2節 歪んだ共犯関係
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
ある刑事の叙事詩 《夜の王国 ~選択と調整の病理~》
本文
## 【第2章 捜査と疑念】
### 【2節 歪んだ共犯関係】
雨は上がっていたが、路面に残った水溜まりが街灯を歪ませていた。神田の路地裏。規制線の向こうで、鑑識が黙々と作業を続けている。小坂凌は一歩引いた位置で、現場を見つめていた。胸の奥に残る、あの通話の余韻が、まだ消えない。
——あなたは、止められる人だ。
耳の奥で反響する声。低く、落ち着き、確信に満ちた口調。脅迫でも挑発でもない。むしろ、評価だった。小坂は拳を握り、開いた。冷静でいろ。自分に言い聞かせる。
「先輩」
朝霧が駆け寄ってきた。雨に濡れた髪を無造作に耳にかけ、息が少し上がっている。
「被害者、三十二歳。会社員。遺体は搬送されました。……今回も、例の“印”が」
小坂は頷いた。首元の、あの不自然な刻印。刃物の傷ではない。焼き印のように皮膚が変色し、規則的な形を成している。鑑識はまだ断定を避けているが、同一犯の可能性は高い。
「周辺の聞き込みは?」
「それが……」朝霧は一瞬、言葉を選んだ。「被害者、評判が良かったみたいです。近所でも会社でも。トラブルの噂、ほとんど出てきません」
——だから選ばれた。
喉元まで出かかった言葉を、小坂は飲み込んだ。犯人の“法則”。無差別に見えて、実は一貫している選別。善悪ではない。法でもない。彼自身の、歪んだ倫理。
「朝霧。独断で動くな」
言葉は強くなった。朝霧は一瞬、目を見開き、すぐに唇を噛んだ。
「……分かってます。でも、このままじゃ——」
「分かってない」
小坂は彼女の視線を正面から受け止めた。「犯人は、君の正義を見ている。煽れば、次は必ず利用する」
沈黙。雨水が滴る音だけが、二人の間を満たした。
その時、規制線の外で小さな騒ぎが起きた。女性が一人、警官に制止されている。二十代後半だろうか。コートの袖を強く握り、必死に何かを訴えている。
「……被害者の妹です」
鑑識の一人が耳打ちした。
小坂は一歩踏み出した。近づくにつれ、女性の声がはっきりと聞こえてくる。
「兄は、悪い人じゃありませんでした! でも……でも、あの人が言ってること、全部嘘だとは思えなくて……」
その言葉に、小坂の足が止まった。
「“あの人”? 誰のことですか」
問いかけると、女性は涙に濡れた目で小坂を見た。震える指で、スマートフォンを差し出す。
「……兄のところに、こんなメッセージが」
画面に映る、短い文章。差出人不明。だが、文体は——。
——裁かれなかった罪は、誰が償う?
小坂の背筋を、冷たいものが走った。
犯人は、もう一歩内側に踏み込んできている。
そしてその“問い”は、確実に警察の内側へ向けられていた。
朝霧が、低く息を呑む音が聞こえた。
歪んだ共犯関係は、静かに始まりつつあった。
---