下り電車

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/1/16 📚 シリーズ: 時塔心霊探偵事務所 📝 3,887文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

再開発で社を失った路端の稲荷神は、生き延びるために人に化け、心霊探偵になった。 ――祈りも、欲望も、呪いも、まとめて引き受けるために。 これは人に化けた稲荷神と、神を信じない霊能者が怪異と人間の業の後始末をする、現代日本怪異譚。

本文

 とある休日。

 朔夜は私用で久留米へ出向き、その帰りだった。

 用事自体は昼過ぎに終わり、特別寄り道をすることもなく、そのままJRに乗って博多へ戻るつもりだった。

 ホームはいつも通り。

 人もいる。

 電光掲示板も正常に動いている。

 やがてやって来た電車に乗り、適当に空いている席に腰を下ろす。

 揺れは一定で、昼下がりの車内は暖かい。

 ――少し、眠い。

 目を閉じるつもりはなかった。

 ただ、瞬きをしただけのはずだった。

 はっとして、朔夜は目を開けた。

 静かだった。

 妙に、静かすぎる。

 エアコンの音も、走行音もしている。

 なのに、人の気配がない。

 顔を上げる。

 車両内に――誰もいなかった。

 吊り革は揺れている。

 広告も貼られている。

 座席も、床も、いつもの電車と変わらない。

 ただ、人だけがいない。

「……?」

 背筋を、冷たいものがなぞった。

 夢ではない。

 寝ぼけている感じもしない。

 立ち上がり、隣の車両へ移る。

 ドアを開いた瞬間、空気が変わった。

 いる。

 人影が、いる。

 数名。

 まばらに、間隔を空けて座っている。

 誰も、こちらを見ない。

 そして、全員が透けていた。

 確信が、胸に落ちる。

 幽霊しか、乗っていない。

 朔夜は深呼吸し、なるべく自然に歩き、近くの一人に声をかけた。

「すみません」

 白髪混じりの中年男性。

 新聞を読むような姿勢で、実際には何も持っていない。

「この電車って……」

 言葉を選ぶ。

「博多駅に、行きますよね?」

 男は、ゆっくり顔を上げた。

 朔夜を見るなり、少しだけ目を見開く。

「ああ?」

 一拍。

「……あんた、生きてるね」

 心臓が、どくりと鳴る。

「はい」

 否定しようがない。

 男は、ふう、と息を吐いた。

「そりゃあ……行かないよ」

「……え?」

「この電車はね」

 男は、どこか呑気に言った。

「あの世に成仏する時の、渡し船みたいなもんさ」

 笑うでもなく、脅すでもなく。

 ただの事実として。

「あんた、なんで乗ってんだい?」

 背中に、嫌な汗がにじむ。

「間違えました。降りたいんですが……降り方、分かりますか」

 男は首を傾げる。

「降り方?」

 少し考えてから、あっさり言った。

「そりゃあ、あの世に着けばドアが開くから、みんなで降りるよ」

「それは困ります」

 即座に返す。

「生きてるので」

「だろうねえ」

 男は、特に気にした様子もなく新聞――のようなもの――に視線を戻した。

「最近多いらしいねえ。生きてるのに乗っちゃう人」

 朔夜は、喉を鳴らした。

「……じゃあ、どうすれば」

「さあ?」

 男は肩をすくめる。

「車掌に聞きな」

 それだけ言って、興味を失ったように黙り込んだ。

 朔夜は、その場に立ち尽くした。

 成仏電車。

 あの世行き。

 終点で降ろされる。

 どれも、笑えない。

「……車掌」

 小さく呟き、決意する。

 このまま座っていたら、確実に“着いてしまう”。

 朔夜は車両を抜け、後方へ向かって走り出した。

 まだ、生きているうちに。

※※※

 車両を抜けるにつれ、空気が変わっていった。

 湿度が下がる。

 匂いがなくなる。

 人の生活の気配が、薄紙を一枚ずつ剥がされていくように消えていく。

 後方車両へ続く連結部。

 その扉の前に、ひとり立っている影があった。

 制服姿。

 帽子を被り、手には時刻表のようなものを持っている。

「……すみません」

 朔夜が声をかける。

 影は、ゆっくりと振り返った。

 車掌だった。

 顔立ちは穏やかだ。

 年齢は分からない。

 だが、目だけが妙に澄んでいて、こちらを「人」としてではなく、「乗客」として見ている。

「ああ」

 車掌は、やけに明るい声で言った。

「また、生きてる方ですね」

「……また?」

「ええ」

 困ったように、しかし慣れた調子で続ける。

「最近、多いんですよ。眠っている間に乗ってしまう方」

 朔夜は、喉を鳴らした。

「……降りたいんですが」

「でしょうねえ」

 車掌は、あっさり頷いた。

「ここは、そちらの世界の電車ではありませんから」

「じゃあ、どうすれば……」

「終点まで行ってください」

 即答だった。

「終点?」

「はい」

 車掌は、何の悪びれもなく言う。

「この電車は片道運行です。途中下車はできません」

 嫌な言い回しだった。

「終点で降りたら……」

「向こう側のホームに、下り電車が来ます」

「下り……」

「現世行きです」

 その言葉に、胸が少しだけ軽くなる。

「最近は、生者が紛れ込むことが増えまして」

 車掌は、ため息をついた。

「おかげで、送り返す路線を新設する羽目になりました」

「……忙しそうですね」

「ええ」

 にこやかに、しかし否定しない。

「あの世も、なかなか人手不足でして」

 冗談のようで、冗談に聞こえなかった。

 やがて、電車は減速し始めた。

 見慣れない駅が、窓の外に現れる。

 巨大だった。

