カレーなる歴史談義・中東と東欧の動乱篇
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
帰ってきた山本五十六 2023年4月18日夜~
本文
カレーなる歴史談義・中東と東欧の動乱篇
プロジェクターの光が、再び大臣室の壁を染めた。
映し出されたのは、荒涼とした山岳地帯に潜む武装集団。そして米軍の兵士たち。
幕僚が説明を始めた。
「9.11を受け、米国は“対テロ戦争”を宣言。まずはアフガニスタンに侵攻し、アルカイダとタリバン政権を攻撃しました」
五十六は画面に目を細めた。
「……大国が、山岳の影に潜む敵を追うか。戦艦も航空隊も、ここでは活きぬ。補給と情報が勝敗を決する……」
次のスライド。夜空を裂く爆撃、バグダッドの炎上する市街。
「2003年、米国は大量破壊兵器の存在を理由にイラクへ侵攻しました。しかし大量破壊兵器は見つからず、戦は長引きました」
五十六の眉間に深い皺が刻まれた。
「……戦の大義なき進軍か。いかに強兵を誇ろうとも、名分を欠けば士気は腐る。……我が時代も、同じ過ちを踏んだではないか」
スプーンを握る手に力がこもる。
「兵は駒ではない。大義なき戦で血を流すことほど、指揮官にとって恥ずべきものはない」
静まり返る室内。幕僚は次のスライドへ。
群衆が広場に集まり、旗を掲げて叫ぶ。
「2010年以降、“アラブの春”と呼ばれる民主化運動が中東・北アフリカ各地で起こりました。独裁政権が倒れもしましたが、その後の混乱は深刻です」
五十六は人々の拳と涙を映した映像を見つめた。
「……民は剣ではなく声を掲げたか。されど、その声はまた血に塗れた……。
力で押さえつけても、民の意志は必ず溢れ出す。だが、解き放った先に混乱が待つのもまた、人の世か」
やがて彼は深く息を吐き、背筋を伸ばした。
「……なるほど。八十年を経ても、戦の愚かさも、人の希望も変わらぬ。
兵を率いた者として、この現実から目を逸らしてはならぬのだな」
浜田大臣は静かに頷き、アイスのカップを片付けながら言った。
「提督。まさにそこが、我々が学び続けねばならぬ理由です」
五十六は遠い目でスクリーンを見つめた。
「……戦場は形を変えた。だが、命を懸ける兵と、それに翻弄される民……そこは変わらぬ。
ならばこそ、我が声も無駄ではあるまい」
引き続き海幕幕僚がパワポを操作しながら
「……続いて東欧の情勢ですが昨年2022年2月、ロシアはウクライナへ全面侵攻しました」と説明を続ける。
画面には破壊された都市や塹壕線の様子が映し出される。
五十六はしばらく食後のアイスをかじりつつ、やがて眉をひそめて言う。
「……兵站を軽んずるにも程がある。補給も制空もおろそかにして、無理に押し入れば、こうも混乱するか」
次のスライドには黒海艦隊旗艦「モスクワ」沈没のニュース。
五十六はテーブルを指で軽く叩き、声を低める。
スクリーンに映し出されたのは、黒海を背に漂う一隻の重巡の映像。その名が表示されると、五十六の目が細く光った。
「ふむ、あれが『モスクワ』か……旗艦が沈められたとな」
五十六はテーブルのスプーンを伏せ、低い声で続けた。
「艦艇はそう易々と見捨てるものではない。我らのころならば、曳航索をかけ、夜を徹してでも引き戻したものだ。曳航の術を尽くさぬのは、艦への礼を欠く行為というものだ」
その口調には辛辣な皮肉が混じっている。だが次の言葉は冷徹に、運用の要諦を列挙する。
「まずは被害管理。隔壁を封鎖し浸水を局限する。浮力を確保するために隔壁の順序を逆算し、ポンプで浸水を制御する。曳航準備と並行して応急修理班を乗せ、フェンダーや補強材で船体を保護する。曳航は夜間でも行う。波高が低く、敵の視認が悪い時間帯を利用して安全に運ぶのだ」
海幕の若手が息を呑む。五十六はさらに畳み掛けるように言った。
