捨てられない写真
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
再開発で社を失った路端の稲荷神は、生き延びるために人に化け、心霊探偵になった。 ――祈りも、欲望も、呪いも、まとめて引き受けるために。 これは人に化けた稲荷神と、神を信じない霊能者が怪異と人間の業の後始末をする、現代日本怪異譚。
本文
その依頼人は、予約時間より少し早めにやってきた。
モニター付きインターホンに映る女性は、四十歳前後。
服装は落ち着いているが、目元だけが休まっていない。
創が解錠すると、女性は深く頭を下げた。
「本日は……よろしくお願いします」
声は丁寧だったが、どこか切迫している。
ソファに腰を下ろしても、背中を預けない。
いつでも立ち上がれる姿勢だ。
「電話では」
創が言う。
「古い心霊写真が、捨てられなくて困っていると」
「はい」
女性は即答した。
「正確には……捨てても、必ず戻ってくるんです」
朔夜が、静かに顔を上げる。
「戻ってくる?」
「はい。それも……」
一度、言葉を切る。
「増えます」
創は表情を変えない。
「どういう増え方だ」
「……同じ写真が」
女性は、鞄から布包みを取り出した。
「コピーしたみたいに、同じものが増えていきます」
机の上に置かれたそれは、思った以上に重い。
「これが……今、家にあった分です」
包みを開く。
中から現れたのは、写真の束だった。
創と朔夜は、手分けして一枚ずつ確認する。
「……全部、同じだな」
創が低く言う。
撮影場所。
家族の立ち位置。
写り込む二体の幽霊。
構図も、光の加減も、完全に一致している。
「別の写真が混ざってるわけじゃない」
朔夜が確認する。
「一枚が、増えてるだけですね」
「はい」
女性は頷いた。
「最初は一枚でした。古いアルバムの奥にあって……」
苦笑する。
「気味が悪くて、処分しました」
「燃えるゴミ?」
「はい。回収日も確認しました」
指先が、きゅっと絡む。
「でも、数日後……押し入れから出てきました」
「一枚だけか」
「いえ。二枚に、なっていました」
室内が、少し静まる。
「それから、何度捨てても、必ず戻ってきて」
女性は、はっきり言った。
「そのたびに、枚数が増えるんです」
「お焚き上げは」
「しました」
即答だった。
「神社も、寺も……いくつも。お祓いも受けました」
だが、と首を振る。
「効果は、ありませんでした」
朔夜は写真に視線を落としたまま言う。
「……写っている幽霊から、強い怨念は感じません」
「だな」
創も同意する。
憎悪も、呪詛もない。
ただ、写っている。
女性は、不安そうに二人を見る。
「……危険なもの、なんでしょうか」
「現時点では、断言できん」
創は写真をまとめ直した。
「だが、写真“だけ”の問題じゃないのは確かだ」
「……というと」
「写ってる連中が、まだそこにいる可能性が高い」
女性は息を呑む。
「……家、ですか」
「そうだ」
創は立ち上がった。
「当人に話を聞く」
「当人……?」
「写真に写ってる二人だ」
一瞬、女性の表情が強張ったが、すぐに頷いた。
「……分かりました」
創は、短く言う。
「依頼は、引き受ける」
その言葉に、女性の肩から力が抜けた。
「ありがとうございます……!」
「ただし」
創は釘を刺す。
「祓いになるとは限らん。壊す話でもない。それと……裏の祠に酒といなり寿司、置いてけ」
女性は、首を縦に振った。
「分かりました! 理由が分かるだけでも助かります!」
創は上着を取り、朔夜に目配せする。
「まずは、家を見せてもらう」
写真の束は、机の上に残されたままだ。
増え続ける同一の一枚。
そこにある理由は、まだ誰にも分からない。
※※※
春日市、春日駅から歩いて十分ほど。
住宅街の一角に、依頼人の家はあった。
築年数はそれなりだが、手入れは行き届いている。
庭先に雑草もなく、生活感のある、普通の一軒家だ。
――外見だけは。
門をくぐった瞬間、朔夜の足が止まった。
「……通ってますね」
「だろうな」
創も、はっきりと感じ取っていた。
家の敷地を、目に見えない“流れ”が横切っている。
一本ではない。
太さも速度もまちまちの霊道が、無秩序に交差していた。
「立地はいいが……残念ってやつだな」
創が、ぼそりと言う。
「霊道の真上だ。しかも雑多」
「はい」
朔夜は周囲を見渡す。
屋根の上。
庭の隅。
電柱の影。
どれも普通の幽霊ばかりだが、数が多い。
住み着くというより、通り道として使われている。
「……騒がしくはないですね」
「ただの往来だ」
創は玄関を見た。
「だが、“溜まる”条件は揃ってる」
依頼人が鍵を開ける。
玄関に入った途端、空気がわずかに変わった。
重くはない。
ただ、人の気配が多すぎる。
「失礼します」
朔夜は、視線を落としたまま呟く。
廊下の端。
階段の踊り場。
天井近く。
見ていないふりをしている幽霊が、そこかしこにいる。
創は靴を揃えながら言った。
「写真に写ってる二人、知ってるやつはいないか」
声は小さい。
