4節 越えてはならない線
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
ある刑事の叙事詩 《夜の王国 ~選択と調整の病理~》
本文
## 【第2章 捜査と疑念】
### 【4節 越えてはならない線】
午後二時三十分。
霞が関の空は、不自然なほど澄んでいた。
警視庁本部の会議室では、捜査幹部が一堂に会していた。空調の低い唸り音と、資料をめくる乾いた音だけが響く。小坂凌は、長机の端に座り、正面のホワイトボードを見つめていた。
「――以上が、現在までの被害者一覧だ」
捜査一課長の声は冷静だったが、目の奥に焦りが滲んでいる。
「共通点は公表しない。
今回も、“無差別型連続殺人”で統一する」
誰も反論しなかった。
正確には、反論できなかった。
「内部関係者が含まれている以上、下手に触れれば組織が揺らぐ。
マスコミ対応は広報に一任する」
小坂は、静かに手を挙げた。
「一つ、確認させてください」
課長の視線が向く。
「もし、次に狙われる人物が事前に特定できた場合でも、
その人物の“過去”を理由に、警護や公開を控える、
そういう判断もあり得るということですか」
空気が、一瞬で張り詰めた。
「小坂……」
課長は、言葉を選んだ。
「個々のケースによる。
警察は、感情で動く組織じゃない」
それは、肯定だった。
会議が終わり、廊下に出た瞬間、朝霧が小坂の腕を掴んだ。
「先輩、聞きましたよね、今の」
声が低く、震えている。
「……ああ」
「つまり、次の被害者が“問題のある内部の人間”だったら、
守らないってことですよね」
「公式には、そうは言わない」
「でも、実際は」
朝霧の目が、真っ直ぐに小坂を射抜く。
「……実際は、線を引く」
小坂は、嘘をつかなかった。
朝霧は、一瞬だけ目を伏せ、次の瞬間、決意したように顔を上げた。
「私は、それに従えません」
即答だった。
「朝霧……」
「守るべき人を、過去で選別するなんて、警察じゃない」
その言葉は、正論だった。
だが同時に、**危険な宣言**でもあった。
「……単独で動くつもりか」
朝霧は、迷いなく頷いた。
「被害者候補、洗い直します。
内部案件も、全部。
犯人より先に、私が行きます」
小坂は、彼女の肩を掴んだ。
「それは、越えてはいけない線だ」
「じゃあ、見殺しにするんですか!」
朝霧の声が、廊下に響いた。
周囲の職員が、思わず振り返る。
「……先輩は、どっちなんですか」
問い。
選択。
その瞬間、小坂の携帯が震えた。
“調整者”。
嫌な予感が、確信に変わる。
通話を取ると、あの声がした。
『会議は、終わりましたか』
犯人は、すべてを知っているようだった。
『あなたたちは、決めた。
守る線と、切り捨てる線を』
小坂は、低く言った。
「……まだだ」
『いいえ。
**もう越えています**』
通話は切れた。
朝霧が、青ざめた顔で小坂を見る。
「……来ます」
「ああ」
小坂は、短く答えた。
越えてはならない線は、
**すでに踏み越えられつつあった。**
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