2節 連鎖の兆し(続)
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
ある刑事の叙事詩 《夜の王国 ~選択と調整の病理~》
本文
## 【第1章 失われた日常】
### 【2節 連鎖の兆し(続)】
通話が切れた後も、小坂凌はしばらく携帯を耳元に当てたまま動かなかった。周囲の喧騒が、妙に遠く感じられる。捜査一課のフロアでは、キーボードを叩く音や電話の呼び出し音が絶えず鳴っているというのに、そのすべてが一枚の膜を隔てた向こう側にあるようだった。
『次は、もう少し分かりやすくしようと思います』
脅迫ではない。
挑発でもない。
――予告だ。
犯人は、自分たちが「理解できていない」ことを、正確に把握している。その上で、理解させる気でいる。小坂は、そこに強烈な違和感を覚えた。支配欲とは少し違う。もっと、冷たく整理された意志。
小坂はすぐに内線を取り、通話記録の保存と発信元追跡を指示した。しかし、結果は予想通りだった。特定には至らない。
「……やっぱり、ですね」
朝霧からの連絡を受け、短く返す。
彼女の声は、どこか強張っていた。
「遺族対応、どうだ」
『……正直、想像以上です』
間。
その沈黙に、現場の重さが滲んでいた。
『被害者の娘……相馬佳乃さん。プロフィールと食い違いがありました』
「どういうことだ」
『妹として登録されていましたが、実際は戸籍上も“娘”です。どうしてそんなミスが起きたのか……』
小坂は眉を寄せた。
警察のデータベースは、基本的に自治体情報と連動している。単純な誤登録は考えにくい。
『それと……彼女、言ってました』
「何を」
『父は……半年前から、眠れない、と言っていました』
眠れない。
その理由を、朝霧は続けた。
『仕事で“判断を迫られる立場”になってから、と』
小坂は、捜査会議での自分の発言を思い出す。
コンプライアンス委員。形式的な役職だと切り捨てられた、それ。
「何か、具体的な話は?」
『……詳しくは語りませんでした。でも、言葉を選んでいました。まるで、誰かに聞かれるのを恐れているみたいに』
その表現に、小坂は確信を深める。
被害者は、何かを知っていた。
そして、何かを“選んだ”。
電話を切った後、小坂はすぐに資料を洗い直した。相馬が関わった案件を時系列で並べる。社内不正の内部調査。匿名通報。処分保留。形式的な是正措置。
法的には、問題なし。
だが、人は救われただろうか。
「……調整」
再び、あの言葉が浮かぶ。
夕方、小坂は朝霧を呼び戻した。庁舎内の会議室。二人きりだ。
「勝手な判断をしたな」
あえて、厳しい口調を選ぶ。
「……すみません」
朝霧は俯いた。だが、その声に後悔だけはない。
「でも、行かなきゃいけない気がしたんです。被害者の“人”の部分を、誰かが見ないと」
小坂は、少しだけ目を伏せた。
「それで、何を感じた」
「……怒りです」
即答だった。
「父を誇りに思っていた。でも同時に、父が誰かを切り捨てたかもしれないことも、分かっていた。だから、泣くことすら、許されない顔をしてました」
朝霧の拳が、震えている。
「正しい判断をした人が、殺されるんですか?」
その問いに、小坂は答えなかった。
答えられなかった。
その夜、第二の事件が起きた。
場所は、**新宿・歌舞伎町**。
雑居ビルの非常階段で、男性の遺体が発見された。
第一発見者の証言。
死因。
そして――遺体の胸元に置かれていた、一枚の紙。
『調整完了』
同じ文言。
同じ、無機質な文字。
だが今回は、下に小さく追記があった。
『理解は、進んだか』
小坂は、その紙を見つめ、静かに言った。
「……始まったな」
連鎖が。
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