4節 越えてはならない線(終)
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
ある刑事の叙事詩 《夜の王国 ~選択と調整の病理~》
本文
## 【第2章 捜査と疑念】
### 【4節 越えてはならない線(終)】
救急車のサイレンが、夕闇の千代田区を切り裂いていた。
川瀬正樹は、ビル裏の非常階段で発見された。首に深い圧迫痕。だが、奇跡的に心拍は残っている。担架に乗せられ、酸素マスク越しに荒い呼吸を繰り返していた。
「意識レベルは?」
「低下していますが、反応はあります!」
小坂は並走しながら、川瀬の顔を見た。
四十代後半。警察幹部候補。
内部処分止まりになった案件を、二件抱えている男。
——守られるはずだった人間。
——切り捨てられる可能性があった人間。
救急車の扉が閉まる。
小坂は、その赤色灯を見送りながら、拳を握り締めた。
「……間に合った」
だが、その言葉に確信はなかった。
朝霧は、少し離れた場所で立ち尽くしていた。
自分が選び、守ろうとした人物が、血に塗れて運ばれていく光景を、ただ見ている。
「……私のせいです」
声が、震えた。
「私が、動かなければ……」
「違う」
小坂は、きっぱりと言った。
「犯人が選んだ。
君は、引き金を引かされただけだ」
朝霧は首を振る。
「でも……私、越えました」
「……ああ」
否定しなかった。
「越えた。
だから、もう元には戻れない」
その瞬間、川瀬のポケットから回収された私物が、小坂の視界に入った。
小さなボイスレコーダー。
「これ……」
鑑識が再生ボタンを押す。
ノイズ混じりの音声。
そして、聞き覚えのある、落ち着いた声。
『あなたは、守られている。
だが、それは“正しい”からではない』
一同が息を呑む。
『警察は、線を引く。
あなたは、その内側にいた。
——今日までは』
録音は、そこで途切れていた。
朝霧が、崩れるように膝をついた。
「……見せしめだ」
彼女の呟きに、小坂は頷いた。
「そうだ。
俺たち全員へのな」
犯人は、明確に示した。
告発すれば、血が流れる。
隠せば、別の血が流れる。
どちらを選んでも、無傷ではいられない。
その夜。
小坂の携帯に、最後のメッセージが届いた。
——線は、引き直された。
——次は、あなたが答える番だ。
小坂は、画面を見つめながら、静かに呟いた。
「……望むところだ」
警察という組織。
正義という言葉。
そして、自分自身。
**すべてが、試される段階に入った。**
朝霧は、立ち上がり、小坂を見た。
涙は、もうなかった。
「先輩……
それでも、捕まえますよね」
「ああ」
小坂は、短く答えた。
「**今度は、俺たちが選ぶ番だ**」
赤色灯が遠ざかり、夜が戻る。
だが、東京はもう、事件前の東京ではない。
越えてはならない線は、確かに越えられた。
その代償は、これからすべて、回収されていく。
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(第3章へ続く)