115の天秤 第三章 地下の真実
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あらすじ
2024年、警視庁創設150周年。工事現場から発見された懐中時計が、鑑識官・小菅令也を明治7年へと導く。初代大警視・川路利良と共に挑むのは、百五十年続く巨大陰謀。証拠なき時代、正義の天秤は誰が正すのか。時を超えた本格ミステリー。
本文
第三章 地下の真実
内務省は、警視庁から馬車で十分ほどの距離にあった。
重厚な石造りの建物が、朝日を浴びて威圧的にそびえ立っている。門には衛兵が立ち、出入りする役人たちは皆、緊張した面持ちで歩いている。新政府の中枢——ここが、日本の未来を決める場所だ。
「緊張しているか?」
馬車の中で、川路が小菅に尋ねた。
「正直に言えば、かなり」
小菅は苦笑した。
現代の警察官として、様々な現場を経験してきた。
だが、明治時代の内務省に忍び込むなど、想像もしていなかった。
「だが、これしか方法がない」
川路は窓の外を見た。
「佐竹の死を無駄にしないために。そして、115の盟約——もしそれが本当に存在するなら、その闇を暴くために」
「川路さん。もし連判状が見つかったとして、それを公表できますか?」
小菅の問いに、川路は少し沈黙した。
「……難しいだろうな」
「難しい?」
「相手は新政府の重鎮たちだ。下手をすれば、警視庁そのものが潰される。いや、私自身も——」
川路は自嘲するように笑った。
「だが、それでも真実は知らねばならん。何が正しくて、何が間違っているのか。それを知らずして、正義など語れない」
馬車が止まった。内務省の正門だ。
「川路大警視閣下のお成りです」
御者が衛兵に告げる。
衛兵は敬礼をして、門を開けた。
建物の中は、外観以上に荘厳だった。高い天井、磨き上げられた床、壁には明治天皇の御真影が飾られている。廊下を歩く役人たちは、川路を見ると一様に頭を下げた。
「川路様、本日はどのようなご用件で?」
受付の役人が丁寧に尋ねる。川路は毅然とした態度で答えた。
「佐竹の件で調査がある。書庫を見せてもらいたい」
「書庫、でございますか」
役人の顔に、わずかな動揺が浮かんだ。
「はい、書庫です。問題がありますか?」
「いえ、ございませんが……どちらの書庫でしょうか」
「地下の書庫だ」
その言葉に、役人の顔色が変わった。
「地下の書庫は、機密文書を保管しておりますので、許可が必要でして……」
「私は大警視だ。捜査に必要な権限は持っている」
川路は一歩前に出た。その迫力に、役人は思わず後退した。
「し、しかし……」
「案内しろ。さもなくば、上に掛け合う」
役人は困惑した表情で周囲を見回したが、結局、観念したように頷いた。
「……わかりました。こちらへどうぞ」
***
地下への階段は、建物の奥深くにあった。
役人に案内されて、川路と小菅は石段を降りていく。
蝋燭の明かりだけが頼りで、周囲は薄暗い。
空気がひんやりとしていて、地上とは別世界のようだった。
「ここが、地下書庫です」
階段を降り切ると、広い空間が現れた。
天井は低く、壁際には無数の木製の棚が並んでいる。
棚には、古い書類や巻物、書籍が整然と並べられていた。
「機密文書は、奥の部屋に保管されております」
役人はさらに奥へと進んだ。
狭い通路を抜けると、鉄の扉がある。扉には大きな錠前がかかっていた。
「この中です。しかし、鍵は上層部しか持っておりませんので……」
「開けろ」
川路の命令に、役人は慌てた。
「し、しかし、私には権限が……」
「では、上層部を呼べ。今すぐにだ」
川路の声には、有無を言わさぬ力があった。
役人は困り果てた表情で、階段を上がっていった。
二人きりになると、小菅は周囲を見回した。
「川路さん、これは時間がかかりそうですね」
「ああ。だが、相手も簡単には開けさせないだろう」
「ということは……」
小菅は鉄の扉に近づいた。錠前を注意深く観察する。
「川路さん、この錠前、意外と古い型ですね」
「古い?」
「ええ。構造が単純です。もしかしたら——」
小菅は懐を探った。
現代から持ってきたものは何もない。だが、この時代にもあるものなら——。
「何か細い針金のようなものはありませんか?」
川路は不思議そうな顔をしたが、懐から煙管を取り出した。
「これでいいか?」
「完璧です」
小菅は煙管の掃除用の針金を受け取ると、錠前の鍵穴に差し込んだ。
現代の鑑識官として、様々な技能を学んできた。その中には、緊急時のロックピッキングも含まれていた。
「小菅、お前……」
「少し待ってください。集中しないと……」