だが、聞こえる相手には十分だ。
少し間を置いて、反応があった。
廊下の壁際。
中年の男の幽霊が、気だるそうに手を挙げる。
「その写真?」
朔夜が、依頼人から借りた一枚を見せる。
「この二人です」
「知ってる知ってる」
男はあっさり言った。
「昔からここにいるよ」
「昔って、どれくらい」
「俺が死ぬ前からだから……十年以上は確実」
創が、目を細める。
「常駐か」
「まあな」
男は肩をすくめた。
「普段は屋根の上か、二階。邪魔にならないとこ」
「最近、何か変わった様子は」
「特に」
即答だった。
「いつも通り。仲良く喋ってる」
朔夜が、静かに確認する。
「増えたり、分裂したりは?」
「は?」
男は首を傾げた。
「それは知らん」
創と朔夜は、視線を交わした。
屋根の上を確認したが、気配はない。
「……二階か」
「ですね」
依頼人に案内され、階段を上った。
一段、二段。
踏み板が、きし、と鳴る。
廊下に出た瞬間だった。
「あー、それ違うって」
「いや、角度の問題だろ」
声がした。
軽い雑談だ。
依頼人が、息を呑む。
「……え」
廊下の中央。
二人の人影が、向かい合って立っていた。
写真で見たのと、同じ姿。
同じ配置。
同じ距離感。
間違えようがない。
「こんにちは」
朔夜が、自然な声で声をかける。
二人は、同時にこちらを向いた。
「……あ」
「見える人?」
どちらも、驚いた様子はあるが、敵意はない。
創は、短く言った。
「お前らが原因で、家主が困ってる」
二人は顔を見合わせた。
「……あー」
「やっぱり?」
軽い反応だった。
依頼人は、その様子を見て震えている。
「い、今まで……」
「気づかれないようにはしてたんだけどな」
一人が、申し訳なさそうに言う。
「まあ、写真があれなら、無理か」
創は、まだ踏み込まない。
ここでは、聞くだけだ。
「一つずつ、話を聞く」
二人は、同時に頷いた。
その表情に、怨念も、悪意もない。
ただ、場違いなほどの気安さだけがあった。
※※※
二階の廊下。
依頼人は、創の指示で一階へ戻ってもらった。
聞かせる話ではない。
廊下に残ったのは、創と朔夜、そして写真に写っていた二人だけだった。
「改めて聞く」
創が、壁にもたれかかって言う。
「どうして、あの写真が増える」
二人は、少し気まずそうに視線を逸らした。
「……増やしてるつもりはないんだけど」
「勝手に、っていうか」
歯切れが悪い。
朔夜は、静かに続けた。
「でも、同じ写真が“出てくる”だけで、新しく写った写真はありませんよね」
「うん」
片方が頷く。
「最初の一枚だけ。それ以外は、全部……コピーみたいなもん」
創は、短く息を吐いた。
「つまり」
言葉を選ばずに言う。
「お前らは、写り続けたいわけじゃない。ただ――」
二人は、同時に顔を上げた。
「消されたくない」
その言葉は、重くなかった。
泣き声も、怒りもない。
ただ、事実を述べるような調子だった。
「生きてた頃さ」
一人が、懐かしそうに言う。
「写真、好きだったんだよ。撮るのも、撮られるのも。デジカメが出始めた頃でさ。撮っては残して、アルバム作って」
もう一人が、肩をすくめる。
「死んだら、それが一気になくなった。写らないし、撮れないし、誰にも見えない」
廊下に、静かな沈黙が落ちた。
「やっと」
ぽつり、と言う。
「やっと、写れたんだ」
それが、最初の一枚だった。
家族写真。
偶然、霊道の揺らぎと、光の条件が重なった一瞬。
「嬉しくてさ。消えたら嫌で……増えた」
創は、目を閉じた。
怨念でも、呪いでもない。
執着ですらない。
ただの、名残だ。
創は、しばらく考えたあと、言った。
「全部は無理だ」
二人の顔が、少し曇る。
「だが」
続ける。
「一枚だけなら、残す」
ポケットから、写真を一枚取り出す。
「増えた分は処分する。元の一枚だけ、俺が預かる」
二人は、顔を見合わせた。
「……全部、捨てない?」
「捨てない」
「燃やさない?」
「燃やさない」
数秒の沈黙。
やがて、二人は同時に頷いた。
「それなら」
「いいよ」
創は、写真を丁寧にポケットへ仕舞った。
「決まりだ」
――その後。
残りの写真は、すべて処分された。
不思議なことに、処分後は一切増えない。
依頼人の家から、奇妙な現象も消えた。
数日後。
事務所で、創は引き出しを開ける。
中には、封筒に入った一枚の写真。
「……増えないな」
ぼそりと呟く。
「当たり前です」
朔夜が、少し笑った。
「“写りたい”わけじゃなかったですから」
「……そうだな」
創は、引き出しを閉める。
写真は、ただそこにある。
見られるためでも、記録として残るためでもなく。
忘れられないまま、忘れられない誰かが、静かに“在る”ために。
その夜。
春日市の家の屋根の上で、二人の幽霊は並んで座っていた。
「残ったな」
「うん」
「まあ、悪くない」
写らなくても、いつ成仏がやってくるのか分からなくても。
――それで、十分だった。
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