「艦を放棄する判断は最後の選択にしておけ。放棄は『物理的喪失』のみならず、要員の士気と海上の抑止力を一度に失わせる。曳航で持ち堪えさせる工夫を怠れば、喪失は倍加するだけだ」
言葉の端には淡い皮肉が滲む。
「艦を見捨てるのは、まるで戦利品を潮に委ねるが如し。戦術は変われど、艦を護る心構えが弛めば、海はあっという間に代償を要求する」
五十六は言葉を切ると、銀のスプーンをひと撫でし、静かに頷いた。
「我らならば、曳航索を投じ、隔壁を補強し、応急修理で速度を稼ぐ。叩かれてもなお帰らせる――それが艦への礼儀というものだ」
大臣室に沈黙が落ちる。だがその沈黙は、単なる非難ではなく、艦を護るための戒めとして受け取られた。画面の海は冷たく光るだけで、そこに答えはなかった。
「艦を粗末に扱う民族は、いずれ海を失う。わが連合艦隊ならば、沈没を許さず曳航でも帰投させたものを……」
一呼吸おいてから、幕僚が恐る恐る言葉を継ぐ。
「そして、この侵攻を指導しているのがロシア大統領プーチンです」
画面に映るプーチンの姿。五十六は長く沈黙した後、ふっと息を吐き、
「……一国の将が民を塗炭に陥れるは、最大の不忠なり。兵を動かすは容易いが、動かされた兵の魂を背負う覚悟が見えぬ。
──総括するならば“戦を知らぬ独裁者”。それが俺の見立てよ」
場にいた防衛官僚や海幕幕僚は、息を呑みながらも思わずうなずく。
大臣は「……いやぁ、現代版の“統帥批判”を聞くことになるとは」と苦笑する。
スライドが変わる。ウクライナの再建、NATO東方拡大、経済制裁、そして日本の対外支援の地図。
幕僚が説明する。
「少し補足させていただきます。2022年以降、日本はウクライナ支援を拡充しました。
2023年の春、岸田総理はキーウを訪問し、被災地支援・復興支援の意向を示しました」
五十六は眉を上げ、呟いた。
「岸田総理に……キエフではなくキーウと今は呼ぶのか。戦火の中を訪ねるとは、覚悟の行動だな」
幕僚が続ける。
「はい。対外支援は単なる外交姿勢ではなく、戦略的信頼の構築でもあります。
また日本は、インド太平洋構想を掲げ、自由・法の支配を基軸とする地域協力を目指しています」
五十六は静かに頷く。
「……地域協力か。戦艦の艦隊で示す時代は終わり、今は戦略と連携で示す。
だが質問だ——我が時代から問いたい。
日本は、米国と歩むしか道はないのか?
あるいは、独自の海防力を以て秤を保つことが可能か?」
場が静まる。幕僚長が応答をまとめる。
「提督、本省は現在、補強された自衛艦隊、ミサイル防衛網、宇宙・サイバー戦力を多面的に伸ばす方向を取っています。
ただ、米国との同盟関係を軸にしつつ、地域連携国との共同演習・情報共有も拡充中です」
五十六は顔を上げて、強い口調で言った。
「よかろう。だが忘れるな。艦艇と兵員だけでは国は護れぬ。情報・補給・民意、すべてが海の防壁となる。
米国の盾に頼るのは時として賢明だが、己でも矛盾を排し得ぬならば、盾は重荷となる」
浜田大臣がゆっくりと頷いた。
「確かに。依存ではなく協調。自律ではなく共存。提督の言葉、重く胸に刻みます」
五十六は窓の外の夜景を見やり、静かに呟いた。
「……未来は読めぬ。だが、護る意志を持つ者があれば、未来は決して暗くはなるまい」
大臣室の空気が張り詰める中、五十六は椅子に深く座り直した。
「よいか。米国との同盟はよい。だが、己の足で立たぬ国は、いずれ友にも侮られる。
まず第一に――兵站だ」
幕僚たちが一斉に姿勢を正す。
「いいかね。戦は兵隊の勇ましさより、腹が減らんことの方が大事だ。
米と油、これが尽きりゃ、どんな戦艦もただの鉄くずさ。
戦とは弾丸の数より、米と油の備えで決まる。太平洋戦争の敗因も、結局は燃料と物資だった。
今の日本は、どこまで自国で備蓄を持っておる?」
幕僚の一人が答える。