針金を慎重に動かす。内部の機構を探り、一つ一つのピンを押し上げていく。カチリ、カチリと小さな音が響く。
そして——。
ガチャリ。
「開いた……!」
川路が驚いた声を上げた。
小菅は錠前を外し、重い鉄の扉をゆっくりと開けた。
「時間がありません。早く探しましょう」
二人は部屋の中に入った。
そこは、さらに狭い空間だった。壁一面に棚があり、古い文書が積み上げられている。
埃っぽい空気の中、蝋燭の灯りだけが頼りだった。
「佐竹の手紙には、連判状があると書いてあった。探すぞ」
川路が棚の文書を次々と確認し始めた。小菅も反対側の棚を調べる。
様々な文書があった。
土地の売買記録、人事記録、予算書——しかし、連判状らしきものは見当たらない。
「ない……どこにあるんだ」
川路が苛立ちを隠さない。小菅は冷静に部屋を見渡した。
「待ってください。もし本当に重要な文書なら、普通の場所には置かないはずです」
「どういうことだ?」
「隠し場所があるかもしれません」
小菅は壁を叩き始めた。コンコンと音を確かめていく。
そして、部屋の奥の壁を叩いた時——。
響きが違った。
「ここです!」
小菅は壁をよく見た。
一見、普通の石壁だが、よく見ると一部だけ、わずかに色が違う。
「押してみます」
壁を押すと、ギギギと音を立てて、石の一部が動いた。隠し扉だ。
「まさか……」
川路が息を呑んだ。
隠し扉の向こうには、小さな空間があった。
そこには、古い木箱が一つだけ置かれていた。
小菅は木箱を取り出し、蓋を開ける。
中には、一枚の古い紙が入っていた。
和紙に墨で書かれた文書——そこには、百十五の名前が円形に並んでいた。
「連判状……」
川路の声が震えていた。
「これが、115の盟約……」
小菅は文書を注意深く見た。
名前の一つ一つを確認する。
井口馨、山都有朋、大鷹重信——明治政府の重鎮たちの名前が、ずらりと並んでいる。
そして、文書の中央には、こう書かれていた。
『我々百十五名は、ここに誓う。相互に利益を分かち合い、互いの地位を守ること。この盟約を破る者は、天罰を受けるものとする』
「これは……」
小菅の手が震えた。
これは単なる相互扶助ではない。利権の独占と、それを守るための密約だ。
「佐竹は、これを見つけてしまったのか……」
川路が呟いた。
「だから、殺された。この秘密を守るために」
その時、階段から足音が聞こえてきた。複数の人間が、こちらに向かってくる。
「川路さん、誰か来ます!」
「まずい……」
川路は素早く連判状を懐にしまった。
「小菅、外に出るぞ」
二人は急いで鉄の扉の外に出た。
しかし、もう遅かった。
階段から現れたのは、井口馨だった。その後ろには、数人の護衛がついている。
「川路殿、これはどういうことです?」
井口の顔には、怒りの色が浮かんでいた。
「無断で地下書庫に侵入するとは。しかも、機密文書の部屋まで……」
「捜査のためです」
川路は動じなかった。
「佐竹の死に関する証拠を探していました」
「証拠? ここに、佐竹の死に関する証拠があるというのですか?」
「ええ、ありました」
川路は懐に手を当てた。
井口の目が、鋭くなる。
「それを、見せていただけますか」
「お断りします。これは警察の捜査資料です」
「川路殿」
井口が一歩前に出た。その目には、明らかな敵意が宿っている。
「あなたは、大変な勘違いをしているようだ。内務省の機密文書を無断で持ち出すなど、許されることではない」
「では、井口様。あなたは、この書庫に何が保管されているか、ご存知なのですね?」
川路の問いに、井口の表情が一瞬、硬直した。
「私は……知りません。だが、機密文書であることは確かです」
「ならば問題ない。私は警察の職務として、必要な資料を確認しただけです」
二人の間に、緊張が走った。
小菅は、その場の空気を読み取っていた。
井口は、連判状の存在を知っている。
そして、それを川路が手に入れたことを恐れている。
「井口様」
小菅が口を開いた。
「一つ、お聞きしてもよろしいですか?」
「……何だ」
「あなたは、明治七年一月十四日の夜、どこにおられましたか?」
その質問に、周囲の空気が凍りついた。
川路が驚いて小菅を見る。井口の顔色が、みるみる変わっていった。
「何を……言っている」
「佐竹さんが殺害された時刻です。もし無関係であれば、アリバイがあるはずです」
「君、若造のくせに……!」
井口が怒鳴った。
しかし、その反応こそが、小菅の推理を裏付けていた。
「現場には、革靴の足跡がありました。明治初期、革靴を履いているのは限られた人間です。そして、佐竹さんが調べていた土地の不正取引——そこに、あなたの名前があった」
「証拠があるのか!」
