3節 選別される正義
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
ある刑事の叙事詩 《夜の王国 ~選択と調整の病理~》
本文
## 【第2章 捜査と疑念】
### 【3節 選別される正義】
午前五時二十分。
新宿区・市ヶ谷寄りのマンション街は、まだ夜と朝の境目にあった。
小坂凌が現場に到着したとき、空は薄く白み始めていた。無機質な外壁に囲まれた中層マンション。その一室の前に、規制線と赤色灯が張り付くように広がっている。
「……警察関係者、です」
鑑識主任が低く告げた。
被害者は三十六歳。
名前――**村瀬 鉄平**。
警視庁・生活安全部に所属する現役の警察官だった。
小坂は、息を吐くように目を伏せた。
来るぞ、とは思っていた。だが、思っていたよりも早い。
「殺害方法は?」
「これまでと同じです。首への圧迫痕。致死後、例の“印”が」
鑑識の言葉に、現場の空気がさらに重くなる。
無差別殺人という建前は、もはや誰も信じていない。
**犯人は、警察を名指しで“選んだ”。**
部屋の中は整然としていた。争った形跡はほとんどない。
玄関で靴を揃え、コートを脱ぎ、室内に招き入れた――そんな印象を受ける。
「……知ってた人間ですね」
朝霧が、小坂の背後で呟いた。
「ああ。少なくとも、警戒させない程度には」
リビングのテーブルの上。
白い紙が一枚、丁寧に置かれている。
小坂は、手袋越しにそれを持ち上げた。
——**あなたは、正義の側に立っていましたか?**
たった一行。
だが、それだけで十分だった。
「挑発、ですね……」
朝霧の声が震える。
「いいや」
小坂は首を振った。
「**試験だ**」
犯人は、問いを投げている。
警察官が殺されることを、世間がどう受け取るか。
警察が、どう動くか。
そして――自分たちが、どう答えるか。
その時、廊下の奥で、かすかな足音がした。
「……あの……」
振り向くと、スーツ姿の若い女性が立っていた。
顔色は蒼白で、呼吸が浅い。泣いた形跡はないが、現実を飲み込めずにいる“空白”が、表情のどこかに滲んでいた。
小坂が小さく息を呑む。
「村瀬の婚約者の……**詩織さん**ですね」
女性は、ぎこちなく頷いた。
声を出そうとして、喉が震える。
「……あの……彼は……」
言葉が続かない。
何を聞きたいのか、自分でも分かっていないようだった。
朝霧が一歩、前に出る。
「詩織さん。無理に話さなくて大丈夫です」
詩織は、かすかに首を振った。
震える指先を胸元に押し当て、必死に息を整える。
「……どうして……こんな……」
「彼、昨日は……普通に……」
断片的な言葉が、涙より先にこぼれ落ちる。
小坂が静かに言う。
「まだ詳しいことは分かっていません。ただ……あなたの婚約者が、巻き込まれたのは事実です」
詩織の肩が、びくりと震えた。
「……巻き込まれた……? じゃあ……彼は……狙われたんですか……?」
その問いには、恐怖と、理解を拒む心の揺れが混ざっていた。
朝霧は、思わず強い声を出してしまう。
「村瀬さんは、そんなふうに恨まれるような人じゃありません!」
詩織が驚いたように顔を上げる。
朝霧は、言葉を選び直すように息を吐いた。
「……あの人は、真面目で、誰よりも市民のために働いていました。
だから……だから、こんなこと……」
声が震えた。
詩織は、その言葉に縋るように目を伏せる。
「……そう、ですよね……。あの人……そんな……」
言い切れず、唇を噛む。
廊下の空気が、重く沈んだ。
◇
詩織と別れると、小坂は、ゆっくりと口を開いた。
「現時点では、何も分かっていない」
事実だ。
だが同時に、**最も残酷な答え**でもあった。
「……だが、あいつは言っていた。
“正しいことをしても、救えない人はいる”と」
その言葉に、朝霧の胸が僅かに軋む。
——裁かれなかった関与。
——見過ごされた声。
犯人は、そこを見ている。
朝霧の拳が、震えていた。
この事件は、
**警察という組織が、どこまで“正義”を貫けるのかを測るためのもの**だ。
そして小坂凌は、はっきりと自覚していた。
——これはもう、単なる捜査じゃない。
自分たちが、
**どちら側の人間なのかを問われている。**
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