3節 選別される正義(続)
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
ある刑事の叙事詩 《夜の王国 ~選択と調整の病理~》
本文
## 【第2章 捜査と疑念】
### 【3節 選別される正義(続)】
事情聴取用に設けられたマンション管理室は、朝の光が差し込み始めていた。だが室内の空気は重く、時間が止まったようだった。詩織は、紙コップの水に口をつけることもなく、両手で膝を抱えて座っている。
「婚約者として、気づいたことはありませんか」
小坂の声は静かだった。問い詰める調子ではない。だが逃げ道も与えない。
「最近の様子とか、悩みとか」
詩織はしばらく黙っていたが、やがて小さく首を振った。
「……忙しそうでした。でも、それはいつものことです。
ただ……」
「ただ?」
「正義って、何なんだろうって。たまに、独り言みたいに言ってました」
朝霧が顔を上げる。
「どういう意味ですか」
「ある事件のことを、ずっと引きずってたみたいです。
自分は間違ってなかったのか、って」
小坂の脳裏に、未解決案件のリストが浮かぶ。
裁かれなかった関与。
警察官という立場で、見逃した“灰色”。
「具体的な事件名は?」
「聞いても、教えてくれませんでした。ただ……」
詩織は震える声で続けた。
「“あの時、俺が踏み込んでたら、誰かの人生は違ってたかもしれない”って」
室内に、沈黙が落ちた。
朝霧は歯を食いしばっている。
彼女の正義は単純だ。悪は悪、守るべき人は被害者。
だが、この事件は、その境界線を曖昧にしてくる。
「……それでも」
朝霧が言葉を絞り出す。
「それでも、殺される理由にはならない」
小坂は、ゆっくりと頷いた。
「その通りだ」
だが、犯人は“理由”を作っている。
自分なりの裁定を下し、それを使命と呼んでいる。
聴取を終え、廊下に出た瞬間、携帯が鳴った。
捜査一課の上司からだ。
『……上が、相当ピリついてる』
低く、抑えた声。
『警察官殺しだ。マスコミも動く。
この事件、表向きは“無差別型連続殺人”のままで行く』
「……本気ですか」
『混乱を防ぐためだ。
内部不祥事の可能性は、公式には一切触れない』
小坂は一瞬、目を閉じた。
「犯人は、そこを突いてきます」
『分かってる。だが、組織は理想論では動かない』
通話が切れた。
朝霧は、会話の断片だけで察したのだろう。
険しい表情で小坂を見る。
「……隠すんですか」
「“今は”な」
「それは、正義ですか?」
真っ直ぐな問い。
小坂は、すぐに答えられなかった。
その時、捜査室のモニターに速報が流れる。
《警察官刺殺事件 都内で発生》
コメント欄には、早くも憎悪と疑念が渦巻いていた。
——警察も信用できない。
——何か隠してる。
——犯人の言うこと、分かる気がする。
朝霧が、画面を見つめながら呟く。
「……世論が、犯人に寄っていってる」
小坂は拳を握った。
「だからこそ、線を引く」
「でも、線を引く場所を間違えたら——」
「その時は」
小坂は、低く言った。
「俺が責任を取る」
朝霧は驚いたように目を見開いた。
その覚悟が、彼女の中の何かを揺らした。
その夜、小坂の携帯に、再びメッセージが届く。
——あなたは、守るべき線を、守れますか?
画面の文字が、静かに光っていた。
選別される正義は、
もはや犯人だけのものではない。
**警察自身が、選ばれる側に立たされていた。**
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