「石油備蓄は国家と民間合わせて約230日分を確保しています」
五十六は大きく頷き、アイスのスプーンを再び手にした。
「よろしい。だが有事は必ず長引く。補給線を守らずして兵站は成り立たぬぞ。
船を沈められてからでは遅い」
スライドが変わり、自衛艦の編制や哨戒網の図が映し出される。
五十六は次の指を立てた。
「第二に――国民意識だ。戦は将だけでなく、民草の覚悟にかかっておる。
だが、今の若者はどうだ? スマホとやらを片手に“いいね”やバズると叫ぶばかりではないのか」
幕僚長が苦笑しながら答える。
「提督、近年は災害派遣で自衛隊の信頼は厚く、若者の中にも志願者は多いです。
SNSも時に士気高揚に役立ちます」
五十六はしばし沈黙し、やがて吹き出すように笑った。
「なるほど、“いいね”やバズるが銃後の士気となるか。時代も変わったものよ!」
場が和む。
五十六は三本目の指を立てた。
「第三に――資源だ。大砲も航空機も、鉄と油から生まれる。
資源のない国が背伸びして戦えば、ああいう結末になる。
今の日本はどうだ? 仲間をちゃんと作って、補給線を握ってるか?」
浜田大臣は深く頷き、言葉を添えた。
「おっしゃる通りです、提督。我々の課題は、まさに“自律的な補給と地域連携”にあります」
五十六はアイスを食べ終え、コップの水で口を潤した。
「ならばよい。兵站、国民意識、資源。
これらを軽んじぬ限り、日本は滅びぬ」
そして、彼はにやりと笑った。
「……ところで、この“ファミリーマート”なる補給廠……あのコンビニってやつはすごいな。
補給所が街角にあるようなもんだ。
俺の頃にあれば、ミッドウェーの帰りにでも寄れたんだがな」
室内はどっと笑いに包まれた。
大臣は深く頷いた。
「提督のお言葉、肝に銘じます。……ですが、今宵はもう夜も更けました。
明日からまた改めて講義と処遇についてご相談しましょう」
五十六は姿勢を正し、軽く会釈する。
「うむ。ならば今宵は休息をとろう」
海上幕僚監部が用意したのは、防衛省隣接の宿舎・グランドヒル市ヶ谷の一室だ。
「こちらをご利用ください。当直要員のため常に部屋を確保しております」
と言って五十六を案内してきた海幕の隊員が差し出したのは、一冊の厚い書物――最新版の防衛白書だった。
五十六は手に取り、しげしげと眺める。
「……ほう、これが今の兵法書か。活字も図も見やすい……」
ベッドに腰を下ろすと、リモコンを見つけて怪訝そうに首をかしげる。
「……これは何だ? 信号機か?」
副官が苦笑しつつ答える。
「テレビのリモコンでございます。ニュースも映像でご覧いただけます」
五十六は呆気にとられながらも白書を開き、静かに呟いた。
「……八十年を越え、なお国を護る志がここに息づいているか」
案内の隊員たちが去ったのち五十六はグランドヒル市ヶ谷の一室で、渡された厚い冊子をめくっていた。
表紙には近代的な艦艇と戦闘機の写真、そして「令和四年版 防衛白書」の文字。
「……れいわ……四年、か」
昭和の人間にとっては耳慣れぬ元号を呟きつつ、頁を繰る。
やがて指が止まった。
「……宇宙作戦隊? サイバー防衛? いかなる新兵科だこれは」
さらに進めば、地図に赤く色づけされた台湾海峡が目に入る。
「……台湾有事……。なるほど、八十年を経てもなお、この海域は火薬庫のままか」
ページを閉じ、五十六は深く息をついた。
「……この書を読み解けば、今の日本が抱える戦の姿が見えてくる。
明日、大臣や幕僚に問いただしてみるとしよう」
そう呟くと、ベッドに身を横たえた。
窓の外には、夜の東京の街明かりが、海上に散らばる無数の信号のように瞬いていた。
作品統計
📚 本を探すなら「よみどき」(あいぺんが運営する本の発見サイト)
130万冊を超えるコミック・小説・書籍の順位と値段を毎日みて、いま読むものを決められます。