をするべきでしょうか。できることがあるなら、私は何でもします」
「何でも、ね」
女性教官は口角をほんのわずかに上げた。微笑というより、言葉を置きやすくするための合図。
「私たちはね、あなたの強すぎる“魔法医への想い”が、かえって基礎魔法のバランスを崩していると見ているの」
「想い、が……?」
「珍しい話じゃないの。魔法医を志す者ほど陥りやすい。“誰も取りこぼしたくない” “できる限りすべて救いたい”——その気持ちが強すぎると、回復系の回路ばかりが先行して、他の系統の精霊エナジーが集まりにくくなる。アンバランスな状態のままでは、治癒の系まで到達するための土台が育たない」
胸の支えにしてきたはずのものが、足元を取る石になる。言葉の行き場がなく、息を吐いたつもりが、空気は肺のどこにも触れなかった。
「じゃあ、聞くわ。あなたは、自分が関わったすべての人を救えるつもりでいるの? それができると、確信しているの?」
「それは……」
理想だ。現実ではない。頭では知っていることが、胸の芯では抵抗する。「救いたい」を緩めるなんて、裏切りのようで。
「魔法医が特別職なのは、高い基礎魔法を満遍なく扱い、それらを通常魔法とは異なるプロセスで“回復魔法”に変換し、状況によっては攻撃系の技術まで応用して“治癒魔法”に昇華するから。——回復魔法と治癒魔法は似て非なるもの。どちらも必要なの」
町の手伝いで回復をしていたときは、それだけで感謝された。やり方を覚えれば、誰かの痛みを少し楽にできた。だから、回復ができるなら治癒もと、どこかで短絡していたのかもしれない。胸の奥で、薄い恥が広がる。
「過剰な想いで一方が突出したり、他方を阻害したりするようでは、治癒魔法は扱えない。だから今のままだと難しい——けれど」
女性教官は、ここでいちばん柔らかい笑みを作った。薄青の外套の男性教官は、書板の上でペン先を止めず、たださらさらと音だけを置き続ける。
「ここはフェリアーニ魔法学校よ。早い段階なら方法がある。——想いの強度を、扱える単位にまで制御すればいいの」
「そんなこと…… できるんですか?」
「もちろん。授業とは別に、特別カリキュラムで行うわ。情動評価の一時的調整、感応域の再校正(再カリブレーション)を伴う短期プログラム。過度に偏った回路をならすの。あなたの中の“救いたい”を消すんじゃない。扱える形に整えるだけ」
“扱える形に”。その言い方が、胸の暗がりに細い裂け目をつくる。風が差す。光が、ほんの糸ほど。
「実施は校外提携施設。学園の雑音から切り離した環境のほうが精度が上がるの。期間は短いけれど、その間は通常授業の一部を免除する。戻ってからのフォローも用意するわ」
男性教官が、ここで初めて顔を上げ、紙束を一枚差し出した。表紙には小さな活字で「特別カリキュラム参加規定」「情動評価および感応調整に関する説明」。見出しの下、細い文字が連なっている。“任意参加”の語が太字で、欄外に小さな※印。目がそこに引っかかったが、追う前に女性教官の声が上書きする。
「対象は伸びしろが見込める数名のみ。学校としても成果が出れば評価になるし、あなたにはその価値があると判断したの」
“価値がある”。胸の中の糸が、少しだけ太くなる。おばあちゃんの笑顔が浮かぶ。紫水晶を差し出す手。「若者の未来のために尽くすのは、古い人間の役目なんだから」。唇が、勝手に噛みしめられる。
「どうかしら? あなたにとって悪い話じゃないと思うの」
ミエリは、ソファから少し身を乗り出して、紙束に視線を落とした。びっしりと並んだ文字列。“夜間帯の実習”“一時的な眩暈や倦怠感の可能性” “感応域測定のための個別セッション”。どこにでもありそうな医学的な言葉。怖がらせない配慮のある、やわらかい言い回し。これで変われるなら。これで——。
「結論を急がなくてもいいわ。二、三日以内に返答を。枠は限られているから」
ミエリは、机に両手を置いて、言葉を遮った。
「やります! 私、その特別カリキュラムを受けます!」
声が少し上ずった。けれど、迷いはなかった。迷いたくなかった。細い糸を、見失いたくなかった。
女性教官は満足げにうなずく。
「いい返事ね。ここに意向書だけ書いておいて。正式な同意文書は、日程が確定し次第——保護者への遠話連絡も、こちらで手配するわ」
渡された意向書は、一枚。名前を書く欄と、簡単な質問が三つ。「現在の体調」「睡眠」「強い不安の有無」。ペン先が少し震えた。“強い不安”。ない、と書く。書いてから、胸の奥がチクリとした。ある。でも、ここで“ある”と書くのは、糸を自分の手で切ることに似ている気がした。
ペンを置くと、女性教官は「がんばりなさい」と柔らかく告げた。薄青の外套の男性教官は、音もなく書板へ視線を戻し、左上の欄に小さな印をつけた。かすかな刻印音が、部屋の空気を針で突いたように震わせる。
扉に向かう。取っ手が冷たい。出る直前、ミエリはふと振り返った。女性教官は変わらず柔らかく、男性教官は変わらず無言。書板の上、欄外に短い符丁のような記号がひとつ増えている気がした。見間違いかもしれない。扉が静かに閉じる。
廊下の冷気が、頬を撫でた。胸の中では、さっきの糸が光っている。大丈夫。これで、ちゃんと進める。おばあちゃんにも——。
靴音が、長い廊下にひとつずつ落ちていく。そのたびに、胸の糸は確かになる。なる、ように感じられる。感じていたい。階段の踊り場で、一度だけ足を止める。“任意参加”の小さな※印が、脳裏に返ってくる。何に※がついていたんだっけ。思い出そうとして、やめる。やめることにする。
遠くで鐘が一度鳴った。夕べと夜との境界が、校舎をゆっくりと渡っていく。ミエリは歩きだす。自分で選んだ道だ。選んでしまった道だ。胸の糸は、まだ細く、まだ心もとない。けれど、その細さは、今の彼女には希望という名前でしか呼べなかった。 背中の方で、閉じた扉の向こうから、紙を繰る乾いた音がひとつだけ聞こえた気がした。すぐに廊下の冷気に溶けて、消えた。
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