「証拠なら、これから集めます」
小菅は、まっすぐに井口を見た。
「ですが、一つだけ確実なことがあります。佐竹さんは、あなたの不正を暴こうとしていた。そして、あなたはそれを阻止したかった」
「黙れ!」
井口が叫んだ。
その声には、明らかな動揺が含まれていた。
「護衛! この二人を拘束しろ!」
護衛たちが、腰の刀に手をかけた。
絶体絶命の状況——。
だが、その時だった。
「待て」
新しい声が響いた。
階段の上から、一人の男が降りてきた。
六十代と思われる、威厳に満ちた男だ。
高価な着物を着て、歩く姿は堂々としている。
「三俣様……!」
井口が驚いて、その男に頭を下げた。
三俣——小菅は、その名前に覚えがあった。
三俣実美。太政大臣。
つまり、新政府のトップだ。
「井口、騒がしいな。何事だ」
「これは……川路が無断で機密文書を……」
「川路が?」
三俣は川路を見た。そして、小さく笑った。
「川路、お前らしいな。相変わらず、無謀なことをする」
「三俣様……申し訳ございません」
川路が頭を下げた。しかし、三俣は手を振った。
「いや、謝る必要はない。お前が動いたということは、何か理由があるのだろう?」
「はい」
川路は、懐から連判状を取り出した。
「これを、見つけました」
三俣の表情が、変わった。
連判状を受け取り、じっくりと読む。その間、誰も口を開けなかった。
やがて、三俣はため息をついた。
「……やはり、あったか」
「三俣様、ご存知だったのですか?」
「噂は聞いていた。だが、証拠がなかった」
三俣は、井口を見た。その目は、厳しかった。
「井口、これは本物か?」
「そ、それは……」
「答えろ」
三俣の声には、有無を言わさぬ力があった。井口は、うなだれた。
「……本物です」
その瞬間、全てが明らかになった。
***
三俣の執務室。
川路と小菅は、三俣の向かいに座っていた。
連判状は、机の上に置かれている。
「川路、よくぞこれを見つけた」
三俣は、深い疲労を顔に浮かべていた。
「実は、私もこの盟約の存在を疑っていた。維新後、妙な土地取引や人事が相次いだ。だが、証拠がなく、動けなかった」
「佐竹は、この盟約を暴こうとして殺されたのですね」
小菅が言うと、三俣は頷いた。
「おそらく、そうだろう。盟約のメンバーにとって、この秘密が明るみに出ることは、自分たちの地位と財産を失うことを意味する」
「では、犯人は——」
「井口だ」
三俣は断言した。
「彼は今、取り調べを受けている。おそらく、すぐに自白するだろう」
川路は、複雑な表情をしていた。
「三俣様。しかし、この連判状を公表すれば、新政府は大混乱に陥ります。百十五名もの高官が関わっているのですから」
「その通りだ」
三俣は、窓の外を見た。
「だが、それでも真実は明らかにせねばならん。正義を語る政府が、不正の上に成り立っているなどあってはならない」
小菅は、三俣の言葉に感銘を受けた。
権力者でありながら、真実を優先する——それは、現代でも稀有なことだ。
「ただし」
三俣は、川路を見た。
「全てを一度に公表するのは得策ではない。段階的に、慎重に進めねばならん。まずは、最も悪質な者たちから処分していく」
「わかりました」
川路は深く頭を下げた。
「私も、そのつもりです」
「川路、お前の警視庁には期待している。これからの日本に、公正な警察は不可欠だ。お前なら、それを作れる」
三俣の言葉には、重みがあった。
小菅は、ふと思った。
川路利良という人物は、本当に「日本近代警察の父」と呼ばれるにふさわしい人物だ。
権力に屈せず、正義を貫く——その姿勢は、百五十年後の現代にも、受け継がれるべきものだ。
そして、自分もまた——。
「小菅」
川路が呼びかけた。
「ん?」
「お前のおかげで、事件を解決できた。礼を言う」
「いえ、私は……」
「お前の『科学の目』は、本物だった。これからも、警視庁で働いてくれないか?」
その申し出に、小菅は戸惑った。
自分は、この時代の人間ではない。いつかは現代に戻らなければならない。
だが——。
「川路さん。もう少し、お手伝いさせてください」
小菅はそう答えた。
まだ、やるべきことがある気がした。
事件は解決した。だが、115の盟約の闇は、完全には消えていない。
百五十年後の現代にも、この陰謀は続いているのかもしれない。
小菅は、手に握られた懐中時計を見つめた。
時計の針は、止まったままだ。
だが、いつか——。
この時計が、再び動き出す時が来る。
それまで、自分はこの時代で、できることをしよう。
(第三章 了)
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