 屋根は高く、奥行きが見えない。

 構内には、無数の人影が行き交っている。

 老若男女。

 服装も時代もばらばら。

 泣いている者。

 笑っている者。

 座り込んでいる者。

 静かに列に並んでいる者。

 死者の、溜まり場だった。

「……すごいですね」

 朔夜が、思わず言う。

「終着駅ですから」

 車掌は、さらりと答えた。

「皆さん、ここからそれぞれ向かわれます」

 電車が止まり、ドアが開く。

 どっと、幽霊たちが降りていく。

 流れは自然で、混乱はない。

 誰も、急がない。

 誰も、戻らない。

 朔夜は、その流れに逆らうように立っていた。

「下り電車のホームは?」

「あちらです」

 車掌が、遠くを指さす。

 構内の奥。

 人の波を縫わなければならない場所。

「……間に合いますか」

「乗り遅れると、次はいつになるか分かりません」

 穏やかな声で、恐ろしいことを言う。

「急いだ方がいいですよ」

 朔夜は、頷いた。

「ありがとうございました」

「お気をつけて」

 車掌は、帽子に手をかけて軽く会釈する。

「生きて帰ってください」

 その言葉を背に、朔夜は走り出した。

 終着駅の構内は、異様だった。

 アナウンスは流れていない。

 掲示板もない。

 それでも、皆どこへ行くか分かっているようだった。

 ホームの端。

 そこだけ、空気が違う。

 人影が多い。

 だが、妙に――静かだ。

 そして、線路の向こうから、音もなく下り電車が滑り込んできた。

 見た目は、普通の電車だった。

 だが、窓に映る自分の姿が、少し薄い。

「……これだ」

 朔夜は、息を整え、ドアへ向かう。

 乗り込んだ瞬間、背後でドアが閉まった。

 車内には、数名の人影がいた。

 その全員が、生きていた。

 互いに目を合わせ、何も言わず、ただ安堵する。

 電車が、動き出す。

 現世へ向けて。

 終着駅が、ゆっくり遠ざかっていく。

 ――その様子を、誰かがホームの端から見送っていた。

 車掌だった。

 彼は、小さく呟く。

「……また一人、戻りましたね」

 それが、仕事の一区切りのような口調だった。

※※※

 電車が、大きく揺れた。

 ――ガタン。

 それは、線路の継ぎ目を越える音ではなかった。

 もっと内側から響く、感覚の断絶。

 次の瞬間。

 朔夜は、息を吸ってパッと目を開いた。

「……っ」

 視界が、白い天井で満たされる。

 見慣れた蛍光灯。

 カーテン越しの昼の光。

 時塔心霊探偵事務所の、奥の仮眠スペースだった。

 全身が、重い。

 長時間眠っていたあとの鈍さではない。

 “戻ってきた”直後の、ズレ。

「……あれ……」

 起き上がろうとして、膝の上に温かい重みを感じた。

「ゴン……?」

 呼ばれた見習い稲荷は、尻尾をぶんぶん振りながら顔を舐めてくる。

「……いた……」

 その必死さに、朔夜は少し笑った。

「ごめん。戻ったよ」

 言葉が通じたかどうかは分からない。

 だが、ゴンは満足したように丸くなった。

 ドアが、静かに開く。

「起きたか」

 創だった。

 腕を組み、いつもの仏頂面。

 だが、目だけは、はっきりとこちらを捉えている。

「……お前」

 一拍。

「どこに行ってた」

 朔夜は、しばらく考えてから答えた。

「……電車、です」

「は?」

「あの世行きの」

 創の眉が、ぴくりと動く。

「……」

 黙ったまま、近づいてくる。

「俺が見た限り」

 創は、低く言った。

「この三日、お前の魂は抜けてた」

 その言葉は、責めでも冗談でもなかった。

 事実確認だ。

「すみません」

 朔夜は、素直に頭を下げる。

「間違って、乗っちゃったみたいで……」

「……間違って、な」

 創は、溜息をついた。

「で?」

「車掌さんに言われました」

 朔夜は、思い出すように言う。

「最近、生きてる人が紛れ込むのが増えて困ってるって」

「……だろうな」

 創は、窓の外を見る。

 祠は、いつも通りそこにある。

「あの世も、忙しそうでした」

「生きてる側もな」

 二人の間に、静かな沈黙が落ちる。

 ゴンが、朔夜の膝の上で寝息を立て始めた。

「……下り電車で、すぐ折り返したんですが」

 朔夜は、ぽつりと付け足す。

「もう少し遅れてたら、間に合わなかったかもしれません」

 創は、何も言わなかった。

 ただ、少しだけ目を細める。

「次からは、仮眠のとき」

 一拍。

「絶対に、声かけろ」

「はい」

 即答だった。

 沈黙が、また戻る。

 今度は、穏やかなものだ。

 ――ぐぅ。

 小さな音が、部屋に響いた。

 朔夜の腹だった。

「……」

 創は、ちらりと朔夜を見る。

「ちょうど昼だ」

 腕時計を確認する。

「カップ焼きそばでも食うか」

 朔夜は、少し笑って言った。

「あ、食べたいです」

「だろうな」

 創は、踵を返す。

「生き返った祝いだ」

 その背中に、朔夜は言った。

「……ただいま」

 創は、振り返らずに返す。

「遅えよ」

 ゴンが、小さく鳴いた。

 それは、生きている者の日常が、また静かに走り出す音だった。

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作者について

絢雲 蒼雪

絢雲 蒼雪

ホラーとファンタジーが好物! 小野不由美といえば十二国記ですが、個人的には残穢が好きです。 超ビビリのくせに読破。 怖くてガチで1週間寝付けなかった。 映画も観たよ。 もちろん十二国記も...

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